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サパイラ 身体診察のアートとサイエンス 第2版

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身体診察という知的興奮に満ちた旅への船出に際して、本書は羅針盤や道しるべの地図を、そしておそらくは少しばかりの楽しみを提供するためにある。最も重要な教師、すなわち患者とともに――。身体診察は文化の違いや時代を超えた臨床医学のアート。本書にはこれらを賢く経験するための英知、箴言がぎっしり詰まっている。「記述の広さと深さは類書を圧倒している」と賛辞を集める名著を、当代きってのエキスパートたちが翻訳。
原著 Jane M. Orient
監訳 須藤 博 / 藤田 芳郎 / 徳田 安春 / 岩田 健太郎
発行 2019年10月判型:B5頁:998
ISBN 978-4-260-03934-5
定価 13,200円 (本体12,000円+税)

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第2版監訳の序(須藤 博)/原書第5版の序(Jane M. Orient)

第2版監訳の序

 時が経つのは本当に早い.初めて原書第4版の翻訳を打診されてからはや10年が経つ.日本語版初版が刊行されてからもすでに6年が経過した.
 日本語版初版の刊行後に,さまざまなご意見が私に届いた.多くの場合「身体診察の深みを知ることができた.難しいけれど少しずつ取り組んでみようと思う」といったポジティブな言葉が多かった.少なくとも翻訳することによって,これまで本書の存在を知らなかった先生方にも届いたことがわかり,報われた気持ちであった.
 私の病院では米国内科学会の重鎮の1人であるGeorge Meyer先生を,毎年教育回診に招いている.本書の初版が刊行された後にそのことを報告した時,先生の反応は「お前,あの本を訳したのか!?」という驚きの言葉であった.続くお褒めの言葉は,翻訳に携わった先生方を代表して頂いた最大の名誉に感じられたものである.
 そして今回の改訂である.原書が改訂されたと知り,早速入手してチェックした.真っ先に調べたのは不謹慎だが,医学的な内容ではなく本書の大きな特徴である「独特の毒舌,ユーモア」の部分がどう変わったかだった.これは私の個人的な好みであり,医学的な意味合いからは離れる.この点に関して初版以降,Orient先生の改訂が加えられて「毒の部分」はかなり薄まったように思う.時代の流れかもしれないが正直一抹の寂しさは感じる.一方で,Sapira先生ばりにOrient先生のこだわりが如実に表れた部分もある.序論の最後に「歴史的 HISTORICAL INTERLUDE」というタイトルで「プロイセン王国におけるGeheim Rath」に関する詳しい記載(1章28頁参照)があるが,これなどはまさに面目躍如である.EBM至上(実はこれには異論もあるはずだが)の時代への強烈な警鐘を鳴らすために相当な分量が追加されている.Sapira節は薄まったかもしれないが,まったく同じ方向性の「Orient節」が炸裂している.細かな部分で多くの情報がアップデートされても根本となる精神は揺るがない.そして,何よりOrient先生の身体診察に対する想いが序文に新たに付け加えられた次の一文に表れている.

 「筆者(訳注:Orient)は,一時期埃をかぶった本棚に追いやられたとしても,何千年も時間をかけて作り上げられた遺産は守っていくべきだと信じている」.

 翻訳書の存在価値はどこにあるだろうか.内容を正確に伝えつつも原書の味わいをなくさず,しかもわかりやすい日本語にすること,これが理想的な翻訳書だと私は考える.本書の英語は,ときにネイティブにとってさえ難解なところがあり,加えてSapira先生は強烈な皮肉屋で,文章を額面通りにとれず前後の文脈から判断して反語的な意味を持たせている場合があった.米国の医療制度や文化的背景に関する知識がなければ,理解が難しい内容もあった.そんな時に役立つのが,多数挿入された訳注である.第2版でも大いに助けになるはずだ.さらに今回特筆すべきは10章「眼」である.これまで翻訳は内科医が中心だったこともあり,専門外である「眼」について不完全な部分があったのは否めない.この点に関して,10章の一部の翻訳(および10章全体の監訳協力)を今回お願いした石岡みさき先生の尽力により,格段のレベルアップがなされた.膨大な数の訳注が,多くの読者の理解に役に立つだろう.石岡先生には謹んで深謝申し上げたい.
 今回の改訂にあたっては医学書院の西村僚一氏をはじめとして編集制作の方々の多大な尽力があった.原書第4版と第5版の差分について単語1つに至るまで違いがわかるよう膨大な下準備をしてくれた.おかげで翻訳作業を大幅にスピードアップすることができた.この表には出ない多大な労力なくして,第2版の完成はなかった.深く感謝したい.最後に,日本語版初版を購入してくださった多くの皆さんにも感謝したい.皆さんの評価の結果,こうして第2版をまた届けることが可能となった.また多くの先生方に届くことを切に願う.そして今回も身体診察に対する意識が,わが国でさらに盛り上がる一助になれば監訳者一同望外の喜びである.

