科学コミュニケーションを考える(標葉隆馬,髙橋政代,八代嘉美)
対談・座談会
2015.09.21
【鼎談】 | |||
標葉 隆馬氏 成城大学文芸学部 マスコミュニケーション学科 専任講師 | 髙橋 政代氏 理化学研究所 多細胞システム形成研究センター 網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー | 八代 嘉美氏 京都大学 iPS細胞研究所 上廣倫理研究部門准教授=司会 |
科学者と社会の間で,科学にかかわる情報をやりとりすることを「科学コミュニケーション」と呼ぶ。歴史を振り返ると,科学技術への誤った理解により,過剰な期待や批判が生まれてきた。医療・科学の健全な発達のためには,研究者・医療者が関与する医療技術の社会全体での位置付けと責任をあらためて認識し,患者さんの理解と現実のギャップを解決していくことが求められる。
本鼎談では,遺伝子組換えと再生医療分野での事例を基に,社会的な理解を得ながら研究を進める必要性について論じていただいた。
八代 髙橋先生は昨年9月,iPS細胞から作製した網膜色素上皮細胞の移植を,世界で初めて患者さんに対して行いました。その際にもさまざまな情報発信をされていましたが,先生はそれ以前から社会と再生医療の関係構築のために積極的な科学コミュニケーションを行ってきていますね。
髙橋 研究者・医療者は,ただ研究や医行為をしているだけではいけません。適切な情報発信をし,かつそれが報道機関を通して社会全体に正しく伝わるように努力せねばならない。私はそう考えています。
そのために,報道関係者との勉強会を定期的に開催したり,学会中に講演の時間とは別枠で報道関係者からの質問の場をつくったり,開かれた場でのディスカッションを行ってきました。
八代 いつごろからそのような活動を行われているのでしょうか。
髙橋 2001年,虹彩細胞への遺伝子導入による視細胞様の細胞の作製と網膜への生着が成功した際,完全な視細胞はできていないにもかかわらず,「視細胞ができた」「これでもう網膜の病気は治る」などと報道されたことがきっかけです。報道の後に,新聞を持った患者さんが,外来にドッと来ました。「治らない病気だから仕方ない」と,ある意味では平穏に暮らしていた方が,再生医療に希望を持ってお越しになったのです。しかし,まだその段階ではないとお伝えせねばならなかった。
実際にできることと比べて,過剰に大きな期待を持たせてしまったことで,結果として患者さんに第二の絶望を与えてしまうことになった。これは非常につらいことです。
八代 すでに確立した治療だと勘違いして臨床研究に参加する「セラピューティック・ミスコンセプション(therapeutic misconception)」も,大きな倫理的問題として指摘されています。患者さんが多くの情報に触れられる時代になったからこそ,積極的な科学コミュニケーションによって,患者さんの理解と現実のギャップを解決していかねばなりませんね。
将来起こり得る課題を先んじて議論し,発信する
八代 科学コミュニケーションが不十分なことによる問題は,過剰な期待だけでなく,誤解による批判というかたちでも生じ得ます。例えば,同じ再生医療分野の中でもES細胞については,「胚葉を壊すのは倫理的な問題がある」という主張が強調して報道され,ネガティブな印象が広まりました。
標葉 マスメディアの力は大きく,社会の問題意識が報道内容によって影響を受けることは確かだと思います。しかし私は,議論の偏りや理解の乖離が生じるのは報道機関だけが問題なのではないと考えています。研究者自身が,きちんとした情報を的確なタイミングで発信できていない面もあるのではないかということです。
八代 標葉先生は,遺伝子組換え(GM)や再生医療についてのメディア報道分析を行っていますね。
標葉 はい。その動向を見ると,再生医療にはGMをめぐって生じた議論から学ぶべき教訓があることに気付きました。最も重要なことは,「将来起こり得るさまざまな課題に関しては,倫理的・社会的な問題を含めて研究者たちの中であらかじめ十分に議論し,早い段階で組織的に発信する」ということです。
具体的な例として,GMには研究者側の対応によりその後の社会の流れが異なった二つの事例があります。一つは,研究者が自治を発揮できたともいえる事例,1975年に開催された「アシロマ会議」です。「新しい技術を実際に応用する前に,まずはルールをつくろう」とGM技術を開発した研究者自身が中心となって行われた世界会議で,28か国から約150人の専門家が参加しました。GM技術が登場してすぐに,多くの研究者たちが自主的に一度研究の手を止め,自らの社会責任を問いながらガイドラインの作成に取り組んでいったのです。それがアシロマ会議を経て一つの形になりました。その成果は『Science』や『PNAS』といった国際誌を通じても共有され,NIH(National Institutes of Health)のガイドラインにもつながっていきました。世界全体の研究の枠組みを研究者自らが決定した事例であり,研究者が自ら先んじて議論する重要性を示したものといえます。
一方,対応が後手に回ってしまった事例が,2005年に施行された「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」です。全国に波及すれば日本でのGM作物の野外栽培研究が難しくなるような厳しい基準を設けた条例だったため,関連する六学会により,GM植物の適切な受容を求める共同声明が当時発表されました。
八代 学会が共同声明を出すというのは大きな動きですね。
標葉 しかし共同声明の発表は,条例の「施行」と同じ2005年で遅きに失した感は否めません。条例の「議論」は2003年には開始されていましたから。
もちろん,2005年以前にもGMをめぐるコミュニケーションを試みた活動はありましたが,かつてBSEによる風評被害が生じた北海道側の事情も考慮し,社会全体のイメージを変えるような大きな動きを研究者側がより早い段階でできていれば,展開が変わっていた可能性もあるのではないかと思います。
たしかに1997-2002年前後に不安やリスクを強調した報道が多数なされたことは事実ですが,その前の長い期間は,記事数は少ないながら期待感にあふれた書き方をされていたのです(図)。
図 日本の新聞における遺伝子組換え報道数の動向1) |
1997-2002年にかけてGM食品のリスク・不安を強調した報道多数。その後,北海道条例の話にシフトしつつ記事数減少へ。 |
八代 大きな流れが決まってしまった後では,覆すのは難しい。
髙橋 だからこそ,再生医療分野では,情報発信をタイムリーに行うように心掛けています。今はインターネットを通してすぐに情報発信ができるので,便利な時代ですね。報道機関を通して間違った情報が伝わってしまっていると感じたときにも,Twitterなどで即時訂正できます。
国外でも,ヒトiPS細胞が発表された2年後の2008年には,国際幹細胞学会が「ISSCR 幹細胞の臨床応用に関するガイドライン」を発表しています。
標葉 再生医療分野ではコミュニケーションが比較的進んでいることを感じます。
髙橋 よく接して...
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