一歩進んだ感染対策の実現へ
対談・座談会 坂本史衣,本田仁
2023.11.20 週刊医学界新聞(通常号):第3542号より

個々の対策は現場の努力で頑張っているが,網羅的ではない――。コロナ禍を通じた感染対策への意識の高まりを評価する一方で,日本の感染対策の現状をこう評価した坂本史衣氏。同氏は,国内の感染対策のレベルを底上げするため,このたび『感染対策60のQ&A』(医学書院)を上梓した。「基本的な医療関連感染対策について,理論と活用の両面からわかりやすく語りたい」と序文で記したように,同書では医療関連感染の予防と制御に従事する初学者をメインターゲットに,感染対策における“哲学”とも表現できる,“なぜ?”に答えた解説がちりばめられている。そこで本紙ではHospital Epidemiologistとして長年活躍してきた本田仁氏との対談を企画。日本の感染対策の現状を共有し,今後に向けた課題について議論を行った。
本田 対談に臨むに当たって新刊『感染対策60のQ&A』を読ませていただきました。この一冊だけで院内の感染対策マニュアルに置き換わってしまうくらいに網羅的です。お世辞抜きでまさにバイブル。当院ではこの書籍を1年かけて感染対策のチームで輪読しようと思っています。特に書籍の顔となる第1章で標準予防策を取り上げている点はとても良いですね。先生が標準予防策の重要性を意識されていることを感じました。
坂本 ありがとうございます。コロナ禍の激動とともに書いた,私にとっても思い出の一冊です。
本田 これまで私はHospital Epidemiologistとして院内での感染対策に従事してきた中で,「なぜ医療者は標準予防策を徹底しなければならないのか」との疑問をぶつけられることが多く,その意義を理解してもらえないケースが多々あったのですが,本書はそうした根本的な疑問を解決できる解説がふんだんに盛り込まれています。例えば「病院を訪れる患者の中で,ヒト―ヒト感染する病原体を持つことが事前に判明している患者は全体のひと握りにすぎません。したがってすべての患者の湿性生体物質には感染性があると考えて取り扱うことが,既知および未知の病原体による感染から医療関係者と患者を守ることにつながります」のようなメッセージ。こうした前提,言わば“感染対策における哲学”が押さえられていないと,「感染対策チームから言われたのでやります」という受け身の姿勢にスタッフたちがなりやすいのです。
有益な情報にいかにアクセスできるか
本田 今回の書籍で目に留まったのは,カナダ・オンタリオ州公衆衛生局が公開している感染対策の情報が数多く引用されていたことです。一般的に感染対策の分野では米国疾病予防管理センター(CDC)や米国医療疫学会(SHEA)といった米国発の文献が紹介されることが多い中で,カナダの取り組みに着目された理由を教えてください。
坂本 世界で広く知られ,活用されているWHOやCDCの指針を参考にすることはもちろん多いのですが,エビデンスに忠実なあまり,表現が抽象的あるいは複雑で,使いづらい勧告も多いと言えます。例えばWHOによる手指衛生の5つのタイミング1)は下記のように示されていますが,患者との接触については前・後が推奨されているのに,患者周辺環境との接触については後のみが推奨されている点にモヤっとするし,現場の人は覚えづらい。
①患者との接触前
②清潔・無菌操作前
③血液・体液曝露リスク後
④患者との接触後
⑤患者周辺環境との接触後
他方,カナダ・オンタリオ州公衆衛生局が公開している指針2)では下記の4項目が示されています(図)。