 2019年9月
 残暑厳しい日に監訳者を代表して
 須藤 博


原書第5版の序

 評議会の最初のメンバーが,内なる権威よりも外部の権限を優先した日から,すなわち理性や道徳よりも評議会での決定こそが重要かつ神聖なものと認めた日からなのだ.まさにその時から,何百万もの人間が失われ,現在に至るまで彼らに不幸な労働を強い続ける偽りが始まったのだ.
レフ・トルストイ訳注1)
訳注1) Lev Tolstoy(1828~1910年),ロシアの小説家,思想家.英語では名はLeoと表記される.

 初版が出版されてから,医療の世界では大変革が急激に進んだ.最近は病院の委員会や郡や州の医師会に出席すると,大変革前の医師がかつて教えてくれた医学と,コンプライアンス至上主義でMBA資格をもつ「メディカルディレクター」が取り仕切る現在の医学との断絶には驚くばかりだ.筆者にはその人物があたかもタイムマシンに乗って会議に来たのではないかと感じられる.
 新しい「統合デリバリーシステム」と「医療制度改革」法では,組織図が(すべてを)支配している.医師は,その他の「医療提供者」というカテゴリーに分類されて,組織図の最下層にある患者(今では「保険でカバーされる命」と表される)のすぐ上の位置にある.そして医師は患者と一緒になって「医療損失率」を作り出しているのだ 訳注2)
訳注2) 医療損失とは,米国の保険会社の経営用語で,加入者から集めた保険料100のうち,どれだけの割合を実際の患者の医療費に使うかという数字.医療損失が85を超えるとウォール・ストリートで「経営が下手」と評価され株価が下がってしまうので,保険会社にとって,医療損失を下げる(=患者の医療に使う金をできるだけケチる)ことが経営の一大目標となる.日本の医療が米国の後を追っていると言われて久しい.こんな状況で仕事をするようになるのは,できればご勘弁願いたいものである.

 まったくもって逆説の世界である.今や「倫理」について話すことは,一般には「資源をどう配分するか」ということであり,以前ならたいていは非倫理的と呼ばれていたことである.人は情報の海に溺れているが,鍵となる知恵は失われてしまった.施設や人員は過剰に存在しているが,それでも患者のニーズを満たすには不十分である.
 情報技術の革命があっても,いやだからこそ,この世で最も足りないものは臨床医の時間だろう.忙しい臨床医は,患者よりもコンピュータの前でずっと多くの時間を使い,患者をほとんど診ないか,またはまったく患者に触れないかもしれない.文献検索に費やすわずか30秒でも長すぎるかもしれない.状況によっては,右耳をケガした患者の左耳を診る時間すらないかもしれない.ましてや患者の悲しみや絶望に耳を傾けることなど,どだい無理な話だ.今日のマネージドケアのプロバイダーは,いつ立ち止まって内省することができるというのか.
 このような考え方は,例えば「シックス・シグマ品質」(エラーを正規分布の平均から6標準偏差以下にすることが目標)のように,産業分野から導入されたものである 訳注3).これは100万人の患者のうち3.4人を除くすべての患者が,HbA1cや脂質レベルの測定や,または推奨ワクチンの投与など,ある「品質」指標を満たすべきであることを意味している.
訳注3) シックス・シグマの語源は,統計学で標準偏差を意味するσである.ある品質特性値が(平均値μ,標準偏差σ)の正規分布に従うと仮定する.6σの状態とは,「品質特性値がμ±6σの範囲の外に出る確率は3.4/100万である」という状態である.すなわち,ある工程で100万個の製品を組み立てて3.4個の不良品(ばらつき)が生じる.「100万回の作業を実施しても不良品の発生率を3.4回に抑える」ことへのスローガンとしてシックス・シグマという言葉が使われ,定着していった.

