心に残る,患者さんの“あのひと言”(秋山正子,宇都宮宏子,中村めぐみ,宮子あずさ,大串祐美子,上野恭子,宇都宮明美)
寄稿
2011.01.24
【新春特集】心に残る,患者さんの"あのひと言" |
看護の現場では,さまざまな思いを抱えた患者さんやそのご家族と出会います。彼らがふと発する言葉を耳にして,どきっとしたり,涙したり,あるいは自分を省みたり……看護師であれば,誰しも一度はそんな経験があるのではないでしょうか。
今回は,臨床の場で活躍されている7名の看護師の方々に,今も心に残る"あのひと言"を教えていただきました。死を前にした悟り,母親の苦悩から,妄想の世界の伝言(!?)まで,ちりばめられた言葉の数々。きっと,あなたに響く"ひと言"があるはずです。
秋山正子 宮子あずさ 宇都宮明美 |
宇都宮宏子 大串祐美子 |
中村めぐみ 上野恭子 |
秋山正子((株)ケアーズ 白十字訪問看護ステーション 統括所長)
「この地域に引っ越してきてよかった」
お母さんを看取ったご遺族である娘さんに,1か月後にグリーフケア目的で訪問したとき言われた言葉。肺がんの末期の状態で,大学病院の退院時から訪問看護へつながった。地域のかかりつけ医を決め,訪問看護と連携し,仕事を続けながら看病に当たった娘さんを支えた。地域の中にある緩和ケア病棟とも連携し,1度入院して鎮痛剤の導入と調整をして再び在宅での生活を楽しみ,最期は1週間の入院で,娘さんが泊まり込んだ日に静かに亡くなられた患者さんだった。地域での緩和ケアの連携が取れたことがこの娘さんの「この地域に」という言葉で表現され,とても心に残った。
「自分ほど幸せなものはいない」
認知症で要介護状態の90代男性。便通の調整や,入浴・更衣等を含めた週1回の訪問が1年以上続いた。そのお宅には大型犬が飼われていて,週1回2万円もかけてトリミングに出るのに,この方の介護の待遇は,着ているものを含め改善されない。私がこのことで家族に怒りさえ感じていたときに,この方が言った言葉が,「この近くの人は皆死んでしまったり,遠くへ行ってしまった。自分はここに住んで,嫁もうまいものを作ってくれる。自分ほど幸せなものはいない」だった。
この言葉を聴いて,自分の価値観で,人の幸福度は計れないと気付かされた。このあと,この方を自宅で看取ることができたとき,「この方の思いを遂げられた」と継続した訪問看護の力を感じた。
「死ぬときが来ていると思うんだけれど」
肺がん末期の70代の男性。余命が告げられてから6か月が経過し,その期間が過ぎたときに訪問看護師に問われた言葉。ちょうどとても寒い時期でもあり,人に対して大変気遣いを見せるその男性に「こんな寒い中のお葬式だと来られる人も気の毒ですよね。もう少し暖かくなってからでもいいんじゃないでしょうか?」と返すと,笑顔になり,それからは肩の力が抜けたように,淡々と生き抜き,桜がほころぶころに眠るように亡くなられた。「花 春に咲き 人 春に眠る」会葬御礼のカードに書かれた言葉だった。
*
治す医療から支える医療へと,超高齢化社会を迎えて,医療自体も本当に変わらないといけない時代を迎えています。病を持っても障害を持っても,たとえ介護が必要となっても,そこに上手に医療が組み合わさることで,人は地域の中で暮らし続け,人生を終えていくことができる,そこにかかわる看護の役割は大きいと感じています。「地域包括ケア」をめざし,地域の中にある病院もネットワークのひとつとして連携しながら,サービスの受け手の主体性を真に尊重した看護の提供者として,多くの仲間と力を合わせて今年も頑張っていきたいと思っています。
宇都宮宏子(京都大学医学部附属病院 地域ネットワーク医療部 退院調整看護師)
「今さら『どう生きたいですか?』って言われても,何もできないだろう!」
患者は,絞り出すように怒りをぶつけてきた。
