医学界新聞

対談・座談会

2011.10.03

座談会

プライマリ・ケア医から専門医まで,
パスをつないで"発作ゼロ"のゴールへ

てんかんの診療連携を考える

中里信和氏(東北大学大学院教授てんかん学)=司会
成田徳雄氏(気仙沼市立病院脳神経外科科長)
赤松直樹氏(産業医科大学准教授神経内科学)
白石秀明氏(北海道大学病院小児科)


 日本におけるてんかんの有病率はおよそ1%。その多くが,適切な診断と治療で発作を抑制できると言われる。一方で日本てんかん学会の認定医(臨床専門医)は349人,総合的なケアを手掛けるてんかんセンターは国内に5施設のみ。質の高い治療を誰もが享受するためには,人材育成や専門医間の連携強化のほか,約8割の患者の診療を担うプライマリ・ケア医との情報共有と連携が喫緊の課題となる。てんかんに携わるすべての医師がパスをつなぎ,“発作ゼロ”というゴールをめざす――本座談会ではてんかん医療の理想形を展望するとともに,実現に向けた方策を議論した。


人材育成とセンター化が急務

中里 まず皆さんから見た,てんかん診療の現状と課題について教えていただきたいと思います。

 赤松先生,欧米ではてんかんは主に神経内科医が診る体制が整っていますが,日本でも,てんかんを診る神経内科医は増えているのでしょうか。

赤松 現状ではまだまだ少ないのですが,私の世代あたりから,米国などで専門教育を受けててんかんをサブスペシャリティとする神経内科医が少しずつ増えています。本年4月からは当院にも,助手と大学院生のほか,3か月間限定ながら脳波を勉強したいという後期研修医が入り,後進の育成をようやく始められるようになりました。

中里 3か月学ぶだけでも全然違いますよね。

赤松 ええ。脳波は既に完成されている学問のせいか,若い人は興味を持ちにくいようですが,臨床では確定診断につながる非常に有用なツールとなりますので,きちんとマスターしてほしいと思っています。

 脳波のモニタリング・ユニットも当院には1床しかないので,本当は東北大病院のように増床したいのですが,なかなか難しいですね。

中里 当院のユニット数は,てんかん科4床と脳神経外科2床ですが,欧米のてんかんセンターでは10床,20床単位で稼動させています。実はそのほうが,病院経営面におけるメリットも大きいのです。24時間体制で脳波をチェックするには検査技師が7-10人は必要なので,1床だけでなく10床を並列してモニタリングすれば,格段に効率がよくなる。特にDPCを導入している大規模施設なら,プラスになることが多いです。当科も,経営的には悪くないんですよ。

成田 スケールメリットがあるということですね。

白石 採算が取れるという証左があれば,増床の動きが広がりますよね。

赤松 実は韓国も,約10年前までは日本と同様の状況でしたが,国家政策としててんかんセンターを設立し,神経内科医と患者を集め,手術も集中的に実施する体制を整えた結果,急速にてんかん診療がレベルアップしたと聞きます。やはり日本にも,そうした施設が20程度は必要でしょうし,私たちがその先導役になりたいと考え,活動しているところです。

中里 人材を育てるとともに,包括的な治療ができるセンター作りが必要だということですね。

小児のてんかん診療システムがかかえる課題

中里 白石先生は,北海道という広い地域で小児のてんかん診療に携わっておられます。どのような診療体制で臨んでいるのですか。

白石 函館・帯広・釧路・旭川・江別の5地域には本学出身の小児神経専門医が常勤しています。加えて,当院の小児神経グループの常勤である私と非常勤の医師3人,大学院生3人で手分けして,10施設ほどで専門外来を開設しています。道内の札幌医大,旭川医大の先生方とも密に連携をとっており,何とか北海道全域を網羅的にカバーしようと,努力しているところです。

赤松 成人のてんかん診療に比べると充実した診療体制ですね。

中里 確かに小児に関しては,九州など他の地域でも,一定のレベルを保ったてんかん診療ができていると聞いています。その理由はどこにあるのでしょうか。

白石 小児科にはもともとジェネラリスト志向の医師が多いですし,特に本学は小児科の規模も大きく,全分野を網羅的に診ることを是とする気風があります。小児科専門医を取得するまでの5年間で,神経疾患を診ないことはありません。また,北海道という地域性もあり,へき地で1人で当直しているときにどんな疾患の患者さんが来ても,必ず初療はできるようになろうという考え方が,伝統的にあることも大きいですね。

