医学界新聞

対談・座談会 藤沼康樹,岩浪悟

2024.06.11 医学界新聞(通常号):第3562号より

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 現代日本のプライマリ・ケア医は,医学的な知識・経験だけではハンドリングの難しい問題に直面することが増えています。そこで本紙では,新刊『「卓越したジェネラリスト診療」入門――複雑困難な時代を生き抜く臨床医のメソッド』(医学書院)にて,複雑困難な健康問題に深くアプローチする“新たな医師像”を提示する藤沼氏,総合病院の救急・総合診療科で働く傍ら,地域のクリニックでの外来診療,在宅医療まで幅広く患者を診る岩浪氏による対談を企画。ジェネラリストとして患者にかかわることの諸相を探りました。

藤沼 僕は医師になってもう40年。今振り返ると最初に出会った指導医が非常にジェネラルな考え方の持ち主で,その影響もあって家庭医療,プライマリ・ケアと呼ばれる領域で活動してきました。岩浪先生はどういった経緯で総合診療を専門とすることになったのですか。

岩浪 初期研修での学びを深めたいと考え,教育で有名な都立多摩総合医療センターの門を叩いたところ,入職後に開設された総合診療科に誘っていただいたためです。総合診療を選んだ背景には,初期研修医の頃に覚えた違和感の影響もあるかもしれません。教科書で学んだ症状,例えば心筋梗塞を臨床で目にした際に沸き立つ同期を横目に,目の前の患者さんは苦しんでいるのに……と乗り切れない自分がいました。

藤沼 学習した医学的知識を患者を通じて確認することへの違和感は,僕も共感するところです。今回の書籍タイトルにも入っている「卓越したジェネラリスト診療」とも関連する話ですが,医学的な知には普遍性があります。例えば心筋梗塞を起こした場合の心電図は,AさんとBさんで基本的に同じだと考えます。だから学んだ知識を目の前の患者に適用できるわけです。しかし,実際に診療を通して患者に向き合う中で,そこにある個別性にもまた気付く瞬間があります。同じ心不全でもAさんとBさんで生活の中での困り事が異なることは当然あり得ます。

 「卓越したジェネラリスト診療」は,患者の個別性に寄せた診療ができることを指します。僕はそうした診療がジェネラリストの本道だと考え,そのための方法論の言語化を書籍内で試みました。個別性が特に大事になってくるのは,一見何が問題かわからない未分化な健康問題を抱えた事例,複数次元の問題が複雑に絡み合った困難事例,多疾患併存などの場合です。

岩浪 個別性というものを考えたとき,医療者がかかわったことで患者,周囲の人間を含めて何か“いい感じ”になっていると感じることがあります。

藤沼 “いい感じ”,確かにありますね。well-beingとは異なるし対応する英語は思いつかないけれど,いい具合に進んでいるなとの実感はよくわかります。

岩浪 そうした“いい感じ”も含んだ個別の医療に関しては,標準化も言語化もなされず,まだまだ“自分流”で行われている部分が大きいのではないかと感じています。

藤沼 そう思います。医師の資質や性格,価値観といったものが,個別性に寄せた診療にはダイレクトに反映されますから。しかし,言語化しないと人に伝えられないし,知として蓄積することもできないです。個別性の高いケアを,単に「性格の良い先生」に還元したくないですね。

岩浪 一方で,サイエンスとしての医学,普遍的な知は,随分標準化が進みました。現在では多くの医師が研修医の頃から身に付けられるスキルとして定着してきた感があります。

藤沼 EBMのムーヴメントに関しては,福井次矢先生がDavid Sackettの『Clinical Epidemiology』を日本で紹介したのが1980年代の後半で,それ以来ガイドラインの整備を含めた医療の標準化は大きく進みました。その一方で,近年は個別性にもスポットが当たるようになってきた流れかと思います。

岩浪 総合診療以外の分野が“自分流”になりにくいのは,科学的な側面が比較的大きくて,標準化がなされているからです。職業人として,そうした専門性を高めたくなる気持ちも理解できる部分があります。

藤沼 専門医制度はよくできたシステムで,それにのっとって訓練を積むと,いわゆるやぶ医者にはなりにくいんです(笑)。例えば,年々手技が下手になる消化器内視鏡専門医の存在は想定しにくい。ある特定の領域の仕事をエクスクルーシブに行うということは,特定の医学的知を何度も繰り返し適用するということで,毎日の仕事が生涯学習になっているわけです。

岩浪 何でも相談に乗りますよと看板を掲げるジェネラリストはその反対で,非常にインクルーシブな仕事である分,何がやってくるのか予想できない大変さがあります。

藤沼 仕事と私生活を完全に切り離すことが難しいとも言えます。診療にやって来た患者とのコミュニケーションが,医療者である以前の,一個の人間としての自分の人生に影響を及ぼすわけです。それを面白いと思えるかが,ジェネラリストに向いているかどうかの分水嶺なのかもしれません。

