研究データの品質管理で不正を防ぐ?(後編)
研究公正のパラダイムシフトをめざす
寄稿 飯室 聡
2021.12.20 週刊医学界新聞(通常号):第3450号より
前編(3447号)では,研究への疑義に対して研究者が適切に対応できない原因を説いた。すなわち研究者は,FFP(研究不正)だけではなく,QRP(好ましくない研究活動)を加えたFFP/QRPに対処する必要があるということである。後編ではFFP/QRPの発生機序の観点からデータ管理の基本的な考え方について検討し,最終的には従来の研究公正からの転換を提示する。
「機会」を減らすことでFFP/QRPの発生を抑止する
以下では著者が研究代表者を務める2つの研究での議論を基に話を進める。1つは2018年度から2年間実施されたAMED研究公正・法務部の事業「研究データの質向上の指導者育成プログラム開発」。この一環で,現在「研究データの質向上の指導者育成研修事業」として年に数回の講習会を開催している。もう1つは2020年度後半より進行しているJST/RISTEXの「科学技術イノベーション政策のための科学研究開発プログラム」における「研究公正推進政策のための電子ラボノート実装ガイドライン作成を通したガバナンス研究」である。この研究では電子ラボノート実装実験を通じてラボにおけるデータの追加可能性・再現可能性を検討し,プロセス管理による研究の公正性の担保をめざしている。電子ラボノートはそのためのツールの1つとして位置付けられる。
◆なぜ不正(FFP/QRP)が発生するのか?
上記の研究の要点の1つは,FFP/QRPを検討する際にそれらの「発生機序」から考える重要性である。これに当たって,われわれ研究グループは「不正のトライアングル理論」(図)1)を用いた。この理論は1953年に米国の犯罪心理学者Donald R. Cresseyが提唱した古典的理論だが,現在でも企業不正等への基本的な分析ツールとして用いられている。これは図に示すように,「不正の成立には動機・機会・正当化という3つの要素が必要」とする極めて単純な理論である。企業不正(横領)を例に考えてみよう。不正は借金があるなどの「動機」と,会計担当者が監査担当者を兼任しているなどの「機会」の状況があるだけでは起こらない。そこに「一時的に借りるだけ」などの「正当化」が加わって,初めて不正(横領)が成立する。
表では企業不正・医療過誤・FFP・QRPを対比している。まず企業不正と医療過誤を対比してみよう。故意に引き起こされる企業不正と異なり,医療過誤は医療従事者の過失(ミス)に基づく。そのため「動機」と「正当化」は存在しないが,「機会」があるために現実には医療過誤が発生し得る。例えば注射ミスでは,医療従事者には「動機」と「正当化」はない。しかし注射の際に周囲がチェックする手続きが存在しないことが「機会」となりミスにつながる。故意に行う不正と異なり,「機会」があるだけで結果としての医療過誤が起こり得るのである。
表のFFPとQRPではどうだろうか。FFPには明確な「動機」と「正当化」がある。QRPには「動機」はないが「正当化」はあり得る。注目すべきは両者ともに必ず「機会」があること,つまり「プロセス管理/データ管理がブラックボックスになっている」点である。これを可能な限り明確化し「機会」を減らすことで,FFP/QRPの発生はある程度のレベルで抑制が可能になる。
◆研究公正の両輪としての研究倫理教育とプロセス管理
研究倫理の立場からのFFP/QRPに対する介入ポイントは,「動機」(メリット)と「正当化」(モラル)である。たとえメリットがあってもモラルの観点から自らを戒められるのか,それとも「禁断の一歩」を踏み出すのか,のせめぎ合いである。この点についてはすでに多くの教育コンテンツがある。一方でわれわれは「機会」に着目した。それはすなわちラボにおけるプロセス管理=品質管理に他ならない。プロセス管理によって「機会」を必要なレベルに制御することで,FFP/QRPに対応する。研究倫理教育とプロセス管理は,研究公正の両輪と言える。
◆研究への疑義が故意でないと示すには
ここまでで多くの読者は「われわれのラボでは心配ご無用,データの改ざんなんてしないよ」と感じていると思う。果たしてそうだろうか。FFPはないとしても,QRPやうっかりミスについては問題ないだろうか。自らの研究に寄せられた疑義が故意ではないと根拠を持って示すには,筆者は以下の4点が必要であると考えている。
1)データは一定の手順に従い管理されており,故意の不正が入るような機会はないということ
2)あるとすれば一定の確率で起こり得るQRPしかないということ
3)QRPに至る過程が追跡でき,再現できること
4)ミスの修正結果を提示すること
さらに,発生した事象を踏まえたラボ全体のプロセス管理の見直しまで言及できれば,言うことなしである。
3原則を踏まえた適切なデータ管理の実践を
前編でも触れた「追跡可能なデータをどこまで記録として残すべきか」については,研究領域ごとに異なるため,正解はない。しかし最低限データの①追跡可能性は確保したい。そして元のデータから解析結果までの②再現可能性も確保したい。そのために,個別の研究およびラボ全体の③プロセス管理が必要である。われわれはこの3つを「データ管理の3原則」としている。このうち最も基本的なものは追跡可能性である。簡単に言えば,論文の図表からオリジナルのデータまでさかのぼれることである。もちろん全ての実験過程について記録を残すことは不可能だが,要所要所で記録を残すことをプロセス化しておけば,図表からオリジナルデータへの遡及は可能であろう。具体的にはどの情報をどこに,どのような形式で保管するかをラボで決定の上周知することで実現できる。詳細についてはぜひ先述したAMEDの講習会にご参加いただきたい。
「静的研究公正」から「動的研究公正」へ
「研究倫理教育の充実」と「不正への罰則強化」がなされているにもかかわらず研究不正事案が後を絶たない点からも,これらによる研究の公正性の担保(われわれは「静的研究公正」と称している)だけでは限界があると皆さんも感じていることだろう。ではなぜ限界があるのか? 筆者は2つの理由を考える。1つは前編から論じてきたように,研究公正で取り組むべきターゲットの設定とその対処を誤っているためである。つまりFFPだけではなく,FFP/QRPを問題として取り組むべきなのである。疑義の多くを占めるQRPは故意に基づかないため,(なくせるに越したことはないが)「なくすべき対象」ではなく「コントロールすべき対象」と認識することが重要である。またQRPへの対応策はFFPに対しても有効と言える。ラボの研究プロセスが具体的に定められていれば,故意の不正は困難だからだ。
もう1つは,研究の公正性と科学に対する責任を研究者個人の倫理観で担保させているためである。QRPを引き起こす研究者に対して「故意に不正を行ってはならない」と説く研究倫理教育だけでは非力である。研究に対する自己および第三者によるガバナンスに必要なのは,品質管理の考え方(われわれは「動的研究公正」と称している)の導入である。これを本稿では以下のようにまとめる。
1)研究者によるデータ管理の3原則
(①追跡可能性,②再現可能性,③プロセス管理)の理解
2)追跡可能性と再現可能性を高めるためのメタデータの同定
3)ラボでの研究プロセスの明確化
研究倫理教育と品質管理を研究公正の両輪と位置付け,静的研究公正からの動的研究公正へのパラダイムシフトを引き起こしてこそ,研究の公正性を具現化できるとわれわれは考えている。このような考え方が,先生方のラボの運営に少しでもお役に立てれば幸いである。
◆筆者らが講師を務めるAMED主催「研究データの質向上の指導者育成研修事業」の概要は下記URLからご覧になれます。
https://www.amed.go.jp/kenkyu_kousei/ikusei_kenshu.html
参考文献・URL
1)Donald RC. Other People's Money:A Study in the Social Psychology of Embezzlement. Wadsworth Publishing Company;1972.
飯室 聡(いいむろ・さとし)氏 国際医療福祉大学未来研究支援センター 副センター長/同大大学院医学研究科公衆衛生学専攻教授
1995年東大医学部保健学科卒,99年同大医学部医学科卒。博士(医学)。同大病院などで研修後,同院臨床研究支援センター助教,東京女子医大先端生命医科学研究所准教授などを経て,2019年より現職。20年より国際医療福祉大大学院教授,21年より同大研究倫理支援室室長を兼任。
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