医学界新聞

インタビュー 横山美江,鈴木仁枝

2023.01.23 週刊医学界新聞(看護号):第3502号より

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 日本の児童虐待相談対応件数は増加の一途をたどっており1),虐待死亡事例も横ばいの状態が続いている2)。そうした現状に鑑み,「健やか親子21(第2次)」において「切れ目ない妊産婦・乳幼児への保健対策」が基盤の1つに掲げられた。モデルになったと言われる,フィンランドの親子保健システムの中核を担うネウボラ(MEMO)とはどのようなものか。そうしたシステムを日本の自治体で展開することは可能なのか。このたび『ネウボラから学ぶ児童虐待防止メソッド』(医学書院)を上梓した横山氏,および横山氏の協力の下でネウボラを模範とした親子保健システムを導入した静岡県島田市の技監である鈴木氏に話を聞いた。

――まずは横山先生に,ネウボラについてのお話を伺います。先生は,客員研究員として共同研究のために訪れていたフィンランド・ヘルシンキ大学でのふとしたやり取りの中でネウボラの存在を知ったのですよね。

横山 その通りです。2007年当時の日本では児童虐待の痛ましい報道が連日なされていて,「何とかこの状況を変えたい」「虐待リスクを低減させる方法はないものか」と日々自問を繰り返していました。そうした思いをヘルシンキ大学で半ば雑談として話したところ,返ってきたのは意外な反応でした。研究者たちも大学事務員たちも,「フィンランドにはネウボラがあるから大丈夫」「児童虐待の事件を耳にすることはほとんどない」と口をそろえて言うのです。ネウボラは当時の日本では全く知られておらず,私自身も知識を持ち合わせていませんでした。ネウボラのことをぜひ学びたいと,共同研究者のつてで専門家を紹介してもらい,あれよあれよという間にネウボラは私の研究テーマの1つになっていました。

――ネウボラを中核とするフィンランドの親子保健システムは,日本のシステムとはどう異なるのでしょう。

横山 まずは妊婦へのアプローチ手段が違います。日本では妊娠が判明した際に訪れる先は医療機関ですが,フィンランドの妊婦は,最初にネウボラに向かいます。その後も妊婦とその家族は,健診などの機会にネウボラを定期的に訪れます。ネウボラには,産前のケアを行う「妊産婦ネウボラ」(写真),産後の家族を支援する「子どもネウボラ」が存在し,属性に関係なく全ての妊婦に対して支援が行われます。つまり,特定の集団全体に働き掛けるポピュレーションアプローチの手法を採用しているのです。

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写真 妊産婦ネウボラの様子

 一方の日本では,乳幼児健診は当該年齢の全ての児を対象としていますが,それ以外はリスクの高い個人を対象に働き掛けるハイリスクアプローチに重きを置く自治体が多いため,ハイリスクとまでは言えないグレーゾーンの家族に支援の手が届かないことも多く,対応が後手に回ることもあります。

――それは大きな違いですね。

横山 もう一点,決定的に異なるのが,フィンランドでは担当保健師による継続的な支援が行われていることです。ネウボラでは地区(多くの場合,学校区)ごとに担当保健師と担当医が存在し,保健師1人ひとりがネウボラ内に自身の診療室を持ち,常駐しています。そのため妊婦やその家族は,ネウボラに行けばいつでも見知った担当保健師に話を聞いてもらうことができるのです。担当保健師による健診の回数は担当医による健診に比べて圧倒的に多く,通常の妊娠では初産婦は最低9回,経産婦は最低8回の健診を受け,出産直後にも2回の健診を受けますが,医師による診察はそのうち2回のみです。出生後の子どもネウボラでも同様に,担当保健師による頻回の健診が設定されています(図1)。

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図1 フィンランドと日本における出生後健診システムの比較(『ネウボラから学ぶ児童虐待防止メソッド』8頁より)

――ネウボラによる支援は効果を上げているのですか。

横山 さまざまに確認されています3, 4)。そうした効果の根底には,父親も含めた家族全体を妊娠中から担当保健師が知っており,頻回に顔を合わせることで構築される信頼関係があるのでしょう。ですから,些細な変化にも気づきやすく,家族の様子に何か気になる点があれば,率直に疑問をぶつけることができます。そのため問題の種が小さいうちにケアでき,結果として児童虐待や家庭内暴力といった問題を未然に防げているようです。加えて家族の側からも,何か問題があった際には担当保健師に相談をもちかけやすく,問題の早期発見・介入につながっています。

――予防的効果が高いのですね。では,家庭内暴力・児童虐待がすでに起こっているケースへの介入はどう行われるのでしょう。

横山 ネウボラでは「配偶者による暴力に関する質問票」を用いて家庭内暴力のスクリーニングを行います。懸念事項があれば利用者を追加のネウボラ健診へと呼び出し,より詳細な調査を行うのです。暴力が特定された場合は福祉部局と連携を取りながら,迅速な介入がなされます。そうした対応は日本と大きくは変わらないでしょう。児童虐待については,フィンランドでは子どもの福祉と成長に関する親の権利を尊重するため,自宅外での保護措置(代替養育)は最終手段と考えられています。そのため,可能な限り代替養育とならないよう,多層的なセーフティネット(図2)が用意されています。家庭内暴力,児童虐待のいずれに関しても,手厚い支援で事態の悪化を未然に防ぐとの考えをベースに,さまざまな制度設計がなされていることが大きなポイントです。

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図2 フィンランドにおける子どものセーフティネット(『ネウボラから学ぶ児童虐待防止メソッド』106頁,藪長千乃「フィンランドにおける児童保護」より)

