医学界新聞


すべての出会いが未来への財産

寄稿 保田江美,藤田愛,中村創,西村礼子,大橋奈美

2023.06.26 週刊医学界新聞(看護号):第3523号より

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 新しい環境に慣れず,不安と緊張を感じながら日々を過ごす新人ナースの方は少なくないと思います。中には知識不足や手技の未熟さを自覚して「逃げ出したい!」と思った方もいるかもしれません。でも,それは先輩ナースの新人時代も同じ。本特集では,第一線で活躍している先輩方から,今だから話せる「新人時代の失敗談」を紹介していただきました。

 不安や緊張でいっぱいの日々も,いつかは思い出に変わるはず。先輩ナースから新人ナースへのエールをぜひ受け取ってください。

こんなことを聞いてみました

①新人ナース時代の「今だから笑って話せるトホホ体験・失敗談」
②忘れ得ぬ出会い
③あの頃にタイムスリップ!思い出の曲とその理由
④新人ナースへのメッセージ

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国立保健医療科学院 医療・福祉サービス研究部 主任研究官

トイレで泣いていた私を優しく包んでくれた先輩たち

①「泣いてるんでしょ,早く出てきて!」とトイレのドアをたたく音。病棟に配属された週の金曜日の出来事です。もちろん,トイレに籠城して泣いているのは私です(笑)。その日はプリセプターが不在で,他の先輩看護師について仕事をしていました。1日の振り返りをしていた際,全く覚えていないくらい些細なことを怖い言い方でもなく指導してくださっていたにもかかわらず,1週間の緊張の糸が(音が聞こえるくらい)プチっと切れ,涙目に……。その場はやり過ごしてトイレに駆け込んだ私。自分でも泣いている理由がわかりません。でも,涙が止まりませんでした。

 隠していたつもりでしたが,さすがは先輩たち! 私の様子にすぐに気づいたようで,同期を担当していたプリセプターが冒頭のようにトイレの前まで声をかけに来てくださいました。涙は止まらないけれど,恥ずかしさでいっぱいの私は「大丈夫です。泣いていません」と言い張り続け籠城状態です。あきれた師長さんがティッシュと個室のカギを持って,「お部屋を1つ開けてあげるから,出てきてそこで思いっきり泣きなさい」と言ってくださり,その優しさに完敗です。お言葉に甘えて個室で30分ほど思いっきり泣き,すっきり。ティッシュは1箱なくなりました。しかし,なかなか出ていくタイミングがつかめずにいると,先輩看護師が迎えに来てくれ,話を聞きながら更衣室まで送ってくれたことを覚えています。

 これにとどまらず,本当に今だから笑って話せるトホホばかりで,最初から先輩の手を焼かせてばかりの新人看護師でした。このようなトホホエピソードでその後数年にわたり先輩方からいじられ続けたのは言うまでもありません(笑)。

②3年ほど入退院を繰り返し,最後は亡くなった前立腺がんの受け持ち患者さんとの出会いが忘れられません。新人看護師が患者を受け持ち始めた1年目の夏頃にその患者さんに出会いました。入院前の情報では数日で退院するような病状で,新人看護師でも受け持てるだろうということで担当になりました。

 しかし,実際はがんの遠隔転移もある病状で,骨転移による疼痛が強く,疼痛コントロールが必要な状態でした。患者さんは痛みで歩行もできない,夜も眠れないような状況で,どう看護したらよいか悩む日々でした。未熟だからこそ,お話だけは時間をとって聞くようにしようと思っても,その方は無口で,痛みが強くても「つらい」ということさえ口にしません。問いかけても「……」。できるだけ時間を作って病室に通っていましたが,退院までうまくコミュニケーションがとれず,正直なところ何を考えているのかもわかりませんでした。その後も入退院を繰り返しましたが,無口は変わらずうまく関係が築けているのだろうかと不安に思っていたときでした。その患者さんの奥さまが,「夫は退院すると家で『保田さんは元気かな』といつも言ってるのよ」と教えてくださいました。その話を横で聞いていた患者さんがはにかんでいる姿が今でも思い出されます。かかわりは間違っていなかったのだと本当にうれしくなりました。私も少しは成長できているのかなと感じられた瞬間です。この患者さんとの出会いが,間違いなく私に看護の面白さ,深さを教えてくれました。

③松浦亜弥の『Yeah! めっちゃホリディ』。看護師時代はカラオケ全盛期! 医師,看護師仲間とダンスを完コピして歌いまくりました。

④できないことばかりに気を取られがちですが,「1日最低ひとつ!」できたことを見つけて自分を思い切りほめてください。自分をほめるのはタダです。そして,つらいことも笑い飛ばせる仲間を作ってください。意外とできること,笑えることはたくさんあります!


