医学界新聞

寄稿

2011.05.30

特別寄稿

日本の労働環境におけるエンパワーメントの在り方とは
米国・カナダの研究者へのインタビューより

金井Pak雅子(東京有明医療大学看護学部看護学科学科長/教授)


 第100回を迎えた2010年度看護師国家試験では4万9688人の看護師国家資格者が誕生した(うち新卒者は4万6785人)。希望に燃えて臨床現場で働く彼らのうち,1年も経たないうちに離職する看護師は8.6%に上る(日本看護協会2010年「病院における看護職員需給状況調査」)。一方,常勤看護職の離職率は11.2%(同調査)。離職の原因には,出産や育児など女性としてのライフイベントも挙げられるが,それらのみが原因とは限らない。離職を余儀なくされる背景にはどのような問題があり,どう解決すればよいのだろうか。

 本紙では,このほど米国・カナダの3人の研究者を訪ね,インタビューを行った金井氏にご寄稿いただいた。看護師が生き生きと働き続けられる労働環境とそのマネジメントの在り方について,ともに考えたい。

(編集室)


 筆者は以前,米国ペンシルベニア大教授のリンダ・H・エイケン氏と共同で,日本の看護師のバーンアウトについて調査したことがある(註11)。エイケン氏は2007年に開催された国際看護師協会・横浜大会の折に来日した際,日本での調査結果で55.8%の看護師が高いバーンアウトを示し,34.6%の看護師が退職を予定していることについて,"management failure(管理の失敗)"と表現した2)

ラシンジャー氏
 看護師の労働環境の改善はいわば永遠のテーマであるが,臨床現場において,看護師が自己の仕事に対してより積極的,かつ自信を持てるよう援助する仕組みを構築することができたならば,看護師の離職率は低下することであろう。そのような仕組みを構築するために"ワーク・エンパワーメント理論"(Work Empowerment Theory)を提唱したのが,カナダのヘザー・K・ラシンジャー氏(ウエスタンオンタリオ大教授)である。

 筆者は今年1月にラシンジャー氏を訪問する機会を得た。またラシンジャー氏のワーク・エンパワーメント理論に活用されている「精神的エンパワーメント」尺度の開発者であるグレッチェン・スプレイザー氏(米国ミシガン大教授)と,エイケン氏の右腕として活躍し2007年にエイケン氏とともに来日したショーン・P・クラーク氏(トロント大教授)にもインタビューを行った。本稿では,3人へのインタビューから,日本の看護労働とエンパワーメントについて考察したい。

■カナダにおける新たな課題は「いじめ」

 ラシンジャー氏は,1992年からウエスタンオンタリオ大のHealth Human Resources研究の責任者として,看護師の労働環境に関連するワーク・エンパワーメントの研究に取り組んでいる。筆者はそれまでのバーンアウトに関する研究結果から,看護師長のリーダーシップがいかにスタッフナースの働き方に影響するかについて,さらに深く探求するようになった。そして,アリゾナ大大学院博士課程で学ぶなかでラシンジャー氏のワーク・エンパワーメント理論に出合い,自らの博士論文にそれを活用するに至った。

 氏は大変忙しく,昨年の9月に電話とメールにて訪問できる日程を伺ったところ,2011年1月にようやくアポイントが取れた。ウエスタンオンタリオ大は,トロントから飛行機で40分ほどのロンドン市にある。英国のロンドンをまねているといわれ,市内を流れる川も「テムズ川」と名付けられている。1月のカナダは,本当に寒い。ロンドン市に到着したときの気温はマイナス20℃。風が痛いと感じるほどであった。

 大学に到着すると,ラシンジャー氏自ら入口まで迎えに来てくださった。そして,研究室に案内され,外の寒さを忘れるほど研究の話に花が咲いた。今後のカナダと日本との共同研究に関しても話を進めることができた。博士論文を仕上げてから2年あまりでラシンジャー氏に会えて本当にうれしかったし,何よりの収穫はやはり,ラシンジャー氏の研究への熱意とその温かい人柄に触れられたことであった。

 ラシンジャー氏は,ロザベス・モス・カンター氏の『Men and Women of the Corporation』3)の中で提唱されているエンパワーメントの概念を基に,ワーク・エンパワーメント理論を開発した。氏は,「この理論は独自のものというより,カンター氏の『組織で働く人々のエンパワーメント』を基に,スプレイザー氏の『精神的エンパワーメント』の概念を取り入れ開発した」と表現している。

 ワーク・エンパワーメント理論は,構造的エンパワーメント,精神的エンパワーメント,仕事の効果,という大きく3つの概念から成っており(図1),構造的エンパワーメントが高まると精神的エンパワーメントも高まり,結果として仕事の効果も高まるという理論である。ラシンジャー氏は3つの概念のうち,構造的エンパワーメントの下位概念を,(1)向上する機会,(2)インフォメーション,(3)サポート,(4)リソース,(5)フォーマルな権限,(6)インフォーマルな権限,と定義し,構造的エンパワーメントの測定尺度として「Condition of Work Effectiveness Questionnaire」(CWEQ)を開発した(現在はCWEQ-II)。

