この先生に会いたい!!(坂元晴香,後藤隆之介,渡邉真理子)
インタビュー
2018.10.08
【シリーズ】
この先生に会いたい!!
健康格差の問題に研究者として取り組む
坂元 晴香氏(東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻国際保健政策学分野 特任研究員・博士課程後期)に聞く
国際保健に興味はあるものの,実際に従事する人の話を聞く機会がない――。そんな悩みを持つ医学生もいるのではないでしょうか。変化が激しくロールモデルの少ない領域であり,キャリア選択の悩みは尽きません。国際保健分野で現在活躍中の若手研究者・坂元晴香先生も,かつてはそんな医学生の一人でした。これまで,どのような経験をし,キャリアを選択してきたのでしょうか。将来は国際保健分野を志す後藤隆之介さん(東大医学部6年)・渡邉真理子さん(看護師)の二人が聞きました。
後藤 私は学生のうちに現地に触れる機会をできるだけ得たいと考え,パレスチナの国連機関でのインターン,ミャンマーでのボランティア活動などを経験しました。国際保健において解決すべき課題は山積していますが,坂元先生は現在,どのような問題に取り組んでいるのでしょうか。
坂元 国際保健の領域は多様で,感染症や母子保健など特定の疾患に関する問題に取り組む人もいれば,途上国の制度改善や人材育成に取り組む人もいます。私の場合は後者に興味があり,具体的には途上国における健康格差とそれを生じさせる医療制度の問題に取り組んでいます。
後藤 なぜ健康格差なのですか。
坂元 途上国でも一等地になると富裕層向けの民間医療機関が充実し,住民の健康水準も日本と遜色ありません。一方,そのすぐ隣のスラム街では日本ではもう流行していないような病気が蔓延し,医療にアクセスできない人々がいます。先進国とは比べものにならないほどの健康格差が途上国にはあり,その是正に社会的意義を感じています。
渡邉 私も途上国の貧困や健康格差の問題に関心があり,看護学部卒業後は公衆衛生大学院への進学をめざして勉強しています。こうした問題の背景として社会的要因も大きいと思うのですが,医療者としてどのようなかかわりができるのでしょうか。
坂元 医療者の仕事は病気そのものを治すだけではなく,その患者さんが抱える生活背景・社会環境までみていくものだと思っています。その点に関して,日本には貴重な経験があります。
戦後の日本は結核が蔓延し平均寿命も短かったのですが,地域に保健所を整備して保健師を配置すると同時に,国民皆保険制度を創設した結果,短期間で長寿社会を実現しました。その過程においては医療従事者の果たす役割が大きかったのです。診療所で患者さんを診るだけでなく,地域住民が健康になれる環境整備を医療者が進めていった。これがまさに,私が選んだ道であり,渡邉さんが今後勉強する「公衆衛生学」の領域ですね。
最近では,「健康の社会的決定要因」の概念も知られるようになりました。所得や雇用環境,人的ネットワーク等の経済的・社会的要因も人々の健康を規定するというものです。国際保健に限らず,これからの医療者は健康の社会的要因まで思いをはせることが必要だと考えています。
国際保健への憧れと無力感,公衆衛生という選択肢
渡邉 先生は何がきっかけで,国際保健に興味を持ったのでしょうか。
坂元 小学校の道徳の授業でマザー・テレサやアルベルト・シュヴァイツァーの伝記を読み,「国際協力に携わりたい」と思ったのが最初です。国際協力なら外交官などの選択肢もありますが,医療のほうが実際に現地で人を助ける姿がイメージできて,小学生の私にはわかりやすかったのですね。そのころテレビで「国境なき医師団」の活動を観て,憧れるようになりました。
親としては途上国への興味はいずれ薄れるだろうと思ったらしく,医師をめざすことに反対されませんでした。そのまま地元の医学部に進学し,世界中の医学生が集まる国際医療サークルに入り,夏休みには東南アジアやアフリカの難民キャンプでボランティア活動です。念願がかない,「やっぱり国際保健だ!」と喜んでいました。
後藤 ご両親の予測は外れて(笑)。
坂元 ただ,やがて無力感を抱くようになりました。途上国支援は何十年も続いているのに,難民キャンプには現地の医療者が不足し,栄養状態の悪化を繰り返す貧困家庭の子どもがいる。なぜこうした状況が改善されないのだろうと思ったのです。
後藤 医師として現地で診療することの限界を感じたのですか。
坂元 もちろん,現地での診療活動は大切です。ただそれと両輪で,貧困や教育,医療制度そのものの問題を改善する必要性を感じたのです。その解決手段を多くの人と議論する中で,公衆衛生を知る機会がありました。そのころから,将来的に国際保健をめざすステップとして,厚労省や都道府県庁で公衆衛生実務に携わることを考えるようになりました。
