医学界新聞

2017.10.02



【追悼特集】

日野原先生と「週刊医学界新聞」


 日野原重明先生には,1955年の「週刊医学界新聞」創刊当時より数々の企画にご参画いただきました。1959年には,「ぷろふぁいる」という人物紹介欄に初めて写真付きで登場されています。恐らくは編集部執筆と思われるその記事の中で,「むずかしい事柄を実に解り易く表現する文章,それは単に文章技術の問題ではなく,臨床における氏の実力によるものであろう」(本紙第350号)と評されています。そのコラムの結語では,半世紀後も変わることない先生の姿が描写されます。「臨床と執筆に追われるような日常,タクシーの中でも筆を取る――この逸話は,聖ルカ病院では有名である。しかし日曜日にでも,田園調布にある自宅を訪れると,時たま,ショパンの曲が静かに流れてくることがある。このピアノ,それが忙しい氏の唯一の趣味」。

本紙第350号「ぷろふぁいる」

 日野原先生は年末の休暇を利用するなどして定期的に米国を視察し,病院経営者や医学部教授らとの情報交換を踏まえた医学・看護学・医療事情の最新動向を,短期集中連載として本紙にご寄稿してくださいました。この名物企画は1978年に始まり,2007年まで断続的に掲載されました。2007年当時の日野原先生は95歳。5日間の訪米で11人との面談を済ませ,「帰国後に報告する予定の5日間のボストン滞在の印象を,記憶の新しいうちにと思って走り書きしていたら,午前5時になった。午前6時にはRabkin教授の車でホテルを出て,午前8時発のユナイテッド・エアラインでボストンを発ち,日本には元日の夕刻に成田空港に着いた」と記しています(本紙第2726号)。

 座談会・対談・インタビューに限って数えてみると,45回ご登場いただいています。もちろん最多記録です。日野原先生がご参画された座談会・対談を,わずかですが挙げてみます(テーマに続く括弧内は他の出席者,敬称略)。テーマは近代科学からプライマリ・ケア,ホスピス,臨床疫学,診療録にまで及びます。幅広い知識や進取の精神に改めて驚かされるとともに,医学・医療の革新の軌跡を垣間見る思いです。

・科学・哲学・医学(武見太郎)
・医学の進歩と医療の原点......

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