岩浪 わかります。自分自身が置かれた状況と同じ地平にある悩みを抱えた人が患者として目の前にやって来て,身につまされることもしばしばです。夫婦問題で悩んでいる方から「先生はそんなことなさらないでしょうけれど,うちの夫はこうなんです」と相談されたときに,「いや,私もそういうときがあります……」と返さざるを得ない場面もありました。臨床で伺う話と自分の生活が容易に接続するといいますか。

藤沼 自身の人間としての時間的蓄積,人生経験のようなものが生きる場面もままありますね。定年退職した夫が自宅に長時間いることで夫婦関係が悪化することはライフサイクル論上普遍的な現象として指摘されていますが,「しがみついてでも仕事をしたほうが良いです」なんてアドバイスは,若い医師だとしづらいでしょうから。

 でも,先ほどの例で,自分も例外ではないと岩浪先生が謙虚に話している間に,患者がじっと話を聞いているだけかというと実はそうではなくて,患者の中では無意識下にリフレクションのサイクルが回っていて,自分なりの気付きを得ているものです。医師が患者の話を謙虚に聞いて,そこから学んだり自分の話をしたりすること自体にヒーリング効果があるのではと僕は思います。医師側の年齢に関係なく実践可能な,ポジティブなかかわりです。

岩浪 案外役に立てていたのでしょうか。

藤沼 すぐに診断推論を発動するのではなく,ひとまず行う通り一遍の質問や身体診察をDonner-Banzhoffは“triggered routine(トリガー・ルーチン)”と呼びますが,そのプロセスの中で,患者自身の自分の状態に関するリフレクションが進むと僕は考えています。それに似た作用があったのではないでしょうか。

岩浪 いま話題に挙がったライフサイクル論に関連して,藤沼先生が講義でおっしゃっていた「80歳代以降の人生ステージにおいては,同じ日常を繰り返すことに価値が出てくる」という話が印象的でした。

藤沼 今回の書籍でも,複雑困難事例に取り組み始める最初の一歩として,患者が毎日“ルーチン”として行っていることを探り出しましょうという提案をしています。

岩波 何か根拠となる研究があるのですか。

藤沼 人生の先行きが短くなった悪性腫瘍患者を対象に,生活の中で何を大切にしているのかをインタビュー調査した総合診療医による博士論文があります〔Health(London).2010[PMID:20164165]〕。その医師が調査開始前に想定していたのは,最期にやっておきたいことを実現するといった回答でした。しかし蓋を開けてみると,彼らが一番大切にしていたのは,朝起きてパン屋に赴いてパンを買うことなど,ごく普通の日常だったのです。

岩浪 オーディナリーライフが大事だとの結論に至ったわけですね。そうしたルーチンを継続できるよう支えることが医療者の役割と言えそうです。

藤沼 ここのところ僕が診ていて最も印象に残っているのは,90歳代で単身生活をされている患者さんです。少し動くのも大変な体の状態にもかかわらず,僕が往診すると毎回必ず玄関先まで送迎をしてくれるんですね。つらそうだし無理をしなくていいですよとお伝えしたところ,「先は長くないけれど,自分の体を使い切って死ぬことを目標にしている」と話してくれました。それを聞いて,なるほどそういう考え方があるのかと得心しました。最期は状態の予測も難しい中ご本人の希望もあり自宅で亡くなったのですが,おそらく毎日の生活の中で自分の体を使い切りたいということだったのでしょう。

岩浪 実存的なテーマですね。

藤沼 そうです。医師は診療を通して,実存的な問題に関する質問を受けることがよくあります。その際に,どういう価値観をもって対応するのか。そうした相談業務を僕は「普通の相談」と呼んでいます。これは患者の個別性とも密接に結びついていて,僕としては「普通の相談」についてカンファレンスを行いたいくらいです。

岩浪 そういうカンファレンスはあまり行われないですよね。

藤沼 若い先生だとコミュニケーション能力で丸め込もうとすることもありますね。「そうお考えなんですね」とか言いながら上手に丸めて帰してしまう,といった対応。

岩浪 私はまさにその類でした。師である名郷直樹先生から「そうやってまとめようとするのがよくない」と何度も叱られたことが,臨床医としての原体験にあります。

藤沼 良い話ですね。「普通の相談」に対応することは,医師がヒーラーになることにつながると考えています。地域や共同体の中にあるヒールのリソースは特に都市部では徐々に減っていますから,医師がヒーラーとしての役割を担うにはどうすればいいのか,ヒーラーである医師をいかに養成できるのかに,個人的に強く関心を引かれます。

岩浪 ヒーラーとしての医師,重要な観点だと思います。何かふと困ることがあったときに,気軽に相談できる場所が身近には案外なくて,その役割を医療機関が担っている側面があるのではないでしょうか。

藤沼 健康問題ではないかもしれないが少しつらくて……とやって来る患者をプライマリ・ケアではよく見かけます。本当に多種多様な相談が持ち込まれるのです。

岩浪 医療機関で診るには医療化する必要があるから,何かしら症状がなければならない。逆に言うと,症状さえあれば医療機関にかかれます。

藤沼 おっしゃる通りで,症状はコミュニケーションツールなのですよね。膝が痛くて注射してほしいとやって来た患者の目的が全く別のところにある,といったことも当然あり得ます。もちろん診断をつけて医学的対応をするわけですが,医療機関にかかった理由が別のところにあるならば,話を聞いてこそヒーリングにつなげることができます。

