医学界新聞

対談・座談会

2011.01.03

新春座談会

疫学研究のこれから
――いっそうのエビデンス創出をめざして

清原裕氏(九州大学大学院医学研究院教授 環境医学分野)=司会
上島弘嗣氏(滋賀医科大学特任教授 生活習慣病予防センター)
大橋靖雄氏(東京大学大学院医学系研究科教授 生物統計学)
二宮利治氏(九州大学病院 腎・高血圧・脳血管内科)


 「心血管疾患は予防可能」。これは半世紀以上にわたる疫学研究から得られたエビデンスだ。疫学研究から得られる知見は医学のエビデンスとして,臨床での実地医療だけでなく基礎研究から医療政策まで大きな影響を与えてきた。

 一方,医療や社会の変化とともに疫学研究の在り方も変わりつつあり,統計などの解析手法の発展からも新しい研究の戦略が求められてきている。

 本紙では,新年号特集『久山町研究の50年から見つめる疫学研究 これまで,これから』で監修を務める清原裕氏の司会のもと,日本の疫学界をリードしてきた上島弘嗣氏,疫学だけでなく臨床研究でも指導的立場にある大橋靖雄氏,久山町で疫学研究にあたる二宮利治氏の3氏を迎え座談会を企画。いっそうのエビデンス創出をめざして,疫学研究の将来を展望する。


清原 日本人のエビデンス,日本発のエビデンスが求められるなか,疫学研究の重要性は高まっています。一方,日本では疫学に対する関心があまり高くなく,質の高い臨床研究の論文も欧米に比べ極めて少ないのが実情です。そこで本日は,疫学研究のさらなる充実をめざし,日本の疫学研究のあるべき姿を先生方と展望できればと思います。

 まず最初に,先生方と疫学とのかかわりからお聞かせください。

疫学研究に魅入られて

上島 私は公衆衛生を専門として疫学にかかわってきました。医師をめざしたきっかけが自分自身の病気だったため,最初は臨床医になろうと考えていました。しかし,ひょんなことから集団健診を行う部署に入り,予防医学に魅力を感じて今日に至っています。

二宮 私は卒業当初,輸液を学びたくて腎臓内科に入りました。腎臓内科医として糖尿病性腎症の予防に力を注ぎたいと考え,疫学的な研究の必要性を感じていたところ清原先生から声を掛けられ,「渡りに船」と久山町研究に2003年から加わっています。

清原 大橋先生は,統計学の方面からユニークな道を歩んでこられましたね。

大橋 はい,私はもともと工学部計数工学科の出身です。大学卒業後は,ランダム化比較試験(RCT)の方法論を日本の農事試験に初めて導入した故奥野忠一先生のもとで,工学部の助手をしていました。そのようななか,1982年に東大で統計パッケージの紹介と利用法の検討を行う研究会をつくりました。

 ただ,周囲の専門家からは「統計学者が手を出すことではない」と言われました。というのは,当時は理論の開発が統計学者の仕事で,既存のプログラムでデータを解析することはお門違いと考えられていたのです。その後,開原成允先生(現国際医療福祉大教授)に招かれ,84年に新設された東大病院中央医療情報部に異動しました。当時の「日本の医学にないものが2つある。データベースと統計だ」という開原先生のセリフを今でも覚えています。

清原 それは現在でも当てはまる部分がありますね(笑)。

大橋 そこで生物統計家としての活動を開始し,その後,日本の生物統計学講座の第1号となる現在の講座を主宰し今に至っています。米国留学時に,データセンターで臨床試験だけでなく疫学の大規模研究も行っていることを目の当たりにしたことから,現在統計の面から疫学研究を支援させていただいています。

清原 最後に私ですが,脳卒中の専門医を志望して九大医学部第二内科に入局しました。しかし,当時の教授だった尾前照雄先生に久山町でも脳卒中の勉強はできると誘われ,2年間の約束で久山町研究に参加して以来30年,疫学研究にとりつかれ今日まできました。

■資金不足が疫学研究の発展を妨げている

清原 それでは,歴史を振り返りながら,疫学研究の在り方を考えていきたいと思います。

上島 循環器疾患領域から眺めると,久山町研究そのものが日本の疫学研究の歴史です。また,国際共同研究の引き金となった「Seven Countries Study」(PDF参照)も日本では九州で立ち上がったので,日本の疫学研究は九州から始まったと言っていいでしょう。