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北須磨訪問看護・リハビリセンター 所長

「患者のため」の看護という思い込みと患者の怒り

①②訪問看護の新人を卒業し,やっとそれなりに看護がわかってきて自信が持てるようになったころ,患者とその家族に猛烈に叱られたエピソードです。

 患者は90歳代男性,肺がんで骨や全身に多発転移をしていた。妻との二人暮らし。退院後も継続看護が必要と判断した病院からの依頼があり,自宅を訪問して初めてお会いした。男性と妻は並んでベッドに腰かけ,私たちを迎えた。自己紹介を終えた時,突然,思いがけない言葉が向けられた。

 「あんたら何しに来たんや。病院の看護師からどんな引継ぎがあったかわかる。末期がんのターミナルケアとか,そんなんやろ。あんたらの顔を見たらわかるわ。90歳やからって,もう終わりみたいに考えてるんやろ。それが患者を不安にさせるんや,帰ってくれ!」

 「入院中はそんな看護師にずっと我慢して合わせてきたんや」と形相を変え,ご夫婦の怒りの訴えは一時間に及んだ。確かに病棟看護師から引き継がれた,余命いくばくもない男性とその家族への看護の内容について疑いもせず,終末期の看護という認識をしていた。引き継がれた男性や妻の意向,看護の内容は全く違うものであった。男性と妻は入院中に溜めに溜めてきた,言いたかった,わかってほしかったことを一気に話した。「看護師が回ってくると,『痛くないですか。痛みは十段階のうちどれくらいですか』。毎回,そればかり聞かれる。正直に痛みを言うと,痛み止めが増える。ついには麻薬の貼り薬を貼ることになった。私はそうしてほしいと頼んでもいないのに。でも,もう伝えることもわかってもらうこともあきらめて,抵抗せずに貼ることにした。看護師が離れた後,シールが肌に触れないように自分で貼り直し,看護師には痛みはなくなりましたと返事さえすれば,看護師は痛みが取れたと判断して満足するんです」。男性と妻は,怒りよりも先に悲しみが積み重なり,傷ついていた。

 男性や妻から話を聞くまでは,緩和ケアの看護をイメージして,私も今日ここに来たこと,同じ看護師が傷つけてしまったことを謝罪した。続けて,「もしよろしければ,一からやり直しをさせていただきたいです。今,ご病気をどのように考え,どうしたいと思っているか。在宅の医師や看護師にどんなことをしてほしいと思っているか教えていただけますか。そしてこれからを一緒に決めてゆきたいと思います」と伝えた。

 男性と妻は,「ああ,ありがとう。安心しました」と微笑んで話し始めた。私は二人がどうしてほしい,どうありたいかを聞き,それを必死に行うことにした。

 一か月がたった。玄関を入った時に,いつもの空気との違いを感じた。部屋に入ると,夫婦は体を寄せ合ってベッドに腰かけて,私を待っていた。そして,「藤田さん,この一か月本当にありがとうございました。とことん付き合ってくれて。私たち,やっと納得することができました。安心できて,とても気持ちが落ち着きました。もう大丈夫です」と静かで穏やかな口調であった。

 間もなく,男性は亡くなるのであるが,常時のゼーゼーいう喘鳴と息苦しさ,呼吸を整えることができず,息苦しさが強くなった。がんによる痛みも増した。緩和するためにモルヒネの薬剤の使用を提案したが,男性は首を振った。

 「もしよろしければ理由を教えていただけますか」。すると男性は「藤田さん,私は自分の体に起きていること,その症状も麻痺させずそのまま感じていたい。そのことと一緒に生きていくことのほうが安心なんです」。妻は「主人の希望の通りにすることを一番大切にしたいんです」と言った。

 「わかりました」と返事をしたが,苦痛にベッドの上で体を丸める様子に私が耐えられなかった。「要らぬお節介ですが,もし息苦しさや痛みを和らげたいと思うことがあれば,これを飲んでくださいね」と,男性の手の届くところに薬を置いた。男性はにっこり笑って,大きくうなずいた。それから一週間後の午前三時に男性の呼吸が止まったと妻から連絡があり,訪問した。男性はベッドの上で壁にもたれて座った姿勢でうなだれるように亡くなっていた。かすかに微笑みを浮かべ,とても穏やかな表情だった。手元に置いて帰った薬は,使うことなくそのままだった。男性は最後の瞬間まで男性自身が望み,決めた人生を生き抜いた。

