知られざる第4の髄膜,SLYMの発見
寄稿 森 勇樹
2023.04.03 週刊医学界新聞(通常号):第3512号より
デンマーク・コペンハーゲン大学と米国ロチェスター大学の神経科学研究グループは,クモ膜下腔にその領域の脳脊髄液(CSF)を2区画に分ける薄い膜が存在することを発見した1)。これまで髄膜は硬膜・クモ膜・軟膜の3層から成るとされてきたのに対して,知られざる「第4の髄膜」の存在が示されたのである。
新しく特定されたこの膜には免疫細胞が多く駐屯し,脳を「監視」している可能性が示された。今回の発見は,生体に近い形で詳細な構造を観察する組織解剖学の新しい技術と,研究者の鋭い観察眼,そして脳の生きた構造・機能を視覚化・評価したいという神経科学者たちの想いから至ったものである。
筆者は本論文の共著者の1人として,この第4の髄膜の発見に携わった。本稿では,研究に至る経緯や論文の概要,今後の展望について,サイドストーリーも含めて解説する。
グリンパティックシステムの発見とCSF循環の謎
デンマークと米国の2つの大学にまたがって研究室を運営するマイケン・ネダーガード教授は,2012年に発表した脳内老廃物の排出機構「グリンパティックシステム」2)の発見者であり,この研究領域の第一人者である。「脳のリンパ系」とも呼ばれるこのシステムは,睡眠時にCSFの流入を促して「脳の清掃」を加速させ3),またこのシステムがダメージを受けると脳損傷後の治癒が阻害され,アルツハイマー病など神経変性疾患の原因となる毒性タンパク質の蓄積につながる。それらの証拠が次々と挙げられ4),グリンパティックシステムの発見以降この領域の研究は活性化した。2015年には脳を取り巻く髄膜リンパ管が発見され5, 6),CSFが中枢神経系において擬似的なリンパ系として機能するという概念が多くの研究によって裏付けられてきた。
一方で,CSFの再吸収はクモ膜顆粒を介して静脈洞に排出されると考えられてきたが,実は齧歯類でこの現象は確認されていない。発見から10年にわたってグリンパティック経路に沿ったCSFの研究が続けられてきたにもかかわらず,クモ膜下腔という大きな空洞内でCSFがどのようにして運ばれるかはまだ明らかにされていないのだ7, 8)。
ネダーガード教授はこのミッシングリンクを埋めるべく,頭部全体のグリンパティックネットワークを視覚的に評価できないかと考えていた。そこで声を掛けたのが,コペンハーゲン大学の同僚で,神経解剖学の恩師でもあるキェルド・モルゴー教授であった。モルゴー教授は,脳の発達と血液脳関門に関する神経組織学研究に長年携わってきた。いったんは研究を離れ,コペンハーゲン大学学長,医学部長を歴任したが,10年ほど前に再び研究現場に戻ってきた。80歳となった今でも,学生指導の傍ら,研究室で熱心に顕微鏡をのぞきこむ現役の研究者である。
ありのままの状態を保って脳とその周囲組織を観察
ネダーガード研がリンパ組織の検出に用いているProx1-EGFP+レポーターマウスが,モルゴー教授の組織学教室に持ち込まれた。ここで重要だったのは「ありのままの状態を保って脳とその周囲組織を観察」することであった。そうすることで,微細で脆弱なリンパ組織を傷つけることなく観察できると考えたからだ。
モルゴー教授は,頭蓋骨を含めた頭部全体を石灰除去剤に1か月間浸した。組織を柔らかくすることで,頭蓋を取り外さなくても毛・皮膚・骨・髄膜・脳の構造をそのままに,頭部全体の組織切片を作ることができるからだ。そうしてできた連続切片中のProx1+リンパ管を観察した。そこにはモルゴー教授の50年の組織学研究経験の中でも見たことがない,たった1細胞ほどの厚みのメッシュ状の膜があり,他の髄膜層とは別の膜であるように思われた。彼はこれを「クモ膜下リンパ様メッシュ膜(Subarachnoid LYmphatic-like Mesh and Membrane:SLYMM)」と仮に名付けた。
2人の教授はこの発見に驚き,大いに喜んだが,SLYMMがアーチファクト(技術的なエラー)でないことを確認しなければならない。ネダーガード研のグループは,生きたマウスのクモ膜下腔の外側表層区画に赤色のマイクロビーズを,内側深層区画に青色のマイクロビーズをそれぞれ注入し,SLYMMを挟んだ2層の描出を試みた。ビーズの動きを観察することで,この膜が互いに通過できるものなのか,それとも通過せずにバリアとしての役割を果たしているのかを検証するためだ。その結果,このビーズはどちらの層からも膜を貫通せず,赤青は混ざり合わなかった(図1左)。しかし,CSF中の多くの溶質は1 μmより小さい。そこで,より小さな3 kDaのデキストラン分子で同様の観察を試みた。この小さなトレーサーもまた,新しく発見された膜を越えることはなかった。一方で,膜を意図的に破綻させると,トレーサーが膜を越えて広がることを確認した。
これらの結果から,この膜には2区画を機能的に隔てるバリアとしての役割があることが証明された。これに伴い,膜の名前も「クモ膜下リンパ様膜(Subarachnoid LYmphatic-like Membrane:SLYM:スリム)」と改名された。
