医学界新聞

対談・座談会

2011.08.22

対談

「でも,やるんだよ」から「だから,できるんだよ」へ
不条理こそが人を育てる

池田正行氏(長崎大学大学院教授・創薬科学)
水道橋博士氏(浅草キッド)


 浅草キッドの水道橋博士氏は,昨年6月に急性尿閉で緊急入院。数々の検査を経て,入院8日目にウイルス性髄膜炎と診断された。"日本初の芸能人ブロガー"とも言われる博士は,入院前の体調悪化から回復に至るまでの刻々とした変化を,自身のブログに書き続けた。

 あれから約1年。闘病中のブログにもしばしば登場した,NHKの医療番組「総合診療医ドクターG」(MEMO)の司会を務める博士は,自身の病気,そして医療をどうとらえているのだろうか。そんな疑問が発端となり,このほど"ドクターG"の一人,池田正行氏(長崎大大学院教授)との異色対談が実現した。そこで見えてきた,"不条理"とは――。


「尿が出ない」のに,神経内科?

博士 僕,昨年の6月にウイルス性髄膜炎で入院したんです。尿が出ないのでおかしいと思っていたら,テレビの収録中に激しい腹痛と頭痛,尿意にギブアップし,泌尿器科に搬送されました。そのとき自分では「結石だからオシッコが出ないんだ。尿管閉塞なんだ」と考えていたので,すぐに退院できると思っていたんです。でも,そのまま神経内科に転科させられたんですね。

池田 どのような疾患を疑われたのですか?

博士 はじめはギラン・バレー症候群を疑われたようです。確かに発症の前後を振り返ると,末梢神経麻痺を思わせる症状がありました。MRIの検査結果を受けて髄液検査を勧められたのですが,「ドクターG」の経験から「ギラン・バレー症候群を疑われているな」とわかったんです。「10万人に1人の確率なのに,なぜ疑われているんだ?」と思いました。しかも,自分では尿が出ないという症状のほうが気になっていたのに,髄膜を重点的に調べられるというのはかなり違和感を覚えました。

池田 確かにそうですね。

博士 さらに,「ドクターG」さながらのホワイトボードを使った経過報告説明会が開かれ,「この可能性を消していくために検査します」と言われたんです。でも,あの番組をやっていなかったら,医師が何をやっているのかすら,わからなかったと思います。どのように疾患を絞り込んでいくのか,その過程をまったく知らない人に,その後の検査や治療方針について説明するのはとても大変なことだと思います。そういう意味では,「ドクターG」は視聴者にとっても医師の思考過程を知るよい機会になっているのではないでしょうか。

医療現場とは一体どういうものか?

池田 番組では確かに,医師がどのように疾患を絞り込んでいくのか,視聴者に対するわかりやすい説明が求められます。しかし実は,多くの医師がコミュニケーションに対する劣等感を持っています。僕も例外ではないんです。

 医師の前にコミュニケーション能力に長けた浅草キッドのお二人やゲストがいて,その背後にはさらに視聴者が控えている。いつもの診察室とはまったく違う環境の中で,うまくコミュニケーションできるかどうかが試されるわけですから,僕は収録時に不安でたまりませんでした。

博士 そうなんですか。僕は毎回ゲストの先生方(ドクターG)のコミュニケーション力の高さに驚いているんですよ。初対面の患者さんを相手に診療経験を積んでいるからだろうと思っていました。

池田 特に病気以外の要素,例えば社会的環境を考えるとき,"お金持ちで権威や立派な肩書を持っている"という医師に対するイメージがコミュニケーションの障害になります。患者さんと家族との関係や,職場や家でどうやって過ごしているかなどについて尋ねることが不得手な医師は実際多い。そういう問題意識が「ドクターG」の背景にもあるのだと思います。

博士 ちょっとわかりました。でも,僕はいろいろなテレビの現場へ行きますが,「ドクターG」の収録現場はちょっと例外的なんですよ。

池田 それはどのような意味ですか?

