医学界新聞

東日本大震災から10年,あらためて考えたい

対談・座談会 森野 一真,小井土 雄一,坂元 昇

2021.03.01 週刊医学界新聞(通常号):第3410号より

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 大規模災害の発生時には,医療・保健・福祉の3領域からの迅速な支援が求められる。その障壁となるのが各領域を司る機関や専門職が異なることによる「縦割り」だ。実際に2011年3月11日の東日本大震災では「被災者の命を助ける」災害医療と,「被災者の生活を守る」災害保健・福祉の連携面において深刻な課題が顕在化した。以降,医療・保健・福祉の一体化に向けた議論が活発化し,それを反省材料として16年の熊本地震や18年の西日本豪雨では連携強化がなされてきた。

 東日本大震災から10年,災害時における医療・保健・福祉の状況はどう変化したのか。3領域全体を調整する災害医療コーディネーターとして活動しながら,全国で災害医療を担う人材育成研修を実施する森野氏を司会に,来る災害に備えて3領域の連携を見据えた議論が交わされた。

森野 災害時,被災者への支援は一つの領域だけでは完結しません。発災直後の救命を目的とした支援だけではなく,災害後の生活を見据えた中長期的な支援を実現するには,災害コーディネーターの支援の下,医療・保健・福祉の3領域が一体となったセーフティネットの構築が不可欠です。本座談会では,災害医療領域からDMAT(Disaster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)事務局長の小井土先生,災害保健・福祉領域から川崎市健康福祉局医務監の坂元先生にご参画いただきました。東日本大震災から10年,この間3領域の一体化はどのように進んだのか,話し合いたいと思います。

森野 まずは東日本大震災当時の状況を振り返ります。東日本大震災の時点では災害医療・保健・福祉の一体化は進んでおらず,各領域で体制が整えられている段階でした。その中で最も早くから整備されたのが災害医療です。東日本大震災において災害医療がどのような状況だったのか,小井土先生からお話しください。

小井土 東日本大震災は,1995年の阪神・淡路大震災から16年間掛けて作り上げられた日本の災害医療体制が試される出来事でした。阪神・淡路大震災では,急性期から活動する医療チームの不在によって初動が遅れた結果,平時の救急医療が提供されていれば救命できたはずの「PDD(preventable disaster death:防ぎ得た災害死)」が発生したのです。1人でも多くの命を助けるべく,課題解決のための議論が重ねられました。そして阪神・淡路大震災から10年目の2005年には,発災直後から48~72時間の超急性期から活動するDMATが創設されました。東日本大震災では,DMATは383チーム,1852人の隊員が出動し1),医療活動に従事しました(写真1)。

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写真1 花巻空港SCU(航空搬送拠点臨時医療施設)で災害医療活動を行うDMAT(DMAT事務局提供)
沿岸地域で救出した患者をヘリコプターなどで花巻空港に搬送し,そこから各病院への割り振りを行った。

森野 阪神・淡路大震災の教訓が生きた大きな進歩と言えますね。一方,東日本大震災で新たに見えてきた課題は何でしょうか。

小井土 2点あります。1つ目は医療ニーズの正確な把握ができなかったこと。これまでDMATは,阪神・淡路大震災の経験を踏まえて外傷患者の救命に注力してきました。しかし東日本大震災では被災者の死因の9割が津波による溺死であり2),救命治療を必要とする負傷者が少ない状況でした(3, 4)。そのため外傷よりも災害急性期以降における慢性疾患の増悪や循環器系疾患,感染症,低体温症などの内因性疾患への対策に多くのニーズが生じました。これは災害医療に保健や福祉の視点が不足していたために起こった課題です。

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 阪神・淡路大震災と東日本大震災の比較(文献3,4をもとに作成)

 2つ目は時間的・空間的な医療提供に空白が生じたことです。東日本大震災では被害地域が広大であり,また交通網も寸断されました。そのため,急性期医療を担うDMATがその後の医療を担う一般医療救護班へとシームレスに引き継げなかったのです。

森野 この10年間で災害医療は大きく前進した一方で,新たな課題も明らかになりました。

 医務監として長く保健医療福祉行政に携わってきた坂元先生は,東日本大震災における保健・福祉活動をどう分析していますか。

坂元 「被災者の命を助け,生活を守る」災害医療・保健・福祉支援の連携体制の不十分さがあらわになりました。特に被災地で起こっている保健・福祉に関する的確な情報が県対策本部に伝わらず,現場との認識に齟齬が生じたのです。その結果,避難所の居住環境や食事など,公衆衛生への支援が行き届かず,避難生活に伴う既往症の悪化や生活不活発病からのPDDが発生しました。

森野 阪神・淡路大震災でも少なからず同様の反省がなされていたと思います。なぜ支援体制は整備されてこなかったのでしょうか。

坂元 災害医療は国が主導してDMATなどの制度整備を進めてきましたが,災害保健・福祉は「国ではなく自治体が提供する活動」として認識されているからだと私は考えます。また,被災者の保護などを目的とする災害救助法の指揮権限が,医療のみ都道府県知事にあることも影響していると思います。

 自治体が提供する活動である以上,災害が発生して自治体の行政機能が麻痺すると,保健・福祉活動は滞ります。東日本大震災では津波によって保健所や市町村の機能が大幅に低下し,こうした課題が顕在化しました。

森野 ここまで,東日本大震災当時における医療・保健・福祉の連携状況を振り返ってきました。現場レベルでは災害時に3領域を一体化してマネジメントすることの重要性を痛いほど理解しています。しかし国レベルでは,東日本大震災を経ても制度の整備が追いつかない状況が長らく続いてきました。

小井土 そうした状況にメスを入れるターニングポイントとなったのが,2016年の熊本地震です。熊本地震では,DMATの活動を引き継ぐ形でADRO(Aso Disaster Recovery Organization:阿蘇地区災害保健医療復興連絡会議)(写真2)が設置されました。地元の保健医療職や消防・警察・自衛隊らが連携を取り,急性期後の医療・保健救護体制の復興に当たったのです。

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写真2 阿蘇医療センターにて多職種で会議を行うADRO(2016年4月24日,熊本県阿蘇市)(DMAT事務局提供)
ADROでは医師や保健師,薬剤師,リハビリテーション専門職,保健所,警察消防,自衛隊などが連携を取った。被災地の保健医療ニーズなどの情報収集や保健医療支援資源の分配調整などの活動を行い,被災者の二次的健康被害の防止に努めた。

 これを受け,17年には大規模災害時に派遣される医療・保健スタッフを一体としてマネジメントする体制構築を求める通達5)が厚労省から発出されています。流れは変わり始めました。

森野 18年の西日本豪雨でも,岡山県倉敷市に医療と保健を調整する会議が設置されました。医療・保健の支援関係機関や団体の情報集約・調整を担うなど,3領域が一体化する機運が高まってきましたね。

坂元 ええ。その他にも,被災した行政のマネジメント業務を支援するDHEAT(Disaster Health Emergency Assistance Team:災害時健康危機管理支援チーム)は,18年に厚労省から活動要領が発出されました。東日本大震災以降に整備が進められてきたDHEATは,公衆衛生医師,保健師,事務職員などを基本としたチームで活動します。同年7月の西日本豪雨では倉敷市などに初めて派遣され,医療活動と保健活動の架け橋を担いました。

 一方,DHEATの制度構築はまだ道半ばです。DHEATは今後,派遣先で行政のマネジメント業務を幅広く支援することが期待されています。その役割を十分果たすには,厚労省など行政機関の中枢部に事務局を設置する必要があるでしょう。

森野 福祉領域では,避難所などで福祉サービスの提供や連絡調整を担うDWAT(Disaster Welfare Assistance Team:災害派遣福祉チーム)が自治体単位で発足しています。DWATは介護福祉士,社会福祉士などの福祉専門職から構成されます。先述の倉敷市の会議ではDWATも支援に参加して避難者からの聞き取り調査を実施し,医療チームや保健チームと情報を共有しました。

 とは言え,医療と保健の連携が進みつつある一方,福祉活動の多くはいまだに自治体や民間に委ねられています。熊本地震以降,医療・保健・福祉の一体化の流れは加速しているものの,シームレスな連携体制の構築にはまだ時間が掛かるでしょう。

森野 続いて議論したいのは,都道府県から任命され,災害時に医療・保健・福祉の多職種連携や情報集約などを支援する災害医療コーディネーターの在り方です。災害医療コーディネーターは阪神・淡路大震災を受けて1996年に兵庫県で制度化され,その後各地で導入が進められました。そして熊本地震以降の医療・保健・福祉一体化の中で,より効果的な運営を行うために災害医療コーディネーターの活動要領が2019年に厚労省より発出されています6)。災害医療コーディネーターには,平時から都道府県の医療提供体制に精通していること,災害対応を担う機関と連携を構築していることが求められます。

 災害時には災害医療コーディネーターによる人的・物的資源の調整が大切になります。支援物資を効果的に現場に配分するためには,マネジメントに長じた災害医療コーディネーターが取りまとめる必要があるからです。そこで私は,災害医療コーディネート体制として,市区町村層,二次医療圏層・指定都市層,都道府県層の三層構造モデル()を提示しています。熊本地震では災害医療コーディネーターが情報の分析や適切な資源分配を担い,三層構造がうまく機能しました。

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 災害医療コーディネートの三層構造モデル(森野氏作成)
市区町村が必要とする資源を補給するには,不足する資源や被災状況を都道府県が把握する必要がある。しかし被災した市区町村が広範囲にわたる場合は都道府県のみで被災状況の把握が難しい。そのため二次医療圏や指定都市ごとの集約を経て,都道府県が情報収集を行う。その際,各階層の災害医療コーディネーターが相互に連絡を取り合い,情報集約や資源配分を支援する。

小井土 現在の災害医療コーディネート体制は,ほぼこの三層構造モデルに基づいて効率的に運用されています。しかしこの体制の実施が完全には標準化できていない状況です。二次医療圏では保健所管轄地域や学校区などさまざまな区分けが混在し,支援時に重複や空白が生じます。二次医療圏や市区町村など細かい区分になるほど地域ごとの特性も異なる。個別化と標準化をどう両立させればよいのでしょうか?

森野 現実的には厳密な標準化は難しく,ある程度の幅が必要でしょう。私は「易しい標準化」がポイントになると見ています。そもそも標準化の基礎となる二次医療圏は,医療提供体制や交通事情,人口や面積などさまざまな要因を勘案した流動的な位置付けです。そこで鍵を握るのが,災害医療コーディネーターとなる医師です。災害医療コーディネーターは二次医療圏単位の厳密な標準化ではなく,災害で得た実践知の共有をめざすべきです。具体的には,災害医療コーディネート体制のイロハを自治体の災害担当者に知ってもらう「易しい標準化」の研修実施が挙げられます。

坂元 自治体の定期的な人事異動で,継続性を必要とする災害担当者の実践的な知識の担保が難しい中,災害医療コーディネーターは地域の災害支援において大きな存在感を持ちますね。災害時には行政機能が大幅に低下し,自治体のみで医療・保健・福祉の広範な領域をマネジメントすることは困難になります。そのため,自治体の災害担当者は災害などの法制度の運用について専門知識を備えておくこと,その上で災害医療コーディネーターが情報収集や各種チームのマネジメントを担い自治体を支援すること。この2点が災害医療コーディネート体制を構築する上で大切です。

森野 現状,災害医療・保健・福祉の調整は災害医療コーディネーターが担っています。保健・福祉領域でのコーディネート体制はまだ整備されていないためです。しかし全体を俯瞰して調整する,よりよいマネジメントを実現するためには,災害保健・福祉それぞれにおいてコーディネート体制を整備することや,3領域をまとめてマネジメントする体制構築が必要だと私は考えています。

小井土 同感です。そして広範な3領域のマネジメントで重要なことは,平時における地域のBCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)策定だと思います。BCPは医療機関単体ではなく,地域全体で策定することが必要です。災害のような有事に備えるには,平時からの地域における連携が不可欠だからです。

 連携には,平時のシステムとして構築が進められている地域包括ケアシステムをベースに,有事に医療・保健・福祉を切れ目なく提供する「地域包括BCP」を策定することが望ましいでしょう。2018年7月の西日本豪雨で大きな被害が出た岡山県倉敷市で検討が進められている,倉敷市地域包括BCPは好事例です。

 災害時に一つの医療機関でBCPが機能しているからといって,膨大な負荷が集中すればすぐに機能は麻痺します。患者の搬送や診療場所の確保などは困難になるでしょう。災害医療コーディネーターは地域包括BCPの考え方を念頭に置いて,自治体に対して災害時に取るべき行動が提言できるよう備えたいですね。

坂元 私も地域包括ケアシステムに災害の観点を持ち込むことは今後重要だと考えており,自治体にとって喫緊の課題です。さらに言えば,行政が地域包括ケアシステムを構築するのに合わせ,われわれ保健医療者側も地域包括ケアシステムにBCPのマインドを備えることが不可欠です。

小井土 災害に備えて地域包括BCPを策定し,医療・保健・福祉の3領域が連携を強化することで,地域全体の復興や回復――いわばレジリエンス向上につながります。医療・保健・福祉関係者が「自分たちの地域を自分たちで守る」意識を持つことも大切です。

森野 災害に立ち向かう上で,国が主導する制度構築が必要なのは言うまでもありません。しかし災害大国日本では,平時からの地域における医療・保健・福祉の連携強化がそれ以上に重要でしょう。

 東日本大震災から10年間で3領域の連携は進みつつあります。しかし今回議論してきたように課題はまだ残っています。災害時に一人でも多くの命を救い,その後の生活支援へとつなげるために,災害医療・保健・福祉の一体化をさらに進めていきたいですね。

(了)


1)小井土雄一,他.厚労科研 東日本大震災急性期における医療対応と今後の災害急性期の医療提供体制に関する調査研究(研究代表者 小井土雄一).2012.
2)警察庁.東日本大震災と警察.2012.
3)総務省.令和2年版 消防白書.2021.
4)内閣府.阪神・淡路大震災教訓情報資料集【02】人的被害
5)厚労省.大規模災害時の保健医療活動に係る体制の整備について.2017.
6)厚労省.災害医療コーディネーター活動要領.2019.

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山形県立中央病院 副院長/救命救急センター長

1985年山形大医学部卒。山形市立病院済生館などを経て2000年に山形県立救命救急センターに入職。12年より現職。東日本大震災では石巻圏合同救護チーム支援などを行った。12年より災害医療ACT研究所を設立し,全国で災害医療コーディネート研修を実施している。

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国立病院機構本部DMAT事務局長/厚労省DMAT事務局長

1984年埼玉医大卒。97年日医大病院高度救命救急センター講師・医局長を経て2008年国立病院機構災害医療センター臨床研究部長。09年同センター救命救急センター長,10年厚労省医政局災害医療対策室DMAT事務局長を併任。20年より国立病院機構本部DMAT事務局長。編著に『多職種連携で支える災害医療―身につけるべき知識・スキル・対応力』(医学書院)他多数。

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川崎市健康福祉局 医務監/川崎市立看護短期大学長

1978年横浜市大医学部卒。博士(医学)。阪大医学部助手,仏リヨン神経病院で研修,山口大医学部助教授,米ニューヨーク大医学部,ファイザー株式会社臨床統括部長などを経て95年より川崎市の保健所に勤務。06年より川崎市健康福祉局医務監を務める。16年より川崎市立看護短大教授,17年より学長に就任。専門は「災害時の法制度の運用について」。

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