医学界新聞

連載

2014.10.13



在宅医療モノ語り

第54話
語り手:ひっそり隠れたお気に入り 
美容クリームさん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりだ。往診鞄の中,往診車の中,患者さんの家の中,部屋の中……在宅医療にかかわる道具(モノ)を見つめていると,道具も何かを語っているようだ。

 今回の主役は「美容クリーム」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


美しさの追求は万国共通
ところかわって,オランダの在宅ケア組織「Buurtzorg」。ナースの後ろをついていくと,患者さん宅の洗面台はお好みのコスメが勢ぞろい。サポートが必要だからといって,好みや自分式のやり方を我慢しなくてよいのかも。
 在宅医療を利用する患者さんの男女比は,全国的にはどうなっているのでしょうか? ある診療所では男性がわずかに多いそうですが,女性のほうが長生きだからといって在宅医療になるとは限らないということですね。夫を見送って,自分の番になったら誰も看てくれる人がいない。周りでもよく聞く話です。

 あっ,すみません。話題がそれました。はい,私はある方の美容クリームです。主人は80歳をとうに超えたご婦人ですが,大変きめ細やかな肌と心の持ち主です。10年以上前に夫をご自宅で看取り,今は息子さん宅に同居されています。私との付き合いはもう長く,40年以上になるでしょうか? その間,どんどん新しい商品が世の中に出ましたが,浮気は一度もありません。私も大変誇らしく思っていました。

 主人ががんと診断されたその時も,私はそばにいました。主人はお腹の痛みをきっかけに精密検査を勧められて入院。検査の結果,がんが全身に転移し,手術や抗がん剤の治療はできない状況でした。その晩も,主人は語りかけるようにして私を手に取り,ゆっくりと自分の顔に伸ばしていきました。私も精一杯シワの間に染み込んでいきました。

 退院が決まり,訪問診療を担当する医師があいさつに来ました。在宅療養に関して不安はないかと尋ねますが,主人は「不安は何もありません。よろしくお願いします」と答えるだけ。不安がないなんてことはないだろうと思いました。でもその夜も確かにお顔に不安の色はなく,いつもと変わらぬ柔らかなお肌。「私は家に帰れるだけで本当に幸せ」。そんなつぶやきを一言,漏らしました。

 訪問診療が始まって2か月が経ち,主人は食事も水分も思うようには摂れなくなり,お肌も少し調子が悪いようです。主人は洗顔に関して特にこだわりがあって,顔にはお湯を使わない,水でバシャバシャと洗うのがお決まり。洗面所に立てなくなった今,それができないのはとても残念そうでした。そんな主人に代わって,家に訪れるいろんな職種の方が身の周りの世話をしてくれています。濡れたタオルをチンして温め,体を拭いていただくこともありました。「お顔もどうぞ」。暖かいタオルが手渡され,主人はお礼を言いました。本当は冷たいタオルのほうがいいのかな? 私の出番かな? ソワソワして待っていましたが,主人はでんと構え,一向に私を使うそぶりを見せません。皆がいなくなった後,ようやく私が取り出されるのでした。

 ある日のこと,ベッドのテーブルの上に置きっぱなしになっている私に気付いた人がいました。「あっ。これ,ウチのおばあちゃんも愛用していました」。この専門職は少しなれなれしく,私を手に取って話し掛けてきました。「いつから使っておられるんですか?」「もう長いですよ」「だから肌がおきれいなんですね」。主人もなんだかうれしそう。このまま話が膨らむことを期待しましたが,これですぐおしまい。「顔は冷たいタオルで,仕上げはワタクシ美容クリームをたっぷりと!」。主人好みのやり方を伝えたいと思いましたが,私から声を掛けるなんてできませんでした。主人はいつものように皆が帰った後で私を塗り,あと何回使えるのかしら,この瓶で足りるのかしら,と私をのぞき込んでいました。

つづく