渡邉 学生時代の経験がキャリア選択の視野を広げたのですね。国際保健をめざす上で,学生時代にやっておくべきことはありますか。
坂元 時間に余裕のある学生のうちに現場を見ておくことは大事ですね。海外はもちろん,日本にも国際保健に隣接する現場はあります。例えば私の関心領域で言えば,日雇い労働者の多い町,いわゆるドヤ街です。私自身も一時期診療にかかわった時期がありますが,このような地域では日本にも存在する健康格差の問題を間近に感じることができます。
もうひとつは,他分野の人と接点を持つことです。というのも医療系の学部生は,講義・実習に始まり部活動に至るまで交友関係が医療関係者に限定されがちですよね。国際保健や公衆衛生の分野で社会課題の解決に取り組むならば,他分野との連携は必須です。学生のころから,他分野の人に刺激を受ける機会を大切にしてください。
専門医取得が先か,憧れの道か
後藤 私は来年度から初期研修を行う予定です。どの段階で国際保健の道に進むのが良いか,臨床医として自信がつくまでは研修を継続すべきなのか。とても悩みます。先生は卒後4年目に厚労省へ入省されていますよね。
坂元 はい。ただ当初は,専門医を取ってから国際保健の道に進むつもりでした。たまたま卒後3年目の終盤に厚労省の国際課でポジションが空くことを教えてもらい,人事交流として厚労省に出向することになったのです。
後藤 省庁との人脈があったのですか。
坂元 初期研修中に厚労省で1週間のインターンをした経験があり,その際に「国際保健をやりたい」と周囲に話して回っていたのですね。それを当時同じ部署だった人が覚えていてくれたようです。この話の教訓は,「やりたいことがあるなら,誰彼構わず話したほうがいい」ですね(笑)。
後藤 専門医を取らずに臨床を離れるという選択に,迷いはなかったですか。
坂元 すごく迷いました。ただ臨床はいったん離れたとしても,診療科にもよりますが,基本的には戻ることができます。でも,厚労省の国際課で働くチャンスは今回の機会を逃したら二度とない。そう考えて,入省を決意しました。
後藤 チャレンジ精神が大事ですね。お話を聞いて勇気が湧いてきました。
坂元 私も昔は周囲が気になる典型的な日本人でした。帰国子女でもないですし,国際保健を志す学生なんて同学年にはいませんから,「なんか変わった人」みたいな目でみられてました。
でも海外を旅するようになって吹っ切れましたね。外国人はもっと自由にキャリアを選んでいますから。研修先に聖路加国際病院を選んだのも正解でした。病院見学の際に「将来は国際保健の道に進みたい」と話すといつも引かれるのですが(笑),聖路加はOBにもユニークなキャリアを積む人が多いせいか,面白がってくれたのです。
後藤 国際保健を志す限り,多数の人が歩むレールから外れるタイミングがどこかで来る気がします。
坂元 若いうちは自分の将来に熱い想いがあっても,「周囲の理解を得られない」「臨床を離れることに抵抗がある」などの理由で先延ばしするうちに興味は失われてしまいます。国際保健は特にそういうケースが多いですよね。
でも周りの人たちが自分の人生の責任を取ってくれるわけではないですから,周囲は気にせず,チャンスがあるなら飛び込んでほしいです。臨床には戻ろうと思えばいつでも戻れますし,私のような研究職なら並行して臨床を行うこともできます。終身雇用の考え方にとらわれず,数年おきに職場・ポジションを変えるような働き方を選んでいけば,臨床を離れる抵抗は薄れるのではないでしょうか。
仕事と私生活をどう両立させるか,“プランB”のススメ
後藤 もうひとつの悩みは,国際保健の仕事と私生活の両立についてです。将来的に途上国や難民キャンプに長期滞在した際に結婚生活をどうするか。友人と話すことも多いテーマです。
坂元 これは確かに,国際保健を志す人からよく尋ねられますね。既婚者や子どもを育てているロールモデルが少ない領域だからでしょう。でもそれは日本に限った話で,海外だと結婚して子どもを育てながら自由に活動している人はたくさんいます。
この業界の一般論として,医療とは異なる分野で,働く場所を自由に選べる人をパートナーに選ぶとうまくいくと言われます。例えばIT系の起業家やフリーランスライターといった職種ですね。逆に国際保健同士は難しい。同じ国で2つのポジションが空くことが少ないのです。でもそう計画的に事が運ぶこともないので,最後はパートナーとの話し合いに尽きますね。
渡邉 先生も,結婚の際はよく話し合われましたか?
