心のケアと「わかること」
――雨の日の心理学
寄稿 東畑開人
2023.02.27 週刊医学界新聞(看護号):第3507号より
かつて小さな女子大で心理学を教えていた。1年目の授業は大惨敗。教科書通りにフロイトだのロジャースだのパブロフだのと話していたら,学生たちが次々と眠りに落ちていったのだ。言葉がブラックホールに吸い込まれていくみたいで,孤独だった。教師はつらいよ。
でも,わかる気もした。心理士になるとは限らず,養護教諭や看護師,あるいは一般就職も含めてさまざまな進路を考えている1年生たちに対して,「なぜ心理学を学ぶ必要があるのか」「心理学はなんの役に立つのか」をうまく伝えられていなかったからだ。それなのに,硬い知識だけを浴びせられても,そりゃつまらない。私だって寝てしまう。
だから,2年目の最初の授業は次のような話から始めた。それは水曜日の眠たい一限で,確か大雨が降っていた朝だった。
「おはようございます。ひどい雨ですね。僕は靴も靴下もビチャビチャで,最悪です。皆さんもそうじゃないですか。こういう朝,家族や友人が駅まで車で送ってくれると助かりますよね。土砂降りでも,車の中は空調が効いていて快適だから,乾いた靴下で登校できます。
いや,雑談してるわけじゃないんです。実はこれ,心の話です。なぜだかわかりますか? この時ケアされたのは,濡れなかった靴下だけじゃなくて,濡れたくなかった心でもあるからです。
ケアとは『傷つけないこと』を意味しています。ですから,お腹が減っていれば,温かいご飯に心はケアされます。貯金がない時に,お金が手に入ると安心します。雨の日は車や傘が心をケアしてくれる。ほら,車で送ってもらっている時,運転してくれている人をいつもよりちょっと身近に感じませんか? 心と心は物や行動を介して触れ合います。
当たり前の話に聞こえるかもしれませんね。その通り。心のケアは特別なものではなく,皆さんの生活に生い茂っているありふれたものです。だとすると,この授業で習うような心理学なんて必要ないのかもしれませんね。雨が降り始めたら,傘を指し出す。それは自然な営みで,わざわざ学問を持ち出す必要なんてない気がします。
でもね,ケアには時々ものすごく難しくなってしまうことがあるのがミソです。そう,大雨が外ではなく,心の中で降っている時がある。
例えば,学校に行こうとするとお腹が痛くなってしまう少年がいます。病院に行っても原因不明で,きっと心の問題だろうと言われる。でも,本人にも家族にも教師にも,なぜそうなっているのかわかりません。外の雨と違って,心の雨は目に見えません。だから,どうすればいいかわからず,周りは途方に暮れてしまいます。
心理学が役に立つのはこういう時です。不安や恐怖,孤立や不信についての心理学が,少年の心にどんな雨が降っているのかを少しだけ見えるようにしてくれます。彼が何に傷つき,何を求めているのかがわかると,周囲の人は適切なタイミングで適切な傘を差しだすことができるようになります。
わかること。これこそが心のケアの基礎であり,奥義です。心の中で何が起きているのかがわかれば,何がケアになるかは自然と導き出されます。そして,わかってもらえたことそのものが,心を孤独から遠ざけてくれます。
こういうことです。僕らが今日から心理学の勉強をするのは,『わからない』心を前にした時に,少しでも『わかる』ためです。自然にケアができなくなった時,それでもケアをし続けるために必要になるのが,雨の日の心理学です。
どうだろう? 一緒に勉強してみませんか?」
見渡すと,外の雨は弱まり,眠たそうにしていた女子学生たちが少し関心を持ってくれたのがわかる。私の中に降っていた心の雨も弱まっている。教師とは,学生に寝ないで話を聞いてほしいと願う,切ない職業なのである。
今はその女子大を辞めて,町の心理士として働いている。でも,臨床の仕事と同時に心理学を教える仕事は細々と続けている。学生ではなく,心理士や看護師,医師や教師などの対人援助職に対して,そして家族や同僚など身近な人をケアする人たちに対して,つまり「わからない」心の傍らで戸惑う人たちに対して,雨の日の授業を続けている。
対人援助に関心のある専門職・市民向けのオンライン講義「心のケア入門」が2023年5月に開講します。詳細はこちらからご覧いただけます。
東畑 開人(とうはた・かいと)氏 白金高輪カウンセリングルーム/臨床心理士
2010年京大大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。精神科クリニック勤務,十文字学園女子大准教授等を経て,白金高輪カウンセリングルーム主宰。慶大大学院社会学研究科訪問准教授。臨床心理士,公認心理師。『居るのはつらいよ――ケアとセラピーについての覚書』(医学書院)など著書多数。Twitter ID:@ktowhata
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