――ネウボラを日本の自治体で導入するに当たって気をつけるべきことはありますか。

横山 ネウボラの本質的に重要な点を理解して,それを反映したシステムを構築することでしょうか。日本版ネウボラと称される自治体はいくつもあり,いずれもすばらしい取り組みを行っています。しかしその大半は,地域の保健事業やその他の支援をつなげたシステムをもってネウボラと呼ばれているようです。保健事業を切れ目なく提供することと,子どもを持つ全ての家族を担当保健師が継続支援することは全くの別物で,立ち現れる効果も異なるでしょう。その点,静岡県島田市ではポピュレーションアプローチや担当保健師による継続支援などネウボラの本質的ポイントを押さえた取り組みがなされています。

――島田市ではどうしてネウボラを取り入れることになったのですか。

鈴木 現場保健師の危機感が前提にありました。島田市では2010年代以降,虐待相談件数が増加の一途をたどっていたのです。ネウボラを導入する前は後追いで児童虐待に対応していましたが,解決に至るまで時間がかかり,あるケースの対応中にまた別のケースが発生して……の連続で,いたちごっこでした。保健師は疲弊するし,虐待件数も減らない。そんな時期が続いていました。

――そうした時にネウボラに出合われたのですね。

鈴木 はい。問題が起こってから対応するのではなく,問題の発生自体を予防する体制が必要だとの認識を持っていたところに,横山先生が講師を務める研修会で学んだネウボラの知見を私の前任者が持ち帰りました。島田市の保健師たちは従来のハイリスク家庭とのかかわりの中で,妊娠期に信頼関係を築いた母親が産後も保健師を頼って相談に来ること,母子以外の家族や養育環境を把握すれば必要な支援につなぎやすくなることを体験していました。そのためハイリスク家庭以外にも同様のかかわりを持つことで,ハイリスク家庭自体を生みにくくなるのではとの感覚を持っていたのです。横山先生が紹介するネウボラのシステムはそうした現場保健師の実感とよく合致していたことから,導入に向け検討を開始した次第です。

――いつ頃から島田市版ネウボラが始まったのですか。

鈴木 2019年度から支援体制をスタートさせ,母子健康手帳交付時に担当保健師を妊婦に紹介しています。それと同時に,横山先生と共同で実装研究としてのデータ収集を開始しました。

――導入に当たって特に苦労されたことはありますか。

鈴木 市の親子保健の在り方そのものを再構築する必要があり,大仕事でした。個々の業務自体に変わりはなくとも,どの業務を誰が行うのかの付け替えが大規模に発生します。ですので,漏れを防ぎながら負担に偏りが生じないよう,頻回に打ち合わせを行っては調整を繰り返しました。

――大幅なシステムの変更は,現場の保健師にも大きな影響を与えるはずです。

鈴木 抵抗感を訴える保健師もやはりいましたね。マンパワー不足への懸念や,特定の家族を担当として支援することにプレッシャーを感じるとの声がありました。そのため業務の見直し・効率化を行うとともに,話し合いや勉強会を通じてネウボラを取り入れる意義について理解を深めてもらいながら,徐々に進めていきました。

――ネウボラを導入して,ポジティブな方向に変わった点を教えてください。

鈴木 保健師の意識の変化は大きな効果の1つだと感じています。担当保健師と住民が互いに顔の見える関係になったことで,やりがいを感じる保健師が増えているようです。継続的なかかわりの中で,子どもの成長や親のスキルアップを共有できる喜びがあるとの声を聞きます。また,因果関係があるかは不明ですが,虐待相談件数の増加はストップしました。

――住民側にも変化はあったのでしょうか。

鈴木 保健師に対する認識ががらりと変わりました。以前は虐待をしていると近隣に思われるのではとの不安から,保健師による家庭への連絡や訪問は嫌がられる傾向にありました。それが今では,どの家庭にも保健師は訪ねてくるものだとの認識が新たに根付きつつあります。何かあれば保健師に相談してもよいとの認識も広がっており,担当を指名しての電話が増えました。安定剤のように,担当保健師の声を聞いてから仕事に出る母親のケースもあります。父親から担当保健師に相談が入ることもありますね。

――島田市の保健師や住民を取り巻く状況がフィンランドに似てきたとの印象を受けます。

横山 私もそう感じています。働く保健師,サービスを受ける住民双方にとって間違いなく良い変化です。今後はそうした変化の検証を進めて,論文の形で世に提示できればいいですね。そのための研究を引き続き進めていこうと思います。

(了)


MEMO 親子保健拠点ネウボラ

「ネウボラ(neuvola)」とは,「アドバイスの場所」を意味するフィンランド語。妊娠期から就学前にかけての子どもと家族を支援するための地域拠点であり,担当保健師と担当医が中心となって継続的に支援を行うことを特徴とする。

1)厚労省.令和3年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(速報値).2022.
2)厚労省.子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第17次報告).2022.
3)Eur J Public Health. 2018[PMID:29272457]
4)Scand J Psychol. 2016[PMID:27037491]

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大阪公立大学大学院 看護学研究科 教授

千葉大看護学部卒。2004年岡山大医学部教授などを経て,現職。07年からフィンランド・ヘルシンキ大の客員研究員となり,フィンランド国立健康福祉研究所などと共同研究を推進。『ネウボラから学ぶ児童虐待防止メソッド』(医学書院)など著書多数。

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島田市健康福祉部 健康づくり課 技監

1988年島田市に入職,市立総合病院,市立居宅介護支援事業所勤務や,保健福祉業務に従事する。ネウボラ事業導入の2019年度にはブロックリーダーを担当。福祉事務所勤務を経て,22年度より現職。

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