医学界新聞

連載

2009.08.31

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第158回

A Patient's Story(9)
「保険者機能強化」の愚かしさ

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2842号よりつづく

前回までのあらすじ:2009年初め,私は,早期直腸カルチノイドと診断された。腫瘍を局所切除すれば完治するはずだったが,保険会社から「人工肛門にしない限り保険適用を認めない」と横やりが入り,手術は直前でキャンセルされた。


IC原則を侵害する「保険者機能強化」

 「利用審査(=究極の保険者機能強化)」の問題点については,これまで,本欄も含めてあちこちで紹介してきた。その私が,利用審査の結果,「(何の必要もない)人工肛門をつけろ」と強要されたのであるが,自分の身に利用審査の「実害」が及ぶ体験をしてあらためて痛感したのは,「利用審査ほど患者の権利を侵害する仕組みもない」という真理である。

 利用審査はその典型であるが,保険者が医療内容に介入する仕組みがなぜ患者の権利を侵害するのかというと,それは,いまの医療において一番大切なルール,「インフォームド・コンセント」の原則を侵害するからにほかならない。

 これまで何度も書いてきたことだが,インフォームド・コンセントとは訴訟逃れのための「書式」ではない。患者と医療者が治療のゴールを共有し,そのゴールに向けて共同で治療プランを作成するプロセスである。患者の人権のなかでも最も重要な「自己決定権」を尊重しようとするならば,医療者はおのずとインフォームド・コンセントの原則に忠実でなければならないのである。

 私の直腸カルチノイドについても,「根治というゴールを達成するための最適の手段はTEM(Transanal Endoscopic Microsurgery)」という治療プランは,私と主治医とが納得しあった上で決めたものであった。ところが,保険会社は,インフォームド・コンセントの原則に基づいて医師と患者が共同で決めたこの治療方針を,「医学的に不適切である」と拒否しただけでなく,まったく不必要な人工肛門の造設を強制しようとしたのである。

保険者は医師と患者の「通訳」か

 ちなみに,日本で「保険者機能の強化」を推進しようとしている人々は,しばしば「患者は医学の知識が乏しいので,医師の説明がわからないことが多い。だから,保険者が医師と患者の間に立って,通訳の役をするのです」という言い方で,保険者が医療内容に介入する権限を持つことを正当化しようとする。私が初めて「保険者=通訳」論に接したのは,2003年に福岡で行われた第26回日本医学会総会・特別シンポジウム「日本の医療の将来」での,健保連副会長(当時)下村健氏の発表を聞いたときだったが,まるで「インフォームド・コンセントのルールが徹底されるよう,保険者が支援するのだ」と言わんばかりの説明に,思わずのけぞったことを今でも鮮明に覚えている。

 というのも,下村氏の説明とは裏腹に,少なくとも米国では,保険会社の利用審査担当者は,患者と話したこともなければ,その顔も知らないのが普通であり,「通訳」としての機能を果たすどころか,いわば,「インフォームド・コンセント」のルールを超越する「絶対者」として,医師と患者が共同で決めた治療プランを拒否する権限を付与されているからである(さらに言うならば,患者と医師とが共同で意思決定をするという「インフォームド・コンセント」の原則が守られていれば,「通訳」など,そもそも要るはずがないのである)。

 今回の体験で,利用審査は「インフォームド・コンセント」の原則を無視・超越する仕組みであることを再認識したのだが,患者としてそれ以上に腹が立ってならなかったのは,「まったく不必要な人工肛門の造設を強要される」という「不正義」がなされたことだった。

 しかも,この不正義を正し,患者が自分の身を守るためには,不服申請の手続きをとる以外に術がないのである。(医師ではなく)患者が保険会社の決定が間違っている理由を「医学的に(しかも文書で)」論じなければならないのだが,医師である私でさえも,専門外の領域での医学的論議をすることは,正直言って荷が重かった。「不服申請は,患者にとって著しく困難で負担が重い作業である」と思い知らされた次第である。

 不服申請の手続きをとってからほぼひと月後,私は,保険会社から「保険給付を認める」との通知を受け取った。私が提出した不服申請の書類は,「なぜ給付拒否の決定が間違っているのか」を52ページにわたって論じる大文書であったが,通知は本文わずか10行と,素っ気ないものだった。しかも,給付を認めることにした理由も「症例の事情を鑑みて」としか説明されていなかった。

 手術が受けられるようになったことはうれしいには違いなかったのだが,「そもそも,なぜ間違った決定をしたのか。そして,なぜ間違いを正すことにしたかの説明が一切ないとはどういうことなのだ。どこが患者と医師の間に立つ通訳なのだ!」と思うと,怒りを新たにせざるを得なかったのだった。

この項おわり

付記:手術前後の事情について興味がおありの方は,前回紹介したブログ「CTBNL」をご一読されたい。

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