レジデントのための「医療の質」向上委員会
[第1回] 安全性(1)
安全な医療の提供には,何が必要?
連載 反田篤志
2015.01.12 週刊医学界新聞(レジデント号):第3108号より
第1回と第2回は,医療の質を規定する土台となる概念,「安全性」についてお話ししたいと思います。
“安全な医療”の提供は,実は難しい
医師の根本的な使命とは何でしょうか? 私は“患者を助けること”だと思います。“Do no harm(害を及ぼすなかれ)”(註)という言葉は誰もが聞いたことがあるでしょう。患者を助けるためには,その逆,患者に害が及ぶことを極力避けなければなりません。何を当たり前のことを,と思われるかもしれませんが,これを常に実行するのは実に困難です。
考えてみてください。このような経験をしたことはありませんか?
・夜間の緊急手術の閉腹前,ガーゼの数が合わないとき,指導医が「絶対お腹の中にはないよ」「もう閉じちゃうよ」と言って看護師を慌てさせていた。
・動脈穿刺の際,あと3分は押さえておかなければいけないのに「まあ大丈夫だろう」と穿刺部にガーゼとテープを当て,次の患者の診察に向かった。
・当直中の午前3時,「患者が眠れないと言っている」とPHSで起こされた。「高齢だけど大丈夫かな」と思いつつも,電話上で眠剤の投与を指示した。
残念ながら,これらは全て,患者の安全を損なう行為です。
受け持った患者さんが,何らかの医療行為に関連して実害を被った経験が見当たらない,としたら,あなたは非常に幸運か,または現実に無頓着かのどちらかです。医療行為は元来危険なものであり,それによる有害事象は常に発生しています。動脈穿刺後の圧迫,眠剤を処方する際の既往歴や服薬歴の確認といった日常的な医療行為の一つひとつが,患者の死や重大な合併症の発生につながる可能性をはらんでいます。真に安全な医療を提供することは,当然のように見えて非常に難しいのです。
誰もが医療過誤の当事者になり得る
IOMが1999年に発表した「To Err is Human」という,医療安全を考える上で必須の報告書があります1)。この報告では,米国では毎年,4万4000-9万8000人が医療上の過誤で死亡していると推計されています。この数値は米国で1年間に自殺またはAIDSで亡くなる人の数より多く,毎日大型の飛行機が墜落している状況に例えられます。推計の正確さには賛否あるものの,私は,この報告書の価値は“医療は安全ではないという明確な事実を,世の中に広く知らしめたこと”にあると考えています。
2002年,『New England Journal of Medicine』誌に発表された論文では,医師と一般の人々を対象にしたアンケートにて,約5人に1人が「自身や家族に重大な有害事象を伴う医療過誤が起きたことがある」と回答しています2)。実際に私も,家族が入院した時に医療過誤を経験したことがあります。また,07年の論文では医師の90%以上が「医療過誤に自身がかかわったことがある」と答えており,重大な有害事象を伴う医療過誤にかかわった医師の半数程度が「自信を失い,仕事への満足度が下がり,睡眠不足になった」と明かしています3)。さらに08年のシステマティック・レビューでは「全ての入院の約10%で有害事象が起こり,その約半数は“予防可能な”医療過誤によるもの」だと示唆されています4)。
医療過誤は,医療の担い手・受け手を問わず誰もが当事者になり得る普遍的な問題です。そしてもし,患者の死亡を含めた重大な有害事象が引き起こされれば,医療者・患者・家族など,関係者のその後の人生に多大な影響を及ぼし得る事態となります。
医療安全って,つまらない?
“医療安全”については,あなたも一度や二度は講習を受けたことがあるはずです。「注射針のリキャップはやめましょう」「似た薬剤名には注意しましょう」「患者確認のプロトコールを守りましょう」などと習った記憶があるかもしれません。もちろんこれらは重要な事項ですが,定型的で“華”がありません。「医療安全はつまらない」「病院管理者や看護師がやることでしょ」「私(俺)は大丈夫」などと感じた人も多いのではないでしょうか。
それもそのはず,本来医療安全とは“システム”の問題であり,エラーが発生する機序に,システムを変えることで介入し解決を図る分野です。ですから「~しましょう」などと,個人の努力のみでエラーの発生を抑止しようとすることは,上中下で言えば“下”の解決方法と見なされますし,そうした方法を目の当たりにして「医療安全って大したことない分野だな」と思っても,仕方ないかもしれません。
本来の医療安全は,医療現場の高度に複雑なシステムを熟知し,それを改良できる実行力と人間力に加え,安全を高める手法への深い理解と洞察力を備えた専門家が主導して取り組む領域です。そして現場では,医師を含めた職員一人ひとりが“本当の安全とは何か”を理解し,“安全な医療を提供すること”を当たり前の職業倫理として胸に刻み込み,行動の端々まで浸透させた状態を作り上げる必要があります。
お察しの通り,これは単純な作業ではありません。しかしやりがいのある,刺激的で面白い挑戦だと,少なくとも私には思えます。
研修医の“わたし”にできること
とはいえ,医療安全の専門家でもなく,病院のシステムを変えるほどの権限もないあなたに,何ができるのでしょうか?
確かに一人で全てを変えるのは無理でも,できることは確実にあります。私の尊敬するリーダーの一人,メイヨークリニックの医療安全責任者のDr. Morgenthalerは「真の安全を実現するためには“Humility(謙虚さ)”,“Respect(尊重)”,“Transparency(透明性)”を各自が体現する必要がある」と説きます。Humilityとは,自らの無知を知り限界を認めること。Respectとは,自分の限界を認識した結果生じる他人への尊重,例えば看護師や検査技師など医師以外の職種の専門性への尊重,患者の価値観・訴えへの尊重が含まれます。Transparencyとは,相互の尊重の上に成り立つ,双方向性の率直な情報交換を可能にする“隠し立てしない”姿勢です。
“謙虚さ”がなければ,あなたはガーゼが「絶対お腹の中にはないよ」と言い放つ医師になってしまうかもしれません。“尊重”がなければ,看護師の「ちょっと患者さんの様子が気になります」という言葉に耳を貸さない医師になってしまうかもしれません。“透明性”がなければ,看護師から報告を受けられず,後々「そんなこと聞いてない」という事態が起こるかもしれません。どの資質が欠けても,患者の安全は損なわれてしまうのです。
謙虚さ,尊重,透明性を常に体現するためには,高度の自己統制と専門家意識が必要です。私自身は,これらの資質は“患者を助ける”ために必須であり,全ての医師が身につけるべきと考えます。ただし,一朝一夕で身につくものではありません。もちろん私自身もまだまだ修行中,自らの言動に反省することばかりです。医師を続けている限り,一生向き合う課題なのだと思います。
他人を変えることは簡単ではありませんが,あなたの行動はあなた自身で変えられます。そして,医師としてのあなたの行動は,あなたが思う以上に周りに影響を与えます。“真の”医療安全への第一歩として,まずは自分自身の言動を振り返ってみることから,始めてみてはいかがでしょうか。
*
次回は事例に基づいて,安全を実現させるためのより具体的な方策について取り上げます。
今月のまとめ
▶ 医師が“患者を助ける”ためには,医療は安全でなくてはならない
▶ 医療過誤による有害事象は毎日発生しており,決して他人事ではない
▶ 安全への第一歩は,“謙虚さ”“尊重”“透明性”を心掛けることから
註:この言葉は「ヒポクラテスの誓い」(紀元前5世紀のギリシャの医師,ヒポクラテスにより書かれた,医師の職業倫理に関する宣誓文)と関連付けられることが多いですが,実際の文面には出てきません。ただし“患者に害を及ぼさない”ことを説いた記載は存在し,医師たるために,安全の順守が重要であることが示されています。
文献
1)Institute of Medicine. To Err is Human: Building A Safer Health System [Internet].
2)N Engl J Med.2002.[PMID:12477944]
3)Jt Comm J Qual Patient Saf. 2007. [PMID:17724943]
4)Qual Saf Health Care. 2008. [PMID:18519629]
本連載は,「医療の質向上に関する知見を集積し,共有・発信」しつつ「医療にかかわる全ての人が,医療の質改善活動を実践する社会」をめざす4人の若手医師,小西竜太氏(関東労災病院救急総合診療科副部長・経営戦略室長)/一原直昭氏(米国ブリガム・アンド・ウィメンズ病院研究員)/反田篤志氏(米国メイヨークリニック予防医学フェロー)/遠藤英樹氏(松戸市立病院救命救急センター医長)が交代で執筆を担当します。
反田 篤志 米国メイヨークリニック 予防医学フェロー
この記事の連載
レジデントのための「医療の質」向上委員会(終了)
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