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『臨床中毒学 第2版』より

連載 上條 吉人

2023.11.17

 著者の経験・知見と最新のエビデンスを惜しみなく注ぎ込んだ中毒診療の決定版!!

  新刊『臨床中毒学 第2版』は,わが国の中毒診療のトップランナーである著者が「臨床現場で役立つ中毒の成書」をコンセプトにまとめた1冊。総論の「急性中毒治療の5大原則」を皮切りに,各論では112種類の中毒物質を取り上げ,詳しく実践的な解説で読者の期待に応えます。
 「医学界新聞プラス」では,本書の中から「No.44 有機リン」(殺虫剤)と「No.103 フグ毒(TTX)」(魚介類)をピックアップし,4回にわたって(各テーマは前編・後編の2回ずつ)紹介します。

44 有機リン

 頻度 💀💀     毒性の強さ 💀💀💀💀

  • Minimum requirement
  •  急性コリン作動性症候群で呼吸中枢抑制,気道分泌過多,気管支攣縮(喘鳴)による呼吸不全がある.あるいは,中間症候群で横隔膜や肋間筋の麻痺による呼吸不全があれば,速やかに気管挿管および人工呼吸器管理を施行する
  •  気道分泌過多や気管支攣縮(喘鳴)があればただちにアトロピン硫酸塩を投与する
  •  ランダム化比較試験(RCT)やメタ解析による臨床研究では,プラリドキシムは有機リン中毒の予後を有意に改善しなかった

 

概説

 有機リンは非可逆的アセチルコリンエステラーゼ(AChE)阻害薬で,殺虫剤として全世界で使用されているだけでなく,サリンやVXのような神経剤として戦争やテロに使用された.

 殺虫剤としては,有機リンはさまざまな種類の害虫に高い効果を発揮するという利点があるため,過去半世紀以上の間に化学構造の異なる多くの物質が合成され,現在でも全世界で100種類以上が使用されている.その一方で,人体に対する毒性も強く,容易に入手できるため多くの急性中毒が発生し,多くの命が失われている.世界では,毎年およそ300万人が急性中毒となり,およそ10万人が死亡していると推定されている.急性中毒のうち,重症のほとんどが自殺企図によるものである.世界的には発展途上国において,日本では農村部において急性中毒の発生頻度が高い.神経剤としては,有機リンはイラン・イラク戦争(1980~1988年)の際にイラク軍によって一般市民に対して使用された.また,1994年と1995年に,オウム真理教によって一般市民に対して使用された(⇒書籍『臨床中毒学 第2版』p 624「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」).

中毒の特徴

毒成分

 有機リンは,図F-44-1[上]に示すような基本構造を有している.ただし後述するように,P=O結合のあるものだけがAChEと反応する.これらは「直接AChE阻害薬」と呼ばれている.P=S結合のあるものは,代謝されてP=O結合となりAChEと反応する.これらは「間接AChE阻害薬」と呼ばれている.図F-44-1[下]に,わが国で用いられている代表的な有機リン系殺虫剤であるジクロルボス,マラチオン,フェニトロチオンの構造式を示す.図F-44-2が,マラチオンおよびフェニトロチオンを主成分としている商品であるマラソン®およびスミチオン®である.また,図F-44-3に化学兵器として用いられている神経剤の構造式を示す.このうち,タブン,サリン,ソマンは第二次世界大戦中に,VXは第二次世界大戦後に開発された.

図F-44-1.png
図F-44-2.png
図F-44-3.png

毒物動態

 次に示すように,毒物動態については不明な点が多い.

毒物動態2.png

 殺虫剤については,経口摂取後の発症が数分以内と早いことから,速やかに吸収されると推定される.多くの物質は脂溶性が高く,組織に広く分布する.神経剤については,ソマンやサリンの半減期は1時間以内と短いが,VXの半減期は数時間以上である.

毒のメカニズム

 生体には異なるタイプのコリンエステラーゼ(cholinesterase)が存在する.主要なものは末梢神経系,中枢神経系,神経・筋接合部,赤血球膜に存在するAChE,および肝臓で産生されて血清に存在する血清ブチリルコリンエステラーゼ(BChE:butyrylcholinesterase)である.BChEはコリンエステラーゼ(cholinesterase)または偽性コリンエステラーゼ(pseudocholinesterase)とも呼ばれている.図F-44-4に示すように,AChEは,アセチルコリン(ACh)をコリンと酢酸に加水分解する.ところが有機リンは末梢神経系,中枢神経系,神経・筋接合部,赤血球に侵入して,AChEの活性部位を構成しているセリンの水酸基と結合して,リン酸化することによってAChEを失活させる.この反応は非可逆的で,新たにAChEが合成される,または再活性化薬(reactivator)が投与されるまでAChEの活性は回復しない.この結果,末梢神経系,中枢神経系,神経・筋接合部の神経終末でAChが蓄積するために,ACh受容体,すなわちムスカリン受容体およびニコチン受容体が過剰刺激され,有害なムスカリン様作用やニコチン用作用を発揮する.なお,pre-Bötzinger complex領域として知られている呼吸中枢は延髄腹外側野(ventrolateral medulla)に位置しているが,グルタミン作動性およびムスカリン作動性線維からなる.この領域のムスカリン受容体が過剰刺激されると呼吸抑制が生じる.動物モデルの研究では,ラットの両側のpre-Bötzinger complex領域にジクロルボスを注入すると,呼吸数および換気量が減少し,27%の個体で呼吸停止を認めた.ウサギの両側のpre-Bötzinger complex領域にサリンを注入すると,1回換気量は減少せずに急速に呼吸数が減少して呼吸停止を認めたとの研究報告もある.一方,有機リンは同様に血清BChEをリン酸化して失活させるが,この作用による臨床症状は認められていない.

