医学界新聞


文献学の手法が臨床疑問の解へ導く

対談・座談会 清田 雅智,陶山 恭博

2021.08.02 週刊医学界新聞(通常号):第3431号より

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 歴史とは現在と過去との対話である――(E.H. カー『歴史とは何か』岩波新書,1962年)。

 確立された医学知識の背景には,先人の知見と新規性を証明する精緻な作業の積み重ねがある。未解明の事象に挑んだ偉人たちの英知は,身体所見や症状の発見者の名前にちなむエポニム(Eponym)として,現代を生きる私たちの間にも息づいている。

 文献から歴史を解き明かす手法は臨床疑問の解決や自己研鑽にどう生きるのか。臨床医の清田雅智氏と陶山恭博氏の2人が,文献学(Philology,註1)にヒントを得た医学文献の探索手法と,その醍醐味を語る。

 目当ての文献を探して文字を追い,求めた記述が視界に飛び込めば,誰しもきっと胸が高鳴るはずだ。さあ,文献の向こうに立つレジェンドたちとの“対話”を始めよう!

陶山 初期研修を受けた飯塚病院は実に恵まれた環境でした。レクチャーで用いられるスライド1枚1枚に論文が引かれ,スライドをシェアする文化が当たり前のようにあったからです。

清田 ああ,懐かしいですね。私が米メイヨークリニックの留学から復帰したのは2006年ですので,陶山先生はちょうど医師1年目でした。

陶山 はい。清田先生がエポニムの起源やその臨床経験を語るレクチャーには知的好奇心をかき立てられ,ワクワクしたものです。皆が憧れる清田先生は,研修医の頃から多くの文献に目を通されていたのですか?

清田 いえ。今のように丹念に読み込むスタイルになったのは,卒後10年目以降です。「若い頃から文献ソムリエだったのでは」とよく誤解されるのですが。

陶山 きっかけは何だったのでしょう。

清田 留学先のモーニングカンファレンスです。フェローが作る90ページほどのスライドには出典が細かく引かれ,教授陣が根拠を鋭く問う光景を目の当たりにしました。リファランスを引いて根拠を追い掛ける作業が専門医のトレーニングになっていると実感した私は,帰国後,自分でも月に1つのテーマで始めました。

陶山 文献を追い求める意欲と好奇心はどこから湧き出るのでしょうか。

清田 やはり臨床で生まれる疑問です。患者さんの診療に行き詰まると,どう打破するか危機感を抱くもの。調べるモチベーションが上がりますね。

陶山 私も患者さんのアウトカム改善に貢献したいとの思いが,知識の引き出しを増やす後押しになっています。

清田 地道な準備が成功体験をもたらしてくれる。それが何よりの報酬です。知識と経験が結び付けば記憶として定着し,次に同様の患者さんが来れば自信をもって対応できます。すると一歩進んだレベルの問題解決に向け,さらに探究のドライブがかかるのです。

清田 専門のリウマチ領域に進んだ陶山先生は,“リウマチ学の父”と呼ばれるWilliam Heberden(1710~1801年)由来のエポニムを解き明かすなど,文献学の手法を生かしています(MEMO①1)。論文に当たる意義に触れた原体験は何だったのでしょう。

陶山 研修医時代,飯塚病院が提携する米ピッツバーグ大学メディカルセンターから教育にいらした内科医Dr. Lamb(Michael Lamb)との出会いです。今のようにスマホで簡単に検索できない時代,「僕はPubMedが好きなんだよ」と一緒にパソコンの前で論文を調べてくださったのです。

清田 それは良い経験でしたね。15年ほど前はまだ,PubMedで一次文献に当たるなんてあまりしませんでした。

陶山 その後,調べる楽しさを知る転機は,米国の内科医Joseph D. Sapira(1936~2018年)が著した原書の翻訳2)で「Sister Mary Joseph's Nodule」(SMJN,MEMO②)を担当したことです。

 身体診察にも卓越した能力のあったDr. Lambに身体診察の定番書を尋ねたんです。「Batesがいいか?」と。そしたら,「No. No. Bates is a baby book. Read Sapira!3)」と言われて。その時初めてサパイラの名を知り原書をすぐに購入したものの,英語が高尚で読み続けられず,本棚に眠らせていた1冊でした。

清田 まさか後に,サパイラのSMJNの項目を陶山先生が訳すとは思いませんでした。

陶山 翻訳には難渋しました。英語が難しかっただけでなく,記述にどうも変な箇所があると気付いたからです。それで同じく翻訳者の一人である清田先生に相談し註釈を入れました2)

清田 サパイラには誤りがいくつかあって,その一つがSMJNをリンパ節に分類した箇所です。

陶山 清田先生のフィードバックを受けるまで,成書に間違いがあるなんて思いもしませんでした。まして身体診察の到達点でもあるサパイラです。自分でも誤りを検証する過程で,「深く調べるって楽しいな!」と思いました。

陶山 清田先生はなぜ,エポニムの由来を文献に求めるのでしょう。

清田 誰がいつ言い出したかを知ることは,症状や疾患の理解に重要だからです。未解明だった時代の人々と同じ土俵で物事を見れば,理解も深まる。それに,新規性を証明する作業が必要な医学的発見は正確な引用の上に成り立っているので,文献学の概念が適用できるはずだと考えました。

