テニュアトラック制を活用するキャリア(吉永尚紀)
寄稿
2018.10.22
【寄稿】
テニュアトラック制を活用するキャリア
教育力だけでなく,研究力を鍛えたい若手看護研究者へ
吉永 尚紀(宮崎大学テニュアトラック推進機構(看護学系)講師)
次世代を担う若手研究者の育成は,看護学領域で優先して取り組むべき重要課題に位置付けられている。日本看護科学学会の2013年の報告によると,看護系大学に勤務する39歳以下の若手教員の約90%が全般的に研究活動に自信を持つことができていないという。また,仕事全体に占める研究活動の時間は平均で約15%と少なく,過去3年間に発表した査読付論文数は平均2.1件,筆頭著者に限定した場合は0.9件ほどと低調であった1)。
このような現状を踏まえ,日本学術会議の健康・生活科学委員会看護学分科会は2014年,看護学が今後,さらに深化・発展を遂げるための提言をまとめた。提言では,若手が研究に専念できる一定期間を確保する環境整備や支援策の重要性に加え,若手も受け身的に研究環境の改善を待つばかりでなく,研究者としてのキャリア構築を考える必要性が強調されている2)。
当時,看護系大学の教員をめざす大学院生だった筆者は,研究能力の開発途上にある,学位取得直後の段階で研究と教育を両立できるか不安を抱えていた。そのときに,研究活動に5年間専念できる「テニュアトラック制」という仕組みがあり,宮崎大が日本初となる看護学領域のテニュアトラック教員を公募することを知った。そこで筆者は,まずは研究力を磨くことを念頭に,博士号取得後のキャリアパスにこの制度の利用を選択した。
テニュアトラック制とは何か
優れた研究成果を上げた研究者の多くは,30代~40代前半にその成果の基礎となる研究を行っている(図1)。テニュアトラック制は,公正で透明性の高い選考により採用された若手研究者が,審査を経てテニュアポスト(註)を得る前に,任期付きの雇用形態で自立した研究者として経験を積むことができる仕組みである。欧米では若手研究者に研究室を主宰させながらテニュアポストの審査を行うこの仕組みが定着している。確固たる実績があればチャンスは十分にある。
図1 ノーベル賞(化学賞,物理学賞,生理学・医学賞)受賞者が,受賞のきっかけとなった業績を発表したときの年齢分布(1987~2006年)3) |
しかし日本では,看護学領域に限らず,若手が自立して活躍できる研究環境が整備されていないと指摘されてきた。そこで,文科省は2006年度からテニュアトラック制を日本に導入するモデル事業に着手し,2011年度から「テニュアトラック普及・定着事業」を開始した(図2,3)。細かな実施体制は各機関で異なるものの,2015年度までに全国で56の大学等がこの制度を導入し,461人が採用されている。
図2 テニュアトラック制の位置付け3) (クリックで拡大) |
図3 テニュアトラック教員を取り巻く環境 (文献3を参考に作成) (クリックで拡大) |
充実した環境がメリット
高いレベルの研究力と教育力の両方を求められる看護系大学教員をめざす若手にとって,テニュアトラック制を利用するメリットは3つある。1つ目はすでに述べた通り,研究室主宰者として自らの判断と責任の下,自立した環境で研究に専念できることである。宮崎大ではテニュアトラック教員を「自立させるが,孤立させない環境」をモットーに,学内外・専門領域内外のメンター教員が配置され,初めて経験する研究室運営等の助言を受けられる。筆者は,新任地での研究フィールド開拓や看護学科内外の教員との連携にメンター教員の支援を受け,円滑に研究活動を開始できた。資金面でも,大学から一定の研究資金が毎年配分される等のサポートを得られる。
2つ目は,教育経験を積める点である。看護学領域では,学部・大学院での講義や臨地実習等の教育経験も重視されるため,一定期間とはいえ研究への専念に不安を抱く若手もいるだろう。しかし,テニュアトラック制では,研究活動に費やす時間を60%以上確保することを前提に,教育活動にも関与できる。宮崎大では,採用2年目以降は教育活動に関与することを義務とし,高く評価される特色の一つである。
3つ目は,異分野の若手教員との交流である。宮崎大では,医療系以外に農学,工学,人文社会学と多様なテニュアトラック教員が採用されており,年に数回,日本語または英語で互いの研究を紹介し,意見交換する機会がある。異分野の研究者に自身の研究の魅力を伝える説明力が磨かれるだけでなく,分野を超えた共同研究に発展することもある。冒頭で紹介した日本学術会議の提言でも異分野融合による人材育成強化は重視され,人材確保策の一つにテニュアトラック制の活用が盛り込まれたことからも,異分野交流は若手に必要な経験とうかがえる。
採用以前に準備すべきこと
テニュアトラック制の利用を考える若手は,採用審査を受けるに当たってまずは一定の研究業績が必須となる。特に,英語の査読付論文が重視される。もう一つ大事なことは,採用後に自立した環境で自身の研究を推進し,研究者ネットワークを広げ,5年後に控える最終審査(テニュア審査)に耐え得る実績を出す準備が必要である。宮崎大では,最終審査の際に「研究業績」,「自立性(筆頭・責任著者としての論文数,研究費獲得状況等)」,「リーダーシップ(構築した研究者ネットワーク,セミナー等の企画運営等)」,「学生の研究指導・教育力」といった項目に従って評価される。審査項目からは,大学が育成しようとする研究者像が読み取れ,若手が身につけるべき,研究者としての能力・素養と考える。
これらの能力・素養は,テニュアトラック教員になれば自動的に備わるものではない。もちろんテニュアトラック制の中で飛躍的に磨かれる(鍛えられる)ものではあるが,若手自身,大学院在学中から意識し,育んでいく必要があるだろう。
*
日本看護科学学会の調査結果が示すように,看護学領域の若手の研究環境は恵まれたものではないかもしれない。しかし,近年では複数の看護系学会が若手向けのセミナー,研究者ネットワーク構築支援,研究助成などさまざまな支援策を実行している。テニュアトラック制だけでなく,2017年4月には東大に日本初となる看護学研究センター(グローバルナーシングリサーチセンター)が設立された。若手がキャリアの初期に研究に集中できる期間を確保する機会は,今後さらに広がる可能性もある。このような状況の中で,若手自身もチャンスを待つだけではなく,あらゆるチャンスを生かすために,研究者としてのキャリア構築を早期から意識し,着実に努力を積み重ねることが大事と考える。
註:テニュアポストとは,大学等の高等教育機関における安定雇用の専任教員(特任・非常勤などがつかない,教授,准教授,講師,助教など)のポストのこと。
参考文献
1)日本看護科学学会研究・学術情報委員会.若手看護学研究者の研究実施状況に関する調査報告書.2013.
2)日本学術会議健康・生活科学委員会看護学分科会.提言 ケアの時代を先導する若手看護学研究者の育成.2014.
3)文科省.科学技術人材育成費補助金 テニュアトラック普及・定着事業――若手研究者を育成するための自立した研究環境の整備を目指して.2012.
よしなが・なおき氏
2007年千葉大看護学部卒。宮崎大大学院医学系研究科看護学専攻修士課程修了,千葉大大学院医学薬学府博士課程修了。同大病院看護師,同大子どものこころの発達研究センター特任研究員,日本学術振興会特別研究員DC2,PDを経て15年より現職。看護学領域で初のテニュアトラック教員となった。看護師,保健師,認定認知療法士(米国)。専門は精神看護学および臨床心理学で,認知行動療法に関する研究に取り組んでいる。
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