「医療政策研究」はじめの一歩(津川友介)
寄稿
2014.03.03
【寄稿】
「医療政策研究」はじめの一歩
根拠に基づいた政策づくりを推し進めるために
津川 友介(Harvard Interfaculty Initiative in Health Policy)
ハーバードで学ぶ医療政策学博士プログラムとは
私はハーバード大で医療政策学の博士課程1)に在籍し,医療政策研究を学んでいる。今回はこのプログラムで学んでいる医療政策研究の概念および方法論を中心に概説する。
ハーバード大の医療政策学博士プログラムは1992年に医療経済学者ジョセフ・ニューハウスによって設立されたプログラムであり,ハーバード大(Harvard University Graduate School of Arts and Sciences)および5つのプロフェッショナル・スクール(ハーバードビジネススクール,ハーバード公共政策行政大学院,ハーバード法科大学院,ハーバードメディカルスクール,ハーバード公衆衛生大学院)によって構成された集学的なプログラムである。単一のプログラムであるものの,その中で医療経済学,医療経営学,評価科学/統計学,政治学,決断科学,医療倫理学という6つの専門分野に分かれている。ハーバード公衆衛生大学院の医療政策学のプログラムも,ハーバードビジネススクールの医療経営を専門とした博士課程も,現在では本博士プログラムの一つの専門分野という位置づけになっており,現在はハーバードで医療政策にかかわる博士課程は全て本プログラムに統合されている。
医療政策研究の概念と方法論
医療政策研究(Health policy research)には広く受け入れられている正式な定義があるわけではないため,本稿では便宜上,医療政策研究を「政策立案者(政治家,官僚など)が医療政策を策定するときに必要となる科学的根拠(エビデンス)の提供を目的とした研究」と大まかに定義する。
医療政策研究と似た概念として,ヘルス・サービス・リサーチがある。これは,医療の効果的・効率的な提供を目的とした研究の総称であるが,ガイドラインの作り方や個人の行動など,政策に直接的な関係がないものも含まれる。また,医療政策研究には,政治学研究などのヘルス・サービス・リサーチの定義2,3)を満たさない研究も含まれる。以上より,医療政策研究とヘルス・サービス・リサーチとはオーバーラップする概念だと言える。
医療政策研究の多くは非常に多分野学際的(multidisciplinary)であり,統計学,生物統計学,計量経済学などのさまざまなフィールドの方法論を必要に応じて組み合わせることが必要となる。生物統計学からはRCT(ランダム化比較試験)や生存時間分析の方法論を取り入れ,計量経済学で開発された操作変数推定法(Instrumental variable method)や差分の差分分析(Difference-in-difference analysis)も用いる。
医療政策研究の種類として,(1)因果推論(causal inference),(2)記述的分析(descriptive analysis),(3)予測モデル(prediction model)などがある。因果推論とはある二つの事象が要因暴露(Exposure)と結果(Outcome)であることを推定する方法であり,例えば病院の症例数と患者の予後との関係を検証する研究4)や,患者の自己負担の割合が医療サービスの利用頻度および患者の健康レベルにどのような影響を与えるかを見る研究5)などがある。記述的分析とはシンプルに今何が起きているのかを説明する研究で,救急搬送された心肺停止状態の患者の予後が地域によってどれくらい異なるのかを見た研究6)などがある。予測モデルは医療政策研究ではあまり行われないため省略する。
ここでは,研究結果の政策へのインパクトが大きい因果推論を説明する。
観察研究から因果推論を導き出す
臨床研究ではRCTが因果推論のゴールドスタンダードであるが,医療政策に関してはRCTのような介入を行えるのはまれである[政策評価のための実験は社会実験(Social experiment)と呼ばれる]。よってレセプトや病院のデータなどの観察研究から得られたデータ(実験によって得られたデータではなく,他の目的のために収集され存在するデータ)からいかに正確な因果推論を導き出すかが,医療政策研究の命題である。因果推論には(1)「研究デザイン」の段階でいかにバイアスを少なくできるかという問題と,(2)実際にデータが集まった段階でどのような「統計解析方法」で解析するべきかという課題がある7)。観察研究において因果関係を導き出す研究デザインには,分割時系列デザイン(Interrupted time-series design),回帰分断デザイン(Regression discontinuity design),対照群や介入前のデータを用いるデザインなどがある。社会科学における因果推論の「研究デザイン」に関しては,Shadish,Cook,Campbellの教科書が詳しい8)。
いざデータが手元に集まった時点で,どのような「統計解析方法」を用いて因果推論を行うかという問題に関しては,ハーバード大には二つの学派がある。同大の統計学者ドナルド・ルービンが開発した「ルービンの因果推論モデル(Rubin's causal model)」9,10)と,公衆衛生大学院の疫学者ジェイムス・ロビンスやミゲル・ハーナンらが提唱する因果推論図(Causal diagram)を用いる方法である11,12)。