岩浪 救急にもそうした側面があると思います。生活問題と考えられる例がいくらでも持ち込まれる。ですから,そうしたケースへの対応に悩む医師は少なくないはずです。

 私自身が対応に悩んだケースについて相談させてください。年に1回程度Japan Coma Scale 3桁の混迷状態になって救急搬送されてくる60歳代の男性です。私が当直で担当したのでCTを撮ったり腰椎穿刺をしたりしたものの,大きな問題はありませんでした。院内にいるうちに状態が良くなってきたので少し話をしてみましたがその時はなかなか打ち解けられず,後日改めてお話を聞いたところ,若年性アルツハイマー病を患った妻がいて,彼女が夜中に歩き回るのが心配で眠れず,医療機関にかかると睡眠薬を処方されるけれども妻を見れなくなるから服用はできないとのことでした。妻を預けられる場所もほとんどなく,先の見通しを立てるのが難しかったです。

藤沼 興味深い事例ですが,若年性アルツハイマー病という部分に引っ掛かりを感じました。通常のアルツハイマー病に比べて,介護者の実存的懸念が大きいためです。わかりやすい例として渡辺謙主演の映画『明日の記憶』が挙げられますが,疾患当事者も世界の見え方が変容することで苦しみますし,それを傍で見ている介護者もまた苦しむわけです。僕なら病初期の話,診断が下される前後の話を聞くかもしれません。すごく大変だったんじゃないですかって。

岩浪 実際に大変だったのでしょうね。

藤沼 そう思います。

岩浪 今でも月に一度来院されて,「月に一回先生に会うのが楽しみなんです。もう一月頑張れます」と言ってくれるのですが,ただ話を聞いて,楽しみだなんて言ってもらってありがとうございますと伝えて,それくらいなんです。何もできていないといいますか。

藤沼 でも,ヒーラーってそれくらいのことなのではないでしょうか。話を聞いてくれる場所が他にないのだと思いますよ。医療者が一対一で話を聞いてくれているという状況は,目の前の一人の人間が自分にだけ集中してくれていることを意味します。他のことを考えながら話を聞いているのではなくて,自分に集中してくれている。マインドフルネスでいうところのプレゼンスですね。「今・ここ」を共有している状態が,ヒーリングとして大きな意味を持つわけです。

岩浪 患者さんとしては,普段の生活では常に妻の存在があって,自分の時間も自分だけの時間ではないのだと思います。真に自分の時間を持つことが難しい。

藤沼 こうした例で僕が他に気を付けるのは,病気を患っていたとしても,妻がいてくれて良いことが絶対にあるはずだとの前提に立つことです。ちょっと普通とは異なる介護者―被介護者関係があったら,「奥さんのことを愛していますか」と聞いてみると,患者はたいていその話に乗ってきます。「まあ,昔はね」なんて言いつつ,こちらが「奥さんがいてくれて何か良いことってあるんですか」など尋ねてみると,「やっぱり安心するよね」と返ってきたり。妻・夫がそこにいること自体がおそらくルーチンになっているのですね。介護も双方向的なものなので,被介護者から与えられているものもあることに,リフレクティブに気付くことができるはずです。「普通の相談」の中で,そうしたリフレクションを促せるといいのかもしれません。

藤沼 医療者と患者が,よくわからない症状についてあれこれ話す中で,互いがとりあえず納得できる落としどころを見つける,意味を立ち上げる作業が進行していきます。センスメイキングと言って,ある一定の解釈を与えてしまうのですね。いわゆる医学的診断ではありませんが,医療的でないアプローチにおいて,極めて重要だと僕は考えています。

岩浪 問題を問題化しないアプローチ,問題解決しようとしないアプローチでなければうまく取り扱えない問題があると,最近はよく考えます。そうしたアプローチは必要であるだろうと思う一方で難しいとも感じていたので,本日はたくさんの有益なヒントをいただけました。

(了)


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生協浮間診療所 所長 / 医療福祉生協連家庭医療学開発センター センター長

1983年新潟大医学部卒。東京都老人医療センター(当時),生協浮間診療所所長などを経て,2006年より現職。15~17年千葉大大学院専門職連携教育研究センター特任講師。専門は家庭医療学,医学教育。近著に『「卓越したジェネラリスト診療」入門――複雑困難な時代を生き抜く臨床医のメソッド』(医学書院)。

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都立多摩総合医療センター 救急・総合診療科

2014年山梨大医学部卒。16年社会医療法人社団順江会江東病院にて初期臨床研修を行う。東京都立多摩総合医療センター内科後期研修プログラムを修了後,20年より現職。その他,武蔵国分寺公園クリニック,ファミリーケアクリニック吉祥寺,吉祥寺南病院と地域の一次,二次,三次医療機関で勤務し,地域を縦断した働き方をめざしている。

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