坂元 ええ。その結果,私のハーバード留学を含め,何度も別居生活を経験しています。
ボストンは単身留学中の既婚者が多くて,大半は欧米人でした。彼らは家族を大事にすると同時に,キャリアに関してはお互いの意思を尊重しますね。一方で日本人は,同居という形態は大切にしますが,同僚と飲みに行ったり残業で遅くなったりでパートナーや家族との時間を優先しない人も多い印象です。今の若い世代は少しずつ変わってきているとはいえ,結婚生活に対する考え方が日本と欧米で少し違うのかもしれません。
後藤 相互理解があれば,長い結婚生活のうちの数年間離れるくらい,障壁にはならないのかもしれませんね。
坂元 同感です。ただそうは言っても,プライベートを優先して思い描いたキャリアプランから遠ざかることもあるでしょう。私自身,ハーバード留学後は夫の転勤先のイランに2年間住んでいました。無職だったので履歴書上は空白期間です。決断に迷いもありましたが,結果的には行ってよかったです。将来的に国際保健のニーズが増すのは中東だと気付けたし,その地域の宗教的・文化的背景を理解できたことも国際保健分野で将来活動するのにアドバンテージになるかもしれません。
渡邉 他人からみたら回り道でも,それは考え方次第ですね。
坂元 国際保健に限らず,キャリアの過程では親の介護や自分の病気など,予期せぬライフイベントが起こり得ます。ですから,一本道のキャリアを目標に据えた“プランA”だけではなく,多少のゆとりを持たせた“プランB”も用意するのは大切なことです。
順調に“プランA”で突き進む人も中にはいますが,他人と比べても仕方ないですしね。早く行くこと自体が目的ではないので,時間をかけてでも行きたいところにたどり着ければそれで十分かなと思います。
日本とは異なる環境,他人とは異なるキャリアを楽しむ
後藤 国際保健にかかわる組織は,WHOや国連などの国際機関,JICA,NGOなど多様です。どのようなアプローチが良いとお考えですか。
坂元 これは答えがないです。というのは,それぞれに強みと弱みがあり,例えば国際機関は各国政府との交渉力を持つ反面,公平性を重視するため意思決定が遅い。対照的にゲイツ財団などの民間組織は意思決定が迅速で予算も豊富な反面,国際機関ほどの公平性は担保されません。自分のマインドがその組織に合うかどうか,あるいはキャリアを積む過程で活かせる知識・経験によっても変わるでしょう。
私自身も40~50代になったときにどの組織に自分が合うのかは正直わからないし,これだけ変化が激しい時代にあってはそれらの組織が存続しているかどうかさえ予測がつきません。そういう意味もあって,組織を念頭に自分のキャリアを思い描くと,身の振り方が難しくなると思っています。
後藤 では,激変する未来において必要とされる知識・経験は何でしょうか。
坂元 医療職として国際保健にかかわるのであれば,グローバルレベルでみた疾患の流行や医療制度の潮流の理解は必須でしょう。また,どこか特定の国や地域に興味があるなら,その地域への理解も不可欠です。例えば,将来中東で仕事をしたいのなら,中東の政治的背景やイスラム教についての理解ですね。加えて,疫学や統計学の知識です。これまでの国際保健は事業評価が甘めでした。先進国の財政基盤が盤石ならばそれも許されるのかもしれませんが,近年は経済が軒並み停滞していることもあり,評価が重視される傾向にあります。実際に自分で論文を書くかどうかは別にしても,研究者と会話できる程度の知識は学んでおいたほうがいいでしょう。
そのほか,“プランB”のフレキシブルなキャリアを可能にするためには,語学やITなど何でもいいので,医療に加えて「この分野なら絶対的な自信がある」というスキルがあると有利です。例えば,企業で得たビジネススキルや日本語・英語以外の言語能力があると,それだけでユニークな立ち位置を作りやすくなると思います。
渡邉 最後に,国際保健領域で活躍するために重要な資質,求められる人材像についてアドバイスをお願いします。
坂元 まず,日本とは異なる環境や価値基準をポジティブに受け止めること。例えば,国によっては約束の時間を守らないなんて日常茶飯事です。それに対して「だからこの国は……」と憤るのではなく,「面白い時間軸で生きているな」と違いを楽しめるマインドが大事です。
