医学界新聞

書評

2021.12.06 週刊医学界新聞(レジデント号):第3448号より

《評者》 総合病院国保旭中央病院救急救命科医長
臨床研修センター副センター長

 “人は,変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど,実際は,未来は常に過去を変えてるんです。”

 私は主に救急外来で仕事をしている。救急というと多発外傷やショック,心肺停止など,死に瀕している患者さんばかりが来院すると思われがちだが,そんなことはない。『救命病棟24時』『コード・ブルー―ドクターヘリ緊急救命―』,最近では『TOKYO MER~走る緊急救命室~』,『ナイト・ドクター』など,「おいおい,こんな若手がそんなことを,それも美男美女ばかりが……」てな感じの突っ込みどころ満載ながらも楽しいドラマに出てくるような症例はまれだ。リアルな救急外来で出合う症例の多くは,発熱,呼吸困難,意識障害,意識消失,めまい,何らかの痛みなどを主訴に来院し,バイタルサインはおおむね安定している。最近では,高齢者が動けない,元気がない,食欲がないといった症例も多く,病歴聴取や身体所見の評価に苦渋しながら,みんな対応しているだろう。

 限られた時間,資源の中で多くの患者さんを同時に見ることが要求される救急外来ではエラーが起こりがちである。振り返ってみると,そこには見逃してはいけないはずの訴えや検査結果がきちんとあるにもかかわらず,だ。それには,さまざまな認知バイアスが影響していて,知識不足以上の要因となっているとされる。しかし,当然のことながら知識は大切である。特にわが国では初期研修医など若手の医師が救急外来を担うことが多く,彼らが陥るエラーは誰もが経験するエラーであることがほとんどだ。嘔気や体動困難という主訴から心筋梗塞を想起できなかった,来院時には痛みの程度が軽度であったため大動脈解離やくも膜下出血を問診の段階で除外してしまった,外傷の背景に潜む内因性疾患を意識しなかった,X線のみで骨折を否定してしまったなど,あるあるはたくさんある。

 本書『帰してはいけない外来患者 第2版』は,第1章「外来で使えるgeneral rule」,第2章「症候別general rule」,第3章「ケースブック」で構成され,外来診療で頻度の高い症候の一般的なアプローチを解説するとともに,陥りやすい点をケースを通じて学ぶことができる。第3章のケースブックは47症例と豊富だが,そのどれもが「こんなこともある」というレアケースではなく,非典型的なように見えて実は典型的といった症例ばかりで,病歴や身体所見,バイタルサインの重要性がひしひしと伝わってくる。私のお勧めは第3→1章の逆読みだ。症例であるあるとうなずきながら一般的なアプローチを振り返るのだ(症例でうんうんうなずけない場合には,第2章から読むとよいだろう)。第1章,前野哲博先生の「外来で使えるgeneral rule」は外来特有の臨床決断の思考ロジックを,和足孝之先生の「外来で必要な診断エラーの知識」では認知バイアスまで学ぶことができてしまうという,お得感満載である。

 冒頭のセリフは映画化もされた平野啓一郎著『マチネの終わりに』の一節である。過去に起こった出来事,それ自身は変えられなくても,その経験から成長していくことができれば,過去も変わるのではないだろうか。本書から学び,実臨床で生かしていただきたい。


《評者》 国立病院機構近畿中央呼吸器センター 呼吸器内科

 若手医師に限った話ではないが,臨床医を続ける以上「専門科にコンサルトすること」と「患者に病状説明すること」は避けて通れない。その技術は,一朝一夕で身につくものではなく,他の医療従事者や多くの患者と真っ向からぶつかり合い,削られ,磨かれ,叩かれ,鉄は強くなる。不幸にも,コンサルトや病状説明が不得手な指導医の下で育ってしまうと,自身も苦手意識を持ってしまい,後輩にノウハウを伝えられないという負の循環が生まれかねない。うまく叩かれなければ,鉄はただの鉄のままだ。

 医師が独り立ちするころ,コンサルトや病状説明に関して,誰しも己の能力不足を痛感するだろう。この書籍を読んだ時に,「放射線科」「麻酔科」「病理診断科」が入ってくるとは予想していなかった。ともすれば「doctor's doctor」と呼ばれるこれらの診療科は,依頼さえすれば,あとはどうにかやってくれると誤解されがちな診療科でもある。とりわけ電子カルテが台頭している現代,以前のように顔を突き合わせて議論百出されることが減っているように思う。臨床情報なくしては議論すらできないし,著者が書かれているように,じかに顔を見て話さないとわからない部分はあると思う。これは自分への戒めでもある。

