「VPDのない社会」に向け,青写真を描く(齋藤昭彦,高畑紀一,藤岡雅司,堀成美)
対談・座談会
2014.01.06
【新春座談会】VPDのない社会に向け,青写真を描く | |
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日本の予防接種制度の歴史を振り返ると,ワクチン接種による副反応・健康被害に揺らいできた姿が浮かび上がってくる。「ワクチンで予防できる疾患(VPD)はワクチンで防ぐ」。その理念を実現するために,現行制度をどう見直し,医療者は何に取り組んでいくべきなのだろうか。本座談会では,日本の予防接種の歩みと取り巻く環境の変化を俯瞰し,予防接種の普及を阻む課題を探る。そして,全ての人々がVPDから守られる社会に向け,予防接種戦略の青写真を描く。
齋藤 昨年,日本の風疹流行が大きな問題となったとき,海外の感染症専門家はその状況を気にかけていました。特に事態を重く見た元米国小児科学会会長・Louis Cooper氏は,米国小児科学会を通して国連日本政府代表部大使宛に早急の対策を書簡で呼び掛けたといいます。その文面には,「日本は,GAVI(The Global Alliance for Vaccines and Immunization;ワクチンと予防接種のための世界同盟)を通じ,新たなワクチンの開発や発展途上国への輸出協力など,資金や技術を提供し,国際的に多大な貢献をしてきた。しかし,その国がなぜ自国の風疹対策には積極的に取り組むことができないのか」とあったそうです。
本件に限らず,日本の予防接種体制が諸外国より立ち遅れていることは長らく指摘されてきました。この数年,いわゆる「ワクチンギャップ」は埋まりつつありますが,いまだそのギャップは数多く存在します。
折しも,昨年の予防接種法の改正や,風疹流行を受け,国内で予防接種の重要性に対する認識がさらに高まってきました。いまこそ,本邦の予防接種戦略を見直す岐路に立っているのではないでしょうか。本日は,VPD(Vaccine Preventable Diseases;ワクチンで予防できる疾患)のない社会をつくるために,どのように制度を見直すべきか,現場の医療者にはどのような意識や行動が必要なのかを議論していきたいと思います。
欠けていた長期的ビジョンの共有
齋藤 初めに,こうしたギャップが生じることとなった背景から考えてみたいと思います。
藤岡 まず,日本の予防接種制度が立ち遅れることとなった転換点として,1992年12月,東京高裁の「予防接種ワクチン禍集団訴訟」判決が挙げられます。健康被害の被害者・家族が,種々のワクチンを推奨してきた国を相手取って起こした訴訟です。判決において,司法は「厚生大臣には,禁忌該当者に予防接種を実施させないための充分な措置をとることを怠った過失がある」と,国に敗訴を言い渡しました。
確かに当時の予防接種には,制度設計の時点で不十分な部分も散見されます。しかし,ワクチン接種との因果関係が認められない事象である「紛れ込み」の可能性が考慮されておらず,国・厚生大臣の「過失である」と見なし,「予診を尽くせば副反応事故の発生を回避することができた」という前提に立った判決であったと言えるでしょう。この判決は,その後の予防接種行政を萎縮させるものになったと思います。
齋藤 接種後に無菌性髄膜炎が多発した問題を受け,MMRワクチンが一時中止されたのが,その翌年の93年です。予防接種と健康被害をめぐる出来事が重なって,この頃,予防接種に対する国民の不信感は大きく高まりましたね。94年にはそうした社会状況を反映して,予防接種法が改正された。このときに,予防接種は「義務規定」から「勧奨(努力)義務規定」へと緩和され,そして「集団接種」主体から「個人接種」主体へと,その位置付けがシフトしました。その結果,日本の予防接種施策そのものが大きく後退する形となってしまいました。
高畑 予防接種制度に対する国民の理解そのものが欠けていたことも,世界水準から遅れをとった要因の一つではないでしょうか。その点では,国民の理解を得るための努力が,国に不足していたと言えます。一般市民にとって,疾患の減少という目に見えないベネフィットはわかりづらいものです。むしろ一定頻度の割合で発生する副反応・健康被害のほうが目につきやすい。国からの適切な情報発信がなければ,一般市民が予防接種の役割を理解することは難しいと思うのです。
実際に私も,息子が細菌性髄膜炎に罹患したことをきっかけに「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」の活動に参加するようになるまで,予防接種の必要性を理解できていませんでした。関心を持って国内外のワクチン・予防接種制度に関する情報を集めるようになって,初めて予防接種の有効性を知ることができたのですね。
堀 諸外国を見ると,「予防接種はいかに多くの人々を救うものか」を一般市民に訴える,パブリックコミュニケーションを常日頃から行っていますよね。そうした努力の上に,「VPDはワクチンで防ぐ」という施策について,社会的合意が成り立っているのです。だから,副反応・健康被害や訴訟問題が発生しても,日本とは違って,予防接種制度を前へ前へと進めていくことができたのでしょう。
ただ,予防接種に関するパブリックコミュニケーションが日本で不足していた責任は,何も国のみにあるわけではありません。医療者が国のその姿勢を見過ごし,声を上げてこなかったことも反省すべき点です。
齋藤 つまり,これまでの歩みを省みると,日本では「VPDはワクチンで予防する」という長期的ビジョンに欠けており,その理念を社会全体で共有できていなかったということなのでしょう。その結果として,ともすれば医学的合理性より,「予防接種によるリスクはゼロでなければいけない」,いわゆるゼロリスクの考えの中で制度設計も進められてきてしまったわけです。
