医学界新聞

連載

2014.10.20


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第118回〉
松山城と地域包括ケア

井部俊子
聖路加国際大学学長


前回よりつづく

 夏が終わるころから学会シーズンが始まる。第18回日本看護管理学会学術集会(大会長=愛媛大・中村慶子)が2014年8月29-30日に愛媛県松山市で開かれた。会期前夜の理事会・評議員会から出席したため,私は道後の湯に4回もつかることができた。

 学会のメインテーマは,「地域包括ケア時代の看護マネジメント」であり,第1会場では会長講演「看護の力を示す時代」を皮切りに,基調講演「我が国の医療,介護の行方」(慶大・権丈善一),教育講演「大学改革を推進するための組織マネジメント」(愛媛大・柳澤康信),教育講演「日本の社会保障制度の地殻変動を支える看護管理者」(井部俊子),シンポジウム「地域包括ケアと看護」(座長=慶大・小池智子,尾道市立市民病院・山田佐登美)と続いた。準備された11の会場では同時並行で研究発表やインフォメーション・エクスチェンジが行われた。近年,看護系の学会はマンモス化する傾向があり,学会発表等の全体を把握することが不可能となっている。一方で,特定のテーマを追究する学術的・実践的な研究会を形成する方向性を模索する時が来ている。

まちづくりとしての築城

 学会2日目は,前日の小雨模様の天候とはうって変わって晴天となった。特別講演「俳人子規は病臥の日々をいかに生きたか」(愛媛大・青木亮人)を堪能したあと,私は「坂の上の雲」に導かれるように松山城の見学を挙行した。明治24(1891)年,「松山や 秋より高き 天主閣」と正岡子規は詠んでいる。

 日本三大平山城(ひらやまじろ)のひとつ,松山城は加藤嘉明の手により,慶長7(1602)年から築城を開始し,寛永4(1627)年にほぼ完成した(ちなみに日本三大平山城は,松山城,姫路城と,3つ目は熊本城とも和歌山城とも言われている)。平山城とは,丘陵に築かれ,周囲に平地を取り入れた城のことを言う。加藤嘉明時代の天守は五層であったが,蒲生忠知,久松松平家と城主は変わり,寛永19(1642)年に松平定行が三層の天守に改めた。天守はのちの松平定国の代,天明4(1784)年に落雷で焼失したが,安政元(1854)年,松平勝善の代に再建され現在に至る。日本に現存する天守のうち,最も新しい時代につくられている。こんもりと茂る城山の上にそびえ立つ天守は松山のシンボルとなっている。また,天守の地下1階は八百石の米俵が積める米倉で,1年の籠城に耐えることができる。倉の周囲は,防虫のためにクスノキ材でつくられ,床には素焼きの瓦が防湿のために敷きつめられている。階段は観光用に後でつけられたものである。観光客用の入口はここから始まり,天守までいくつかの急な階段を昇降しなければならない。

 嘉明は,慶長7年3月から三之丸をはじめとする武家屋敷,6月には城西・東・南の町家の地割りを行い,城下町に松前や道後からの商家や住民を移り住ませた。嘉明は寺院を城北に移し寺町をつくり,火事の類焼を防ぐという軍事上の目的を考えた。また,毎年繰り返される伊予川の氾濫に嘉明は悩まされていた。これを防止するように,と家臣の足立半右衛門重信に命じた。重信は,伊予川の流れを高井あたりから北へと変え,河口を今出の南につけ替えた。その結果,沿岸の田畑への水害は少なくなり,多くの良田が誕生した。この功績により,伊予川は重信川と呼ばれるようになった(土井中照著『松山城の秘密』アトラス出版,2011年)。

 つまり,城主はお城をつくるだけではなく,人々の暮らしを守る「まちづくり」をしたのである。ここに思い至ったとき,私は松山城を訪ねた意義を見いだすことができた。地域包括ケアシステムをつくるということは,地方自治体の首長が「平成の地割り」を行い体制を整えるということであり,天守とは首長室であり作戦司令部となる。

地域包括ケアの担い手たち

 ケーブルカーではなく,リフトで夏風に吹かれながら松山城を後にした私は学会場に戻った。学会最終の第18群実践報告で,私は再び感動を覚えた。

 発表者の前野かつ子さん(青仁会池田病院)は,気負うことなく率直に「A地方における新人看護職員の就職先決定に影響を与える要因」を述べた。「A地方では,1施設当たりの新卒看護師は5人以下がほとんどであり,地域全体でも40人に満たなかった」ので,2011年度から新人看護職員多施設合同研修を開始した。A地方の新卒看護師を確保するために何が必要かを探るために,この合同研修に参加した新卒看護職員(n=104)を対象に調査した。その結果,A地方に就職した理由の第1位は「奨学金の貸与」であった。新卒看護師を増やすには,「継続教育の充実」と,「実習時の対応・環境の充実」が必要とされた。さらに,A地方への就職を推奨する理由として,「先輩看護師の優しさ」があった。「A地方の看護管理者としてこれらの要因を実現し,新卒看護師を確保したい」と前野さんは結んだ。

 この発表は,日本の一角で良い看護を提供しようと地道に努力している地域包括ケアの担い手たちを認め,讃える機会となった。

つづく

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