 この本の真骨頂は,「研修医が身につけたいコンサルトのテクニック」という冒頭わずか17ページにある。ここに書かれてあるのは,コンサルトのお作法である。その価値基準がずれてしまっていると,修正されることなく一生を過ごすことになる。「この医師にはコンサルトしたくない」と若手医師に思われないためにも,自分のコンサルトスタイルをここで見直していただきたい。

 忙しい急性期の診療科では,どちらかといえばこういったノンバーバルな技術は「見て盗め」という風潮があるように思う。私も研修医時代にそういった科をスーパーローテートしたことがあるが,そもそも盗む方法などわからず,見よう見まねでいざ実践しようにも,“盗んだバイク”が走らないということは往々にしてあった。若手医師が見て盗むためには,指導医の見せる技術も問われる。屋根瓦式に若手医師にこれを受け継いでもらう好循環を生むためには,苦労したであろう中堅医師が書いたコンサルテーションスキルの書籍が望まれていた。経験すべき苦労は買ってでもすべきである。しかし,経験しなくてよい苦労などないほうがよいのだ。この書籍が自分の研修医時代にあれば,どれほどよかっただろう。

 なお,唐突に尾崎豊の歌詞のフレーズを出したが,著者を交えた医学書院のWebセミナーでこの比喩を出したためであることを付け加えておく。


《評者》 飯塚病院東洋医学センター漢方診療科部長

 三潴忠道先生は2021年,コロナ禍で延期された日本東洋医学会の会頭も務められ,大変お忙しい最中,名著“十五話”()の第2版を出版された。本書は漢方診療の基礎を学ぶのに最適もしくは最高の一冊である。その一つの理由は,三潴先生の臨床を余すところなく公開し,いわば三潴漢方という太い柱に沿って,漢方診療が語られている点にある。

 その基本はいわゆる古方に属しながら,一方で現代の疾病構造を見据えた柔軟な診療体系を公開している。一般に西洋医学のみを学んだ者にとって,漢方の概念,臨床は難解で,一冊の本を読んだくらいでは,なかなか身につかないであろう。漢方の手引き書として,多くの著者による,さまざまな意見や考え方が錯綜するものや,単一著者ではあるが,公開されている情報が簡素過ぎて物足りないものを手に取ったことがあるが,本書は簡単すぎず,難しすぎず,それでいて骨のあるブレない一冊である。

 本書は第2版となっており,それだけでその評価が高いことが既にわかるが,その一つの要因に,誤字脱字が非常に少なく,校正によほどの力が割かれているのではないかと想像する。第2版では初版より行の間隔が空いて文字の圧迫感から解放されている。初めて出てきた見慣れない漢字には振り仮名がふられ,漢字アレルギーを生まないような工夫がされている。

 本書の構成は十五話になっているが,陰陽,特に六病位の病態理解に重点を置き,中でも三潴漢方の真骨頂である,柴胡さいこ剤と駆血くおけつ剤の解説では半端ない力が注がれている。また血,水という目に見えるものを先に解説し,目に見えない気を最後に解説している順は他書では見られない。さらに本書ではほどよいタイミングで前の記載の振り返りがある点が復習効果を高めている。特に診察法や問診などについては繰り返し記載され,診察法の習熟に重点が置かれている。では初心者向けの本かというと,意外とエキス剤にもないとんでもない処方が鑑別処方として挙げられ,診療の幅がエキス漢方にとどまらない。例えば茯苓四逆湯ぶくりょうしぎゃくとうなどは基本,煎じ薬しかないのに,人参湯と同じくらいのスペースが割かれている。第2版となって,新しい記載はないのか? 実は私は小半夏加茯苓湯しょうはんげかぶくりょうとうのところで新しい記載を発見した。初版にはない追加記載が随所に見られ,初版をお持ちの方もぜひ第2版を手元に置いていただきたい。三潴先生の似顔絵も初版より年齢を加え,「仏のオーラが出ている」と隣の診察室の女医は言っているので,ぜひ見比べていただきたい。漢方診療こぼれ話は臨床家向けの味わい深い話の百味箪笥ひゃくみだんすである。また所々で敬愛してやまない藤平健先生,小倉重成先生のエピソードが紹介され,脈々と受け継がれる漢方診療の学統のぬくもりを感じさせられる。

 同時出版の『はじめての漢方診療ノート 第2版』は診察法中の解説にカラー写真がふんだんに追加掲載され,私も一枚ご協力させていただいた。記入スペースが多いのも初版以来の本書の特徴であり,臨床家である三潴先生のセンスを感じる。本書を手に取った読者はぜひどこに何が書かれているか暗記するほどに読み込んで,三潴流漢方の使い手になって欲しい。なお,三潴漢方の実践を経験したい方はいつでも,会津か飯塚に来られたし

:『はじめての漢方診療 十五話』2005年,医学書院刊

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook