医学界新聞

新年号特集 認知症と共に生きる

寄稿 筧 裕介

2024.01.01 週刊医学界新聞(通常号):第3547号より

 デザインとは,人の認知機能に働きかけるものです。人がモノや情報・サービスを五感でとらえ,思考・判断・記憶し,何らかの行動をする。この一連のプロセスを支援し,生活をより良くするための行為がデザインです。

 認知症による認知機能の低下に伴い,人はトイレの場所がわからなくなったり,家電を使えなくなったり,道に迷ってしまったりと,さまざまな生活の問題を抱えます。これは,その人の生活の中にある商品・サービス・空間などのデザインに問題があるととらえることもできます。現実問題として,今の世の中には,人の認知機能を惑わせ,混乱させるデザインが溢れています。

 認知症のある人は,どのような問題を抱え,いつ・どんな状況で生活のしづらさを感じているのか。それを理解することは,デザインの観点から認知症をとらえるために欠かせません。しかし,現在の認知症をめぐる問題は,「本人が置いてけぼりにされている」のが実情です。認知症に関連した書籍の多くは,介護している家族向けに,どうしたらちゃんと寝てくれるか,食事をとってくれるか,暴れずに過ごしてくれるかなど,介護の負担を軽減する対処法を解説したものや,医療・介護従事者向けの専門的な内容です。認知症の本人はどういう状況にあって,何に困っているのか,と本人が主語となって語られるテキストは極めて少ないです。認知症のある方の「本人の視点」でのアプローチがなく,本人がどうしたいのかが無視されています。

 認知症は,「認知機能が働きにくくなったために生活上の問題が生じ,暮らしづらくなっている状態」を指します。認知機能とは,「ある対象を目・耳・鼻・舌・肌などの感覚器官でとらえ,それが何であるかを理解したり,思考・判断したり,計算や言語化したり,記憶にとどめたりする働き」のことです。こうした認知機能の低下を補うために自宅・施設・公共空間などの生活環境を改善するのは,筆者らデザイナーの仕事であると同時に,読者の皆さんのような医療や介護の専門職,そして認知症のある方のご家族,さらには認知症のある方ご本人の誰もができることです。

 まずは以下のケースをお読みください。

・80歳男性,陽水さん

・郊外の団地で一人暮らし

・妻とは5年前に死別

・近所に娘が在住

・毎晩,21時には布団に入る陽水さん。最近,就寝中に毎日のようにトイレに行きたくなり,深夜に目を覚ましてしまうようです。バタバタと起き上がり,家の中を慌てて駆け回ります。近所に住む娘さんが訪問すると,トイレに入るのが間に合わず漏らしてしまったり,違う場所で用を足してしまったり,失敗してしまった形跡が……。深夜に限らず,日中でも失敗することが増えてきました。

 この状況を改善するためのデザインに欠かせないのが,本人が抱える認知機能障害を理解するための“推理”です。認知機能のトラブルを推理する際には,アブダクションと呼ばれる「ある前提となる事実から,その事実を説明づける仮説を結論として導く論法」が効果的です。シャーロック・ホームズなどの名探偵の推理と同様の手法です。

 認知症のある方の言動の背景を推理するヒントは次の3つから得られます。

①傾聴:ご本人の発言にじっくり丁寧に耳を傾ける

②観察:生活環境や具体的な行動を観察する

③知識:現在までの人生歴(仕事,家庭環境,趣味,居住地等)や認知機能の障害に関する知識を得る

 こうした推理の糸口をもとに,名探偵のように,ご本人の言動の背景にどんなことが起きているのだろう?と推理して,自分なりの仮説を立ててみましょう。その仮説を頭に置きながら,再度,声に耳を傾け,現場を観察し,人生歴を振り返り,推理を深めて仮説をブラッシュアップしていきます。こうした糸口の発見と推理の往復運動を繰り返し行うことで,ご本人の思いや抱えている課題を深く理解できるようになります。

 今回はこのケーススタディの情報(傾聴+観察)に加えて,認知症のある方が抱える認知機能に関する以下の8つの認知機能障害をヒントに,推理をしてみてください。

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 では,陽水さんの身に起こった認知機能のトラブルの可能性として考えられる推理を3つ紹介します。

推理1 トイレを見つけられなかったのでは?

 扉の向こう側にトイレがあることをイメージできず,見つけられなかった可能性があります(5)。視界が狭くなる(1),空間の奥行きを認識できないことが原因の可能性もあります(2)。トイレマークが扉に貼ってあったとしても,理解できないという言語のトラブルの可能性もあります(6)。

推理2 急激な尿意・便意に襲われたのでは?

 われわれは「トイレに行きたいな「まだ我慢できる」と無意識に感じ,排泄する時間を判断しています。認知症に伴い,繊細な尿意・便意を感じとれず,我慢できないほどの強い尿意・便意を突然感じ,間に合わなかったのかもしれません(3)。

推理3 便座にうまく座れなかったのでは?

 「便器にちゃんと座る」という一見簡単そうに見えることができなくなった可能性があります。空間の奥行きの把握が難しい(2)。形や大きさ・色の識別が難しい(4,8)。対象物との距離を把握できない(7)。その結果,便器との距離や形状を認識できず,正しい位置にお尻を乗せられなかった可能性があります。

 このトラブルを解消するために考えられるデザインのアイデアを検討しましょう。その際に,次の6つをヒントとして使ってみてください。

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 例えば,以下のような改善策が考えられます。

アイデア1 便器・便座のデザインを改める

 便器・便座のデザインを改めることで解決できる可能性があります(2)。イギリスで実際に認知症のある方向けに取り入れられている公共トイレは便座とフタの色を赤にすることで,周囲の壁や床,便器全体から目立ちやすくなっています。わかりやすい色の便座カバーで解決できる場合があります。

アイデア2 トイレを示すサインを改める

 トイレを示すサインを,扉や導線につけることも一つの解決策です(1)。「トイレ」「お手洗い」などの言語を理解するのが難しい方,マークを理解するのが難しい方,一人ひとりの症状によって困難なことが異なるため,本人の症状に応じたわかりやすいサインを作りましょう。トイレを示すサインのデザインのポイントは以下の3つです。

①360度どの方向からでも視認できるサインにする

②大きく,視認性が高いサインにする

③小柄な方でも目に入りやすい高さに設置する

アイデア3 アラームや排便予測ツールを活用する

 スマートフォンで定期的にトイレへ行くことを促すアラームをかけるのも一つの手です(5)。ただし,アラームの設定や機器の装着は,事前に本人に相談し,本人の意思を尊重しましょう。

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 認知症に伴い生じる生活上の問題は,生活環境を改善するデザインにより解決できる場合が多くあります。目の前にある困難に対処するための一手法として,ぜひデザインの考え方を積極的に活用してみてください。


1)筧裕介.認知症世界の歩き方 実践編――対話とデザインがあなたの生活を変える.issue+design;2023.
2)issue+design,他.認知症世界の歩き方公式ウェブサイト.2021.

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NPO法人issue+design代表

一橋大社会学部卒業後,株式会社博報堂に入社。コマーシャルや広告デザインなど商業デザインに従事する。2008年NPO法人issue+designを設立。携わった代表的なプロジェクトに,東日本大震災のボランティアを支援する「できますゼッケン」などがある。17年より認知症未来共創ハブのメンバーとして認知症の人が暮らしやすい社会づくりの活動に取り組む。『認知症世界の歩き方』(ライツ社)など著書多数。東大大学院工学系研究科修了。博士(工学)。

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