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『「卓越したジェネラリスト診療」入門――複雑困難な時代を生き抜く臨床医のメソッド』より

藤沼 康樹

2024.06.21

 マルチモビディティ,下降期慢性疾患,複雑困難事例,心理・社会的問題,未分化健康問題……。現代の臨床医は外来で,ガイドラインや医学的知識だけでは太刀打ちできない,さまざまな患者・家族の健康問題に直面します。そんな時,医師として,どう考え何ができるか? 『「卓越したジェネラリスト診療」入門――複雑困難な時代を生き抜く臨床医のメソッド』では,日本のプライマリ・ケアと家庭医療学を牽引してきた著者が,そのメソッドを開示し“新たな医師像”を提示します。藤沼康樹氏の現時点での集大成,待望の単著です。

 「医学界新聞プラス」では,本書の中から「はじめに」「『外来診療』を構造化する」「プライマリ・ケアにおける『回復』の構造」「『振り返り(省察)』と実践をつなぐ方法」の4項目をピックアップして,内容を紹介します。

 ※本文中のページ数は,『「卓越したジェネラリスト診療」入門――複雑困難な時代を生き抜く臨床医のメソッド』内の関連記述のあるページです。


 

 診断・治療という基本的な医師の業務には、病因を除去したり症状を抑えたりする、ある種の攻撃的な性質があり、たとえばロールプレイングゲームにおける“黒魔導師”のような役割があります。一方、「生命力の消耗を最小限にする」というような看護師の基本プリンシプルは、あえて言えば“白魔導師”のそれと言えるかもしれません。しかし昨今の地域医療の現場においては、そうした役割分担の境界はだんだん曖昧になってきています。一部の業務は職種の枠組みを越えてオーバーラップするようになり、また職業的アイデンティティを支えるプリンシプルも変化してきていると言えるでしょう。
 その文脈において、私が最も興味があるのは、患者の「回復」のプロセスについてです。投薬や手術によって疾患が治癒したり症状が緩和されたりするのですから、医師が言う「改善した」「よくなった」という現象は私も多く経験してきました。しかし、ここで言う「回復」はそれとは異なる概念です。
 また、『看護覚え書』の序章に「すべての病気は回復過程(reparative process)である」というテーゼがありますが、ナイチンゲールが言うこの回復には、むしろ「自然修復」あるいは「自然治癒力」のイメージに近い印象があり、やはり私が関心を寄せる回復とはニュアンスが違います。
 これは英語の「healing」に近いのですが、日本語では「癒し」と訳され、また片仮名の「ヒーリング」は医療とは別の文脈で使われることが多いため、私は「回復」という言葉を使うことにしています。

それは本当に「治療効果」か?

 

総じて従来の医学では、回復することに関して「治療効果」としてしか検討されてこなかったように思います。家庭医療においても例外ではありません。
以前対談した若手俳優の柳浩太郎さんは、デビューし人気が急上昇していたさなか、不慮の交通事故により重傷を負ったのですが、高次脳機能障害という後遺症と折り合いをつけながら役者に復帰を遂げました1)。その後、彼は体調が再び悪くなり長い活動休止期間に入りましたが、再び舞台復帰を遂げています。
私が最も関心をもったのは「なぜ彼は回復できたのか?」、そして「どう後遺症と付き合うことができているのか?」ということでした。おそらくそこには、回復の方向に「病みの軌跡(illness trajectory)」の角度を変化させた、何らかの要因があるのだろうと考えたのです。対談のなかでわかったことは、家族の支え、俳優仲間が居場所を確保してくれていて障害自体がもつ価値や意味を共有してくれていたこと、思うように動かない身体のコントロールを一緒に工夫しながら指導してくれたトレーナーやスタッフ、諦めず待ち続けてくれたファンなど、多様な要因があったということでした。つまり、回復は医療現場で生じていたわけではなかったということです。この「病みの軌跡」が回復の方向に舵を切るようにさせる作用を、私は「healing」と呼びたいと思います(図1)。

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図1 | 病みの軌跡
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「回復」を構成する6つの性質

 