図1 ワーク・エンパワーメント理論

 この構造的エンパワーメントの6つの下位概念は,管理職にとって部下のやる気を向上させるための具体的示唆を得ることに活用できる。例えば,「(1)向上する機会」は専門職としてスキルアップに具体的につながるようなチャンスを意図的につくることであり,「(2)インフォメーション」は情報をできるだけオープンにすることである。もちろんすべての情報を流すわけにはいかないが,働く者にとっては自施設の状況について知る必要がある。「(3)サポート」は当然のことで,管理職から同僚からの支援は欠かせない。「(4)リソース」はスタッフにとって,例えば専門看護師を活用できることで仕事の充実が図れる。CWEQ-IIでは,これら6つの下位尺度それぞれにスコアが出るため,相互に比較することができる。

 一方,仕事の効果には"低いバーンアウト"や"高いコミットメント"など,さまざまな概念を取り入れている。

 ワーク・エンパワーメント理論を活用すると,構造的エンパワーメントおよび精神的エンパワーメントと仕事の効果として,さまざまな概念を投入することができる。ラシンジャー氏のもとには,このワーク・エンパワーメント理論について研究指導を受ける学生が後を絶たない。彼らにより,これまでにこの理論を使った研究が数多く報告されている。

 今回のインタビューでラシンジャー氏は,カナダの看護師の労働環境における新たな課題として,職場における「いじめ」の問題が浮上していることを挙げた。いじめに関する実態について正確な把握はまだなされていないそうだが,実態調査も少しずつ進められており,文献にもいくつか報告されているという。いじめは微妙な問題でもあり,人間関係の相互作用でもあるので,その実態把握はかなり難しいことであろう。

管理者のリーダーシップとスタッフのエンパワーメント

スプレイザー氏(左)と筆者。
 ミシガン大のスプレイザー氏もアポイントメントをとることにかなり難航した。とにかく忙しい教授である。今回は,昼休みを利用してのインタビューであった。教員や訪問者専用のレストランがあり,そこで昼食をご馳走になりながら,スプレイザー氏の開発した精神的エンパワーメントについて開発の経緯などを伺った。スプレイザー氏が精神的エンパワーメントの測定尺度を開発したのは1995年である4)。当時,自動車メーカーとして有名なゼネラルモーターズの中間管理職を対象に研究を行い,従業員と管理職との関係について追究していたという。

 スプレイザー氏の開発した精神的エンパワーメントは,(1)意味や意義を見いだすこと(仕事の役割と自己の信じるものや価値を置くものが合っていること),(2)自己決定(仕事のやり方などについて自立していること),(3)影響力(仕事においてアウトカムや運営に関して影響を与えられること),(4)仕事を遂行していく能力があると思うこと,という4つの下位概念から成る。スプレイザー氏はラシンジャー氏とも連携し,CWEQ-IIの6つの下位概念と精神的エンパワーメントとの関係についても分析している。また仕事の効果に関しても,精神的エンパワーメントの4つの下位概念と組織コミットメントとの関連についても大変興味を示している。

 スプレイザー氏とのディスカッションでは,筆者のテーマでもある管理職のリーダーシップとスタッフの精神的エンパワーメントとの関係について話が弾んだ。スプレイザー氏の専門であるマネジメントにおいて,管理職はどのように意思決定しリーダーシップをとるのか,部下をいかにリードし組織発展(organizational development)を図るかが語られた。管理職のリーダーシップがいかにスタッフの働き方に影響するか,スプレイザー氏の話にはかなり熱が入っていた。

■スタッフの研究を支援するリサーチ・チェア

クラーク氏
 クラーク氏は,カナダにて看護の博士号を取得後,ポスドクとしてエイケン氏のリサーチ・ユニットに参加し,その後研究者として貢献した。博士論文では循環器看護をテーマにしていたが,このリサーチ・ユニットでは看護師の労働環境に関する国内および国際共同研究を数多く手がけている。現在トロント大の看護学部教授としてリーダーシップ・ポリシーの科目を担当し,Nursing Health Service Research Unit(註2)の研究メンバーにも名を連ねている。さらにクラーク氏は,臨床と研究をつなぐいわゆる"ユニフィケーション"のポジションである"リサーチ・チェア"(研究統括者)としても活躍している。

 リサーチ・チェアは,トロント大の3つの関連病院を統括するチーフナースのスタッフポジションである(図2)。病院における彼の役割は,看護師の教育,その中でも研究に対するモチベーションアップと研究能力の向上である。病院と大学の両方にオフィスを持つクラーク氏は,その役割を遂行するために,主に病院にてスタッフナースや看護師長の研究を,研究資金の獲得や研究計画の立案,結果の分析などの側面からサポートしている。また分析においては,得意とするSPSSの使い方なども指導している。

図2 トロント大におけるリサーチ・チェアの位置付け

 筆者は,2000年に日本看護協会・政策立案のための基盤整備推進事業「看護職需給推計のあり方に関する研究」の一員として,このリサーチ・ユニットを訪問した。その後,このユニットの創設者のひとりであるリンダ・オブライエン・パラス氏が日本に招聘された際には,リサーチ・ユニットやカナダの看護労働市場について本紙(第2393号)および『看護管理』誌(10巻7号)において紹介している。オブライエン氏は現在病気療養中のため休職しているが,今回のトロント訪問において幸いにも会うことができた。

業務量を増やす電子カルテによる記録

 リサーチ・ユニットが開設されたころ,カナダでは看護師不足が深刻だったが,現在看護師数は充足しているという。その理由は,経済不況により看護師が離職しなくなっているからだ。そのため新卒看護師は,卒業後就職までに半年ほどかかっているのが現状である。米国でも同じような状況であると聞いた。しかし,クラーク氏はこのような状況がカナダで長く続くとは考えていない。なぜなら,現在カナダにおける看護師の平均年齢は46歳であり,退職を間近に控える看護師も少なくないからだ。スタッフナースの場合,労働状況から鑑みて60歳まで働く人は少ないという。そのため,看護学部の定員は以前と変わらず高い競争率を維持している。

 クラーク氏は,看護師が現在抱えている課題として「記録」を挙げた。ある文献によると,仕事をしている時間の3分の1以上を記録に費やしている。しかし,長時間かけて記録をしたとして,問題となるのは,その記録が次の勤務に活用されているのか否かである。看護としては,標準的なケアが提供されたかどうかが本来の論点であるにもかかわらず,そのことよりも「その勤務で何をしたか」が強調されている。これは大きな問題だとクラーク氏は言う。

 さらに電子カルテをはじめとしたIT技術の発展は看護師の業務量を軽減させるはずであったが,現状ではかえって業務量を増加させている。それがリーダーシップの問題なのか,システムの問題なのか,いずれにしても看護の研究者が介入すべき課題だとクラーク氏は述べた。

管理者が自信を持ってマネジメントに取り組むには

 看護界で有名なクラーク氏とラシンジャー氏,そしてマネジメントの分野で世界的に高名なスプレイザー氏へのインタビューを通し,日本の看護労働環境において,組織で働く人々をいかにエンパワーすることが組織としての生産性を上げることにつながるか,あらためてその重要性を確認した。クラーク氏の立場はリサーチ・チェアであるが,組織としてこのような人材を的確なポストに置くことで,スタッフに対するリソースとして活用することができる。スタッフが臨床の問題に直面したときに,アドバイスをもらえるといういわばインフラ整備である。

 さらに重要なのは,管理職,特に看護師長のリーダーシップがいかにスタッフをエンパワーするかということである。リーダーシップの具現化として,構造的エンパワーメントの6つの下位概念を臨床現場で適応させることが,スタッフの精神的エンパワーメントにつながる。具体的には,スタッフに情報を的確に与えること,適切なサポートをすること,仕事を通じて各自が向上できる機会を与えること,である。

 今回のインタビューを通して,看護管理者がより自信を持ってマネジメントできるよう,管理者教育(ファースト,セカンド,サードレベル)にもさらに力を注ぐ必要性を実感した。

註1)「Nursing Work Indexを用いたヘルスケアアウトカムの日米比較研究」平成15年度ファイザーヘルスリサーチ国際共同研究(代表=金井Pak雅子)
註2)1990年,トロント大教授のリンダ・オブライエン・パラス氏とマクマスター大教授のアンドレア・バウマン氏により,カナダの看護の労働環境改善を目的に開設された。リサーチ・ユニットは,研究の焦点と政策への反映の観点から名称を3回変更しているが,いずれもMinistry of Health and Long-Term Care (MOHLTC)より研究資金の援助を受けている。

参考文献
1)金井Pak雅子,他.焦点:日本の看護師の労働環境の実態――リンダ・エイケンとの共同研究.看護研究.2007;40 (7):3-70.
2)特集:リンダ・エイケンが診た日本の労働環境,危機のシグナル.週刊医学界新聞.2007;第2749号.
3)Kanter RM. Men and women of the corporation. Basic Books ; 1977.
4)Spreitizer G. Psychological empowerment in workplace: dimension, measurement, and validation. Acad Manage J. 1995 ; 38 (5): 1442-65.


金井Pak 雅子
1972年神奈川県立衛生短大衛生看護科卒。83-88年ハワイ州クイーンズメディカルセンター。85年南オレゴン州立大看護学部卒。88年ハワイ大大学院修士課程修了後,東邦大医療短大講師,95年国際医療福祉大助教授,99年女子医大教授を経て,2009年より現職。同年アリゾナ大大学院博士課程修了。現在,国際看護師協会理事を務める。

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