「気づき」が生む心の“よすが”(柳田邦男)
インタビュー
2011.09.26
【interview】
「気づき」が生む心の"よすが"
感性を育む,看護が変わる
柳田邦男氏(ノンフィクション作家)に聞く
このほど,『その先の看護を変える気づき――学びつづけるナースたち』(医学書院)が発行された。本書は,臨床現場で「気づき」を得た経験をテーマに,看護学生・看護師・看護師長たちがつづったエッセイを収載。柳田邦男氏が編集を務めた第一部「看護学生の物語から」は,『看護教育』誌企画,看護学生論文エッセイ部門「柳田邦男賞」の受賞作品を中心に構成されている。
看護現場における一つ一つの体験がもたらしたものは何だったのかを自分自身に問うことで得られる,「気づき」が大切であると説く柳田氏。本紙では,「気づき」が持つ力,「気づき」を得るために求められる姿勢について聞いた。
「心の財産」になる気づき
―― 『看護教育』誌上において,看護学生論文エッセイ部門の講評および「柳田邦男賞」の選考をされています。看護学生のエッセイにはどのような印象をお持ちですか。
柳田 読むととにかく感動がありますね。私は,仕事上40年以上にわたり,さまざまな体験記や闘病記といったノンフィクション作品を読んできましたが,看護学生のエッセイには初々しさが溢れており,「若いっていいな」と感じるものが多いです。出会った患者の生き方や言葉に素直に感動し,気づいたことを大切にしようとしている。そういうピュアな気持ちが伝わってくるのです。
―― 選考に当たっては,どのような点をご覧になっているのですか。
柳田 学生の文章を読むときに注目するのは,文章構成や表現の巧みさより,どういう点に学生が「気づき」を得ているかです。作品に書かれた気づきが,医療者として「心の財産」になると感じられる作品を選んでいると言えばよいでしょうか。
まず,個々の作品を読みながら「あ,いいな」と心に留まった箇所に,赤線を引いたり,丸をつけたり,欄外にメモを書き出したりしていくんです。すべての作品を読み終えたら,チェックしたポイントに関心を向けながらもう一度読み直してみる。そうやって,読後に強く心に残った作品を絞り込んでいきます。
―― 第9回(『看護教育』52巻8号掲載)の受賞作品,竹原裕美さんの「患者の心に寄り添いたい」は,どんなところが印象に残りましたか。
柳田 「自分を見るもう一人の自分」を持っていると感じられた点ですね。筆者は3人の子を育てながら,30代半ばにして看護学校に入った学生です。看護実習中の体験をきっかけに自身の人生を振り返り,「嫌なことがあるたびにやり過ごしてきた」自分の弱点に気づく。そして,その弱点に真剣に向き合おうとしているんです。いくつになっても自分を謙虚に見つめる姿勢には心を打たれました。
生き方を変えるような「気づき」は,感性が豊かでなければ生じるものではありません。こうした経験は,その後の困難な事態に対しても向き合っていく力を与えてくれるでしょうね。
患者の内実に応える
―― 例えば,患者について看護記録に書く,看護師同士で語るという体験を通しても「気づき」を得ることはできるのでしょうか。
柳田 本来はそうでしょうね。しかし,現場に立てば誰にでも「気づき」が生じるわけではありません。「眼を向ける意識」や「感性の豊かさ」が問われるのです。
こなすべき仕事が山ほどあり,時には患者とのあつれきにも遭遇するような労働環境下で看護師は勤務しています。こういった中では,ともすればルーティンの業務に流されて,その日が終わってしまう。これでは感性は損なわれてしまいます。本書『その先の看護を変える気づき』の中でも,編集者の一人である陣田泰子先生(済生会横浜市南部病院)が「持っていたものをそぎ落としていくようなところがある」と,現在の看護現場の状況について指摘されています。
―― 深刻な問題ですね。