退院調整看護師として着任して2年目のころ,呼吸器内科病棟に入院していた60代の肺がん患者(A氏),職業は歯科医。腰椎転移部に照射目的で入院してきたが,入院中に麻痺が出現し,寝たきり状態になった。
A氏には,歯科医として診療を続けたいという思いがあった。しかし診療所は2階にあり,階段昇降ができない状況では診療も不可能。何もできない,生きている意味がないと言う。
「まさかこんなことになるとは考えてもいなかった。動けなくなるなんて……」。医療者であるA氏でも,主治医の説明から,今後自分がどうなるか,予想することができない。そうなりたくないという拒否感が,イメージさせないのかもしれない。
がんの積極的治療ができなくなる時期が来ること,命の終わりが近いこと,骨転移や脳転移の画像所見が出たときに,「今までできていた生活ができなくなること」。病態予測に基づいて「一歩前を行く道案内」をすることが看護師の大事な役割だと,私は訪問看護の経験を通じて教えられた。「患者である前に人として,自分らしく生きることを一緒に考えましょう,生活を支えてもらう医療の仲間を持ちましょう」と患者・家族には話している。
A氏の怒りと苦悩の表情は,入院してからではなく,症状が出る前,外来通院中から患者に相談支援を行う大切さを教えてくれた。
今,私は外来通院中のがん患者に対する「在宅療養支援」に,業務の多くの時間を割いている。医師から「今の化学療法後,メニューはない。患者が自宅療養を望んでいるので支援してほしい」「骨転移が見つかった。高齢夫婦なので,今後について話して支援してほしい」と依頼されれば外来での面談予約を入れる。「来週,患者家族にも外来に来てもらうことにしている。外来での説明の場面から入ってほしい」と連絡が入ることもある。
外来通院している患者は生活者。「なるべくこのまま家にいたいけど,できるかな,家族には迷惑かけたくないな」と気持ちを打ち明ける。家族のそばで「これから,どう生きたいか」「自分らしさを持ち,生き続けたい」と思いを語り始める。
「治療はできなくてもあなたの時間は残されている。一緒に考えましょう,生活を支える医療を提供してくれる在宅医・訪問看護師に入ってもらいましょう」と,支援が始まる。
もちろん,面談しても在宅医や訪問看護師につながない場合もあるが,どのようにして在宅療養ができるか,病態予測をしつつ情報提供していくと,面談後の状況の変化により,患者自らが連絡し,依頼していることも多い。
*
がんと診断されたそのときから,適時に,公平に,適切に,「がんと向き合って生きる患者・家族を支援すること=在宅療養支援」をより充実させることで,入院医療に依存せず,患者の生活の質を保障し,生活の延長線に最期の時を迎える看取りにつながると信じている。多くの患者の言葉を真摯に受け止め,患者に還元することができる看護師でありたい。
中村めぐみ(聖路加国際病院 がん看護専門看護師)
「がんになったのはつらいことだけど,それによって気付いたこともあります」
がんサバイバーのためのサポートグループに参加していた方の発言。命を脅かす疾患に直面したことで心身の多大なストレスを体験しながらも,その一方で生きていることに感謝する気持ちがわいたり,人に優しくなれたり,これまで意識しなかった草花や季節の移り変わりに気付いたり……。がんサバイバーの方々の語りに耳を傾けながら,人は苦悩しながらもそこから何らかの意味を見いだし,立ち直り前向きに生きていける力があることを知り,またそのようになれる人の豊かさに心を打たれた。
「一度は死を覚悟したけれど,良くなったら生きることに執着心がわいたの」
