医学界新聞

インタビュー

2015.09.14



【シリーズ】

この先生に会いたい!! [公開収録版]

勝俣 範之先生
(日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科教授)
に聞く


 シリーズ「この先生に会いたい!!」の公開収録を医学書院で開催しました。演者は,国内における腫瘍内科分野の確立に尽力し,現在は大学病院での臨床・研究のほか,後進の教育にも当たる勝俣範之先生です。今回のテーマは,「ミッションを信じて――『がんの総合内科医』への道」。勝俣先生ご自身のキャリアを振り返りながら,腫瘍内科医の“ミッション”とは何かを,集まった医学生・研修医に語りました。


 こんにちは,日本医科大学武蔵小杉病院で腫瘍内科医をしている勝俣範之と申します。皆さん,腫瘍内科医がどのような医師かをご存じですか? 簡単に言うと,がんをトータルに診る「がんの総合内科医」と言っていいでしょう。実際にどのような役割があるのか。早速ですが,腫瘍内科医を知ってもらうために,ひとつ症例を提示してみます。

患者……54歳男性
[病歴]2年前に大腸がんステージ4(多発肝転移)と診断された。これまで,化学療法として,標準治療のFOLFOX療法1.5年,FOLFIRI療法0.5年を行っており,先月のFOLFIRIを投与した直後のCTにて,多発肝転移,腹膜播種の進行を確認。ただ,食欲は比較的あり,やや腹部膨満感がある程度。
 主治医からは新たな抗がん剤として,TAS-102(ロンサーフ®)という薬剤(2週内服,2週休薬)を勧められた。

 もしこの患者さんが自分の家族だったら,皆さんは抗がん剤のTAS-102を勧めますか? なお,TAS-102のエビデンスでは中央値1.8か月の延命効果が示されています1)。一方で,副作用には吐き気(48%),嘔吐(28%),食欲低下(39%),疲労(35%)などが報告されています。それでは,グループでディスカッションをしてみてください。

……ディスカッション……

――ご意見ありがとうございました。「抗がん剤投与をする/しない」の判断から,「副作用のリスクと延命効果のどちらを選ぶか」「患者の今の人生の目標を知りたい」「死の準備についてどう考えているか」など,さまざまな論点が挙がりましたね。いずれも,私たち腫瘍内科医が臨床現場で考えなければならないことです。腫瘍内科医は単に抗がん剤治療をするかしないかだけを判断するのではありません。患者さんのこれまでの人生やこれからの生活まで考えた上で,治療を組み立てているのです。では,もう少し具体的に「腫瘍内科医の役割とは何か」を,私が歩んできた道のりとともにお話ししていきたいと思います。

初期研修での経験と知識は一生忘れない

 私が医師を志した理由は単純です。小学生のときに読んだ手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』に感動し,「医師になりたい!」と思ったからです。とても意義深い漫画で,強烈な印象を受けましたね。どんな病気も治す天才外科医と言われたブラック・ジャックも,実は手術で患者を治せず落ち込む場面が描かれています。そこに,ブラック・ジャックの恩師である本間丈太郎先生が幽霊として出てきて,「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんて,おこがましいと思わんかね……」と声を掛けるのです。この言葉のように,医師は常に人間の命に対して謙虚であるべきと常々思います。医学の限界と,医師の持つべき姿勢など,今でも考えさせられる漫画です。

 大学卒業後は「どうせ研修をするのなら日本で一番ハードなところでやろう」と徳洲会病院を選びました。当時は,今のような臨床研修のマッチングはなく,卒業生のほとんどが出身大学の医局に入る時代。でも私は,型にはまったことが嫌いな性格で,学外に出ることに決めました。大学に残らなかったのは,学年100人うち,私を含め3人だけでした。周りからは,「勝俣は,頭がおかしくなったんじゃないか?」と言われたぐらいです(笑)。

 徳洲会病院を選んだもう一つの理由は,後に日本でもスタンダードになるスーパーローテーションの研修制度をいち早く導入していたことです。全科をまわる中,3日に1回のペースで担当するER当直は「過酷な勤務」と言われていましたが,私はそんなにきついものとは思いませんでした。現場に駆けつければ何かを任され,学べることがうれしかった。結局,担当でない日もボランティアで当直して,ほとんど病院に寝泊まりするような生活でした。周りもやる気のある研修医ばかりでしたから,当直室のベッドはいつも取り合いでしたね。

 離島研修も経験しました。大隅鹿屋病院(鹿児島県)で研修を受けた1年目に,1か月ほど加計呂麻島という奄美大島の南側にある島に赴任しました(写真)。島民約2000人の島唯一の診療所に,医師は,指導医と研修医の私2人だけ。あらゆる患者の訴えに対応しなければなりませんから,ジェネラルに患者を診る力が鍛えられました。

加計呂麻島で離島研修を受けた頃(1989年撮影)

 皆さんも,初期研修での経験や知識は,一生忘れることはないでしょう。私も20年以上経ちますが,この間に出会った患者さんは今でも名前を言えますし,サマリーも大事に残してあります。

研修病院で目にした新しい形のカンファレンス

 自分の専門を考え始めたのは,次の研修先である茅ヶ崎徳洲会総合病院(現・湘南藤沢徳洲会病院)に勤めていたころでした。ブラック・ジャックへの憧れから,外科医を志したこともありましたが,がんの緩和医療にも興味がありました。同院には,日本ではまだ珍しかった腫瘍内科医がすでにいて,その仕事に関心を持ちました。中でも印象的だったのが,腫瘍内科医と,外科医,放射線治療医,放射線診断医らが集まり,がん患者の治療方針を決める「Tumor Board」と呼ばれるカンファレンスの様子です。今ではがん患者を診る多くの病院で行われている「Cancer Board」の先駆けを,同院では行っていたのです。「誰もやっていないことをやりたい」と思っていた私は,「こんなカンファレンスがあるんだ!」と思うと同時に,がん医療の新たな形を知り,腫瘍内科に関心を持ちました。初期研修後はがんを学ぶために国立がんセンター(現・国立がん研究センター)のレジデントに応募し,さまざまな科をローテーションしながら腫瘍内科医の基礎を養いました。同センターに在籍した約20年の間には,同センターの中でも内科医がこれまで担当してこなかった婦人科がん,肉腫,原発不明がんなどを主に担当しました。仕事を続ける中で,今でこそ腫瘍内科医は増えてきたものの,全国的には不足している状況を痛感したものです。日本において腫瘍内科医をどう育て,どう根付かせるか,腫瘍内科医の教育を行うことがいつしか私の大きな夢になっていました。そこで,2011年から日医大武蔵小杉病院で腫瘍内科を立ち上げ,今はその夢に邁進しているところです。

今,日本に必要な腫瘍内科医の数とは

 「腫瘍内科医が日本にはいない。外科医が片手間に抗がん剤をやっているのが現状さ」――。これは2003年に話題となった漫画『ブラックジャックによろしく』に書かれているセリフです。「がんの専門医と言えば外科医」という風潮は,今なお日本にはあります。その点,欧米では「がんの専門医といえば?」と問うと,一般の人でも「Oncologist(腫瘍内科医)」と答え,腫瘍内科医がすでに社会に定着しているのです。私の専門領域の一つである婦人科がんも,日本では産婦人科の医師が診る疾患というイメージが強いのですが,卵巣がんなどは抗がん剤による化学療法に感受性が高く,欧米では腫瘍内科医が抗がん剤を投与するのが一般的になっています。

 2005年に作られたがん薬物療法専門医資格の認定者は,ようやく1000人を超えたところで(2015年1月時点),大学病院やがん診療連携拠点病院ですら,腫瘍内科医が十分にいるとは言えません。ところが,米国の腫瘍内科医の数はすでに1万4000人を超えている。この点からすると,がん医療の状況は米国に比べると30年遅れていると言われ,10年以上前の漫画で描かれている状況は,大きくは変わっていないのです。

 日本においてがんは,今や“common disease”です。罹患数は約85.2万人(2011年),がんの死亡数は年間約36.5万人(2013年)。さらに,5年相対生存率は,2003年から2005年にがんと診断された人で58.6%であり,「がんは治るようになった」と言われるものの,罹患者の半数近くががんで亡くなっているのが現状です2)。これだけの数のがん患者さんを支えるためには,腫瘍内科医の量的拡大が必要です。日本に必要な腫瘍内科医の数は5000人とも言われていますから,育成が急務となっています。

がん医療のパイオニアとして

 また,がん医療の進展という点からも,腫瘍内科...

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