 初回訪問の時はその場から逃げ出したい思いであったが,私が求めに沿わないすれ違った看護をする前に,大事な本心を話してくださったことに心から感謝している。そしてご夫婦からの学びはその後,私の看護の礎として刻まれている。

 最後に男性と妻の言葉を書き留めておく。「看護師は自分の知りたいこと,聞きたいことだけを聞く。看護師はそしてわかったつもりになり,自分のしたいことだけをする。私の知ってほしいこと,してほしいことがあることを気づきもしないし,問いかけてもくれない。何とか看護師にわかってほしい,伝えたい,そう思ったが,看護師の存在は遠く,ついに伝えることをあきらめるしかなかった。それは病のつらさだけでなく,人として深い悲しみと不安を生んだ。どうぞあなたにはそうならないでいてほしい」。

④新人看護師の皆さまはまだ必死で仕事を覚えているころでしょう。いつかひとり立ちをして看護に向き合う場面が出てくると思います。男性と妻からのメッセージをぜひ,心に留めていただいて,患者や家族が何を思い,どんなふうに生きたいのか,そして看護に何を求めているかを立ち止まって問いかけてみてほしいと願っています。

 

※本稿は,下記に初出の事例を改変・再構成した。
藤田愛.「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる――看護の意味をさがして.医学書院;2018.pp187-92.


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株式会社N・フィールド 事業管理本部 広報部 部長
精神看護専門看護師

 

深夜のナースコール病室で倒れていたのは……?

①大学を卒業した私が看護師として働き始めたのは,20数年前の話です。就職した病院があったのは人口1万2000人程度の小さな港町でした。当時大卒の看護師は珍しく,私が就職した病院での大卒看護師の受け入れは初めてのことでした。病棟勤務の初日に休憩室で先輩が私を撮影し,その日休みの同僚に,当時最先端のカメラ付きガラケーで「こんな人だよ」とわざわざ写メ(死語でしょうか?)を送ってくれていました。周囲から期待されていると感じ取った私は「よし! やってやる!」とモチベーションが一気に上がりました。

 自慢ではありませんが大学時代の私の成績は芳しくなく,はっきり言うと劣等生でした。基礎看護,成人看護,母性看護,小児看護,とにかく看護と名のつく科目はほとんどC判定。同級生に「道間違えたんじゃない?」と助言を受けるほどでした。そんな私が一転,就職を機に「期待されている」という空気に包まれたわけです。「落ちこぼれのイメージをここで払拭できる」という思考に陥ってしまいました。先輩方は皆「わからないことは聞いてね」と言ってくれていましたが,「わからないことがあってはいけない」いう想いにとらわれていた私はその場で聞くことができず,後から調べるということを繰り返していました。当然進みは遅くなります。同期がどんどん業務を覚え技術を習得していく中,私は取り残されていきました。焦れば焦るほどミスは多くなります。ガラス製のシリンジを落として割る,Aさんに用意された抗生剤をBさんに投与してしまう(幸い同じ処方ではありましたが……),深夜勤前に自宅で仮眠していたら「業務始まってるよ」と先輩から電話が来る。こうなると就職当初の「やってやる!」という気持ちは消え去り,「いかにミスがバレないか」という危険な発想さえ浮かんできていました。それほど私は自分を見失っていたのです。

 ある深夜勤でのこと。「誰か倒れてるぞ」とナースコールが鳴りました。慌てた先輩がその部屋に行くと,倒れていたのは私でした。ベッドから下がっている畜尿バックの尿量を確認するために身をかがめた私はあまりの眠さに「少しだけ」と床に横になり,そのまま寝てしまったのです。それを床に転がる懐中電灯の明かりで起きた患者さんが知らせてくれたのでした。

②そんな私に「はじめちゃん,ずいぶん頑張ってるよなぁ」と声をかけてくれた先輩がいました。40年のキャリアを持つ准看護師でした。私を気にかけてくれ,事あるごとに食事にも誘ってくれました。彼は食事の場でいつも,「全部背負ってるんじゃないか?」「もう少し周り頼ってくれてもいいんだぞ」と話してくれたのです。当時の私に届く言葉を選んで伝えてくれた助言だったのだと思います。そのような言葉の一つひとつに,自分が頑なに守ってきた「できなければいけない」という歪んだプライドがほぐれていきました。「できない自分を出していいんだ」ということを,私は少しずつ彼から教えてもらったのです。