 産業分野における品質管理の専門家なら,資金調達なしに生産管理などできないことは,よくわかっているはずである(このことを医療政策の専門家はまず認めようとしない).たとえ患者と医師の行動を管理できたとしても,人間は工場で鋳型から打ち出される製品のように画一的ではないという問題が残る.たとえ遺伝的に受け継がれた特徴が似通っていても,個々の人間は世界とそれぞれ違った関わりを持ってきたのだ.
 それにもかかわらず医師の生活は,電子カルテに「記載した」診療が,いかにもそれらしい「質」の基準を満たしているかどうかに左右される.その「質」を定義することは難しいのにもかかわらずである.個々のニーズに基づいてより長く働いたり,平均以上のものやサービスを提供する医師は,金銭的な罰則を受けたり職を失うことさえある.「システム」のニーズへ対応することが患者よりも優先されるかもしれない.事実,米国医師会は現在「医療システム科学」を「医学教育の第3の柱」と呼んでいる.
 医学におけるアートが失われつつあるように,科学もまた危機に瀕している.「根拠に基づいた」医療は,専門家の委員会によるコンセンサスに基づくことを意味するようになりつつある.委員会の専門家たちは,頭数はたくさんあっても心を持たないプロイセン王国のGeheim Rathのようなものだ 訳注4).臨床推論は,細切れに規定された診療「ガイドライン」に従うことに置き換わり,診断とは,それに見合った処置コードに紐付けされた意味ありげな5桁の数字だ(最初の1桁目がいい加減でも誰も気にかけない).真実を求めるための祭壇,すなわち解剖台は取り壊されようとしている.
訳注4) 1章「歴史的幕間 HISTORICAL INTERLUDE」を参照.

 この本にあるような伝統的で実践的な方法をすすめないばかりか教えもしない医学教育者たちがいる.そんな今なぜ,新たな版なのか?
 お役所が言うところの質の評価とは,ほとんど常に(コンプライアンスどおりの)プロセスを評価基準にしており,総死亡率とか,患者の身体機能の保持,といったアウトカムを評価基準にしていない.ダッシュボードに「継続的な質の向上」などと掲げられていても,患者ケアの最前線にいるほとんど誰もが,米国の医学と健康は衰退の道をたどっていると考えている.伝えられているところによれば,全医師の半数が,「バーンアウト」に苦しんでいるとされる.
 筆者は,一時期埃をかぶった本棚に追いやられたとしても,何千年も時間をかけて作り上げられた遺産は守っていくべきだと信じている.「古い」やり方を忘れずに使っている医師は,他の医師が見逃した診断をつけたり,官僚的な機械ではなく患者に仕える喜びという見返りが得られるだろう.医学は生きた存在である.それは「ヘルスケア・デリバリー」という恐竜を前にしても,非人間的なシステムが失敗した後も,長く生き残って繁栄していくものなのだ.そして,単なるプロバイダーや,ゲートキーパーやリソース管理者やチェックボックスに印を付けるだけの存在ではなく,真の医師になろうとする学生たちがまだいる.医学は産業などではなく,人間そのもの,あるいは人間的な営みであると考えている人たちがまだいる.そういった人々の身体診察という知的興奮に満ちた旅への船出に際して,本書は羅針盤や道しるべの地図を,そしておそらくは少しばかりの楽しみを提供するためにある.彼らにとって最も重要な教師,すなわち患者とともに.
 身体診察を学び進めるにつれて,吸収すべき情報が膨大なことに,学生はしばしば打ちのめされるように感じる.そんな時に,最も役に立つ助言がある.1957年に神経内科医であるRobert Wartenbergが残した次の言葉だ.「神経学的診断の誤りは,そのことに十分な知識がなかったからではなく,十分に診ようとしなかったから起こるのである」.

 Jane M. Orient, M.D., 2017

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第2版監訳の序
初版監訳の序
原書第5版の序
原書初版の序
謝辞

1章 序論
2章 医療面接
3章 病歴
4章 記録
5章 全身状態
6章 バイタルサイン
7章 皮膚,毛,爪
8章 リンパ節
9章 頭部
10章 眼
11章 耳
12章 鼻
13章 口腔(中咽頭)
14章 頸部
15章 乳房
16章 胸部
17章 心臓
18章 動脈
19章 静脈
20章 腹部
21章 男性器
22章 女性器
23章 直腸
24章 四肢
25章 筋骨格系
26章 神経
27章 臨床推論
28章 臨床検査のコツ
29章 文献