SLYM論文の概要と今後の展望
SLYMはクモ膜下腔を2つの区画に細分化し,分子の交換を制限していることから,CSF循環はこれまで認められていたよりも複雑に組織化されていることが示唆された。多面的なアプローチによって,脳のCSF輸送だけにとどまらず,SLYMが脳の恒常性を保つためにいくつかの機能を保持している多くの証拠について論文中で言及している1)。大雑把にまとめると,SLYMは以下の特徴を持つ髄膜である。
●クモ膜下腔を二分する厚さ14 μm程度の単層の中皮膜。
●他の髄膜とは免疫表現型が異なる特徴を持ち(図1右),CSFが満たされる2つの区画を機能的に隔てる。
●他の末梢臓器と同様,頭部運動時などの機械的ストレスから脳を守る。
●CSF・グリンパティック系の排出ルートとしての可能性。
●免疫細胞をSLYM内に動員し,脳を監視・防御する最前線。
脳を包むこの中皮膜は,機械的ストレスや炎症などから脳を守るダンパーシステムであることが示唆された。病気や老化によってSLYMに変性が起こると,脳が外傷・炎症を受けやすくなる可能性がある。もしそうであれば,さまざまな病気の原因となるだけでなく,SLYMに着目した診断や治療,創薬の新たなターゲットとしても期待される。
次に,本研究に関する2つの疑問に私見も交えながら答えたい。1つ目は「ヒトにもSLYMは存在するのか」。生きた人間の脳でこの薄い脆弱なレイヤーを描出することは,現時点では不可能だ。しかし,先に示したように,SLYMは他の髄膜とは異なる独特の免疫表現型を持つ(図1右)。そこでマウスのSLYMと同じ特性を持つ構造がヒトでも見つけられるかどうかを試みた結果,ヒトにも軟膜上にSLYMと同様の免疫表現型を持つ膜がクモ膜下腔全体に存在することが示された。つまり,SLYMはヒトの脳も取り囲んでいることが示されたのである。
2つ目は「なぜいま発見されたのか」。脳の観察は通常,頭蓋骨を切り開くことから始められる。頭蓋骨を開くと脳の外側の髄膜も一緒に取り除かれ,非常に薄いSLYMは簡単に引き裂かれてしまう(図2)。今回は脳と周囲の構造をありのまま保存して観察することで,4番目の層が見えるようになったのだ。
この研究は,何世紀も研究されてきた脳の構造物に最先端の技術を適用することで,新たな光が当てられることを例証している。同時に,未知の構造や機能が眠っている可能性も示唆している。身近な愁訴である頭痛や,説明が十分につかない難病などにも,SLYMのような構造や機能が関与している可能性がある。技術の向上や科学の進歩に加え,トランスレーショナル・学際的な研究で新しい研究や知見を見いだすことの重要性が増すことは明白である。
*
「科学における1つの発見は,10の新しい疑問を湧き上がらせる」とネダーガード教授は言う。「それは素晴らしいことだ」とも。
SLYMの発見はこの研究領域においての始まりに過ぎない。髄膜リンパ管のネットワークがCSFをどのように排出しているのか,それがヒトの病気にどのような意味をなすのかについて,我々は研究を進めている。今回の発見は,中枢神経系の恒常性における髄膜やCSF,ひいてはグリンパティックシステムの役割についても新しい視点を与える。同時に,中枢神経系と免疫の相互作用や,薬物送達を目的とした治療法の設計に役立つ可能性も秘めている9)。現在,我々の研究室では,多くの脳疾患にSLYMが関与している可能性を念頭に置き,さまざまな神経疾患モデルを用いてSLYM障害の影響を解明する研究を行い,疾患メカニズムの新たな知見を探索している。
参考文献
1)Science. 2023[PMID:36603070]
2)Sci Transl Med. 2012[PMID:22896675]
3)Science. 2013[PMID:24136970]
4)Science. 2020[PMID:33004510]
5)J Exp Med. 2015[PMID:26077718]
6)Nature. 2015[PMID:26030524]
7)Kurume Med J. 2002[PMID:12652968]
8)Lancet Neurol. 2018[PMID:30353860]
9)Nat Rev Drug Discov. 2022[PMID:35948785]
森 勇樹(もり・ゆうき)氏 デンマーク・コペンハーゲン大学Center for Translational Neuromedicine, Associate Professor/Preclinical MRI Core Facility, Director
2005年明治国際医療大大学院修了。09~13年阪大IFReCポスドク,13~17年同助教。17年より現職。理研生命機能科学研究センター客員研究員。主な研究分野は前臨床バイオイメージング。主にMRIやSPECT/CTを用い,中枢神経系および免疫疾患,ならびにグリンパティック機能評価を中心とした生命現象のin vivoおよび分子イメージング研究を行っている。
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