③当時よく聞いていたのはさだまさしさんの『関白失脚』です。「世の中思いどおりに 生きられないけれど 下手くそでも一所懸命 俺は生きている」「がんばれ がんばれ みんな がんばれ」の歌詞に今も励まされています。

④苦しくなると自分がわからなくなることがあります。わからなくなっている中でも仕事を続けていくと,周りや患者さんに自分が支えられていることに気づく時がきっとあります。その気づきが「私には何ができるだろう」と自分を成長させてくれます。臨床現場はそういった気づきが溢れる宝の山です。つらい中でもぜひ周りに目を向けてみてください。あなたはきっと支えられていて,また誰かの支えにもなっていることでしょう。

 最後になりますが,苦しい時こそご自分を大切にしてください。あなたが倒れると現場は貴重な患者さんの支え手を一人失うことになります。それは看護にとって大きな損失です。ご自分を大切にすることもまた,自分を見失わないための技術です。


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東京医療保健大学 医療保健学部看護学科 准教授

採血研修で「バタン」 混合病棟で「がしゃん」

①私は看護師として,順天堂医院の混合病棟に入職しました。北海道出身で,大学時代は名古屋で過ごし,入職のために上京しました。東京では優秀な方々,張り巡らされた鉄道網,人の多さ,家賃の高さなどに圧倒され,見るもの全てに感動しつつ,とにかく劣等感の塊でした。

 大学時代の曖昧な知識に加え,技術の習得がおぼつかなかった私は,自信を喪失,誰にも相談できない日々が続きました。入職式後の集合での採血研修では学ぶ技術の多くを学生時代に経験したことがなく,緊張がMAX!! 指導者の声は全く私の耳に届きません。シミュレータ相手での技術実施にもかかわらず,「刺す」という行為にあまりにドキドキし,採血技術の順番待ちの際に,ふーっと背面からバタン。新人看護師100人程度の中で私だけ倒れるという始末。その後のことはあまり記憶にありません……。

 集合での採血研修以降,採血練習の機会を避けていたことで,さらに恐怖心が募る日々が続きました。そのような中,看護師長の多大なるご配慮で,職員健康診断の採血スタッフとして1日派遣していただきました。最初は声も手も震えて散々でしたが,さまざまな職種の方々に無我夢中で採血を実施させていただきました。1日が終わるころには,外科部長や副看護部長など多くの方から,「うまくなって良かったね,いつでも付き合うよ」とご支援の声をいただき,病院全体がチームとして感じられる温かい雰囲気に心から感謝するとともに,どんなに不安なことでも何回も繰り返し練習をして,学ばせていただければ良いのだと前向きに考えることができました。

②緊張に加えて焦ってばかりの私は,常に「どかん」「がしゃん」などなど失敗ばかり。5年先輩のプリセプターの方は,聡明で私のロールモデル。大好きで本当に尊敬していました。いつも私が焦り始めると,「西村さん。止まって。深呼吸! あなたが今焦って困ることは何? 優先順位を列挙して。チーム全体はどうなっている? 周囲に助けを求められることは何?」と言われました。また,混合病棟(小児科と精神科以外) での1年間は何を勉強すべきかの優先順位もわからず,夜勤前にプリセプターに「何を勉強したら良いですか?」と相談すると,「西村さん。夜勤は一人で12人担当させていただくよね。全員に対応できなかったら,患者さん受け持つことにならないね」と……。

 プリセプターは緊急性と重症性と優先順位の判断,対象の状態変化に気づく力,チーム全体を把握する力,マネジメントの重要性を常にファシリテートしてくださいました。倫理的判断が求められる場面では「患者さんとの時間作りたいでしょ。他に終わっていない時間処置は何? それは全部引き受ける」と,何よりも患者さんやご家族とのかかわり,そして看護の時間を大切にしてくださいました。

 医師が常在ではない状況で,なおかつ混合病棟の特性上,緊急入院や急変も多かったので,看護師の判断と報告・連絡・相談の重要性を日々実感しました。緊急入院は状態観察が適切にできないと急変する,急変後の初期対応が適切にできないと対象の生命維持とQOLに影響するという臨床判断が必要な場面も,プリセプターは,何度も丁寧に振り返り,フィードバックしてくださいました。