中里 難治性の患者さんがいた場合,その地域の専門医が診た後,大学に引き継がれるのですか。

白石 ええ。当院でも常に1-2人の患者さんを抱えていてモニタリングが必要な状況ですが,ある程度落ち着いたら,また地域に戻ってもらいます。

中里 理想に近いシステムだと思います。

白石 ただ,新医師臨床研修制度が始まり,独自に研修する若い医師が増えてきたこともあり,必ず最初は自分で診て,評価してから専門医に診せるという気風が育ちにくくなっていると感じています。責任感を持った医師がいなくなると,理想的な診療体制もいずれは崩壊してしまう。今後の見通しは少し不透明かもしれません。

 また,患者さんがある程度成長すると,小児科から内科や精神科へと引き継がなくてはなりませんが,引き受けてくれる医師がなかなかいないことも大きな問題です。

中里 いわゆる“キャリーオーバー”ですね。

白石 ええ。薬をきちんと飲めばコントロールできる患者さんに関しても紹介先がないのですから,まして複合障害のある患者さん,例えば寝たきりで,かつてんかんを持っている方などは,引き受け先が本当に見つからないのです。地方ではなおさら,その傾向が強いです。

中里 知的障害がある場合も同様ですね。こうしたキャリーオーバーは,全国的に問題になっていることです。

白石 最近では地方の外来診察で,成人の患者さんに「今後も,小児科で診ますから」と言わざるを得ないことが多くあります。こうなると,小児神経科医がいくらいても足りません。

「てんかんの薬はメガネのようなもの」

中里 成田先生は脳神経外科のご出身ですが,地域のプライマリ・ケア医としててんかん診療にかかわってこられました。東日本大震災では宮城県の災害医療コーディネーターとしてご活躍されましたが,震災後,てんかん患者さんは,どんな状況に置かれたのですか。

成田 3月11日から4月末の段階で,当院に入院した脳疾患の患者さん71人のうち,8人がてんかんでした。もともとてんかんがあって,薬が飲めないことで症状が悪化し入院した方が6人,あと2人は,脳卒中の後遺症のみだったのが,震災後初めててんかん発作を起こして来院されました。断言はできませんが,栄養状態も環境も悪いなか,全身状態の悪化に伴って,けいれんが起きやすい状況があったと思います。

中里 気仙沼以外の宮城県内の救急病院でも,震災後にけいれんの頻度が増えただけでなく,初めてけいれんを起こして救急車で運ばれた人が結構いたそうです。

 “地域密着型のプライマリ・ケア医”という立場から,てんかんを診る上で難しいと感じておられることはありますか。

成田 私がいつも悩んでいるのは,患者さんをどのタイミングで専門医に送るか,という点です。大きな全身けいれんが多ければ何とかしようと思いますが,小さい発作だとつい「まあ大丈夫かな」と考えてしまいがちなんです。

中里 治療のゴール設定が甘いと,専門医に送る必要性を感じにくいということですね。

 確かに,「うちの患者はだいたい年に1,2回発作が起きるけど,我慢できているし,専門医に送るまでもないよ」なんておっしゃるプライマリ・ケア医の先生もいます。でも「年に1,2回」発作が起きるのなら,こちらとしては送ってほしい。ちょっと薬を調整すれば,真の発作ゼロ(complete seizure free)にできる可能性も大いにあります。

赤松 同感です。発作が完全に止まっていなければ,一度は専門医に診てもらうという意識付けが必要ですね。

中里 最近米国では「patient of epilepsy(てんかんの患者)」ではなく,「people with epilepsy(PWE)」つまり「てんかんを持った方」という呼び方をします。これは,例えば近視の方が眼鏡をかければ何ら支障なく日常生活を送れるように,てんかんがあっても,薬を飲むことで普通の人と変わらない生活ができるという考え方です。逆に言うと,薬をきちんと飲んでいれば,副作用も発作も心配ないところまで,治療のゴールを高めなければならない。