世界標準から外れた,日本独特の制度
齋藤 萎縮したまま進められてきた日本の予防接種体制には,諸外国と比べ,独特な制度や国民の予防接種に対する考え方が存在しています。
堀 海外の感染症専門家と予防接種制度について議論すると,さまざまな点で世界標準から外れた独自の制度が存在することに気付きますね。
例えば,国民の予防接種状況を国として把握・管理ができていないことです。予防接種に力を入れる国であれば,ワクチンを接種した一人ひとりの情報をデータベースに登録しており,個人の接種状況や接種歴,国や地域の接種率を即座に確認することができます。一方日本では,予防接種状況を記す予防接種台帳の管理は地方自治体に任せられており,その中には紙ベースのアナログな管理にとどまっている自治体もあります。一つのデータベースに情報を地域横断的に蓄積できていないため,転居などで個人の追跡が途絶えてしまうことがあるのです。
このように国としてデータを把握・管理ができていない中で,信頼に足る調査が実施できるのかと,海外の専門家に驚かれてしまうこともしばしばです。
藤岡 実施主体は地方自治体であるとはいえ,予防接種そのものは国家的施策です。接種状況の管理を自治体の支えに頼るのではなく,持続的な管理体制を敷くためにも国の一元管理に移行し,全国的に活用できるシステムを構築する必要がありますね。
齋藤 また,日本独特の制度といえば,「定期接種」と「任意接種」という分類もそうです(表)。両者は制度上の違いこそありますが,任意接種の重要性が定期接種に劣るわけではありません。しかし,任意接種ワクチンは(1)費用負担が大きい,(2)自治体による接種推奨が十分に行われない,(3)万が一の副反応に対する補償が定期接種のワクチンと比べて低い,などの理由から接種率が低い。そのために,任意接種の枠組みである水痘やムンプス,B型肝炎といった感染症の流行を抑制できていない実態があります。
VPDをなくすという観点に立つと,将来的には「定期接種」「任意接種」という枠組みそのものを取り払うべきであると強く考えています。
高畑 同感です。一般市民の感覚からすると「定期接種」「任意接種」という枠組みから,「定期接種は絶対に必要なもの,任意接種は接種する必要性が低いもの」と思い込んでしまいます。実際に私自身,息子が細菌性髄膜炎に罹患する以前はそういうとらえ方をしていましたから。一般市民に与えるイメージを考えても,全て「定期接種」という位置付けで法定化されることが望まれます。
表 定期接種と任意接種(2013年12月時点) |
世論と一線を画した視点からの冷静な議論を
齋藤 13年4月から,Hib感染症,小児の肺炎球菌感染症,ヒトパピローマウイルス感染症に対するワクチンが定期接種に組み込まれました。特にHibワクチン・小児用肺炎球菌ワクチンの定期接種化においては,高畑さんが事務局長を務めた「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」などの患者支援団体・市民団体の熱意ある活動(写真)が大きな後押しとなったことは,皆さんご承知の通りだと思います。
写真 患者支援団体・市民団体の活動 |
左:2010年10月14日に行われた「2010すべての希望するこどもたちにワクチンをデモ」の一場面。「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」をはじめとした患者支援団体・市民団体の他,都道府県保険医協会などが参加。希望する全ての子どもたちが世界標準のワクチンを無料で接種できる制度の必要性を訴えた。 右:厚労省での記者会見のようす。2011年11月21日,「VPDを知って,子どもを守ろうの会」を含む9団体で予防接種法改訂に関する共同要望書を厚労大臣に提出後,開催された。 |
写真提供:千葉県保険医協会・吉川恵子氏,VPDを知って,子どもを守ろうの会・中井麻子氏 |
患者支援団体・市民団体として厚労省・財務省といった関係各所へ訴えた経験から,制度が動くポイントはどこにあったとお考えですか。
高畑 やはり世論が重視されていると感じます。国会議員や政府役人に定期接種化を訴えた際も,返答は必ず「世論が盛り上がらないことには……」というものでした。
堀 世論が高まらないと,検討の俎上にも載せられないと。
高畑 そうです。ですから,われわれは社会に問題の重要性を認知してもらうため,署名,ロビー活動,パレードといったあらゆる活動に取り組みました。結果的にはそれらがメディアにも取り上げられ,世論を作る追い風となり,Hibワクチン・小児用肺炎球菌ワクチンの定期接種化にもつながったのだと思います。
ただ,これらと同等に優先順位の高い水痘・ムンプス・B型肝炎ワクチンに関する検討が当時十分に行われず,任意接種のまま据え置かれてしまった点は腑に落ちません。世論に訴えかける手法のみでは,そうした医学的合理性を欠く,アンバランスな制度変更を生む危険性も孕んでいると感じます。
藤岡 過去の副反応・薬害事件などの影響でしょうか,世論の風向きがワクチン導入の是非を決める最優先のファクターとなってしまっている面は確かにあります。本来であれば,「国内で起こるVPDの流行を予防する」という理念のもと,世論とは一線を画した視点でワクチンの必要性を冷静に議論し,国策として制度に反映していくことも求められます。しかしながら,それがなかなか実現できていないのが日本の現状ですよね。
ワクチンや制度の評価・検討は“開かれた場”で
齋藤 日本の予防接種施策に関する議論の進め方や,意思決定機関の在り方はかねてから問題視されてきた部分です。昨年の予防......
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