 看護職として,学ばせていただいた方々には直接何も還元できない未熟な自分を受け止めながら,「ニーズは常に変化する。bestだと思った時点で新たな可能性を模索できないからbestではなくなる。常にアセスメントし続けて,その時点のできる限りのbetterをチームで提供できれば良い。そのために学び続ければ良い」と実感させてくださった全ての方々との出会いが私の財産です。

④基礎看護学は生涯学習能力とアセスメント能力の基盤だと考えます。授業では,理論・研究・実践のつながり,エビデンスに基づく実践,状態観察のための「フィジカルアセスメント」の実践,看護職の思考過程の「看護過程・クリティカルシンキング・臨床推論・臨床判断」の実践を大切に,私も日々学生さんと学んでいます。

 皆さまはさまざまな方を対象とする場でご活躍だと思います。「看護職は学ぶことが目的ではなく,学んだことでどんな看護成果が生まれるのか」「対象のニーズアセスメントや状態観察からの気づき,解釈・分析・推論・判断できるかできないかで,対象の成果・リスク・不利益につながる」ということをぜひ意識し,実践や看護成果を社会に説明できる看護職をめざしていただけますと幸いです。皆さまのさらなるご活躍を心から期待しています!


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医療法人 ハートフリーやすらぎ 常務理事・統括管理責任者

「下手くそ,看護師さん呼んで」

①新人時代は,第三次救急病院のICUで勤務しており,その病院では気管挿管が2週間以上にわたると,気管切開の手術をすると決まっていました。次は私が手術の直接介助をする番だと言われ,先輩の直接介助を見てメモを取り,どのタイミングでイソジン綿球を渡して,などのイメージトレーニングを綿密に行いました。「次はいけるね」と先輩に肩をたたかれ,はいと大きくうなずいたことを覚えています。

 そして,その時が来ました。「先生初めての介助です。どうぞよろしくお願いします」とあいさつをして,手術が始まります。内心テンパりながらもイメトレ通りに直接介助をし,スムーズに手術が終わりかけたその時,出血が止まらない。「バイポーラ」「糸」「ガーゼ」「綿球」。慌てる医師の声のトーンが段々大きくなってきて,「お願い止血して~!」と心の中で叫んでいました。背中は汗でびっしょりです。

 その時,医師が「水素ちょうだい」と私に言いました。私は「水素」=「オキシドール」と知らなかった上,見学で聞いたことがないワードが突然飛び出したことに頭がパニックでした。「水素? 水素ボンベ? 酸素ボンベ?? え~っとえ~と」と,前傾姿勢でわけのわからない行動をしていたと思います。「何やってんねん。水素や!」と医師に怒鳴られ,先輩が「オキシドールのことよ。これこれ」と指をさして教えてくれました。先輩は,水素とオキシドールが同じものを指すことくらい,てっきり知っていると思っていたそうです。

 他にも,新人の仕事だった採血でのこと。患者さんは朝絶食して早い時間に来院するので,私も7時頃には出勤して採血をしていました。その時に,「下手くそ,看護師さん呼んで」と言われ,心の中で「私,看護師なんです」と思いながら,泣いたことがありました。その悔しさがハングリー精神になって,今は点滴,注射,採血が上手な看護師になりました。上手い下手は,場数ですね。

②とあるがん末期の方に「あんたの笑顔はとても良いよ。歳をとってもずっとその笑顔の看護師さんで居続けてね」と言われました。「反省することばかりで,本当はこの笑顔の下で落ち込むときもあるんです」と私が伝えると,その方は「反省のできない人はトップになれない。反省ができる人こそトップの器があるということです」と言ってくださったのです。反省するたびに,この方を思い出します。

③大ファンのDREAMS COME TRUEの『Eyes to me』。「こっち向いて笑って~」の歌詞を思いっきり大きな声を出して歌って,笑顔を作って仕事に向かいました。

④怒ると叱るは違います。怒るのは相手に感情をただぶつけているだけです。一方叱るのは,相手のことを本気で思い,成長を願っているからこそできるものです。私は声が大きいし体もでかいから,複数人で同じことをしていても一番に先輩に叱られました。でも,今振り返ると先輩は本気で私を育成してくれていたんだと思います。時に,「ここを辞めて逃げる気?」みたいに「逃げたら負け」だと言われることもあると思います。ですがそれは逃げるのではなく,自分に合った場所を見つける旅をするのだと思ってください。看護って無限大に楽しいです。無茶苦茶やりがいがあり,本当に楽しいです。今の組織に合わない人は,ぜひ0歳から105歳の療養者がいる訪問看護の現場をご検討ください。お待ちしております。頑張れ~~!

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