尊厳死とアドバンス・ケア・プランニングをめぐるフランスでの国民的論争から(奥田七峰子,森田達也)
寄稿
2019.07.29
【寄稿】
尊厳死とアドバンス・ケア・プランニングをめぐるフランスでの国民的論争から
奥田 七峰子(日本医師会総合政策研究機構フランス駐在研究員/医療通訳)
2019年5月13日,仏国ランス大学病院に入院中のヴァンサン・ランベール氏(42歳)の医師団は,氏への延命治療(水分と栄養)の中止と「深い鎮静」の開始を発表した。
2008年の交通事故から十年以上植物状態ではありながらも脳死ではなく,目も開き反応もある氏に対する延命治療継続を求める両親側と,治療の中止を求める妻側の間で法定内外で争いが続けられてきた。
実は,この十年の間に,既に2回延命治療停止が法廷で決定されている(行政裁判の最高裁に当たる国務院,欧州人権裁判所)。この決定を不服としたランベール氏の両親とその支援団体は,国連障害者人権擁護委員会に提訴。国連による仏国への介入に最後の望みを託した。
国連の決定を待たず開始された,冒頭で紹介した治療中止と「深い鎮静」に対して,両親は各メディアを通して病床の氏の姿を動画配信。両親から介入を求められたマクロン大統領は,医師団の決定に従うと表明した。治療中止が開始されたまさにその夜,パリ控訴院が,国連の決定を待つ間の延命治療継続を命令。折しも,同時期に開催された欧州議員選挙の候補者ディベートで取り扱われる等のタイミングも重なり,仏国は国全体を挙げての“人生会議”となった。
最終的には,6月28日仏最高裁の治療中止の決定を受け,7月2日より治療中止・深い鎮静の開始。9日後の7月11日,ランベール氏は亡くなった。
日本の皆さんは,「なぜ国民総出でそこまで議論するのか?」と思うかもしれない。デカルトにサルトル。仏国人は,社会問題を哲学することが大好きな国民である。高校卒業時のバカロレア大学入学資格試験では全員,哲学が必修の国である。高校以上の教育を受けた人たち,いやそれ以外の人も, 死生観に大いに興味をそそられる2週間となった。
現地の市民,医療者はどう考えた?
医療者だけでなく広く仏国人の考えを聞きたく,人と会うたびに今回のランベール氏の件とアドバンス・ケア・プランニングについての意見を聞くようにしてみた。興味深かったのは,非医療者ほど,「無駄な治療」や「医療費の無駄使い」「いくら国民の負担になると思うのか」と医療経済的な視点で話したことだ。こうした発言は,かなりの本音トークになっても,医療者からは見事に一切聞かれなかった。恐らく,彼らの職業倫理や受けた教育がそれを許さなかったのであろう。
一方医療者に多かったのは,「延命治療を続けたいのは私たち医師だと言われるが,現場では家族から求められるケースが多い。彼らは延命治療を受ける権利を主張する」との発言である。
ランベール氏の両親が属する保守的カトリック(中絶やLGBTの権利にも反対の立場を取る人が多い)に対する批判も多く聞かれた。とはいえ信仰の自由は保障されているため表立っての批判は難しく,日本で報道されることはなかったのだろう。実は,この部分がランベール裁判の真の争点である。
しかしながら医療者・非医療者とも,異口同音に「これが90歳くらいの高齢者だったら,逝かせてあげたい」と言う。高齢者に対する積極医療中止には,社会全体で合意形成ができているようであった。
持続的な深い鎮静は苦痛緩和か,それとも安楽死か
ここで,仏国における緩和ケアを取り巻く動静について振り返りたい。1990年1月,仏国内初の緩和ケア・終末期ケアをサポートする仏国緩和ケア学会SFAP(Société Française d’Accompagnement et de Soins Palliatifs)が有志の医師らを中心に設立された。2010年には国立終末期観察局(Observatoire National de la Fin de Vie)が設立され,これを継ぐ形で2016年1月,国立終末期緩和ケア・センター(Centre national des soins palliatifs et de la fin de vie;CNSPFV)が創られ,本部がパリ市内に置かれた。
CNSPFVは「Parlons la fin de Vie(話し合いませんか? 私たちのエンド・オブ・ライフ)」と題したキャンペーンを全国津々浦々繰り広げ,勉強会・ディベートを通してアドバンス・ケア・プランニングの必要性について,国民に向けて啓発活動を広げた。この30年間を振り返ると,最初は緩和ケア病床の圧倒的な不足から受皿数を増やす量的支援活動が進んだ。その後,現在はむしろ質的支援が活動の中心となってきたように見受けられる。
この間,重要な法律がいくつか制定された。例えば「情報開示・カルテ閲覧権」「インフォームド・コンセント」に代表される患者権利法が1995年に制定された。以降,生命倫理法の一部として,自身も医師であるジャン・レオネッティ議員の名が付いた終末期緩和ケア法のレオネッティ法が2005年4月に制定された。レオネッティ法のように議員名を冠した立法は他にもある。臓器移植のカヤベ法,
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