 私も患者さんには「てんかんの薬はメガネのようなもの」と説明して,2年後には車の免許が取れることを目標にし,女性には「将来,元気な赤ちゃんを無事に産めることをめざして頑張ろう」と言います。実際,皆さん,ちゃんと赤ちゃんを連れてきますよ。

成田 てんかんの薬=メガネ,という考え方はいいですね。「もう治らない病気だ」と落ち込んでしまう患者さんも多いですから,そういう人に希望を与える言葉だと思います。

■けいれん発作だけではないことを知って

赤松 プライマリ・ケア医の方々に知っておいてほしいのは,てんかんの発作といえばけいれんと思われがちですが,実は成人のてんかんでいちばん多いのは複雑部分発作(かつての精神運動発作:psycho-motor seizure)だということです。この場合,けいれんは起きず,意識がなくなって自動症が出現します。

中里 動作が止まったり,モゾモゾし続けたり,といった現象ですね。

赤松 はい。自動症は日常生活に非常に支障があるもので,実は本年4月に栃木県鹿沼市で起きた,てんかん患者によるクレーン車事故も自動症によるものなのです。

成田 認知症と誤診してしまう場合もありますよね。

赤松 認知症と複雑部分発作の誤診は非常に多くあります。複雑部分発作なら少々の抗てんかん薬でピタッと止まりますから,これは非常に大事な鑑別点です。

中里 小児のてんかん発作も,鑑別が難しいですね。

白石 ええ。基本的に,手術で治療が可能なてんかんの多くは8歳ごろまでに発症します。皮質形成異常に関連したてんかんですと,もっと早く,2歳程度で発作を起こす場合もあります。こうした幼児のてんかんにも前兆がある場合はありますが,例えば「目を見開いてお母さんにしがみつく」など,理解が非常に難しい症状です。幼児は「モヤモヤする」などと自分の症状を説明することはできませんから,慣れていなければ気付かないことも多いと思います。

中里 見落としが多いのもうなずけます。

白石 また,小学生のてんかん症例では,当初「1日中,学校にも行かず,グタグタして家にいる」との訴えで,最初に受診した病院で精神的な問題と診断され,そのまま2年ほど「不登校児」としてメンタルクリニックに通っていた例もあります。しかし実は,意識減損発作が必ず午前8時ごろに起こり,その発作後の症状でずっと学校へ通えなかったのです。11歳で左の海馬に硬化像がみつかり内側型側頭葉てんかんと診断され,手術で発作はよくなったものの,結局高校1年生の今になっても学校へは行けないままです。

 皮質形成異常や海馬硬化に伴うようなてんかんは,手術で発作が完全に抑制される可能性があるのですが,その存在に気付かなければ,治療もされず暗黒の一生を送ることにもなりかねない。やはり小児を最初に診る,かかりつけ医の方々への啓発が必要だと感じています。

中里 私たちも実際,小さな発作に気付かれないまま長い年月を過ごし,「なぜこんなになるまで我慢して……」と思う患者さんを外来でたくさん診ていますよね。

成田 本当に多いです。

中里 そういう人を今日から幸せにしてあげられる,と思うとうれしいものですが,別に難しい治療を行っているわけではないんです。

赤松  多くの場合,基本的なことをきちんとするだけで“名医”になってしまいます(笑)。てんかんは抗てんかん薬で70%は治るという,ある意味で治療効果が非常に高い「治る病気」なんです。ちょっと薬を変えるだけで劇的に効果が出ることも,大いにあり得ます。

新薬を使わない手はない

成田 長年続けてきた薬を変える,というのも,私たちプライマリ・ケア医にとっては悩みどころです。

中里 確かに,地方の開業医の先生などに「これまで薬は○○一本でずっとやってきました」と言われて驚くことがあります。国際標準の治療に用いられる抗てんかん薬が,日本でもようやく出そろってきたので,これを使わない手はありません。脳疾患の手術後,10年間てんかんで悩んでいた人が,新しい薬に変えた途端にピタッと発作が止まった例もあるんですよ。

赤松 アレルギーや相互作用が少ない新薬が出て,選択の幅が広がりました。薬物治療はかなり行いやすくなると思います。

白石 米国の「エキスパートオピニオン2005」()では,ラモトリギン(本邦2008年発売)が特発性全般てんかん,レベチラセタム(本邦2010年発売)が症候性部分てんかんで,バルプロ酸との併用療法の第1選択薬に挙げられています。治療効果が高く扱いも容易なため,専門医が一度治療の方向性を決めれば,かかりつけ医にずっとお任せできる可能性が増えています。ここ1年ほど,新薬について開業医の方々にレクチャーする機会もずいぶん増えましたし,このタイミングを逃さず,最新の治療について知っていただくことが重要だと感じています。

紹介状をスムーズな診療連携に生かす

中里 てんかんにおいて,薬物治療以外の重要な選択肢となるのが外科治療です。ただ,専門医のなかでもなかなかコンセンサスが得られていない現状があります。積極的に検討してもらうためには,どうしたらよいでしょうか。

赤松 私はたまたま脳神経外科と協力して治療をしているので,薬が効かなかったら手術をしようとか,逆に手術で治らなければ薬を使おうとか,両方の選択肢を考えることができていますが,そのような機会がないと,薬物治療だけで対処できるものだと考えてしまいがちなのかもしれませんね。

成田 外科医と内科医が共同でてんかんの治療に当たることが,日本ではあまりないということですか。

赤松 非常に少ないですね。他科にかかっている患者さんでしたが,こちらで診ても手術適応が確実にあったため,主治医に叱られながらも手術を勧めたこともあります。結果的に,患者さんは薬も要らなくなり,結婚して子どもも生まれとても感謝されています。叱られた先生とも,幸い今はすっかり和解し,そういう患者さんをすべて送ってきてくれるようになりました(笑)。

中里 “雨降って地固まる”ですね。私も,他院で10年近くずっと薬物治療のみだった患者さんがけいれん重積を起こし,自分の病院に救急搬送されたのが縁で,最終的に手術となり,発作が消えて感謝された経験があります。

 でも,あっさり治ったぶん,患者さんには「私の10年は何だったんだろう」というやりきれなさが生まれるだろうとも思います。もともとの主治医には,手術を行う理由を丁寧に説明し,これまでの経過についての情報提供を求め,地道に理解を得ていくしかないですね。

成田 紹介する側としては,紹介先の先生に治療経過のフィードバックをもらえると,こちらも「紹介してよかった」と思えますし,次回以降もスムーズな引き継ぎがしやすいと感じます。

中里 大学での新患外来では,初診時には必ず紹介状を持参してもらっています。前医からの紹介状があれば,こちらからも治療経過をフィードバックできますし,そうすることで,前医の方にも理解を深めてもらえると思っています。

赤松 紹介状に対しては,私も,脳波のグラフを添付して説明を入れるなど,教育的な返事を書くことにかなり注力しています。一度そうすると,紹介元の先生は次からこちらに引き継ぐべき患者さんを確実に見つけてくれる。1人の患者さんの紹介状の返事をきちんと書くことが,その背後にいる10人の患者さんを助けることにつながるんです。

■“パス回し”で理想的な診療体制を構築

中里 最後に,日本のてんかん医療はどう在るべきか,ポジティブな提案をしていきたいと思うのですが,まず赤松先生,いかがですか。

赤松 患者さんの約半数を占める軽症者は,いったん治療の方向性を決めれば,正しい知識を身につけたプライマリ・ケア医の先生方に十分お任せできます。残り半分の難治性の患者さんは,てんかんをサブスペシャリティとする神経内科医をどんどん増やし,専門医集団で診る。各地域にそうした集団がいて,非専門医への指導も担っていくことで,てんかん医療の底上げに貢献できると思います。

成田 2013年度から,厚生労働省による「4疾病5事業」ごとの医療連携体制の構築計画に,うつや認知症,PTSDといった精神疾患が加わり「5疾病5事業」となりますよね。てんかんもそのようなかたちで,国や自治体が主体となったかかわりを強化してもらえたら,と思っています。

中里 てんかんに加えて脳腫瘍やうつを複合的に抱えている場合などには,現状ではどうしても後者がメインにとらえられてしまいます。研究費やシステム構築の予算もなかなかつかないなど,過小評価されている現状を変えたいですね。