索引

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その本の名はサパイラ
書評者: 國松 淳和 (医療法人社団永生会南多摩病院 総合内科・膠原病内科)
吾輩は猫である。
名前はまだない。

主人の名は國松。
また今夜も遅くまで何かゴソゴソしている。
もう3時だぜ。
早く寝ればいいのにといつも思う。

翌日。休日のはずなのに朝から何かしている。
それはいいとしてまた寝始めるらしい。
床に寝るらしい。
お前は落合陽一か。
それはいいとして枕はどうするんだ。

彼は,デスクに座った時の足台代わりにしていた,布のトートバッグに入った分厚い本を取り出してきた。
おい,そもそも本を足台にするなよ。

まさかと思ったが,その分厚い本を枕にした。その本の名はサパイラ。
首は辛くないのか?
しかし安楽そうに目を閉じた。

10分後。不快そうに起き出した。
首が辛いらしい。ほらみろ。
しかし床に座ったままその本を読み出した。

その本の名はサパイラ。
難しそうな顔をしながら,パラパラと読みたいところを探して飛ばし読みをしている。
たまに動きが止まって,あるページを夢中に読んでいる。

わかった。この様子は「子ども」だ。
子どもというのは,例えば昆虫や動物の図鑑をこういう感じで読む。
大人がやるように頭から1ページずつ一字一句読んだりしない。
きっとサパイラというのはそうやって読むんだな。
いや,違う。サパイラというのは医者を子どもにするんだ、、、、、、、、、、、

またゴソゴソし始めた。
付箋だ。
ところどころサパイラに付箋を貼り始めた。
そりゃそうだ,こんな分厚いからな。

そしてサパイラを閉じてしまった。
また床で寝始めた。でも今度はサパイラを枕にしていない。

我輩は,また寝入ったのを確認して,こっそり付箋の貼られたペエジを見てみた。ブルーの蛍光ペンでマーカーがしてある。

◆p50, 「回診に参加している皆がベッドサイドから離れようとしている時に,患者に背を向けて手を洗い始めなさい」
◆p67, 「ほとんどすべての『内科的』患者は精神的な病を内在している」
◆p78, 「私はさらに次のように問う。『すべての検査が陰性であった場合に,どのように感じますか』。この質問に対する患者の反応は非常に意義深いものであり」(他,その次のパラグラフ全部に囲みがしてある)
◆p904, 「しかし時として,蹄の音は,シマウマでもウマでもないことがある」
◆p905, 「ウマはいるけれども,蹄の音が聞こえない・・・・・というややこしい可能性も考えておく必要がある」

他は,ぜんぜん付箋がない。
きっと「こりゃすぐに読めないわ」ってなったんだろうな。

まあとにかく。
足台から枕,枕から本,本からサパイラに昇格したみたいで良かった。
今は大切にデスクの上の真ん中に置いてある。
デジタル時代の今だからこそ身体診察
書評者: 倉原 優 (国立病院機構近畿中央呼吸器センター呼吸器内科)
 名著『サパイラ』の原書第5版・翻訳第2版である。身体診察について1000ページも書かれた本など,寡聞にして知らない。

 私は身体診察の教育に力を入れた病院で研修を受けたため,どちらかといえば“アナログ”な医師である。6年前の前版で初めて『サパイラ』に触れたが,この本はこれまで学んだ身体診察技法を昇華させてくれる師となった。今でもときどき読み返すくらいである。

 私はもともとピアノ弾きなので,この本では胸部打診の項目が一番好きだ(pp.435-436)。「最初は強く(ストローク4インチ),2番目はより弱く(ストローク2インチ)」という細かい技法にも感嘆するが,そのあとが大事である。「爪の長い医学生には,短く切るようにアドバイスしたい」。私が好きなのは,こういうところである。打診を考案したのはアウエンブルッガーというオーストリアの医師であるが,彼がサリエリという宮廷音楽家とオペラを書いていたという本書の余談はとても面白い。ちなみに,アウエンブルッガーの2人娘は,その後サリエリにピアノを学び,優れたピアニストとして活躍したらしい。

 打診は打診音を美しく出さなければいけない。そのためには,利き手の指のストロークと初速が大事なのだが,その練習法を複数挙げて書かれてある本書は驚異的である。医学生時代,私は臨床実習前に,飲水前後の自分の腹部を打診して練習したものだが,『サパイラ』には「炭酸飲料」と書かれてある。水じゃなくてコーラにすればよかったのかもしれないと思った。

