医学界新聞

生命科学×情報数理科学の新学問領域

インタビュー 西田 幸二

2023.07.03 週刊医学界新聞(通常号):第3524号より

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 疾患の原因は遺伝因子と環境因子に大別される。これまでの医学は,それぞれの因子に焦点を当てた要素還元的アプローチに頼ってきた。一方で,遺伝因子と環境因子の複雑な相互作用による多因子性の慢性疾患の死亡者数は,全世界の死亡者数の約7割を占めている。多因子性疾患の治療と予防をめざした「ヒューマン・メタバース疾患研究」は,2022年度に文科省が進める世界トップレベル研究拠点プログラム事業に阪大が採択され本格的に始動した。本紙ではヒューマン・メタバース疾患研究拠点長を務める西田幸二氏に研究プロジェクトのめざす未来,そして拠点長としての想いを聞いた。

――疾患の解明と治療に向けて,ヒューマン・メタバース疾患研究では遺伝因子と環境因子の複雑な相互作用によって生じる多因子性疾患に焦点を当てています。この理由について教えてください。

西田 前提として押さえていただきたいのは,各人で疾患の原因が異なることです。ヒトゲノムの解読やマウス等での動物実験によって疾患の原因とされる遺伝子が調べられています。しかし,原因遺伝子を持っていても,発症する人としない人がいるのです。これは遺伝因子に加え環境因子との複雑な相互作用によって発症するからと考えられています。特に多因子性の慢性疾患ではこの傾向が顕著であり,これまでマウス実験等で行ってきた単一因子のみに着目した要素還元的アプローチだけでは対応できません。

――それでは,多因子性疾患に対してどのようなアプローチを行うのでしょうか。

西田 患者の生体情報のデジタルコピー(バイオデジタルツイン)を仮想空間に作り,多因子が影響するリアルタイムな生体情報を再現することで,患者ごとに最適な治療を提供する超個別的な治療,さらには発症前からの予防的介入の実現をめざしています()。

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 ヒューマン・メタバース疾患研究の概略

――具体的にどのような生体情報からバイオデジタルツインは構築されますか。

西田 血液検査や画像検査等で得るクリニカルデータ(マクロ情報)と,患者本人から生成されたiPS細胞で再現したミニチュア臓器(オルガノイド)経由で得た生体反応(ミクロ情報)に情報数理科学的な処理を加えて構築します。マクロとミクロの生体情報の統合によって,疾患再現度の高いバイオデジタルツインを構築でき,疾患メカニズムの解明や,新しい治療法の開発が可能になります。

――つまり,バイオデジタルツインは臓器単位で構築できるのですね。

西田 その通りです。今後,構築する臓器を増やしながら臓器間ネットワークにも着目して,最終的には体全体で起こっている生命現象を仮想空間内で再現していきたいです。

――先ほど話題に挙がった情報数理科学的処理とはどのような工程か教えてください。

西田 取得したマクロとミクロな生体情報の関係性をモデリングします。そして,人工知能(AI)をバイオデジタルツインに対する情報の入力処理と出力処理に活用します。

――バイオデジタルツインの利用では,医療者や研究者は具体的にどのような形で患者情報を入力し,どのような形で情報が出力されることになりますか。

西田 われわれはChatGPTのようなマルチモーダルなAIモデルといった基盤も活用するためCTやMRIといった画像情報のみならず,電子カルテに書くような言語情報,それから音声情報の入力も可能となります。そして,医療者や研究者が求める情報を自然言語で出力することを想定しています。

 情報の出力において重要なのはAIによるモデリング(思考過程)を可視化することです。データ入力の結果,将来がんになる可能性を示されてもモデリングの根拠がわからなければ医療の場合は納得できないですよね。従来のAIはこの思考過程がブラックボックスになっていましたが,今ではexplainable AI(説明可能なAI)という手法も発達してきました。バイオデジタルツインの構築のみならず利用においても,AI技術の進化は本プロジェクトの成功に重要な鍵となります。

――西田先生はオルガノイド形成,ヒトiPS細胞から作製した角膜上皮細胞移植の成功など,眼科領域をリードされてきました。対象とする臓器を全身に広げ,情報数理科学も融合する本研究の拠点長となった経緯を教えてください。