陶山 それでSMJNの初出にもこだわったのですね。

清田 ええ。このエポニムを言い出した人物の根拠が不明だったからです。1900年代初頭,メイヨークリニックで外科医William James Mayo(1861~1939年)の手術助手をしていたのが,尼僧で看護師でもあったsister Mary Joseph(1856~1939年)でした。術前に剃毛や消毒をしていた彼女が,臍のそばにしこりのある患者は予後が悪いと気付いたとの逸話があるとされています。英国の外科医Hamilton Bailey(1894~1961年)が著した『Hamilton Bailey's demonstrations of physical signs in clinical surgery』(以下,『Bailey』)のうち私が英国から買った第11版(1949年)には,臍のNoduleについて彼女がMayoに進言したと確かに書かれている。しかしその根拠はなく,私は1927年の初版からたどることにしました。

 『Bailey』の初版は世界で4か所所蔵されており,そのうちカナダ・トロント大学の1冊にアクセスでき,さらに第2版以降も,5,8,12~15版と約10年かけて買い集めました。ところが各版を読むとSMJNの記述は初版から1942年の第8版までありませんでした。

陶山 1949年の第11版に登場するまでの間に何かヒントがあると推測できたわけですか。

清田 はい。1940年前後の文献を調べる中で,SMJNのオリジナルは,1928年にWilliam James Mayoが“pants-button umbilicus(パンツボタンの臍)”に言及した論文であることに気付きました3)。この文献にはsister Mary Josephの話は一切出て来ないし参考文献もない。しかし臍の腫瘤は,Virchow's node腫脹が胃がん患者の治癒不能の徴候を意味するのと同様,予後不良を示唆するサインとの記述があり,本質を突いた内容だったのです。

 まるで探偵のように解を導き出す作業は実に面白い。周辺情報を地道に探るところから始まる作業は,版管理と西暦,それぞれの出来事が歴史を証明する上で欠かせません。仮説を立てて検証するプロセスは時間軸が重要で,診断に至る流れとも似ています。

陶山 清田先生のように周辺情報を集め焦点を絞る手法は,日常診療で疑問を抱いた際の情報収集にも参考になります。タイトルやアブストラクトを読んだだけの引用では,あたかも正しい情報を載せたと錯覚する恐れがある。一つひとつ読み込み,原典までさかのぼる経験を重ねれば,表面的な情報だけではいかに不十分か気付けるからです。

 先生は出典を丹念に探る過程で,全身性エリテマトーデスの成書『Dubois』にある皮膚のパートで,lupusの由来を示す出典に誤りを発見されています。

清田 間違った引用はしばしばあるものです。教科書でも論文でも引用文献まで読み込む癖をつけておけば,違和感を察知できるようになる。Duboisの改訂第9版4)に陶山先生の論文5)が引用されているのは素晴らしいことです。正確な読解から新たな引用を提示することは,後世の医師に正しい情報を伝えることにもつながります。

陶山 エポニムの知識は臨床にも生きています。例えば清田先生が,腹部の病変が左肩の痛みとして現れるKehr徴候の由来を解説した記事です(MEMO③6)。ある日,私の外来に右肩の激しい痛みを訴える若い女性が受診しました。「もしや!」と思い腹部を触ると痛みがあり,帯下の異常もありました。結果,淋菌性卵管炎によるFitz-Hugh-Curtis症候群と診断がつき,その放散痛が右肩に現れたと判明したのです。この記事を読んでいなければお腹を触らなかったでしょう。

 それにしても,Kehr徴候の探究も文献の量に圧倒されました。

清田 この時もSMJNの検証手法が役立ちました。Kehr徴候はHamilton Baileyが最初に名付けたと,多くの人が『Bailey』第11版を根拠に語っているのですが,実際は1927年の初版から記述はある。しかし例によって出典が引かれていない。そこでPhilologyの手法である文献の孫引きを徹底的に行うと,出典と引用が頻出する時代が一つの塊として浮かび上がりました(註2)。そしてKehr徴候の起源は1902年にErich Bergerが書いた,自身の指導教官Hans Kehrの名前を冠する独語文献7)であると突き止めたのです。

陶山 描かれた図には衝撃を受けました。足元にも及ばない

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飯塚病院総合診療科診療部長

1995年長崎大医学部卒業後,飯塚病院に勤務。2005年に米メイヨークリニック感染症科visiting clinicianとして留学。10年より現職。監修に『ホスピタリストのための内科診療フローチャート』(シーニュ),分担翻訳に『サパイラ――身体診察のアートとサイエンス 第2版』(医学書院)など。趣味は医学に関する古書収集。福島県立医大白河アカデミー特任教授の他,宮崎大と産業医大の非常勤講師,島根大と九大大学院にて共同研究員,東京医歯大と横浜市大で臨床教授を務める。

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JR東京総合病院 リウマチ・膠原病科医長

2006年信州大医学部卒。飯塚病院にて初期研修後,聖路加国際病院内科レジデント,同アレルギー膠原病科フェローを経て14年より現職。分担翻訳に『サパイラ――身体診察のアートとサイエンス 第2版』(医学書院)など。18,20年にAnnals of internal medicineのOutstanding reviewer awardを受賞した。

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