白石 小児のてんかんでは,私たち専門家からの情報提供が不足していた面もあるので,もっと外に情報を発信していかなければならないと反省しています。

 2009年度の医師国家試験合格者からは,小児科専門医資格の取得に必要な5年間の研修期間のうち,小児科医が6人 以上いる病院で少なくとも6か月間研修することが義務付けられました。そうした大きな病院には神経の専門医もいるはずですから,研修の場で,てんかん発作の診かたから外科治療までを教育することが,一つ具体的な方法として考えられると思います。

 また,手術可能なタイミングをなるべく早く見つけられるよう,一度は脳神経外科に診てもらうなど,他科との連携ももっと深めたいですね。

中里 キーワードは“パス回し”だと思います。ボールを1人でキープして「○人も診ている」「薬物治療だけでずっと診ている」ことを誇っているようではいけない。「外科適応があるのかも」と思ったら脳神経外科に相談する。あるいは精神症状に関しては早めに精神科医にコンサルトするというように,柔軟なパスのやりとりをすべきです。私自身ずいぶん失敗もしてきましたが,脳神経外科の仲間や他科にパスを回すことで,幾度となく助けてもらいました。

 その一方で,プライマリ・ケア医の方々に望むのは,「発作は年に1回だからうちで診る」ではなく,一度は専門医にパスを回してほしいということです。普段の対応はプライマリ・ケア医,何かあったら専門医という枠組みを作ることで,それぞれの足りない部分が補われ,患者さんにとってベストな診療体制の構築につながると考えています。

 いずれ東北大学では,てんかん科を中心に「てんかんセンター」を発足する予定です。重要なのは,専門的な各診療科間の連携だけでなく,成田先生のような地域のプライマリ・ケア医の方々とのネットワークも充実させることです。早く,てんかんの医療連携の理想形を作りたい。軌道に乗ればノウハウを蓄積して,東北地方以外の地域とも連携していきたいと思います。本日は,ありがとうございました。

(了)

註)Karceski S, et al. Treatment of epilepsy in adults : Expert opinion, 2005. Epilepsy Behav. 2005 ; 7(1); S1-S64.


中里信和氏
1984年東北大医学部卒,同大脳神経外科教室入局。87年より電子技術総合研究所(当時)にて生体磁気研究を開始。88年東北大助手。89-91年,UCLAにててんかんについて学ぶ。92年より広南病院臨床研究部長・副院長などを歴任。2010年2月より現職。3月には東北大病院に日本初の「てんかん科」を創設。11年4月,分野名も「てんかん学分野」に改編し,てんかん治療のネットワーク作り,社会への啓発活動を展開中。医学博士,日本脳神経外科学会専門医,日本てんかん学会認定医指導医。日本臨床神経生理学会専門医,日本てんかん学会東北地方会事務局長。

成田徳雄氏
1986年山形大医学部卒。東北大医学部脳神経外科教室入局。96年米沢市立病院脳神経外科,99年山形大非常勤講師。2005年より現職。東日本大震災では,宮城県災害医療コーディネーターとして全国からのDMATなどの支援部隊を統括。宮城県沿岸部での医療救護活動に大きく貢献した。現場から,地域医療復興に向けての提言や活動を継続中。医学博士。日本脳神経外科学会専門医,日本脳卒中学会専門医。

赤松直樹氏
1987年産業医大卒。同大,社会保険小倉記念病院を経て,92年より米国クリーブランドクリニック財団病院神経内科レジデント,脳波てんかん部門臨床フェロー。95年より産業医大神経内科にて助手,講師を歴任。2011年より現職。北九州圏での「てんかんセンター」的役割を担うべく,臨床・教育・研究に注力。外来で定期的に約600人の患者を診察,脳神経外科や放射線科などと協力して手術も年間20例ほど行う。医学博士,日本神経学会専門医,日本てんかん学会認定医。

白石秀明氏
1992年北大医学部卒,同大病院小児科に入局。93年聖母会天使病院,95年王子総合病院を経て,97年より国立療養所静岡東病院(てんかんセンター)。2000年北大病院,01年米国マサチューセッツ総合病院放射線科リサーチフェロー。手稲渓仁会病院を経て,08年より現職。医学博士,日本小児科学会・日本小児神経学会専門医,日本臨床神経生理学会・日本てんかん学会認定医。「てんかん医療はチーム医療です。ラグビーに例えるなら華やかなトライゲッターではなく,縁の下を支える泥臭いフォワードになりたいと思っています」。