西田 大阪大学には分野横断的な融合研究を推進する先導的学際研究機構(Institute for Open and Transdisciplinary Research Initiatives:OTRI)があります。OTRIは文科省が進める世界トップレベル研究拠点プログラム(World Premier International Research Center Initiative:WPI)等の大型プロジェクトに採択されて,研究を大きく発展させることを目標としています。私は,OTRIで生命医科学融合フロンティア研究部門長を務めていた経験から,今回のプロジェクトを発想し,申請しました。その結果,幸運なことにWPIに採択されました。

――審査には激しい競争があったのだと思います。何が評価されたと分析していますか。

西田 生命科学と情報数理科学を融合して新たな学問に発展させていく点が評価されたのだと考えています。生命科学と情報数理科学との融合は研究者同士の個人レベルでは既に行われていまいました。しかしながら,研究所規模で体系的に教育と研究を行う施設はほとんどありません。また近年は情報数理科学の発展が著しく,これからの社会構造を変えていくでしょう。こうした状況やタイミングが,提案したヒューマン・メタバース疾患研究の内容と合致して採択に至ったのかもしれません。

――教育も同時に行うのがポイントなのでしょうか。

西田 はい。WPIの新ミッションにも教育と人材育成が記されています。そもそも生命科学と情報数理科学は別々で発展してきたために,両分野を理解できる人材が国内にはほとんどいません。この点は本研究プロジェクトを進めていく上での大きな課題です。しかし,裏を返せば二つの学問の融合によって大きな発見の可能性があるのです。私も拠点長として,生命科学と情報数理科学を理解して活躍できる人材を育てていきたいという想いがあります。自分自身も両分野を理解できないと拠点長として格好がつかないと思い,情報数理科学の勉強に励んでいます。

――生命科学の研究者が情報数理科学を学ぶのは,ほとんど一から学び始めるようなものですよね。

西田 これまでは生命科学の研究ばかりしてきたので,情報数理科学の理解は拠点長となって一番苦労していることかもしれません。当初は情報数理科学系の専門家と話をしても内容がわからず,議論がかみ合いませんでした。それでも独学に励みながらディスカッションを重ねていくうちに,情報数理科学をだんだん理解できるようになってきました。

 AIを開発する情報数理科学者は微分積分,ベクトルや行列といった基礎数学の知識全般を前提に,高等数学の知識を用いてニューラルネットワークの概念やアルゴリズムを作っています。当然,拠点長である私がそうしたことを理解せずにAIを用いた研究プロジェクトをリードできる訳わけがないですよね。ですから,基本に立ち返って勉強を続けています。

――キャリアを重ねられても,また一から勉強されているのがすごい向上心です。

西田 勉強は面白いですよ。拠点長として新たなことを学び始めて,生命は地球の中の一つの物質であること,物理学の法則を基本に発生・再生等の生命現象が起こっていることがようやくわかりました。これまで,私は幹細胞研究といった狭い世界だけを見ていたことに気付かされました。

――専門外の分野を学び,世界が広がったのですね。

西田 もっと広い目で物事を見るべきだと思いました。そのためには,自分の専門とは異なる分野を勉強する必要があるはずです。新しいアイデアも,物事を広く勉強して初めて生まれてくるのではないかと考えています。

 今は新しいことを始めるチャンスの時代です。発展著しいAIは単なる便利なツールにとどまらず,社会構造そのものを変えていく可能性を秘めています。しかし,この可能性を真の意味で理解している人は少ないのではないでしょうか。読者の皆さんには社会構造が大きく変化した後になって,もっと自ら動いていたら良かったと後悔してほしくありません。

 私はAIという新たな技術と生命科学を融合することによって,世界に先駆けて新しい医学・医療を創造して広げようと動いています。ぜひ患者のため,世の中のために何をすべきかを考え,自らアクションを起こしてほしいと思います。そうした新たな行動が求められている時代ですので,一緒に頑張りましょう。

(了)


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大阪大学ヒューマン・メタバース疾患研究拠点・拠点長/同大医学系研究科眼科学・主任教授

1988年阪大医学部を卒業後,同大病院(眼科)にて研修に励む。大阪厚生年金病院,京府医大で勤務し98年に渡米。米サンディエゴのソーク研究所で研究員を務める。2000年に帰国後,阪大医学系研究科眼科学教室の助手に着任。講師,助教授を経て06年東北大主任教授。10年より阪大主任教授。19年より同大医学系研究科・副研究科長。編著に『角膜クリニック 第3版』(医学書院)ほか。

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