がん治療が終了し,緩和ケア病棟に移ってきた40歳代の患者さん。その時点では本人・家族ともに延命処置はしない方針に同意していた。その後予想外に小康状態を保ち,それなりの生活を送っていた。数か月ほど経った後に症状が増悪し,医療者より転移巣の急速な進行が告げられたときに患者さんが語った思い。本人と夫の「もう一度治療したらまた良くなるのではないか,できるだけの治療を試してみたい」という期待と揺れる思いに,本音を垣間見た気がした。それだけに意思決定のサポートの在り方を考えさせられた。
「看護師さんに『もっと(患者さんの)そばに居てあげられませんか』と言われたことが,心に引っ掛かっています」
10年以上前になるが,亡くなった患者さんの家族が後日来院した際に言われたこと。看護師たちは患者さんのためを思って言ったことだが,家族にもそれぞれ事情があり,来たくても来られない状況にあったようだった。そのことをわかった上で,患者さんそして家族へのかかわりができなかったことが悔やまれた。今でも自分の中で,患者さんと家族との関係をとらえるときや,残される家族に言葉を掛けるときの留意点のひとつとなっている。
*
患者さんや家族の言葉は,私たちのケアやかかわりに対する評価ともとらえることができる。それによって気付かされることも多々ある。ポジティブな言葉・ネガティブな言葉ともに素直に受け止め,次のケアにフィードバックすることが質の保証,そして自己の成長につながっていくと思う。個々の患者さんやその家族を理解することは容易ではないからこそ,言葉の意味する「気持ち」の部分を洞察することを忘れないようにしたい。
宮子あずさ(東京女子医科大学大学院 看護学研究科博士後期課程/精神科病院勤務)
「地デジ担当の宮子さんお願いします」
私は今都内の精神科病院で訪問看護の仕事をしています。ほとんどが経過の長い統合失調症の患者さんで,かつ生活保護を受けながらの独居。妄想と現実の間を行ったり来たりする人,ほとんど現実に帰ってこない人……どんなところにも生活はあるのだなあ,と感動させられることしきりであります。
Aさんは,60代後半の女性で,地下に広大な教会のあるアパートに暮らしています。もちろんこれは妄想ですが,会話中,地下から聞こえてくる賛美歌に耳を傾け,幸せそうにしている彼女を見ると,これはこれで良いのだ。そんな気になりますね。
彼女の心配は,7月の地デジへの切り替え。手続きは進んでいるのですが,アナログテレビの上下に浮かび上がる,地デジ切り替えのテロップを見るたび,不安になるようなのです。
私が彼女のところに行くと,なぜか地デジの話になり,そのたび同じ説明を繰り返していました。そのうち,彼女にとって私は「地デジ担当者」になり……ついにはそうやってご指名の電話がかかるようになりました。
全くの勘違いだけれども,頼られるのはうれしい。そんな自分の看護師魂とも向き合う,のどかな勘違いでした。
「京都の御所でね……ふふふふふ」
Bさんは70代前半の女性。物腰も言葉遣いも大変高貴な印象の方ですが,妄想の中でも,やんごとなき血筋に連なっています。皇室関連の妄想はかなりポピュラーなテーマですが,Bさんの特徴は,今も京都御所での逢瀬を重ねている点。この言葉を枕に,それを語り出す彼女は,かなりなまめかしいのです。
実を言うと,私はこのなまめかしさが非常に苦手で……「ふふふふふ」の後の沈黙が,たまりません。それを察してか,彼女もしつこくは話さないのですが。
皇室関連の妄想は,非常に根強くて,Bさん以外にも,私が直接聞いただけで数人います。「自分こそ次期天皇」と固く信じている男性や,「常に皇室の子どもを宿している」と言う女性など,バリエーションはさまざまです。
それにしても,大日本帝国時代,こうした皇室妄想の人たちは,一体どうやって生きていたのでしょうか。内容たるや,不敬罪そのもの。平和あっての妄想生活なのかもしれません。
*
妄想を語る言葉には,不思議な確信ときらめきがあります。それに気付くと,精神科看護はますます面白くなってくる。これが今の実感です。ふふふふふ。
大串祐美子(東札幌病院 副看護部長・内科病棟看護課長 がん・化学療法看護認定看護師)
「二度とするなよ!」
――怒りの言葉は,教えの宝庫
新人看護師時代。80代の多発性骨髄腫の患者さんのシーツ交換を行っていたときの出来事です。患者さんは窓際の椅子に座り外を眺めていました。私は先輩とペアを組みシーツを交換して「終わりました」と声をかけようとしたそのときに,急に患者さんの怒鳴り声が聞こえてきました。「なんてことしてくれた。俺の血を返せ。病気で貧血なのにもっと苦しめるのか!」。患者さんは怖い顏をしていました。知らない間に点滴の接続部がゆるみ延長チューブがはずれ,血液が逆流して床が真っ赤になっていました。
私はただただ慌てるだけで,懸命に床の血液を拭き取りました。一緒にいた先輩は,手際よく点滴ルートを元通りにして,患者さんに丁寧に謝罪していました。しばらく怒鳴っていた患者さんも少しずつ落ち着きを取り戻し,「自分でどうにもできない部分をあんたたちに任せている。もう二度とするなよ。頼むぞ」と先輩と私に強い口調ながら話してくれました。
その後,詰所に戻った先輩は私に「びっくりしたでしょう。ごめんね。私がきちんと見ていなかったのが原因。椅子に座ったときにルートを確かめればよかった。今度から気をつけようね」とひと言,ひと言,噛みしめながら私に話してくれました。
この出来事から,患者さんの切実な思いと,患者さんが安全に暮らせるように,私たち看護師が些細なことにも目を向けて環境を整えることの大切さを学びました。そして何より先輩看護師の患者さんに対する真摯な姿と,私自身への温かなアドバイスが心にしみました。それ以来25年経った今でも,病室を回るときや,院内で点滴をしながら歩いている患者さんとすれ違うときには,滴下やルートを確認します。自分がこれまでに失敗した状況を繰り返さないよう,安全確認や環境整備,わかりやすい工夫などに努めています。
*
看護師生活25年。心に残る患者さんの言葉は数えきれないほどあります。患者さんの「ありがとう」という笑顔,「これからどうしたらいいの」という涙あふれる悲しい表情,「最期,目を閉じるまでお願いね」とギューッと手を握ってくださった方々,「責任者のあなたがしっかりしてくれないと困る」という怒りの表情で数々のアドバイスをくださった方々などを思い出すことができます。何かと失敗の多い私。反省してもなかなか成長できない私を育ててくださったのは,患者さんの,その時々の表情と言葉に込められた温かな思いのおかげだと感謝しています。
上野恭子(国家公務員共済組合連合会 浜の町病院 産婦人科看護師長)
「皆さんの支えがなければ,ここまで乗り越えることはできなかった」
看護職として長い間,臨床で仕事をしているとさまざまな出会いがあり,出会った方々から思いもかけないたくさんの教えを受けている。看護の臨床現場は,人生で積み重ねてきた人間の重みを感じ,学びを得る場でもあった。そうした多くの経験は,看護者である私の大きな財産であり,私自身の看護の原点であると思っている。
冒頭の言葉は,小児病棟から退院した子どものお母様からいただいた,特に思い出深い手紙の一文である。手紙は続く。「同じ病気でAちゃんが亡くなった次の日,師長さんに抱きしめてもらい,共に涙したこと……ありがたく思います。あのとき,師長さんと私のへその緒がつながった気がしたのを今でも覚えています。不思議なものです。子どもが初めて自分の靴を指して,院内を手をひいて一緒に歩いてくれたこと,ずっと忘れられないことばかりです。普通に生きることの難しさを改めて感じ,今後も一日一日を大切に過ごしていきます」。母親の苦悩に共に苦しみながら何もできず,ただそばに寄り添い涙を流し,祈ることしかできなかったのに,「こちらこそありがとう」と,素敵な出会いに感謝している。
「『誰か助けて!』と叫びたくなるほどだったときの出会いで,本当に救われました」