柳田 ええ。そうした現場だからこそ,スタッフが生き生きと仕事ができることが重要で,管理者がスタッフを温かく包み込んでいく現場を築く必要がある。つまりスタッフの失敗やできないことを責めるのではなく,それぞれが本来持っている良さを伸ばしてやるということです。誰でもダメな点ばかりを指摘されては,意欲を失くし保身的になってしまう。そうなると,患者一人一人をきめ細かく見る意識は薄れ,マニュアルに沿った均一な対応を取るようになってしまうのではないでしょうか。
看護学生のエッセイを読むと,若者は豊かな感性を持っていることがよくわかる。みんなそういう良さを持っているのですから,さらに現場でそれを伸ばしていくようにしたいですよね。
―― それぞれの患者が持つ「個別性」にまで眼を向けるという意識付けが,現場の環境を作る上司の側にこそ問われていると換言できるかもしれません。
柳田 そうですね。患者の個別性に対する上司の意識が高ければ,現場の看護師たちもそこに自然と目を向けるようになるはずです。
しかし,一人一人の実情への配慮を行わず,誰に対しても規律に沿った冷静で平等な対応を機械的に行うことが優先されてしまう傾向は,何も医療現場に限ったことではありません。故・河合隼雄先生が指摘したように,現代の社会が共通して抱える「関係性の喪失」の問題がその根本に潜んでいると考えています。
―― 具体的にはどういうものですか。
柳田 近代科学的な思考法は,「自分」と「他者」の関係を断絶することで,「他者」を対象化してとらえます。科学的な分析を行う上では非常に有効な方法でしょう。しかし,これを人間同士のかかわりにまで持ち込む傾向が現代にはあるのです。その結果,個々人の内実にまで心を届かせる必要のある場合でもそれを避けるようになり,人間同士の関係性は希薄化してしまいました。
このような時代背景があるため,医療現場でも,病気になった患者の人間像や生活像はひとまず横に置き,病態そのものの医学的な分析結果が重視されるという形で,人間そのものを見ない対応が行われてしまうのだと思います。
―― 家族関係や生活像,心の問題など,患者の個別性を無視しては,ケアは成り立ちません。
柳田 そうですね。一方で,医療現場では患者の感情にのめり込み,燃え尽きてしまう看護師がいるのも事実です。ですから,「患者に感情を交えてはいけない」という指摘も,ある意味,理解できます。だからこそ患者との距離感はとても難しいものになっている。
それでもやはり,医療者には患者が持つ極めて個別的な問題へとかかわっていくべき瞬間があると思うのです。
個別性へのかかわりが意味を持った例を紹介しましょう。ある青年は小学生のころに遭った事故で両手と両目の視力を失った。それ以来,読書することができず,そのことに何年も苦しんでいました。気の毒に思った若い看護師は,勤務時間外に小説『いのちの初夜』(北條民雄,角川書店)を読んであげたそうです。
その小説の中にはハンセン病患者が舌を使って点字の文章を読む「舌読」のシーンがあるのですが,それを聞いた青年は「自分も舌読を学ぼう」とひらめく。その後,実際に舌読を学び,さまざまな苦労をしながらも大阪府の盲学校で教鞭をとるまでになりました。小さな行為が絶望のふちにいた患者の人生まで変えるという,医療行為以上のものをもたらしたのです。
―― まさに患者の内実に応えた看護ですね。
柳田 ええ。豊かな感性を持つ看護師の気づきによるものと言えるでしょうね。人の生き方にかかわるところでは,優れた感性が求められますから。
個別性へのかかわりが「患者にとって良いこと」につながるかどうかは,結果でしかわからない。しかし,「患者に大きなものをもたらすことがある」という事実は覚えていてほしいですね。心の渇いた時代だからこそ,医療者は意識的にでも患者の内実へと眼を向けていくことが大切なのかもしれません。
今後の看護の実践を支える「気づき」を得るには?
―― 現場で気づきを得るためには,「眼を向ける意識」を持つことのほか,「感性の豊かさ」が必要と指摘されましたね。
柳田 ええ。豊かな感性を持っていなければ,大切なものを見落としてしまうことだってあり得ます。ですから,感性が枯れないように絶えず心掛ける必要があります。
―― 「感性を養う」というとなかなか難しいことのように感じます。
柳田 一つの方法として,絵本を読むことを勧めています。絵本というと子どものためのものと思われるかもしれませんが,大人にとっても非常に価値のあるものです。
大人になるにつれ,子どものころには誰もが持っていたみずみずしい感性が次第に失われていき,どこか「わけ知り顔」で概念や知識に照らして事実をとらえようとしがちです。例えば,「母親のシャンプーの香り」が,子どものころには母親が持つ「優しさ」「温もり」をも感じさせるものだったはずが,大人になると「髪を洗ったんだな」というひと言で片付けられてしまう。誤りではありませんが,子どものころに感じたものこそがまさに母親の本質を示すものでしょう。サンテグジュペリの『星の王子さま』に,「心で見なくちゃ,よく見えないってことさ。かんじんなことは目には見えないんだよ」という一節がありますが,非常に象徴的ですよね。
絵本をゆっくりと音読し,日常の中に溶け込ませていく。すると,もう一度子どものころに持っていたみずみずしい感性が,働く現場でもよみがえってきます。また,絵本には平易な中にも深く訴えかけるものがあって,人生で大事なものや人間関係の在り方などに気づかされ,慌しい職場で疲れた心に潤いを与えるものになるはずです。私も一人で「うんうん」と感動しながら読んでいますよ。
―― 絵本であれば気軽に手にとることができますね。
柳田 ええ。もちろん絵本に限らず,文学や音楽,絵画でもいい。そういう心に響くものに関心を持ち,感性を養っていくことが大切でしょうね。
その上で日記,メールやTwitter,極端な話,俳句などでもいいので,日常的に何かを表現する習慣を持つといいでしょう。推敲を重ねなくとも,そのときの思いの丈をぶつけるような形で構いません。誰かのためでなく,自分のために書くのです。
―― 自分のために書くことが,どういう意味を持つのでしょう。
柳田 自分をもう一人の自分の眼で見る機会になる。つまり「書く」ことで,単なる経験や自分の内面でもやもやとしていた感情の一つ一つを論理的に意味付けでき,はっきりと客観視することが可能になるのです。
―― 自分を省みることになるわけですね。
柳田 そうです。私自身も,息子が自ら命を絶った数か月後に追悼記を書き始めましたが,それをきっかけに息子の生き方や彼が遺したもの,自分と息子との関係をもう一度しっかりと見つめ直すことができました(『犠牲――わが息子・脳死の11日』,文藝春秋)。もしあのときに書かなければ,感情だけが自分の内面でうずまき,ずっと引きずってしまったのではないかと思います。
看護学生や現場の看護師たちにもぜひ何かを書くことをお勧めしたいです。日常の体験を書くことを通し,医療者として胸に焼き付けるべき大事なことに気づくこともあるでしょう。そういった気づきの経験が,今後の看護実践を支える一つの"よすが"に変わっていくのです。
医療現場ではややもすると仕事をこなすだけで精一杯になるかもしれません。ですが,感性を育み,自分で自分を見つめ直す眼を持つように心掛けてほしい。それが看護師としてだけでなく,人間としての成熟へとつながっていくと思います。
(了)
柳田邦男氏 1936年栃木県生まれ。NHK記者時代に『マッハの恐怖』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その後,ノンフィクション作家に。がんをはじめとする病い,戦争・災害・事故・公害などのドキュメント作品や評論を書き続ける。近著に,『「気づき」の力』『僕は9歳のときから死と向きあってきた』(以上,新潮社)。『雨の降る日は考える日にしよう』『夏の日の思い出は心のゆりかご』『悲しみの涙は明日を生きる道しるべ』(以上,平凡社),『新・がん50人の勇気』(文藝春秋)など。『看護管理』誌で,「おとなが読む絵本 ケアする人,ケアされる人のために」を連載中。収録・写真は柳田氏の書斎にて。 |
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