オリンピックをたばこ対策推進の契機に(中山明子)
寄稿
2018.07.30
【投稿】
オリンピックをたばこ対策推進の契機に
WHO本部でのインターンシップを経験して
中山 明子(大阪大学医学部附属病院放射線診断・IVR科専攻医)
スイス・ジュネーヴにある世界保健機関(WHO)の本部にて,私は2017年の夏に約3か月間,慢性疾患の予防部門最大のTobacco Free Initiative(TFI)にてインターンシップを経験した。今回のインターンシップでは,加熱式たばこの科学的評価や各国の規制調査等と,来る2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下,東京オリンピック)の開催に向けた日本の受動喫煙防止対策強化について取り組んだ。そこでの経験から,本稿で情報を共有したい。
加熱式たばこはどのように規制されるべきか
喫煙により依存性物質であるニコチンは脳内に伝達するが,その刺激による効果は数分しか持続しないため,喫煙を続けなければ喫煙者に離脱症状が現れる。ニコチン依存症はアルコールや麻薬に匹敵する薬物依存症である1)。喫煙者は精神的・身体的依存を形成し,虚血性心疾患や脳血管疾患,肺癌などさまざまな心血管・呼吸器系疾患や腫瘍を引き起こすだけでなく,結核や下気道感染症等の感染も引き起こしやすいことが知られている2)。また,受動喫煙は心筋梗塞や脳卒中等を直接引き起こすだけでなく,肺癌との因果関係も「確実」レベルに引き上げられたことが,2016年の日本人を対象とした研究報告で明らかになった3)。
喫煙による負の経済的影響は,治療など健康関連費用だけではない。施設環境面や介護・生産性損失など多岐にわたり,損失総額はわが国で4.3兆円に上る一方,たばこ税収入も含めた正の経済的影響は2.8兆円にとどまる2)。
加熱式たばこは,たばこの葉と種々の化学物質を処理したもの(ヒートスティックやポッドと呼ばれる)を燃焼させない温度まで加熱し,そのエアロゾルを吸うたばこ製品である。たばこ産業は,燃焼によって生じる有害物質を抑えられるため,「より健康に配慮した」商品とうたい,新規喫煙者の獲得や禁煙希望者の乗り換えを誘導するのに必死である。しかしたばこ産業とは独立した研究機関による2017年の報告では,代表的な加熱式たばこであるIQOSは,従来のたばこと変わらないニコチン量を持ち,同様の,もしくは新規の発癌性物質を含む多くの有害物質が検出された4)。今のところ加熱式たばこの身体に対する影響を調査した中立的な研究機関による研究では十分なエビデンスが確立しておらず,国によって加熱式たばこの規制政策にばらつきがあるが,エビデンスが確立できるまでは従来のたばこと同様に規制すべきというのがWHOの見解だ。筆者を中心として加熱式たばこのInformation Sheetを作成したので,文献5を参照されたい。
日本のたばこ対策は最低レベル
日本は,WHOが2005年に発効した「たばこの規制に関する枠組条約(WHO Framework Convention on Tobacco Control;FCTC)」を締約している。たばこ対策推進および進捗評価のために作成されたMPOWERという政策パッケージがある。MPOWERはFCTC締約国が協約を履行できるよう定めた,最も重要で有効な6つのたばこ規制戦略の頭文字である2)。
Monitor(監視):たばこの使用と予防政策の監視
Protect(保護):受動喫煙からの保護 Offer(支援):禁煙支援の提供 Warn(警告):警告表示等を用いたたばこの危険性に関する知識の普及 Enforce(施行):たばこの広告,販促活動等の禁止要請 Raise(引き上げ):たばこ税の引き上げ |
日本は,M(監視)とO(支援)以外はほぼ最低レベルと評価されており,OECD加盟国中で日本は,有効なたばこ対策が驚くほど講じられていない国であることが一目瞭然である6)。
オリンピックという受動喫煙防止対策のチャンス
では国際社会の動向はどうか。WHOと国際オリンピック委員会(IOC)は2010年に,「身体活動を含む健康的な生活習慣の選択,すべての人々のためのスポーツ,たばこのないオリンピックおよび子どもの肥満の予防を共同で推進する」ための健康改善に向けた合意書を交わした7, 8)。また,同年には「メガ・イベントをタバコフリーにするためのガイド」も発表し,オリンピックだけでなくサッカーワールドカップなどのメガ・イベントの開催都市においても,単に喫煙を規制するにとどまらず,たばこの宣伝・販売促進,スポンサー活動や販売の禁止など,より包括的な「たばこのない」環境を実現させる方策を提示した8, 9)。
これに先立ち,2008年の北京オリンピックから全ての夏季・冬季オリンピック開催都市で,競技場周辺だけでなく,市内の公共施設や屋内施設等において,罰則を伴う受動喫煙防止対策が施行されるようになっている10)。世界で最も喫煙率が高い中国では,08年の北京市を先駆けに,公共施設や屋内施設における全面禁煙の法規制が上海や深圳へと広がった6, 8)。
またロシアにおいても14年のソチオリンピック開催を契機に,ロシア全土のほぼ全ての屋内施設を全面禁煙とした8, 11)。受動喫煙防止対策強化を含む,オリンピック開催を契機とした長期的・持続的な効果を残す一連の動きは「Legacy(遺産)」と呼ばれ,それを受け継ぐ2020年オリンピック開催都市・東京の動向は,今世界中から注目されている。
日本も公共的空間の全面禁煙へ
WHOの最新調査によれば,①医療施設,②大学以外の教育施設,③大学,④官公庁,⑤その他屋内の職場(オフィス・作業場),⑥レストランと飲食店,⑦カフェ・パブ・バー,⑧公共交通機関の8種の施設の全てにおいて,国法,もしくは全人口の少なくとも90%に対する地方レベルの法も含め,16年には55か国で全面禁煙が適用されている6)。
日本では日本たばこ産業株式会社(JT)の筆頭株主が財務大臣であり,たばこ...
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