疫学を感染予防の“共通言語”に(吉田眞紀子,堀成美)
対談・座談会
2015.10.19
【対談】
疫学を感染予防の“共通言語”に多職種・地域の連携をリードする感染症疫学者の役割を考える
堀 成美氏(国立国際医療研究センター 国際感染症センター 感染症対策専門職)
吉田 眞紀子氏(東北大学病院検査部/同大大学院内科病態学講座 感染制御・検査診断学分野 助教)
感染症は,エボラ出血熱やMERSのように国境を越えて広がる病原体から,食中毒のように,限られた施設内で起こるものまで多種多様であり,医療者は常に感染症に対する危機管理が求められる。では,正確な予防,迅速な対策へとつなげるにはどのような知識や訓練が必要か。国立感染症研究所実地疫学専門家養成コース「FETP-J;Field Epidemiology Training Program Japan」(MEMO)の研修生が中心となって執筆した『感染症疫学ハンドブック』(医学書院)で編者を務めた,薬剤師の吉田眞紀子氏と看護師の堀成美氏の2人が,「疫学を共通言語に」というメッセージと共に,多職種や地域に必要とされる感染予防のノウハウについて語った。
堀 今年5月,韓国の病院内でMERSの集団感染が発生しました。私がMERSの動向を注視する中で感じたのは,メディアが感染症の問題を正確に伝えていなかったことです。
吉田 堀さんはTwitterで情報発信を続けていましたね。私はその情報を常に追い掛けていました。誤解を生まないよう簡潔に書くのは難しかったと思いますが,誰もが見られる媒体で,冷静な視点で状況をとらえた発信をされていたため,非常に役立ちました。
MERSで見えた誤解と課題
堀 MERSが話題になって以降,SNS(Social Networking Service)などの情報を見ていて驚いたのは,MERSがあたかも韓国全土に広がっているかのように受け止めている人がたくさんいたことです。中には医療者と思われる方が「韓国でMERSパンデミック」と発信していた。
吉田 正しくは「院内のアウトブレイク」ですね。
堀 そうなのです。今回はあくまで,数か所の病院の中でアウトブレイクしていた院内感染の事案であり,そもそも地域には流行していなかった。ということは,「パンデミック」の発信者は,感染症の情報を誤読していたことになります。疫学の知識を持ち合わせず,メディアの情報だけをうのみにしていたからでしょう。
吉田 感染症の流行となると,メディアはどうしても危機感をあおるような表現をする傾向があります。
堀 だからこそ医療者には,正確な理解と情報発信が求められるのです。「本当に韓国はMERSパンデミックなの?」と思ったら,まずは日々の数字の推移を見ればよかった。私は,韓国保健福祉省発表の数字を追っていました。MERSに限らず,感染症の正しい数字を把握できないと,状況を見誤るだけでなく,誤った理解に基づき間違った対策プランが立ってしまい,より大きな問題につながる危険があるのです。
吉田 情報をただやみくもに発信するだけでは,死亡率などの数字だけが独り歩きして不安をあおり,本来伝えるべきメッセージが伝わらなくなってしまいます。まずはデータを“情報”に変換し,状況を“見える化”する。さらに分析を加え対策まで考える。感染症の理解には,この一連の作業を行う疫学者の役割が大切だとMERS問題であらためて認識しました。
堀 まさにそれが疫学者の使命です。今後も起こり得る感染症の問題をどう理解し対処するか。その中で疫学というツールは,さまざまな職種が同じステージで理解し合える“共通言語”になるのです。
感染症対策に学問のスタンダードを
堀 日本の感染症対策の経緯を振り返ると,感染症対策の問題に一石を投じたのが1990年に富家恵海子さんが書かれた『院内感染』(河出書房新社)でした。手術に成功した夫を,MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)感染によって突然失った富家さんがその経過を克明にまとめた本書は,社会的な問題提起となりました。
吉田 本書を契機に,厚生省(当時)から,院内に感染対策委員会を設置するよう通達が出たり(1991年),院内感染防止対策に保険診療点数が加算されたりするなど(1996年),行政主導で院内感染対策が進みました。
堀 その後,日本の感染症対策,特に院内の対策は格段に進んだと思います。今では,MRSAなどの感染症が施設内でアウトブレイクした際の対処法は,多くの病院が当たり前のように理解する時代となりました。それ以前の感染症対策は手探り状態で,さまざまな試みがなされました。本当に必要か否かを説明できる人は少なく,根拠を持って書かれた日本語の書籍もないような時代でした。
吉田 一生懸命取り組んでいても,果たしてそれが正しいのかもわからない,学問としてのスタンダードがない時代が長らく続いたわけです。
疫学者が,多職種や地域を束ねリードする
堀 1990年代末から2000年代にかけて,米国で疫学を学んだ人たちが感染症対策のリーダーとなって,全国各地で勉強会などを行うようになりました。同時期,感染症対策を専門とする医療職の養成も進み,今日まで多くの人材が輩出されています(表)。
表 感染症対策関連の専門資格 |
吉田 感染管理を専門に学んだ人が院内に配置され,院内感染対策委員会(Infection Control Committee;ICC)や感染対策チーム(Infection Control Team;ICT)といった多職種からなるチームも組織されていきましたね。感染症が起こってから対処する「感染症対策」から予防を念頭に置いた「感染管理」へと,日本の医療環境はさらに一歩進んだのだと思います。
堀 チームが作られた意義は大いにありました。しかし,「感染対策委員会」の名の下に多職種が集まっても,「患者さんを守る」「地域を守る」というコンセプトを掲げたとき,果たして多職種が問題意識を共有できているのだろうか,という新たな課題が浮かび上がったように思います。
吉田 確かに多職種のエキスパートが集まったが故に,誰が何から手をつければよいか,スムーズな判断ができない状況も顕在化したのではないでしょうか。その理由の一つが,多職種で共通理解するすべがなかった,つまり「疫学の視点で全体像を把握する」という考え方が1本通っていなかったからではないかと思うのです。
私は感染症疫学の実践を学びたいと思い,2004年に渡米し1000床規模の病院で研修を受けました。米国の大規模な病院では,既に感染管理の部門が独立してあり,専従の医師・看護師がいました。さらに驚いたのは,病院疫学者(Hospital Epidemiologist)と呼ばれる人が配置されていたことです。病院疫学者は,感染症医(Infectious disease physician)ならなれるというものではなく,修士課程で1-2年間,系統立った疫学の教育を受けた人が病院全体の感染症対策のマネジメントに携わるのです。「これは日本にはいない存在だ。対策の根幹にかかわる仕組みだ」と思い知らされました。
堀 その後ですね,私と吉田さんが出会ったのは。2007年から2年間,FETP-Jで共に学びました。感染予防の専門家を育成するプログラムによって,米国では既にスタンダードとなって...
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