母親になる過程で,多くの人は模索しながら子どもと向き合う努力をしている。しかし解決できない問題に疲れ果て苦悩している人にも多く出会う。その中のある方からの手紙である。
「産後1か月健診で病院に行った日を鮮明に思い出すことができます。産後2,3日ごろからオッパイが異様に張りはじめ,健診までの毎日は出口のないトンネルにいるような,つらくて心配でしかたないものでした。でも,今までとはまったく違う力強いマッサージを受け,子どものことをたくさん話していただき,それまでの不安と緊張の糸が一気に切れたのを思い出します。その日家に帰ってから泣きながら親に電話しました。病院は,産ませた後は病気でもない限りそこまでのケアをしてくれる場所ではないと思っていましたが,産後1か月というぎりぎりのタイミングで巡り会えました」。
*
傷ついた身体と心に手を添え,温もりを感じてもらうことのできる看護という仕事に最初から手応えを感じていたわけではない。しかし,いろいろな場面で患者から投げかけられる「ひとつの言葉」に,なんと多くの気付いてほしい思いが凝縮されていることか,たくさんの出会いと言葉から教わった。その中身を一つひとつひもとき,身体と心に手を添えタッチングできれば,患者はどれほど和らげるだろう。出会いに感謝!!
宇都宮明美(兵庫医科大学病院看護部 急性・重症患者看護 専門看護師)
「がんばりたいのに,がんばれない」
JR福知山線脱線事故に被災された患者さんを訪問したときに,泣きながら言われたひと言です。患者さんのAさんは,事故当時は大学生で通学途中での被災でした。左手と両足の骨折で,自分で身動きが取れないときも,いつも笑顔を絶やさず,家族の方にも気を遣うことのできる人でした。2週間目には,ご自身で車いすを使いリハビリに出棟されるまでになっていました。
そんなある日,リハビリから一緒に戻る途中の廊下で急に車いすを止め,大きな瞳から涙をポロっとこぼして,うつむいて「がんばりたいのに,がんばれない」と言われたのです。私は,「十分がんばっているから,これ以上がんばらなくてもいいよ」とギブスの先の左手の指先を握りました。Aさんは黙って何度も何度も頷きました。
患者さんを励ますために,「がんばりましょう」と私たちは声をかけます。とても日常的な会話です。けれど患者さんは毎日がんばっているんですよね。
「看護師さんと一緒にがんばってきたこの数か月でした。悔しいけど悔いはありません」
重症心不全のため,補助人工心臓を装着して入院生活を送ってこられた患者さんが,脳内出血のため亡くなられた後,患者さんと奥さんをお見送りするときに,奥さんが私に抱きつき言われたひと言です。
重症心不全で不整脈が頻発し入院して来られたときから,患者さんと奥さん,お二人とのかかわりがスタートしました。小さいお子さんを抱えながら時間をやりくりして面会に来られたとき,補助人工心臓を装着するという意思決定を意識のない患者さんに代わり意思決定をしなければならないとき,「家族の時間を」というICUの看護師の思いから小さいお子さんの面会が可能になったとき,そして脳のダメージが不可逆的になり補助人工心臓のスイッチを切る決断をされるとき,看護師は共に悩み,喜び,涙してきました。
看護師として,ご家族とよいパートナーシップを形成しようと努力します。ご家族がさまざまな困難に折り合いをつけていく姿に歩幅を合わせていくことが必要なのではないかと思います。
*
私は,患者さんやご家族に「寄り添う」という言葉をよく使います。寄り添うには,専門職として対峙するとともに,人として同じ時間を同じ思いで過ごすということが大切だと思います。急性期の現場は,病状も刻々と変化しますが,一瞬一瞬に揺れる患者さんやご家族の心に寄り添うことも大きな役割の一つだと思います。
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