医学界新聞

対談・座談会

2014.10.06



【対談】

“2年目”の君へ
教えることこそ,一番の学び!
佐田 竜一氏(亀田総合病院総合内科部長代理/内科合同プログラム担当)
筒泉 貴彦氏(練馬光が丘病院総合診療科/内科レジデントプログラムディレクター)


 臨床研修中には,身につけなければならない知識やスキルが山積みです。それらをひたすら学んでいればよかった研修医1年目とは違い,2年目になると,後輩への“教育”がミッションに加わります。「自分が教えるなんてまだ早いよ」「教育って意識したことないなぁ」――そんな方も多いかもしれませんが,実は“教えること”に積極的に取り組むことで,さまざまなメリットがあるのです。今回は,そうした教育の重要性に早くから気付き,“教え方を教える”ことに情熱を傾け続ける2人の指導医による「教え方入門」をお届けします。


“教えること”に意識的な医師は,まだまだ少ない

筒泉 私が教育の重要性に開眼したのは,初期研修時に平岡栄治先生(現・東京ベイ・浦安市川医療センター総合内科)に師事して,米国式の医学教育の薫陶を受けたことがきっかけなんです。従来の“背中を見て覚えろ”ではない,きちんと言語化された教育のやり方があるのだと知り,平岡先生が学んだハワイ大の臨床研修プログラムに自分も留学,その過程を実体験するとともに,教育のエキスパートから方法論を学ぶ機会も得ました。今は,そうして得たことを日本でどう生かすか,試行錯誤しているところです。

佐田 私の場合は,後期研修先だった天理よろづ相談所病院がいわば日本における“卒後臨床教育のメッカ”で,そこで教育の重要性や楽しさに目覚めました。後期研修時代には「関西若手医師フェデレーション」という団体で他院との教育文化の共有を試みたり,今も卒後10年目前後の医師で作った「Galaxy」という団体で医学生向けの“出前授業”を企画したりと,所属施設の内外を問わず,自分や周囲の“教える力”を高める取り組みを続けています。  でも,活動していて思うのは,“教えること”について意識的な医師が,やはり日本にはまだ少ない,ということなんです。

筒泉 確かに,ACGME(卒後研修認定協議会)によって研修医教育の質が管理されている米国と比べると,教育への関心は高くはないですね。“生まれついての教え上手”だったり“教え好き”の医師が,施設・地域限定的に教育レベルを大幅に上げていたりするのですが,そうした才覚や関心のある人がいなければ,教育することの優先順位は,なかなか上がりにくい。

佐田 そうですよね。初めて指導的立場に立った2年目研修医でも,教えることが苦手,あるいはその重要性を認識していない人をよく見かけます。「どうしようか……」と一緒に困っているだけだったり,逆に自分の考えを押し付けているだけだったり。でも,研修医こそ“教える”ということにもっと積極的になってほしいです。教えることというのは,教わる側だけでなく,教える側にとっても大きく成長するチャンスなのですから。

教育力の向上=臨床力の向上

佐田 教えるということはまず,自分の知識の整理,深化に結びつきます。知識量なら誰にも負けないと思っていても,臨床現場で後輩に何か聞かれたとき,その知識をうまく整理して答え,理解してもらうのは意外と難しい。これは知識が体系立っていなかったり,そもそも理解が十分ではなかったりするからです。

筒泉 裏を返せば,自分の習熟度を高めるためには,「人に教える」ことが非常に有効,ということですね。

佐田 まさにそのとおりです。学習者の理解度は「RIMEモデル」と呼ばれる4段階で表現されますが,Reporter(報告できる),Interpreter(解釈できる),Manager(知識を行動に移せる), とレベルが上がり,一番上がEducator(教育できる)。つまり学習者が理解度を高めた先には,「教える」行為がつながるはずなのです。

 さらに,わかりやすく教えようとする努力は,コミュニケーションスキルの向上を促します。コミュニケーション能力が上がれば,患者さんとの良好な治療関係を作るのにも役立つでしょうし,一緒に働く他職種ともスムーズな関係を築け,マネジメントもしやすくなると思うのです。

筒泉 教育能力を向上させることで,臨床に必要な能力も総合的に向上させられる,というわけですね。

まずは“ともに学ぶ”意識で

佐田 いざ教える側に立ったとき,まず意識してほしいのは,教育は「指導」ではない,ということです。

 私自身,「指導医」と呼ばれることに違和感を覚えていて,心掛けているのは,自分が行くべきと思う方向へ,一方的に“指差し導く”のではなく,あくまで相手の習熟度に合わせてめざすべき方向を一緒に探していくこと。それこそが学び手を“教え育む”ことになる,と考えています。

 言わば,ただ教えることのみに着目する“Teacher”と,学習者と対話しながら学習者の能力に合わせて気付きを与えられる“Educator”の違いだと思います。

 簡単な例を言えば,何か聞かれたときに,「○○だと思うから,××しておいて」とすぐ正解を提供するのではなく「あなたはどう思うの?」と問い返せること,だと思います。そうすることでお互いの思考が整理できますし,ともに学ぶ,一緒に探すという立ち位置を明確にできます。

 そうして相手の考えを聞いた上で,自分に知識があれば「そこは確かに正しいけれど,一般的には△△もあるかも」と,その後にも応用できるかたちでアドバイスを行う。もし自分にも自信がないことならば「夕方までに正確なところを調べておくね」と断って,後でメールなどで情報を送るのも,もちろんよいと思います。

筒泉 私はそういうとき,ちょっと威厳を保ちたくて。緊急のことでなければ「いい質問だね! 自分でもちょっと調べてみて」と言って,自室に急いで帰って勉強し,数時間後,あたかも知っていたかのように振る舞ったりもします(笑)。でも,知識も経験もまだまだ足りない段階では,完璧な姿を見せようと取り繕いすぎないほうがいいですね。できること,できないことをきちんと把握しておくことは自分の成長の糧になりますし,うまくいかない姿を正直に見せることが,時にはよい教育になる場合もあります。

 当院の朝のカンファレンスでは,研修医だけでなく上級医にも発表の義務を課していて,普段は偉そうに座ってコメントをしている人が,発表では意外と緊張してミスもしますし,そこを研修医に突っ込まれたりする。あえてそういう機会を作ることで,「この人でもこんな失敗をするんだ」「私も気をつけよう」と,心に刻んでもらえたら,という狙いがあります。

“ちょっとお兄さん”目線で

筒泉 ただ,一緒に学ぶということ...

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