博士 僕らタレントは,あえて壊れている部分やだらしない部分を見せる現場もありますよね。でも,この番組では推理に参加していないと置いていかれてしまうし,門外漢だからこそ専門家の話を真剣に聞いて,自分で理解しようと努力する。あれだけ集中力と緊張感が長く続くスタジオも,本当に珍しいと思います。

池田 確かに,僕自身にとってもいい意味での緊張感がありました。テレビを観ているたくさんの医療者と,一般市民の両方が納得するように,診療の説明責任を果たせと迫られるんですから。

博士 その上,真剣勝負で来ている研修医が目の前にいて,彼らの診断プロセスを導き出しながら,しかも診断にたどり着くような推理小説の設定も考えなければいけないわけですからね。

池田 実は近年,普段の診療でも審査の目が入るようになってきています。というのは,例えば研修医や学生が,臨床現場での研修の一環として,僕の診療を見学することがあるんです。僕ぐらいの年齢になると,普通はもう診療のことなど誰からも教えてもらえないんですが,彼らの率直な意見や素朴な疑問には学ぶことがたくさんあります。

博士 疾患自体も増えているし,問いかけも無限にあるだろうし,教育的な立場にある先生も勉強をし続けなければいけないですよね。「ドクターG」をやっていて,気が遠くなりますもの。

死というゴールに向けて

博士 番組では最後に,ドクターGから研修医にメッセージを贈っていただくのが恒例になっているんですね。僕は医師ではないし,ここから未来を切り拓く若者でもない。にもかかわらず,ドクターGの言葉にものすごく感動し,「職業的使命って何だろう?」と毎回考えさせられます。

 "医は仁術"といくら言っても,僕らの世代には,池田先生がおっしゃったようなお金持ちで権威的という医師のイメージが刷り込まれている気がするんです。でも,今は過酷な労働だということもわかってきた。特にこの番組に出るようになってから,「医師という仕事は動機付けがなければできないな」と思います。だからこそ,番組の結びでの先生方の言葉は,映画『英国王のスピーチ』のラストシーンのようにゾクゾクッとくる。

 池田先生はあのとき,寺山修司の詩の一節を引用されたんですよね。

池田 「昭和十年十二月十日/ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となるのである……」。「懐かしのわが家」という詩です。亡くなる患者さんもいる,治らない病気もある,そのなかでどうやって患者さんと共感を形成していくかということをお話ししたんです。

博士 人には死というゴールがあることを前提条件としながら,穏やかにその不幸を迎え入れていけるか,というメッセージがすごく心に響きました。ただ抵抗するだけでは駄目だし,どこかで折り合いをつけるんですよね。

安全だと思ってたどり着く先は,常に修羅場

博士 池田先生はキャリアの最初になぜ神経内科に進まれたのですか?

池田 いろいろな理由があります。まず,皆が行かないところに行くと,(1)競争がない,(2)希少価値があるので大切にされる,(3)独創性が発揮しやすい,と考えたんです。さらに,神経内科の師匠が頑固な職人気質の人だったので,この人について行けば一流の職人になれると思った。私なりに,生き残っていくための手堅い道を選んだつもりでした。

博士 でも,生き残るために安全なところに行けば行くほど高みに上っていくわけじゃないですか。そうすると,求められる能力も上がっていくから,そこでサバイバルするのはものすごく大変です。安全なところに行こうと螺旋状に登っていくと,いつの間にかいちばん危険なところにいる。そこは常に修羅場ですよね。

池田 博士も,たけし軍団のなかで芸人として生き残るのはやはり大変でしたか?

博士 最初は弟子が100人ぐらいいましたから,やっぱり淘汰されていきましたね。才能にそこまで差があったかは疑問だし,そういう意味で言うと,途中で辞めない覚悟があったかどうかの違いでしょうか。というのは,僕らの世界はあまりにも徒弟制度が厳しすぎて,理不尽な思いを何度もしたんです。僕自身にも何度も辞めるタイミングがありました。

 もちろん自分の才能との相談もあるし,いろいろなライブでほかの芸人とも競い合うわけだし,テレビに出演すれば経歴も得意分野もまったく違うタレントと競わなければいけない。そばにいるアイドルが1年後にはいなくなっているなんてことはしょっちゅうあります。そういうサバイバルを繰り返しながらも,僕の場合は職業的な使命感に支えられたんですね。

池田 医師にも,理不尽感,不条理感を背負って働き続ける厳しさがあります。そこで支えとなるのが職業意識であることも,共通しているでしょうね。

お金のためじゃない

博士 僕は漫才が自分の本業だと思っているので,漫才の舞台に対してはすごく厳粛にやります。本番の1か月前からネタの準備を始めて,何度も台本の推敲を重ねる。漫才では基本的に時事ネタを取り上げるので,使い捨てになることも多いんですね。だから,ほかの仕事に比べてものすごく効率が悪い。それでも最近「でも,やるんだよ!」ということがわかってきました。

池田 何かきっかけがあったのですか?

博士 先ほどお話しした,ウイルス性髄膜炎のときですね。入院してから20日後ぐらいに漫才の舞台が予定されていたのですが,主治医に言われて休むことを決めたんです。にもかかわらず,途中で「退院したい,どうしても漫才をやる」って言い出すんですよ。自分でも不思議ですけど,100人中100人に「やめろ」って言われているのに「俺は,漫才をやるために仕事をしているんだ」って思ったんです。

池田 そういう使命感ってなぜ生まれるのでしょう?

博士 僕も病床でずっと考えていました。例えば引退した消防士がいて,家の近くで火災が発生し近隣にも延焼しているとする。「あなたはもう引退しているし,足手まといになるから行っちゃ駄目だ」と周囲に言われても,彼はきっと職業的な使命感で助けに行ってしまうと思うんですよね。同じように,僕にも「そこに行くんだ」という瞬間があるんだなと思いましたね。

池田 僕の場合,このごろようやく自分はお金のためだけに医者をやっているのではないと気付いたんです。僕は人が喜ぶ顔が見たい。お金のことは二の次で,この仕事をやりたくてやっている。照れずに素直にそう言える歳になりました。お金のことだけを考えたら,どう考えても分のいい商売じゃないですから。

博士 分のいい職業だろうと皆が思っていたんですけどね。現代は違うなぁ。死を見る仕事だからリスクも大きいですよね。

ともに死にゆく人間として患者さんと共感を形成したい

博士 死を見つめる仕事に就く心情というのは,特別なものがありますか?

池田 数年から10年以上の経過で徐々に体が動かなくなっていく,あるいは亡くなっていく神経難病の患者さんを診て,その人たちに寄り添っていくつらさからどうやったら逃れられるのかと,僕はずっと悩んできました。そのなかで,「いや,逃れるんじゃなくて,このつらさを"死にゆく患者さん,病を負った患者さんと一緒にいられる喜び"と読み替えられないかな」と思うようになりました。

 自分もいずれは病み,死にゆく人間だから,先輩としての患者さんと共感を形成し,患者さんに教えてもらう,助けてもらうんです。それに気付けば寄り添うことができるのではないかと考えました。そう思うことで自分が楽になるんですね。そして,楽になると仕事が続けられるんです。

博士 患者さんを前にすると,どうしてもその苦しみをともに背負ってしまうんでしょうね。

池田 不治の病を背負った患者を前にして医療者が苦しむのは,治療法がないことをあたかも自分一人の責任であるかのように思い込んで自分を攻撃するからです。そういう思い込みや攻撃から解放され,先輩である患者さんから学ぶ自分の姿に気付いて,自分も捨てたもんじゃないと思えるようになりたいんです。

博士 テクニックだけでなく,魂が要るんだと気付かされます。

池田 医療者は,やはりその魂の部分の実感がほしいのだと思います。病み続ける神経難病の患者さんとずっと一緒にいるとつらいんですよ。そのつらさを敬遠して,学生も神経内科になかなか進みたがりません。僕も「神経内科のどこがいいんだ? どうせ医者になるんだったら,病気を治して喜ばれるほうがいいに決まってるじゃないか」と,学生のときによく友人から言われていました。

押しつぶされそうな苦しみが自分を育ててくれる

博士 少し前に,ある雑誌で徳田虎雄先生(医療法人徳洲会理事長)が取り上げられていたんです。僕は2001年にご本人にインタビューしたことがあるんですが,2002年に筋萎縮性側索硬化症を発症されたんですよね。眼球しか動かないなかでも自分がめざした医療を残そうとする意志に胸を打たれました。自分自身とは比較もできないけれど,人は自分の生きている意味を問い続けるんだなと思いました。

 徳田先生の状況は,不条理って言えば,あまりにも不条理じゃないですか。

池田 そうそう。不条理です。

博士 「命に値段はない」と言って,年中無休,24時間診療をめざした人が,なぜこんな運命を背負うのかと思いました。でも先生は,「俺のこの境遇は,あえて試練を与えられているんだよ」と周囲に言うんです。

池田 「患者は医者の教育者である」という言葉は,その不条理感の意義に気付かせてくれます。自分の病,自分の死という教育資源で医者を教育するのだと。

博士 収録中にも,ドクターGが研修医に対して,「不条理なことに君たちは巻き込まれていくぞ」と予感させつつも,先輩として,後進に道筋を示しているなと感じることがあるんですよね。資源というとらえ方だって,自分自身が苦しんだ経験がなければ,そうやって肯定的にはとらえられない。

池田 あの不条理感はやはり現場に出なければわからないです。学生も予感はするんだけれども,目の前に迫ってこないんです。「ああ,自分は押しつぶされる」というような苦しみがなければ,この不条理感を腑に落とそうとするモチベーションは出てこないと思います。

博士 そうですよね。

池田 誰しも順境であれば,苦しまないし,悩まない。深く考えもしないから,成長しない。逆境での不条理感があるからこそ人が育つ。それに気付けば,不条理感を自分の成長の糧と捉えて,利用し,成長していける。

 そんなしたたかな自分を認識できれば,自分も捨てたもんじゃないと思えて,不条理感に押しつぶされずに済むんです。「でも,やるんだよ」という段階があってこそ,「だから,できるんだよ」へのステップアップができるんじゃないでしょうか。

(了)

《MEMO》「総合診療医 ドクターG」とは?

緊張感漂う(?)収録現場
 登場するのは,総合診療医として長年活躍してきた医師1人(ドクターG)と,全国から集まった研修医4人。研修医は,ドクターGから提示された,誰にでも思い当たるような症状だけれど見逃しがちな難しい症例を再現したドラマを基に,ぶっつけ本番のカンファレンス形式で鑑別診断していく。

 「医師が診断にたどり着くまでの思考過程が,推理ドラマのようで面白い」と,視聴者の不安を煽るだけではない新たな医療番組として,注目を集めている。

 本番組は, 2010年3月から半年にわたりNHK-BSで放送されていたが,本年7月より新たにNHK総合(毎週木曜 22時~22時45分)にて放送を開始している。


池田正行氏
1982年東京医歯大卒。国立精神・神経センター神経研究所,英国グラスゴー大ウェルカム研究所研究員,厚労省・PMDA(医薬品医療機器総合機構),国立秩父学園などを経て,2008年より現職。創薬をめざし臨床研究に精力的に取り組む一方,神経内科・家庭医療の全国巡回教育で高い人気を誇る。

水道橋博士氏
1962年岡山県生まれ。漫才師。86年にビートたけしに弟子入り,87年に玉袋筋太郎と「浅草キッド」を結成。現在NHK「総合診療医ドクターG」「あさイチ」等にレギュラー出演中。テレビ,ラジオでの活躍はもちろんのこと,ライターとして雑誌等にコラムやエッセイの執筆も行っている。Apple Storeにて,iPhone・iPad用電子書籍『藝人春秋』を発売中。97年からブログ「博士の悪童日記」を書き続け,"日本初の芸能人ブロガー"の異名を持つ。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook