『ペスト』に見るマスク着用の始まり
1899~1900年,大阪・肺ペストクラスターと医師の遺言
寄稿 住田 朋久
2021.04.05 週刊医学界新聞(通常号):第3415号より
予は職務上この悪疫に感ず〔感染した〕。死はもとより期するところなり。本病は患者の呼気より伝染するものたるを信ず。将来該患者に接すものよろしく覆面して口鼻を覆い,かつ時々消毒薬の吸入を施し,これが感染を防ぐべし。
――若林啓,1900年1月2日没,享年44(国立国会図書館デジタルコレクション)
1900年1月1日の昼過ぎ,大阪・桃山病院に若林啓が運ばれた。陸軍の大阪鎮台病院で看護長を務めた後に開業医となった若林は,往診した患者の家で肺ペストに感染した。冒頭の言葉は,若林が親友でもある医師・平田大三に桃山病院で語ったものであり,『増補再版 ペスト』という本に収められている(153-4頁)。
北里柴三郎校閲,石神亨纂著として丸善株式会社書店(現・丸善出版)から刊行された『ペスト』は,史上初めて日本でペストが流行し始めた直後の1899年12月に刊行され,その4か月後の1900年3月に約3倍の分量で再版された(定価は各40銭,50銭)。
追加されたのは,1899年11月から1900年1月にかけて神戸と大阪で流行したペストの記録と,1899年10月にドイツで開催されたペスト会議の報告である。初版部分はほぼそのまま再印刷されているが,そこで新たに登場したのが,今で言うマスクである。
明治のマスク「レスピラートル」
2020年以来,世界の多くでマスクの着用が義務付けられるに至った。この点で日本は例外だが,歴史的にも多彩なマスク文化を育んできた(表)。
鼻口を覆うものは古くからさまざまな場面で用いられていたが,明治維新後,1870年代後半までに東京などの都市では英国由来の「レスピラートル(respirator)」が見掛けられるようになった(図)1)。ただし,医療従事者が着けるものとは考えられていなかった。世界的にも外科の手術室でマスクが用られるようになったのは1897年,ドイツ・ブレスラウ(現在はポーランド・ヴロツワフ)のヨハン・フォン・ミクリッツ=ラデッキーからである(写真1)。
手術室の外でマスクが用いられた例としては1910年頃の満洲ペストが有名だが,既にその10年ほど前の大阪ペストでマスクが現れていた(写真2)3)。
大阪で1899年に広がった肺ペストクラスター
ペストの多くはノミなどを媒介として感染する腺ペストや敗血症型ペストであるが,そこから飛沫を通じて人から人へと感染していく場合がある(肺ペスト)。1896年からペストが流行していた台湾では,肺ペストは数パーセント程度(軍医2人を含む)と少なかったが,1899年末からの大阪での流行では,ペストで亡くなった40数人のうち約3分の1(14人)が肺ペストに感染し,クラスターとなった4, 5)。
潜伏期間は3~5日程度と短く,全員が特定されている。金巾製織に勤める13歳の少女に端を発する一家5人とその同居人1人,一家を往診した若林と検疫官の馬場碩一(46),そして若林を診療した医師・山中篤衛(47),さらに若林の妻と車夫,馬場の妻,山中の妻と母,と相次いで感染し,全員が命を落とした。
『増補再版 ペスト』には,若林,馬場,山中の病床日誌が体温の推移とともに掲載されている。
医師の病床日誌に記されたマスク着用を推奨する言葉
『ペスト』を著した石神亨はもともと海軍軍医だったが,北里柴三郎が1892年に設立した伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)の初めての助手となった。1894年に香港でのペスト調査に随行した際には,帝国大学(現・東京大学)教授・青山胤通とともにペストに感染し,遺書をしたためるも一命を取り留める。
その後は大阪私立伝染病研究所と石神病院を設立し,さらに国立の大阪痘苗製造所所長も務めていた。そして大阪でペストが発生すると,大阪市の細菌検査の監督を嘱託された。
2か月に及んだ大阪でのペストの流行を経て,『ペスト』初版部分の最末尾,「看護法の注意」の6項目に石神が新たに加えた項目が以下である。
一,ペスト肺炎患者に近接する者は何人に問わず必ずデ〔レ〕スピラートルまたは綿花をもって鼻および口を被覆し,かつ眼鏡を用うべし。
(95頁)
また,大阪の流行を記録した部分では,馬場,若林,石神の病床日誌のあとで,「呼吸子(レスピラートル)の完全なるものをもって十分に鼻口を覆い,眼には眼鏡をかけ」と推奨する(161頁)。
この変化は,当時の新聞でも確認することができる。『大阪朝日新聞』では,1月6日に医師・土屋理が「呼吸器」(レスピラートルのこと)「10個」を臨時検疫部に寄付したことが報じられた(1月7日,10頁)。
そして現場での方針も変更された。
当府の各検疫官は自今〔今後〕検診の際,咳嗽を発する患者に接する節は,埃除け眼鏡と白メリヤス製の呼吸器〔レスピラートル〕を用い,なお患家に大清潔法を行う際にもこれを用うることとせり。
(大阪朝日新聞,1900年1月8日,1頁)
ここに「自今」とあることから,この時点ではマスクはそれほど用いられていなかったと考えられる。
なお,『増補再版 ペスト』の巻末に報告が追加されたドイツ・ペスト会議では,マスクについて議論されたものの,医師に対して推奨するには至っていない。
大阪ペストでの医療従事者のマスク着用は,ドイツの議論から学んだというよりも,若林らの肺ペストの受難の経験と,その遺志を受け止めた人々によって始まったと考えられる。
参考文献
1)住田朋久.鼻口のみを覆うもの――マスクの歴史と人類学にむけて.現代思想.2020;48(7):191-9.
2)Hiki S, Hiki Y. Professor von Mikulicz-Radecki, Breslau:100 Years since His Death. Langenbecks Arch Surg. 2005;390(2):182-5.[PMID:15744491]
3)Sumida T. Western Origins of Japanese Plague Masks:Reflecting on the 1899 German Debates and the Suffering of Patients/Doctors in Japan. East Asian Science, Technology and Society. Forthcoming 2021.
4)臨時ペスト予防事務局.大阪府ペスト病流行記事.1902.
5)立川昭二.明治医事往来.新潮社;1986(講談社学術文庫;2013).
住田 朋久(すみだ・ともひさ)氏 慶應義塾大学文学部 訪問研究員
2013年東大大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学(科学史・科学論)。東大特任研究員,丸善出版,東京大学出版会などを経て,20年より科学技術振興機構研究開発戦略センターフェロー。21年5月の第68回日本科学史学会年会でシンポジウム「個人衛生としての感染症対策の歴史」を企画している。
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