ロナルド・フィッシャー卿がRCT(実験)の結果を用いた因果推論を証明する方法を開発したが,このフレームワークを応用して,観察研究データから因果推論を証明する方法がルービンの因果推論モデルである9,10)。ルービンは多重代入法(Multiple imputation method)やプロペンシティ・スコアを開発したことでも有名だ。彼は,観察研究において特徴が十分似ている治療群とコントロール群を選び出して比較することで,観察研究のデータでRCTを"模倣"する方法を開発した。
一方で,ロビンスら疫学者のグループは,暴露要因,結果,交絡因子などをシンプルな図にして視覚化した因果推論図[DAG(Directed acyclic graph)とも呼ばれる]を描き,それを元に因果推論を行う方法を提唱している12)。
根拠に基づいた医療政策を,いかに発信していくか
臨床医学の世界ではEvidence-based medicine(EBM)が広まって久しく,多くの臨床医は科学的根拠=エビデンスに則った医療行為を提供することの重要性を認識している。しかし,医療政策に関してはいまだにエビデンスに基づいておらず,データが用いられた場合にもバイアスを十分に取り除かれていない状態で評価されていることが多い。高齢化が進み,医療費も上昇し,医師をはじめとした人的資源も限られている現代の日本の医療システムにおいて,限られた資源を最大限活用するためには根拠に基づいた医療政策(Evidence-based health policy)が必要不可欠であると考える。
EBMと異なり,Evidence-based health policyにおいては科学的に証明されたエビデンスは,政治的判断によって導入されないこともある。これはエビデンスの作成(医療政策研究)と,エビデンスの採用(政治的プロセス=politics)の二つのステップがあるためだ。また,エビデンスの強さのみで評価されるEBMと異なり,Evidence-based health policyにおいてはエビデンスの強さとコンテキスト(社会的背景,エビデンスがどれくらい政策との関連性や一般化可能性が高いか)という二つの要素によって成り立っているというとらえ方もある13)。
いずれにしても,日本の医療システムを良くしていくためには,より多くの人が医療政策研究を行い,エビデンスを世の中に発信し,最適な改善策を提案していくことが重要であると私は考える。実際に医療政策を策定するのは政治家や官僚かもしれないが,その判断材料であるエビデンスを提供するのは,医療政策研究を行う医師,看護師,薬剤師,医療経済学者,研究者などである。医療政策研究は救急,小児科などの各専門領域を深く理解している医療従事者と,方法論に精通した医療政策研究者が一緒に行うことで質の高い研究を行うことができる分野である。ご自分の専門領域に関する医療政策研究に興味を持っておられる医師やその他の医療関係者がいらっしゃればご連絡いただき,一緒に医療政策研究を進めていく可能性を模索できれば幸いである。
謝辞:東尚弘先生(国立がん研究センター)より,医療政策研究について示唆に富むアドバイスをいただきました。心より感謝申し上げます。
◆参考文献
1)Harvard Ph.D. Program in Health Policy. Harvard University.
2)Definitions of Health Services Research. National Information Center on Health Services Research and Health Care Technology (NICHSR).
3)Health Serv Res. 2002. [PMID: 11949927]
4)Med Care. 2013. [PMID: 23942219]
5)Newhouse JP, et al. Free for all?: lessons from the RAND health insurance experiment: Harvard University Press; 1993.
6)Resuscitation. 2013 [PMID: 23499636]
7)Psychol Methods. 2010 [PMID: 20230100]
8)Shadish WR, et al. Experimental and quasi-experimental designs for generalized causal inference. Houghton Mifflin; 2002.
9)Holland PW. Statistics and causal inference. J Am Stat Assoc. 1986; 81 (396): 945-60.
10)Annu Rev Public Health. 2000. [PMID: 10884949]
11)Epidemiology. 1999. [PMID: 9888278]
12)Hernan M, et al. Causal Inference. Chapman & Hall/CRC; 2013.
13)Soc Sci Med. 2004. [PMID: 14572932]
津川友介氏 2005年東北大医学部卒。聖路加国際病院にて研修後,10年に渡米。10-13年,ハーバード大医学部/ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センター一般内科リサーチフェロー。12年にハーバード公衆衛生大学院にて公衆衛生学修士号(専攻: 医療政策学)取得。同年より,ハーバード大医療政策学博士課程(PhD Program in Health Policy)に在籍し,医療政策のインパクトの定量的評価方法を学んでいる。専門は医療政策学,医療経済学,統計学(計量経済学を含む)。 |
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