 この本の特長は,向こうから語りかけてくる書き方にある。身体診察に重きを置くと,どこかで目にした無難な記述になってしまいそうなものだが,この本はまるでどこかの病院のカンファレンス室のホワイトボード前で,また実際の患者のベッドサイドで,レクチャーを受けているような錯覚さえ覚える。「アドバイス」「指導医へ」「自己学習」などのサブ項目の完成度は高く,研修医のレクチャーを一緒に聞いていた指導医が,「君たち中堅医師もこれに注意したまえ」と襟を正されるような記述が随所に登場する。

 4つの代表的診察技法(視診・聴診・打診・触診)の5つ目にポータブル超音波はどうですか1),と言われるほど“デジタル”な時代になってしまった。医師経験が長い人ほどデジタルに足元をすくわれそうになった経験が思い出に苦みを残している。実はそんな時,身体診察に助けられる場面は多いのだ。だからこそ,『サパイラ』である。

●参考文献
1)Narula J, et al. JAMA Cardiol. 2018 Apr 1;3(4):346-350.
ビュッフェに飽きたら満漢全席へ
書評者: 市原 真 (札幌厚生病院病理診断科)
 発売直後に購入し,8割方読んだ感想。安い。なぜこの内容をこの値段で? 医学書院は本でもうけることをやめてしまったのか?

 医学生や研修医の皆さまは,診察の教科書と聞くとまずマックバーニー圧痛点とかロンベルク徴候といった,「名前のついた手技」が載っているのかなとイメージするかもしれない。でもそれよりずっと奥深い。甲状腺を触診するときのコツは? 小脳優位の症状をざっと述べるならば? 患者が診察室から去り際に付け加えがちなセリフとは? 今日もどこかの診察室で必ず行われている医療面接や診察手技の,意義と手順,エビデンスとナラティブが,圧倒的な分量で詰めこまれている。

 でも,若き医師たちはこう答えるかもしれない。

 「成書が大事なのは知ってますよ。臨床をローテーションすると,上級医たちが,それぞれ自分の得意な領域でだけ豊富な語彙で,経験を振りかざしてマウントをとってきますからね。診察の奥義が一冊にまとめてあるってなら,いい本だろうなあ。全部読めたらいい。でもそんな暇はないです。診察手法は今時YouTubeで検索したほうがきちんと理解できるし,紙の本を買う意義なんてないですね」

 気持ちはわかる。でも,私たちはやっぱり,サパイラを読むべきだ。

 SNS全盛時代,ネットワークにとろけて暮らしている私たちは,毎日違う用語を検索し,スマートフォンの向こうに浮かび上がる情報を,ランチビュッフェみたいにつまみぐいしている。抗菌薬のことは医師Aに,心音については動画Bに,スコアリングはC病院のウェブサイトに。一期一会の日替わり師匠たち。頼る相手は多いが,「いざというときに帰ってきて話を聞いてくれる師匠」はいない。

 だからこそ,「単一著者によって編まれた,エビデンスのセレクトショップみたいな本」の読みやすさに気付く。

 サパイラ先生という名医の仕事を,オリエント先生というこれまた名医が引き継いで,それぞれ単著で仕上げた本書は,徒弟制度なき時代に頼るべき大きな師匠そのものである。

 翻訳者たちがいちいち原文に苦笑したり脱帽したりしている様子が伝わってくるのも面白い。表現はアイロニカルで,哲学にあふれていて,無味乾燥な学術書を読むのとは違った情熱がエビデンスの傍らに見え隠れする。眼底所見なんて読んでもよくわからないなーと思っているとすかさず,「ある病棟医がこの眼底をうまく見られなかった理由は何だと思う?」みたいなエピソードが挿入される。まるで「師匠」が眠そうにしているぼくの肩を叩いているかのようだ。

 あなたがもし本書を手に取る機会があるならば,ぱっと真ん中あたりを開いてみるのがいいだろう。皮膚,頸静脈,あるいは陰茎……診察ってこんなに奥深かったっけ,と驚くに違いない。本書を購入して家に帰ったら,1章「序論」と27章「臨床推論」から読むのがいいだろう。師匠がそこに待っている。

 スマホビュッフェに飽きたら,賞味期限のない満漢全席へ。本は今なお偉大だ。

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