 ここで、非常に感銘を受けた論文を紹介したいと思います。Millerら2)はこの論文を、米国在住のメキシコ人Jorgeホルヘ Moralesモラレスというゲイ男性の物語から始めます。
 彼は、米国に移住してから英語を学び、専門学校に通って美容師の仕事につき、米国社会にふさわしく「自立することこそ重要」という価値観のなかで生きてきました。しかし、自身のパートナーがAIDSで亡くなってしまい、その裏切りと不実に自暴自棄となって、自身のHIV感染症状を否認し続けます。そして症状が進行し、打ちひしがれた状態で入院しました。初日に医師グループが回診に来て、ぶっきらぼうに「合併症が出そろったAIDSだよ」と診断名を告げられ、その口調から自分は人間扱いされていないと感じてショックを受けます。その後、抗ウイルス薬の効果で病状は落ち着いたものの、彼の魂は傷ついたままでした。
 退院後、彼は家族の住むメキシコの田舎町に帰ることにしました。残念ながら母親は、彼がゲイであることもAIDSであることも受け入れることができませんでした。感染を恐れ、彼に触れることすらしませんでした。家族とのつながりも失い、生きる希望をすべて失った彼は、米国で最期を迎えようと思いました。

 ◎ 「病気が治る」のとは別の回復

 しかし故郷を離れる前、彼の11歳の妹が「生きていてほしい」「私の結婚式でプレゼントを渡して!」と泣きながら彼に訴えたのです。彼は、幼い妹の言葉という“希望のライフライン”にすがりながら米国に戻りました。
 その後、彼は小さな街の家庭医に通院するようになります。そこは以前入院していた病院とは違い、彼を1人の人間として大切に扱ってくれました。その家庭医が言った「君は妹さんの結婚式に出たいのだろう?」という言葉が、いつも頭の中心にありました。
 そして彼は、自室を自分好みに装飾して、美容師の仕事を再開することにより自尊心を取り戻すことになります。さらに、妹の粘り強い説得により母親の理解が深まり、ついに母親を米国に呼び寄せて一緒に暮らすようになったのです。彼の疾患は治癒はしていませんしかし、「主体の回復」が生じたのです
 このMoralesの回復過程をどう見るかという点で、天野(小粥)ら3)が進行がんの下降期にある患者に関する質的看護研究で提示した、以下の「自己回復の6つの性質」は適切な解釈の枠組みを与えてくれます。
悪化していく今ここにある身体の感受
環境に揺るがされる現実の厳しさの認知
安らぎを得るための方策の探究
意味ある体験の確認
つながりをもつ他者との応答
今ここにいる自分の在り方の表明

 これらは、がん自体は治癒することはないけれど、自己(主体)の「立て直し」あるいは「統合性の回復」は可能であり、そのための援助としてどのようなものが必要とされるか、という極めて重要な視点を提示しています。

(※この続きは書籍本編でお読みください。)

文献

1)藤沼康樹,柳浩太郎:“回復の物語”を紡ぐ─病いの陰に潜む,新しい自分を見いだす道のりとは.週刊医学界新聞2968:1–2, 2012.
https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02968_01
2)Miller WL, et al : Healing landscapes ; patients, relationships, and creating optimal healing places. J Altern Complement Med 11(s1): S41–49, 2005.  PMID  16332186
3)天野(小粥)薫,他:がん治療を受けながら下降期を生きる人々の自己の回復.日看会誌32(4): 3–11, 2012.

 

ガイドラインじゃ解決できぬ臨床課題に答えるエキスパートジェネラリストのメソッド集

<内容紹介>マルチモビディティ、下降期慢性疾患、複雑困難事例、心理・社会的問題、未分化健康問題…。現代の臨床医は外来で、ガイドラインや医学的知識だけでは太刀打ちできない、さまざまな患者・家族の健康問題に直面する。そんな時、医師として、どう考え何ができるか? 日本のプライマリ・ケアと家庭医療学を牽引してきた著者が、そのメソッドを開示し“新たな医師像”を提示した。藤沼康樹氏の現時点での集大成、待望の単著。

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