 図F-44-4[右]に示すように,リン酸化AChEは時間経過とともにリン酸基からアルキル基を失い(脱アルキル化),さらにイオン化する.これがagingである.agingの速度や程度は有機リンの化学構造による.

臨床症状

 臨床症状は①急性コリン作動性症候群(acute cholinergic syndrome,またはコリン作動性クリーゼ[cholinergic crisis]),②中間症候群(intermediate syndrome),および③遅発性多発神経炎(delayed polyneuropathy)の3相に分けられる.

急性コリン作動性症候群(コリン作動性クリーゼ)

 有機リンの曝露から数分~数時間で発現し,重症度はAChE活性のレベルによる.P=O結合のある直接AChE阻害薬による中毒の発症は早く,摂取直後から生じることが多い.P=S結合のある間接AChE阻害薬による中毒の発症は遅く,持続時間は長く,摂取後数日持続することもある.症状の持続時間はそれぞれの有機リンの(脂溶性などの)特性,リン酸化AChEの安定性,後述するプラリドキシムに対する反応性にもよる.脂溶性の高い有機リンでは,いったんは脂肪組織に貯蔵された有機リンが遊離されて急性コリン作動性症候群が再燃することがある.その他に循環器症状が生じる場合もある.

 図F-44-5および表F-44-2に示すように,急性コリン作動性症候群の症状は副交感神経のムスカリン受容体の過剰刺激によるムスカリン様症状,交感神経および神経・筋接合部のニコチン受容体の過剰刺激によるニコチン様症状,中枢神経系のニコチンおよびムスカリン受容体の過剰刺激による中枢神経症状に分けられる.その他に,循環器症状が生じることもある.臨床研究では,99例の中等~重症有機リン中毒患者のうち11例(11.1%)にST低下,34例(34.3%)に48時間以内のトロポニンⅠの上昇を認めた.

ムスカリン様症状
縮瞳,気道分泌過多,気管支攣縮(喘鳴),流涎,悪心・嘔吐,下痢,便失禁,腹痛,流涙,排尿,尿失禁,徐脈,血圧低下
ニコチン様症状
発汗,散瞳,頻脈,血圧上昇,筋痙攣,筋線維束攣縮,脱力,筋力低下,麻痺,横隔膜不全
中枢神経症状
頭痛,めまい,運動失調,振戦,構音障害,錯乱,不穏・興奮,せん妄,精神症症状,昏睡,痙攣発作,錐体外路症状,呼吸抑制・呼吸停止,呼吸不全
循環器症状
ST上昇,ST-T変化,房室伝導障害,QTc延長,トルサード・ド・ポアンツ,さまざまな不整脈,心筋障害,中毒性心筋炎,トロポニンI上昇

表F-44-2.png

中間症候群

 曝露後24~96時間で,突然に中間症候群またはⅡ型呼吸不全(typeⅡ respiratory failure)が生じることがある.急性コリン作動性症候群が回復してから生じることもあれば,急性コリン作動性症候群が発症しない状態で生じることもある.また,急性コリン作動性症候群の再燃に継続して生じる場合もある.中間症候群の発症率,有機リンの種類との関連,危険因子は不明である.発症のメカニズムは明らかではないが,持続的なニコチン受容体の過剰刺激によるニコチン受容体の機能低下(down-regulation),筋壊死,酸化的フリーラジカルによるニコチン受容体の傷害が疑われている.中間症候群では,横隔膜・肋間筋などの呼吸筋や頸部屈筋(neck flexor)の筋力低下・麻痺,四肢近位筋や運動性脳神経の支配している筋の筋力低下・麻痺,深部腱反射の低下が突然に生じる.筋力低下・麻痺の程度や広がりは個々で異なる.通常は7~21日で回復する.

遅発性多発神経炎

 曝露後2~5週間で生じることがある.末梢神経系,および中枢神経系の長い軸索の変性によって生じる.予後はさまざまである.

(以降の本文は第2回に続く)

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臨床家のための「トキシコペディア」。

<内容紹介>わが国の中毒診療のトップランナーとして精力的に活動を続ける著者が、「臨床現場で役立つ中毒学の成書」をコンセプトに、これまでの自身の経験・知見と最新のエビデンスを惜しみなく注ぎ込んだ決定版。 1章「急性中毒治療の5大原則」に続き、2章以降は中毒物質112物質をジャンル別(医薬品、農薬、家庭用品、化学・工業用品、生物毒)にまとめ、フローチャートも交えて解説する。巻末には「近年の中毒トレンド」も掲載。

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