医学界新聞

2011.01.10

MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内


動画で学ぶ脊髄損傷のリハビリテーション
[DVD-ROM付]

田中 宏太佳,園田 茂 編

《評 者》半田 一登(日本理学療法士協会会長)

理学療法士に修得してほしい有機的かつ臨床的な動画本

 本書の帯に,『リハビリテーションは「動き」の医療,だから「動き」を見て理解する』と書かれています。これを読んで瞬間的に二つのことを思い出しました。

 一つはリハビリテーション(以下,リハビリ)の草創期に評者が所属していた九州労災病院のリハビリ科は,医師,作業療法士とMSWで構成され,理学療法士は整形外科所属の時期があったことです。それは当時のリハビリ科部長の考えで,マッサージを中心とした理学療法士の行為はリハビリとは一線を画すというものであったからです。言い換えれば「動き」の医療が理学療法士に強く求められていました。

 もう一つは,評者の学生時代に「動きを観察し,それを模倣する」ことが教育の段階でしきりに行われていたことです。例えば,頸髄損傷者のプッシュアップ時における肘の固定法などをつぶさに観察し,それを模倣し,その上で新たな患者を指導するという手法が採られていました。これが本書でいう動きの医療であるリハビリの重要な教育方法であると確信します。

 今日の理学療法教育の場では,さまざまな疾患ごとに存在する特異的な動きを観察できる機会は減少しています。臨床実習前の教育段階で患者の動きを観察する機会がほとんどなく,臨床実習においても臨床実習時間の短縮やリハビリ料での単位制の導入などによって困難性は高まる一方です。その中にあって,脊髄損傷はリハビリ医療にとって重要な対象疾患でありながら,多くの理学療法士が経験できない疾患になりつつあります。しかし,理学療法士が専門職である以上,常識として知っておかなければなりません。

 また,今日の社会背景の中で理学療法士の関心が高齢者問題に偏り,脊髄損傷に代表される障害者に対する関心が弱まっているように懸念しています。障害者リハビリと高齢者リハビリにはゴール設定における大きな違いがあり,家庭復帰を果たせば成功と見なされる高齢者リハビリもあれば,一方で,社会参加を可能にしなければ成功とされない障害者リハビリもあります。両者の違いを乗り越えるためにはそれぞれの疾患別のリハビリを十二分に習得しなければなりません。

 このような状況下で「動画によって動きを知る」「文字によって手順を確認する」「文字によって留意事項を確認する」という有機的で臨床的な「脊髄損傷のリハビリテーション」本が完成したことは誠に意義深いことと思います。先に出版された『動画で学ぶ 脳卒中のリハビリテーション』(2005年,医学書院)に続くこの動画本の完成が今後のリハビリの発展に寄与することを確信するとともに,さらなる疾患別リハビリのシリーズ化を期待しています。

B5・頁152 価格5,985円(税5%込)医学書院
ISBN978-4-260-00778-8


地域医療は再生する
病院総合医の可能性とその教育・研修

松村 理司 編著

《評 者》岩田 健太郎(神戸大教授・感染治療学 神戸大病院感染症内科診療科長)

ボトムアップな地域医療再生 総合医を育てる魂の一冊

 本書の編著者である松村理司先生は一貫して優れた総合医であることをめざし,優れた総合医を育てることに尽力してきた。そして,疲弊の激しい中小病院の勤務医が優れた病院総合医であれば,現在の「医療崩壊」(松村先生的に表現するならば「病院崩壊」)の問題は解決に向かうのではないかと主張している。本書の主旨である。

 医療の質という面では病院勤務医はまだまだうまく機能できてはいない。検査過剰,「木を見て森を見ない」と称されるマイクロな医療をぐるぐる回しても,超高齢化社会を迎え,患者の様相が複雑化し,また診療の目的すら明確でなくなる日本の医療に明瞭なヴィジョンを持ち得ないだろう。そのヴィジョンを個々の優れた病院総合医が持てば診療の質は高まり,それがひいては病院という組織の,そして国の医療の在り方の改善につながっていく。松村先生は本書で数々の医療政策に対する提言を行うが,「国がこうすればよいのだ」というトップダウンの,「おかみ丸投げ」ではない。徹底してボトムアップの思想である。そしてそれを具現化しているのが洛和会音羽病院である。

 音羽病院は卒後臨床研修環境において日本で最も優れた環境を持っている(Int J Med Edu. 2010 ; 1 : 10-14)。ちなみに上位10施設中,大学病院は弘前大学病院ただ一つだけである。大学病院から人が出ていったのは初期臨床研修「制度」のせいではない。大学病院が研修医を引きつけるだけのリソースと魅力を持っていないからなのである。制度はただ,それを顕在化させただけなのである。

 優れたシステムもすべては「ひと」からなる。形式だけ整えても構成員個々の能力や意欲が伴わなければ絵に描いた餅である。古典的な日本の医療システムにおける「美点」(例えばフリーアクセス)も,それは個人の,特に勤務医の過剰な献身によるぎりぎりの綱渡りな状態がもたらしたものであった。それが限界を迎え,「立ち去る」状態になる。「医療崩壊」という言葉が生まれる。

 日本医療の質はよいか? このような「イエス・ノー」的な回答を促す問いは子どもじみている。米国と日本のどちらの医療が「まし」か? これも大人げない議論である。他者との比較でしか自己を規定できない人は哀れである。(他国はさておき)「日本の医療のどこに問題点があり,さらなる改善点があるか?」こそが問われるべき大人の命題だ。そして病院診療における改善点は山のようにある。われわれは毎日毎日,日本の病院診療の欠点を見せつけられている。

 本書は重層的に,多角的に日本の病院総合診療の在り方を,そして病院診療の在り方を提言する。提言は実に具体的でマイクロなものだ。カンファレンスの在り方,診断プロセスの在り方,女性医師の在り方に始まり,労務管理や給与の問題,果ては音羽病院における狂犬病診断の顛末から脚気の「森-高木論争」に至るまで,実に多彩な議論が展開される。その根底には一貫して,優れた総合医とは何か,育てる手段はいかに,という問いが流れている。著者の魂がこもっており,読者の魂も揺さぶられる。

A5・頁304 定価2,940円(税5%込)医学書院
ISBN978-4-260-01054-2


消化管の病理と生検診断

この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook