医学界新聞


日本版ホスピタリストが挑む診断の質改善

対談・座談会 徳田 安春,加藤 良太朗,綿貫 聡

2020.03.02



【座談会】

“誤診”はなくせるのか?
日本版ホスピタリストが挑む診断の質改善

徳田 安春氏(群星沖縄臨床研修センター長)
加藤 良太朗氏(板橋中央総合病院院長)
綿貫 聡氏(多摩総合医療センター救急・総合診療センター医長)=司会


 臨床医として現場に立つ上で,診断に関するトラブルは嫌でもついてまわる。致死的疾患の診断遅延,患者への説明漏れ,検査結果の伝達ミス,誤った診断名を付ける,疾患の見逃し……。こうしたトラブルを防ぐことはできないのだろうか。

 『「誤診」はなくせるのか?――実践知としての診断エラー学の世界』(医学書院)では,診断のトラブルを防ぐための方策が脳科学や行動経済学など学際的な視点で検討されている。本書のタイトル「“誤診”はなくせるのか」をテーマに,医療安全と診断エラー学の視点から徳田氏,加藤氏,綿貫氏が議論した。


綿貫 「“誤診”はなくならないのか」。がんの見落としなどが報道されるたびに上がる声です。ところがこの“誤診”という言葉は,どの立場から見るかによって意味がかなり違ってきます。

加藤 おっしゃる通りです。例えば,世間一般と医療界では“誤診”の認識が異なります。誤診にまつわる有名なエピソードですが,東大名誉教授の故・沖中重雄先生は,臨床診断と剖検の比較から自らの誤診率を14.2%と発表しました。そのときの新聞記事によると,「患者はその確率の高さに驚き,医師はその低さに驚いた」そうです。

徳田 世の中の多くの人は医療を完璧なものだと思っているためでしょう。医師の卵でさえ,医学は完全な学問,診断は必ず付くものだと思わされています。臨床実習が始まったばかりの医学部4年生に「診断が付かないケースがあるなんて驚いた」と言われ,むしろ私が驚いたことがあります。

加藤 医学教育に限らず受験勉強など,大学に行くまで答えが用意された環境でわれわれはずっと勉強します。このことも「医学は必ず正解に導かれるべき」との認識につながっているような気がします。

綿貫 診断の不確実性の共有が不十分なために,患者さんから見れば,「経過が悪ければ誤診」になりやすいのでしょう。では,医療者の視点では“誤診”という言葉をどのように用いているのでしょうか。米ニューヨーク州弁護士としての経験もお持ちの加藤先生,お願いします。

加藤 世間的にいう“誤診”は,標準的な医療,あるいは期待される医療が提供されなかったものとして理解されることが多いと思います。つまり主観的なのです。これに対して医療者にとっての誤診とは,沖中先生が指摘したような臨床診断と実際の診断,あるいは病理解剖の結果が異なるという客観的な事実です。過誤の有無とは無関係です。

徳田 誤診に関連して,うまく診断できなかった事例を検討する診断エラー学では,診断エラーを「患者の健康問題について正確で適時な解釈がなされないこと,もしくは,その説明が患者になされないこと」と2015年に定義しました1)。医療者がカルテに診断を書き残せばよいのではなく,患者への説明が一層求められています。

診断はゴールではなくプロセス

綿貫 言葉の整理ができたところで,今回のテーマ「“誤診”はなくせるのか」について考えていきましょう。

加藤 その問いには,「“誤診”はなくすべき」という前提がありますが,果たしてそうでしょうか。私は,客観的な事実に基づく誤診については,近年の医学の目覚ましい進歩を見ても,なくせる日が来ると考えます。ただ,何事も対価を伴います。診断の精度を上げることを必ずしも望まない患者もいます。例えば高齢の患者さんに「恐らくがんがあるので,検査して診断しましょう」と伝えても「概ねがんだと思われて,ステージも進行しているなら何もしなくてよい」と言う人がいます。侵襲的な検査を繰り返してでも正確な診断を求める人も中にはいるでしょうけれど,科学的に正しい診断を全員に付ける必要はないのかもしれません。

綿貫 診断はゴールではなく,治療方針決定につなげるためのプロセスです。方針が結局変わらないのであれば,どこまで検査をして診断を付けるかは,患者さんと話をして折り合いを付けるべきです。