①患者/患者環境との最初の接触前
②清潔・無菌操作前
③血液・体液曝露リスク後
④患者/患者環境との接触後
このように,カナダの指針はわかりやすく,実践に落とし込みやすいのが特徴です。他にも医療環境に関するガイドラインの内容も質が高く,勧告を行う「背景」に関する説明が丁寧で,現場での活用例も豊富です。日本ではあまり知られていませんが,有益なガイドラインと言えます。
本田 日本の文献ではそうした痒い所に手が届くようなものはないので,海外のこうした情報にアクセスできるか否かで大きな差が生まれますよね。
坂本 ええ。その問題が可視化されたのがコロナ禍です。イタリアや米国で日本よりも先にクラスターや医療逼迫が起こっていた中,最前線の医療者がSNSを通じて発信した情報が拡散され,早い段階で感染対策の検討が進められました。新型インフルエンザやSARS,MARSの時と比較すると段違いの早さです。現地の医師とつないでリアルな声を伝えたJAMAのポッドキャストも大変参考になりました。これら最新の情報にアクセスできた人がうまく情報をピックアップし拡散できたらよかったのですが,特に感染拡大初期の混乱時は,うまく切り抜けられた施設と対応に苦慮した施設が国内で二極化してしまった。今後同じ状況になった時に,好事例をいち早く共有できるプラットフォームがあればと考えています。
トップのスタンスが感染対策の成否を左右する
本田 最近では院内におけるユニバーサルマスキングをいつやめるかとの話題も議論されるようになりました。世間的には緩和ムードが漂う中で,院内における医療者の感染対策へのモチベーションを持続させることに苦労をしています。
坂本 難しい問題ですよね。前任の聖路加国際病院では周りに人がいない時はマスクを外してよいという方針でした(2023年10月末時点)。人がいる場面でのマスクの着用については,リスクを取りすぎると集団感染によって業務縮小に至る可能性があるため,外してもよい場面を増やしていくに当たって,リスクをどこまで許容できるのかを各施設で議論する必要があります。
COVID-19に限りませんが,感染対策の根拠となる科学と病院経営のバランスの取り方は,経営層の医療の質や安全に対する考え方の影響を大きく受けます。ですので,人の健康への影響を考えた時に妥協が望ましくない部分と,トップの判断に委ねてよい部分を切り分けて折衝するようにしています。
本田 経営層の考え方一つで感染対策の成否が大きく左右されるという点は非常に頷けます。トップのスタンスをはっきりさせることは重要です。
坂本 感染対策チームの悩みとして「スタッフが言うことを聞いてくれない」との話をよく聞きますが,「感染予防は病院の方針であり,職員はそれに従う義務がある」との明確な指針があれば,感染予防をやる/やらないの選択肢が職員側に委ねられる事態は避けられます。「価値観が異なるので承服できない」と意見する人に対しては,感染予防に対する説明責任のあるトップが,「病院の方針なので従ってください」と伝えることもできます。しかし,この責任の所在が曖昧であるが故に,感染対策チームが現場との板挟みになってしまう光景を頻繁に目にします。
本田 そうした状況を変えるためにも,感染対策チームには院内のサーベイランスデータの整備が求められます。定期的な評価を行い,ベンチマークと比較をして,明確に「ここがダメです」と可視化し,感染対策の意義をトップに理解してもらえるよう訴えていくべきです。当院では,ある領域に課題を見いだした際,教授会で話をする機会を院長にセッティングしていただくこともありました。
坂本 トップが感染対策の重要性を表明し,支援してくれているのは良いですね。感染のリスクや対策の効果を可視化するには,転倒・転落や誤薬などの目に見えるインシデントとは異なり,専門技能が必要です。感染対策のプロセスやアウトカム評価を病院の質改善プログラムに組み込んで,トップを含めた関係者と共有することが推進される仕組みになることを期待します。
ポジティブなフィードバックができる場面では最大の評価を
坂本 リスクを数値で可視化し,比較を通して改善状況を評価する。こうしたリスク評価は日本人のメンタリティにすぐにはなじまないかもしれませんが,感染予防には不可欠です。米国では消費者団体が医療の質に関する各種指標を公開しており3),患者は各病院の成績を見て受診する病院を決められます。このレポートは,単に「医師や看護師が親切だった」といった口コミではなく
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坂本 史衣(さかもと・ふみえ)氏 板橋中央総合病院 院長補佐
1991年聖路加看護大(当時)卒。97年米コロンビア大公衆衛生大学院修了。同年に帰国し,聖路加国際病院看護部勤務。2001年日看協看護研修学校に出向して認定看護師教育課程感染管理学科専任教員を務め,02年より聖路加国際病院にて感染管理に従事する。23年11月より現職。感染制御および疫学資格認定機構(CBIC)による認定資格(CIC)を03年に取得。『感染対策40の鉄則』『感染対策60のQ&A』(いずれも医学書院)など著書多数。専門は医療関連感染対策。

本田 仁(ほんだ・ひとし)氏 藤田医科大学感染症科 臨床教授
2000年北里大医学部卒。日本での研修後,04年より米ハワイ大にて内科研修を行う。その後,米ワシントン大にて感染症科フェロー,感染対策/医療疫学フェロー。10年に帰国し,手稲渓仁会病院総合内科・感染症科医長を経て,13年東京都立多摩総合医療センター感染症科医長。22年より現職。米国内科専門医,米国感染症専門医。専門は病院疫学,病院感染対策,抗菌薬適正使用,臨床感染症。
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