医学界新聞

寄稿

2019.04.08



【寄稿特集】

私の医学部浪人物語
医師をめざす人へのエール


 医学部入試は医師をめざす人が突破すべき第一関門です。昨年,複数の大学で浪人生に不利となる点数操作が行われていたことが明るみになりました。果たして,浪人はキャリアの足踏みやデメリットにしかならないのでしょうか。多様な経験が医師の仕事に活きることもあるはずです。

 本紙では,第一線で活躍する先輩医師に,浪人時代の印象深いエピソードを尋ねました。その中には,浪人したからこそ得られた経験や教訓もあるかもしれません。当時の思い出や苦労,諦めず挑戦し続けた理由とともに,受験シーズンを終えて再挑戦への一歩を踏み出す浪人生たちにエールを送っていただきました。

こんなことを聞いてみました
①医学部入学までの経歴と,医学部にこだわった理由
②浪人時代の印象深いエピソード
③浪人して良かったかも?と思うこと
④浪人生へのメッセージ

天野 篤 志水 太郎 大塚 篤司
原 良和 対馬 ルリ子 堀向 健太


カネなし,コネなし,3度目の正直

天野 篤(順天堂大学医学部心臓血管外科学講座主任教授)


①②自分ではそれほど自覚がなくても,大学に所属する医師として働いていると,最近は実に多様化した医師へのキャリアパスが存在することを知る。国内の医学部に進学することなく,東欧や中国などの海外医学部へ進学して医師をめざす学生も毎年数百人規模で存在することはよく知られている。

 今から45年前に3年間の浪人生活を過ごした身としては,当時,日本列島改造計画の一部として1県1医大構想が具体化されただけでも,「医師になる大きなチャンスが到来した」と,医学部受験へ大きくかじを切ったことを思い出す。しかも関東には私立の新設医大も多数出現したため,学力不足を棚に上げて,すでに当たりくじを引いたようなワクワク感を持って気楽な受験を繰り返していた。

 そもそも医学部をめざしたきっかけは,中学から高校の時に父と母が続けて入院生活を送り,母にいたっては胃潰瘍の診断で胃の手術を受けて回復したという経験が大きく影響している。同じ領域の消化器外科医を主人公にした『白い巨塔』の財前五郎は,未成年の立場からでも颯爽とした憧れを感じずにはいられないプロフェッショナルだった。この時代は高度成長期とはいえ,日本は全体的にまだ貧しかったように思う。医師となりこの貧しさから脱出するためには,学力で試験を突破するしかなかった。

 現役の時は国公立大学のみを受験。1浪目,2浪目には国公立大学の1期,2期と,新設医大を含めた私立大学を数校受験したものの,新設医大は1次試験に合格できたが,2次試験は補欠となり結果的に補欠の繰り上げは得られなかった。3浪目に,当時国公立大学の1期校と同一受験日程だったのが日本大学と東京慈恵会医科大学であり,国公立大学の1期校の受験を放棄し日本大学を受験して合格に至った。3浪目には予備校も通って,初めて通年で模擬試験を受けたりしたので,背水の陣だった。

 3年も浪人して大金をはたいて入学した日本大学医学部は,本当に勉強ができない同級生が半数以上で,「こんな連中のために足止めを食っていたのか」と,腹が立つよりあきれ返ったのをよく覚えている。それでも適当に勉強していれば成績は20~30位には位置していた。国家試験勉強を前にこのような問題ならば全問正解で突破しようという気になり,それまでの中で一番勉強したことを覚えている。結果,200問中194問正解で日本医事新報社の当時の模範解答よりも正解率が高かった。

③④浪人して入学し,卒業した日本大学医学部には本当に感謝している。たぶん私は学年の中で一番当時の教授陣とのコネがなく,貧しかったと思う。卒業謝恩会で両親があいさつできる教授は1人もおらず,場違いのパーティーに来られたことだけで喜んでくれた姿が痛々しかった。入学後のあきれ返った自分と謝恩会での惨めな両親の姿があったからこそ今がある。最後に一言加えれば,「浪人生活を良き時代と懐かしむためには,その後の人生の成功が必須である」ということだろうか。


挫折は最強のスパルタ軍兵士をつくる

志水 太郎(獨協医科大学総合診療医学講座主任教授)