 もう一方の,医療過誤のニュアンスに近い誤診については裁判につながる恐れがあります。この誤診はなくなることが望ましいですね。

加藤 ごもっともです。世間的にいう医療過誤のような“誤診”は当然なくすべきです。ところがこちらの“誤診”はなくならないかもしれません。人間は必ずエラーを起こしますから。

徳田 そうですね。SMDM(Society for Medical Decision Making)という医療判断の数理的評価を試みる学会の中で,医療判断は計算通りにいかないと指摘する人が2012年ごろから出てきました。そうした流れの中で,当初は部会として設立された国際診断エラー会議(Diagnostic Error in Medicine International Conference)の中心人物らがまとめた書籍『Diagnosis:Interpreting the Shadows』(CRCプレス,邦訳『「誤診」はなくせるのか?』)では,「診断は確実なものではなく,我々の理解とスキルも完全ではない」と記されています。

加藤 だからこそ私は,「『誤診はなくせない』と思わないと誤診をなくせない」と思うのです。「間違えた人が悪い」,「診断は誤らないものだ」との認識では,真に“誤診”をなくすための取り組みにつながりません。

徳田 M&Mカンファレンスを開いても犯人探しの場になっている現状もありますね。

加藤 はい。ですから発想を転換して,誤診はなくならないからこそ,少しでも減らすために自由に意見を交わし,診断精度の向上や標準的な医療を担保できるシステム作りにつなげるべきなのです。

綿貫 “誤診”をなくすことが厳しい現状の中で診断の質をどう改善していくか。腰を据えて取り組むべき課題だと強く思います。

自身の診断特性を言葉で振り返る

綿貫 私たちはどのようにすれば,“誤診”を減らしていけるでしょうか。近年興隆を見せる診断エラー学では,うまく診断できなかった事例を分析し,診断に影響を及ぼす要因と診断力向上のための対策が検討されています。診断エラー学の視点から徳田先生が考える方策を教えてください。

徳田 自身の診療の振り返りが大切です。そのためには患者さんのフォローアップが必要です。例えば軽症の市中肺炎と診断して経口抗菌薬を処方。3日後に予約を取っていたのに来なかった。No showです。そしたら心配じゃないですか。

加藤 来なかったのか,来られなかったのかわかりませんからね。

徳田 そうしたとき,患者さんに電話をかけてでも患者のアウトカムを把握することが有効です。アウトカムを未知のまま残さずに,自身の診療に対するフィードバックを行うべきです。

綿貫 電話回診によって診断を含めた方針を再考する機会が得られ2),診断の質改善につながるでしょう。診療報酬にも計上できる利点があります。

徳田 そうして把握した患者さんの経過から,自身の診療をcalibration(較正)します。医師が行うべきfeedback sanctionです()。よい経過をたどっていたら自分の臨床判断は適切だったと,同様のケースを見る際の指針になります。逆に好ましくない経過であればre-calibrationできます。Re-calibrationは自分自身の診療の反省であり,見直しです。オスラー先生の言葉でいうと道徳的壊死の切除(moral necropsy)。診療におけるエラーを起こした認知の誤りを特定して切除すべき,という比喩的表現です。オスラー先生は誤診を道徳的壊死と見なしていたのです。

 医師が行うべきfeedback sanction(文献3より改変)
患者アウトカムを把握し,よい経過をたどった症例は同様のケースを見る際の指針にする。反対に好ましくない経過をたどった場合は診療の反省と見直しを行う。このように自身の診療をcalibrationすることで次の診療を改善する。

綿貫 本紙「ケースでわかる診断エラー学」の連載では,cognitive autopsyという原因結果分析手法を紹介しました(第5回・3322号)。診断にトラブルが発生したと思われる段階で個人レベルの振り返りを行い,意味あるフィードバックを得ることが目的です。個人で行えるため,M&Mカンファレンスほど大々的に振り返る必要がないケースにも有効です。Cognitive autopsyでは陥ったピットフォールを表現する言葉として認知バイアスに言及しています。言葉を知っているからこそ,その概念を認識して自省できます。

 例として『「誤診」はなくせるのか?』内のアセチルサリチル酸の空き瓶を持って...

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