コロナ禍の自殺問題
今こそ,医療者に求められる視点とは
対談・座談会 本橋 豊,金 吉晴
2021.04.05 週刊医学界新聞(通常号):第3415号より
本橋 COVID-19は本邦の自殺問題をあらためてクローズアップしました。一般に大規模災害の後には被災者のメンタルヘルスが悪化し,自殺者数が増加することが知られています。感染症パンデミックも一つの災害(クライシス)ととらえられるのではないでしょうか。
金 はい。感染拡大の影響は医療以外の広範囲に現れるため,災害対応とも似た面があります。ただ,コロナ禍のメンタルヘルス問題は通常の大規模自然災害と異なる点があります。
本橋 それは何でしょうか?
金 社会不安の増大と雇用環境の悪化です。感染への不安と経済的困窮がメンタルヘルス上の大きなリスクファクターになり得ます。さらに,感染症の影響で強いストレスを受けた人の範囲を明確に特定できない。これが大きな課題です。
本橋 2020年の自殺者は2万1081人で,2019年の2万169人を上回りました1)。COVID-19の影響を何らかの形で受けた方も数多く含まれていると考えられます。
金 感染者や感染リスクの高まった方は医療機関にある程度把握されます。しかしパンデミック下では,じわじわと襲ってくる目に見えない不安に苦しむ方が確実に存在するわけです。
本橋 感染に対する疑心暗鬼から偏見や差別,風評被害も問題となりました。
金 大きな不安と不確実性を伴う脅威は,リスク認知に影響を与えるとされます。似た状況に放射線災害があります。目に見えない上,生命を脅かす恐怖という点が共通しています。そのために,東日本大震災の原発事故後には風評被害や,避難した被災者へのいじめが社会問題となりました。
本橋 COVID-19パンデミックを受け,WHOも社会的スティグマの防止と対処のガイドラインを作成し警鐘を鳴らしています2)。さらにパンデミックは経済危機も引き起こしている点で影響は甚大です。
金 2008年のリーマンショックは失業や職業的アイデンティティが崩れた影響によるメンタルヘルスの影響が課題となりました。COVID-19は一部の人々の心理的・社会的結びつきを脆弱なものにした上に,雇用環境の悪化をももたらしている。それによってメンタルヘルス上のハンディを抱えていた人々の心理的負担が増大し,最悪の場合自殺に至ってしまうと考えられます。過去にない影響の広がり方と深刻さに強い危機感を持っています。
なぜ,パンデミック直後の4月に自殺者数が減少したのか
本橋 コロナ禍における自殺問題の議論では,先入観による誤解もしばしば見受けられます。例えば,「社会的接触制限によってうつの患者が増えた結果,自殺者が増加した」などです。4~5月の緊急事態宣言下では自殺者数は減少しており(図),「外出自粛によって自殺者数は減少した」というのがデータの示すところです。
一方,臨床ではCOVID-19による不安や孤独で受診者が増えたと実感する方もいるでしょう。自殺者数が増加した「原因」と感じるかもしれません。金先生は精神科外来の現状からどう受け止めていますか。
金 私の個人的な臨床経験では,感染リスクへの過剰な不安を抱えた人が確かにいます。けれども自分の受け持ち患者が皆,目に見えて悪化したかというと必ずしもそうではない。在宅勤務になったおかげで,通勤のストレスや職場で受けていたハラスメントがなくなり,状況が好転したと話す患者さんもいるからです。自殺問題を議論する際は背景要因を科学的に見る必要があるでしょう。
本橋 おっしゃる通りです。個人的な印象を集団にまで普遍化することで,合成の誤謬や選択バイアスなどの問題が生じる可能性があるため,データに基づいた議論が必要です。
金 自殺者数について疫学的な観点からどのような動向が見られますか。
本橋 2019年と2020年の自殺者数を月別に見た大きな特徴は,3月下旬まで増加傾向にあった自殺者数が4~6月に減少したことです。
金 緊急事態宣言下で外出自粛や移動制限が呼び掛けられた時期に減少が見られたわけですか。どう解釈すればよいでしょう。
本橋 この時期,完全失業率が増加したにもかかわらず自殺者数が減少した理由に,社会的不安の増大と社会的努力の可視化が影響したと私は考えています3)。
金 大規模災害の直後,社会的不安が急激に増大すると一時的にストレスが減じ,自殺者が減少するとされます。阪神・淡路大震災や東日本大震災でも発災直後に同様の現象が認められました。コロナ禍の今回も同様の現象が見られたと。
本橋 ええ。社会的な不安の増大による自殺者の一過性の減少を「社会的不安仮説」と私は呼んでいます。
社会的不安の定量化にGoogle Trendsによる「コロナ」の検索数が代理変数になると考え,日別自殺者数との変動の相関を分析しました。その結果,「コロナ」の検索数が増加した時期に一致して日別自殺者数の減少が見られたのです3)。3月下旬に東京都知事の「ロックダウン」発言と著名人のCOVID-19関連死等によって,社会的不安が急速に高まったと推測しています。
金 社会的不安が認知に影響を与え,自殺を抑制する方向に働いたわけですね。
本橋 その通りです。漠然とした不安(vague anxiety)に対し社会的不安(collective anxiety)は,社会全体の危機が明確に感知(perceive)された状態と言えます。4~6月はまさに,社会全体で不安が共有される事態に陥ったと見るべきでしょう。
金 外出自粛をはじめ,政府による施策も自殺者数の減少に影響しているのでしょうか。
本橋 4月の緊急事態宣言発出や,全世帯に対する特別定額給付金の支給などによって社会的努力が可視化されたと考えられます。一時的に不安が緩和された経過からみても,社会的不安が自殺者の増減と連動するとの仮説が導ける。実際に10万円が支給された直後の一時期,50代の男性の自殺者数は減ったのです。この他,雇用保険基本手当,緊急小口資金貸付,総合支援資金貸付などの経済生活支援施策によって自殺が抑制された可能性が考えられます。
女性の自殺者増加の背景要因を考える
金 2020年7月以降,自殺者数が増加に転じた背景をどう分析していますか。
本橋 背景要因の一つに雇用環境の悪化が挙げられます。COVID-19の影響が長期にわたり,自殺者が増加した可能性が考えられます。さらに,有名人の自殺報道による誘発効果(ウエルテル効果)が重なった影響もあるでしょう。
金 昨年は女性の自殺者が増加し,危機感が募ります。
本橋 男女別統計を見ると,2020年の自殺者数の対前年度比では,男性は23人の減少に対し,女性は935人の増加でした1)。この男女格差(gender gap)は,7月以降の自殺者数の増加が女性の自殺者数の増加に主として起因すると見ています。
金 女性の自殺の背景には一般に,雇用の問題の他,家庭内暴力(DV)被害や,育児・介護の悩みなどさまざまな問題が関連します。コロナ禍の雇用環境の悪化も男女差が見られますか。
本橋 はい,特に注意を払わなければならない点です。2020年4月には,非正規雇用の女性約108万人が職を失っています。コロナ禍の雇用への影響は女性に顕著に表れました。そして,女性の非正規雇用労働者数が減少した時期に遅れて自殺者数が増加している。この強い相関も明らかになっています4)。
金 非正規雇用者の解雇と女性の自殺,両者の関連を念頭に置いた対策が必要になるでしょう。女性の自殺者数の増加は,有名人の自殺報道の影響もあったとみてよいでしょうか。
本橋 そうですね。7月下旬の男性俳優の自殺によるウエルテル効果は1週間,9月下旬の女優の自殺報道後は1~3週間程度,統計学的に有意な増加が認められました5)。実際,10月に増加した自殺者数に占める女性の割合も高く出ています。ウエルテル効果には不況や雇用環境の悪化といった背景要因効果(background effect)があり,雇用問題で自殺のハイリスク集団となった女性が,有名人の自殺報道にさらされたことで自殺が誘発されたと考えられます。
金 個人を取り巻く雇用環境や報道の影響など,複合的な要因が相互に影響しながら自殺者数の増加につながっていることがうかがえます。
本橋 雇用環境の影響を念頭に置かないまま自殺の原因を報道の影響にのみ求めてしまうと,問題の本質を見誤りかねません。包括的な対策と支援が必要です。
金 自殺の男女差の関連では,女性の自殺者増加には外出自粛やリモートワークでDVの増加があると一般に考えられています。コロナ禍のDVの関連はデータに表れていますか。
本橋 緊急事態宣言が出された昨年のDV被害の相談件数は過去最多を更新しました6)。しかし,DV件数の増加が自殺者数に及ぼす影響との関連は,現時点で確定的な見解を示すのは難しいと思われます。政府の出すDVの相談件数によると4~5月は増えた一方,自殺者数は抑えられているからです。
金 パンデミック初期に起こった社会的不安仮説の動きと重なっていますね。
本橋 はい。ここで注意して見なければならないのは,DV相談件数の増加がDV発生数を真に反映した指標かわからない点です。
金 そうですね。DVの相談件数だけを指標に因果関係を見いだすのは難しいと思われます。社会的関心の高まりを受けて,積極的な相談の啓発が行われた結果として,相談件数が増えたのかもしれません。相談件数は,被害を受けながらも相談できるだけの余力がある被害者の実態を表しているとも言えます。DV被害者はまず自身の保護や逃避を考えます。それができずに,自殺に至ってしまう方は,こうした統計や診察の場では把握できないかもしれないわけです。
本橋 DVと自殺の関連は,データをさらに蓄積して検討する必要があるでしょう。
データに基づくコロナ禍の自殺対策検討を
本橋 自殺に至る要因にはさまざまなファクターが絡みます。そのため自殺者数も,予測のつかないダイナミックな変動を来します。本邦の自殺対策には自殺対策基本法や自殺総合対策大綱で示された「生きることの包括的支援」の充実に向けた迅速な対応が不可欠です。
そして患者のメンタルヘルス問題にかかわる医師は,ステレオタイプ(固定観念)に基づく思考に陥らないよう注意が必要でしょう。現場の精神科医,あるいは患者の身近な存在であるかかりつけ医は,まず何から心掛ければよいでしょうか。
金 基本に戻って患者さんにじっくり向き合い,今苦しんでいる症状や生活の困難について地道に話し合うことだと思います。そして医師をはじめ専門家は,前向きなメッセージを発し続けることが必要と感じます。「コロナの状況だから悪くなるのは仕方がない」とか「コロナだから皆,具合が悪くなる」といったネガティブな情報を伝えないことです。
本橋 医療者によるポジティブ・メンタルヘルスが大切になりますね。
金 そうです。ここで興味深い研究を一つ紹介します。心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防的改善策として被害の直後に心理教育を行うと,かえって抑うつ症状や不安症状が現れることが示された研究です7)。メンタルヘルス問題の注意喚起は,やり方を間違えると人々の不安を増幅させることにもなる。本研究を基に私は注意を促しています。
本橋 因果関係の判然としない意見や,DSM分類にもない「コロナうつ」という言葉の使用は十分注意を払わなければなりません。私たち専門家はコロナ禍での常識が試されていると思うのです。
金 おっしゃる通り「コロナうつ」のように全く新しい概念を使うことは自重すべきです。一過性の不安や抑うつ症状の多くは可逆的に回復するものであり疾患扱いすべきでないということが,災害精神医学の領域では既に国際的なコンセンサスとなっています。
人間には他人を思いやる心があります。ですから人々の心の動きについて,「きっとこうに違いない」と考えがちです。それが相手を助ける行動に結びついたり,相手からフィードバックがもらえたりすれば良いのですが,一方的な情報発信になってしまうと,個人的な思いやりが社会全体としては意図しない形で受け止められてしまう場合があります。先入観に基づく見解の発信に気を付けながら,エビデンスに基づく常識的な概念に立ち返って患者さんを支援するべきでしょう。
本橋 「人間は見たいものしか見ない」というカエサルの言葉があります。自戒を込めて言うと,経験したことのない社会的状況では何か新しい解釈をしたくなるものです。科学的根拠の希薄な主張が独り歩きしないよう,データに基づいた視点から自殺対策を考えなければなりません。
(了)
*出席者の発言はあくまでも研究者としての個人的見解を示したものである。
参考文献・URL
1)警察庁,厚労省.令和2年中における自殺の状況.2021.
2)WHO, et al. Social Stigma associated with COVID-19. 2020.
3)本橋豊,他.COVID-19パンデミック下の社会的不安(collective anxiety)が自殺率に及ぼす影響に関する実証的研究.自殺総合政策研究.2020;3(1):7-14.
4)Motohashi Y, et al. Increase in Suicide during the COVID-19 Pandemic in Japan:Possible link between Contingent Employment and Suicide by VAR Time-Series Analysis. Suicide Policy Research. 2020;3(1):3-8.
5)厚生労働大臣指定法人いのち支える自殺対策推進センター.コロナ禍における自殺の動向に関する分析(緊急レポート)(2020年 10月21日).2020.
6)警察庁.令和2年におけるストーカー事案及び配偶者からの暴力事案等への対応状況について.2021.
7)Br J Psychiatry. 2005[PMID:15994575]
本橋 豊(もとはし・ゆたか)氏 厚生労働大臣指定法人 いのち支える自殺対策推進センター センター長
1980年東京医歯大医学部卒 ,同大大学院医学研究科修了。秋田大医学部教授・医学部長などを経て2016年国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所自殺総合対策推進センター長。20年より現職。09~10年内閣府本府参与。専門は公衆衛生学,地域における自殺予防。秋田大自殺予防研究プロジェクトの中心となり,秋田県の自殺予防対策にかかわった。
金 吉晴(きん・よしはる)氏 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 所長
1984年京大医学部卒。95年英ロンドン精神医学研究所在外研究員を経て,2002年国立精神神経医療研究センター成人精神部長,19年より現職。PTSDの病態解明と治療法開発,自然災害における心理対応などに取り組む。96年の在ペルー日本国大使公邸人質占拠事件での医療活動に対して07年厚労大臣表彰。日本トラウマティックストレス学会理事・編集委員長など役職多数。
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