次に,人と違うキャリアを楽しみ,挑戦できること。変化が激しい分野でロールモデルも少ないので,キャリアパスも見えにくいです。そのことを不安に思うよりは,「みんなと同じことをやってもつまらない」と前向きに考える人のほうが向いています。最近は若手医師の起業家も増えていますが,「人と違うことを楽しむ」「先が見えないことを楽しむ」という点においては彼らのマインドも国際保健に近いのかなと思いますね。
後藤 安定した環境の中では自分の成長が止まってしまいますからね。
坂元 私はこれまでのキャリア選択の中で,“Get out of your comfort zone(自分が快適と思う場所から飛び出す)”という言葉を大切にしてきました。国際保健は少ないポジションを世界各国の人たちと取り合うという側面もあります。厳しい環境に自分の身を置いて自分自身のスキルを高めていく上で,挑戦や環境の変化を楽しめるマインドも重要だと考えています。
渡邉 そういったマインドを持つためには,心のよりどころとなるものが大切な気がします。
坂元 その通りですね。医療職の場合,少なくとも今の日本で働く限りは職に困ることはなく経済的に安定しています。一方,先の見えにくい国際保健のキャリアを歩むには信念や情熱がないと続きません。私自身も小学生のころの「医師として国際協力にかかわりたい」という気持ちを大切にして,ここまでのキャリアを選択してきました。
困難な道ではあるけど見方を変えれば,将来やりたいことが見つからず悩む人も多い中,情熱を持って取り組める対象があるのは幸せなことですよね。「国際保健にかかわりたい」という情熱があるのなら,ぜひその情熱を大切にしてほしいです。一回しかない人生なら好きなことをやったほうがいいし,好きなことを見つけた自分を肯定してほしいと願っています。
左から後藤隆之介氏,坂元晴香氏,渡邉真理子氏 |
インタビューを終えて私も国連機関でインターンをした際,さまざまな体験ができた一方で無力感を抱くことも多々あり,国際保健にいかにしてかかわれば良いかを考える機会が非常に多くありました。そのような中で,最初に国際保健に興味を持ったきっかけから今後の展望まで,坂元先生の思いを詳しく聞けたことは自分の将来を考える上で非常に有益な経験でした。特に,“プランB”を用意しておくことの重要性のお話は,キャリアプランを立てるに当たり貴重なアドバイスでした。ロールモデルが必ずしも多いとは言えない国際保健の分野において,坂元先生のような先輩にお会いできたことを大変うれしく思います。 (後藤隆之介) 今回のインタビューでは,坂元先生のさまざまなご経験に基づき,国際保健の潮流からその中での医療者としてのキャリア構築まで,幅広くお話を聞くことができました。中でも,国際保健・公衆衛生学領域においては,医療活動のみならず,行政や学術研究などさまざまなセクターによるアプローチが必要であり,だからこそ強みとなるスキルを身につけながら,広い視野でキャリアを選択していくことが大切であるとのお話が印象的でした。また,自らの信念や問題意識のもと,周囲と異なる道であっても進み続けてこられた先生の強さや前向きな考え方にも感銘を受け,改めて国際保健への憧れを抱くとともに,悩みながらも挑戦し続ける勇気をいただきました。 (渡邉真理子) |
(了)
さかもと・はるか氏
2008年札医大医学部卒。聖路加国際病院にて初期研修および内科研修の後,11年より厚労省大臣官房国際課および母子保健課にて医系技官として勤務。15年米ハーバード公衆衛生大学院修士課程修了(公衆衛生学修士)。17年より現職。WHO報告書「Japan Health System Review」では筆頭著者を務めた [ISBN:9789290226260]。現在,ビル&メリンダ・ゲイツ財団日本事務所コンサルタント,東女医大国際環境・熱帯医学教室非常勤講師および都内内科クリニック非常勤医を兼務。専門は国際保健・医療政策。Twitter:@harukask1231
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