医学界新聞

連載

2011.01.17

高齢者を包括的に診る
老年医学のエッセンス

【その1】
病気としての老衰――Failure to Thrive

大蔵暢(医療法人社団愛和会 馬事公苑クリニック)


 高齢化が急速に進む日本社会。慢性疾患や老年症候群が複雑に絡み合って虚弱化した高齢者の診療には、幅広い知識と臨床推論能力、患者や家族とのコミュニケーション能力、さらにはチーム医療におけるリーダーシップなど、医師としての総合力が求められます。不可逆的な「老衰」プロセスをたどる高齢者の身体を継続的・包括的に評価し、より楽しく充実した毎日を過ごせるようマネジメントする――そんな老年医学の魅力を、本連載でお伝えしていきます。


症例】 老人ホーム居住の,高度虚弱男性Aさん88歳。進行期パーキンソン病,認知症,高血圧,前立腺肥大症を患っている。ゆっくりではあるがコミュニケーション可能で,食事は介助が必要であったが明らかな誤嚥兆候を認めず,移動は手引き歩行の状態であった。ある日,突然発熱し呼吸状態が悪化したため近隣の病院に救急搬送,急性肺炎と心不全の診断のもと入院加療が開始された。

 入院1か月後,外来主治医が病院を訪問したときには,傾眠状態で意思疎通は困難であり,ベッド上で寝返りもうてないほど衰弱していた。経口摂取も不能で,経鼻チューブ下に経腸栄養が行われていた。

"Failure to thrive"とは

 症例は,"Failure to thrive"の一例である。"Failure to thrive"とはもともと小児科領域の用語で「何らかの原因による発育障害」を意味する。米国では最近特にこの言葉を,略語であるFTTとともに高齢者医療の現場でよく耳にする。一人暮らしの虚弱高齢者が脱水や栄養障害などで入院してきた際など,入院時診断の欄に「FTT(failure to thrive)」と記入されることが多い。概念的には,栄養状態や認知機能,精神状態,日常生活機能が何らかの原因で低下することにより他人や社会への依存状態が高まり,それまでの環境や社会サポート量ではthrive(生存)できなくなった虚弱進行状態を指す(図1)。

図1 Failure to thriveの構成因子

 この言葉は,慢性的変化にも急性変化場面でも使える。日本の診療現場でもよく,「○○さんは最近落ちてきたね」といったフレーズで高齢者の虚弱化や老衰の進行を表現するが,それに通じるものがある。日本語に直訳しにくい言葉であるが,本稿では便宜上「老衰」と訳して議論を進めていく。

「老衰」は究極の老年症侯群

 高齢者は加齢に伴って関節炎や聴力低下などの生理的老化を経験し,糖尿病や高血圧,心臓病などの慢性疾患を抱えていく。多くの人がめまいや物忘れ,転倒など高齢者特有の問題に直面し,さらには日々さまざまな社会的,心理的なストレス(家族,友人との別れ,社会的孤独,差別,経済難など)にさらされることにより,心身ともに虚弱化していく。

 こうした慢性的なストレスに加え,Aさんのように急性疾患で入院加療すると一気に老衰が進行する。図2のように,老衰は多くの因子がかかわり,複雑なプロセスのもと時間をかけて進行するため,いったん右方向へ著明に進行した老衰を左方向に回復することは極めて困難である。過去の観察研究でも「85歳以上の高齢者で一度喪失した日常生活機能を回復するのはほぼ不可能である」との報告がある(J Am Geriatr Soc. 2008 [PMID : 19093915],J Gen Intern Med. 1997 [PMID : 9436895])。

図2 老衰のプロセス

 Aさ...

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