①僕は6歳の時に出会った漫画『ブラック・ジャック』と野口英世の伝記をきっかけに,医師になると決めました。小さい時から決めたら実行するまでマシンのようにやり続ける性格なので,他は目に入らなかったです。高校の先輩たちが多く通っていた,また養老孟司に強く影響を受けたこともあり,東京大学医学部(理科III類)を受け続けましたが数学の点数が取れず3浪しました。3浪目の後期試験で愛媛大学医学部にどうにか入れていただきました。

②浪人時代は長い冬の戦いでした。2浪で受からなかった時,一度心が折れかけましたが,父からの「掲げた旗を降ろすな」という言葉で,もう一度立ち上がろうと思いました。

 3浪目で軸にしたのは,宮本武蔵の『五輪書』に倣って,無理しないで自然体でやることでした。2浪目までの1日15時間勉強から切り替えて,逆説的に勉強時間を減らし気分転換を増やしながら勉強をしました。当時家計も厳しかったため,いろいろなアルバイトをしました。建設作業員,ファッション関係,ファミレス,ガソリンスタンド,雑誌編集,家庭教師,カウンセラーなど(このへんの事情は著書『MMFたろう先生式医学部6年間ベストな過ごし方』に書きました),マルチタスクで逆に効率性が上がるだけでなく,さまざまな視点と視野,社会人としての責任感も副次的に身につきました。

 僕のキャリアはいつもそうですが,「もうだめだ……」からもう一歩前に進んでみると新しい展開が開けることが多いです。後輩たちにも役に立つかもしれません。

 浪人中の苦労? 夢を勝ち取る戦いなので,苦労している,とは思いませんでした。

③浪人して良かったのは,挫折した人の気持ちがわかることです。僕はその後も就職・資格試験でうまくいかなかった嵐のキャリアなので,挫折の痛みは人並み以上にわかると思います。

 また,メンタルストレスのいなし方と逆利用の仕方など,考え方次第で挫折が全て明日の武器に転じるという実感もあります。起こったことをプラスvs.マイナスのどちらに取るかは自分次第。コインの表裏です。

④浪人,いいんじゃない? と思います。現役が必ずしもベストではないです。むしろキャリアの早期で挫折したほうが良いと思います。挫折した分だけ最強に近づくと考えてください。イメージは映画「300〈スリーハンドレッド〉」のスパルタ軍兵士です。

 また,理不尽な挫折だとさらに良いです。理由がわからないだけに戦略を張り巡らせて到達点に向かう経験ができるからです。

 挫折したなら,夢を諦めなければ必ず,その挫折は意味があったと後でわかります。必ずです。だから掲げた旗を降ろさず進んでください。

 唐突ですが,東京ディズニーシーのアトラクション「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」は知っていますか? もし浪人したらぜひ乗ってください。このアトラクションは人気がないので,シーに行った日はぜひ5回ぐらい乗ってください。「浪人したらディズニーへ」です。つらい時,このシンドバッドのテーマ曲と言葉が勇気をくれると思います。

 迷ったら,下記にいつでも連絡くださいね。応援しています!

志水太郎:shimizutaro7@gmail.com

(メールを送る際,@は半角にしてご記入ください)


やる気スイッチは母のふとした一言

大塚 篤司(京都大学大学院医学研究科外胚葉性疾患創薬医学講座特定准教授)


①私は2年の浪人を経て,信州大学医学部に合格しました。数学や理科が得意だったため,高校では理数科に入ったのですがこれが失敗でした。理数科には,私のように「“自称”理数系が得意」なツワモノがそろい,あっという間に落ちこぼれになりました。人間いったん転がり始めると早いものです。次第に高校に行くのも嫌になり,遅刻・早退を繰り返し,隙あらば読書とゲームセンターで時間を潰す毎日となりました。こういうお話,甲子園球児でも聞いたことありますね。

②父親が緊急入院したのは高校3年生の春。その日も学校には行かず読書をしていた私は,玄関を勢いよく開ける音に驚きます。地域の運動会に参加していたはずの母親が開口一番,

 「お父さん,病院に運ばれた!」

 え? どういうこと? 気が動転して要領を得ない...

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