 久山町研究は,コホート研究として世界最高レベルの研究を継続し,日本各地のコホート研究の牽引役となってきました。私自身,対抗心を燃やしながら疫学研究を始めたのが正直なところです。

清原 久山町研究が先生の若かりしころの刺激になったとは大変光栄です。地域のコホート研究の誕生後は,それらを統合したメタアナリシスも発展してきましたね。

上島 はい。日本でもJALS(註1)など多くのメタアナリシスが立ち上がってきました。個人データに基づいて個々のコホート研究を統合し,さまざまなリスクの検討を性別や年齢別に詳細に行うメタアナリシスは,今日の観察疫学における最先端の研究手法となっています。

清原 現在,世界的な潮流として疫学研究の大型化があります。また個々のコホート研究は,対象者数や集団の特性・偏りによりリスク評価に一定の限界があるため,メタアナリシスにますます注目が集まるようになりました。

 このように発展を遂げてきた疫学研究ですが,研究を進めていく上では何が課題となっているのでしょうか。

上島 最大の課題は研究資金の不足です。久山町研究もSeven Countries Studyも海外の研究助成により始まりましたが,日本ではゲノム研究には莫大な予算がつくものの,コホート研究にはほとんど予算が下りないのが実際です。

 追跡が難しい観察研究には,人件費をはじめ多額の費用がかかります。しかし,「データを集めるだけでなぜお金がかかるのか?」と言われ,なかなか資金の必要性が理解されません。

二宮 私が留学していたオーストラリアでは,人件費に莫大な資金が投入され,医師のほかデータを集めるリサーチナースやプロジェクトマネジャーなど,多職種による疫学研究が行われていました。一方,日本は研究のデザインからデータ集めまで医師自身が行うという状況ですから,オーストラリアとはシステムが大きく違うと実感しました。

上島 ええ,本当に大きく異なります。また研究資金が不足すると,地域のコホート研究が育たないためメタアナリシスができないという課題もあります。時宜に応じたメタアナリシスを行うためには,地域のコホート研究が耕されいつでも収穫できるよう,管理・維持されている必要があります。

大橋 公衆衛生上の対策のためのエビデンスづくりも,地域のコホート研究がある程度ないとできません。

清原 疫学研究の推進には,現在研究資金の部分で課題があるのですね。

マネジメント機関が研究推進の原動力となる

清原 Seven Countries Studyや久山町研究では,臨床医が旗振り役を務めたことも特徴的でした。しかし,疫学研究ではデータ解析をはじめ専門的なスキルも多く要求されるため,研究の輪が広がるためには臨床以外の専門家の関与がやはり必要です。

大橋 そうですね。規模や継続性を考えたときには,研究をマネジメントする組織がどうしても必要になります。

 米国のNIHでは,コーディネーティングセンター(データセンター)を公募し,10年規模の長期研究を支援しています。英国オックスフォード大の疫学者リチャード・ピートはCTSU(Cancer Trials Support Unit)という疫学や臨床試験のデータマネジメントを行う組織を立ち上げ,乳癌治療の進歩に大きなインパクトを与え続けています。

二宮 オーストラリアでもCTRU(Clinical Trials Research Unit)という機関が中心になって,オーストラリア全土の大学と協働し,約300人のスタッフで国際的な共同研究も含め約60の臨床研究を動かしています。

大橋 日本でもJALSが始動する際に,データマネジメントと研究をコーディネートする組織として,CTSUをまねたJ-CRSU(日本臨床研究支援ユニット)を作りました。現在約90人のスタッフで,JALSやCKD-JAC(註2)などが行われています。

 私は,若い研究者がフェローやインターンとしてこのような組織で学ぶことで,将来の疫学研究を担う人材に育ってほしいと考えています。

清原 確かに疫学研究を担う人材の育成は重要な課題ですね。

上島 日本では,言わば自前で何でもやるというシステムでしか疫学研究が成り立ってきませんでした。欧米の疫学研究はシステム化されていて,各部門がそれぞれ機能する状態ができあがっている。これは,日本がこれから解決しなければいけない課題です。

清原 そういう意味では,JALSは大橋先生の生物統計グループと上島先生の疫学グループが,共同で取り組んだ最初の大規模観察研究ですので,非常によい経験になりましたね。

上島 共同研究は人材を育てるよい機会です。個々のコホート研究の研究者にとっても,メタアナリシスでないとできないような研究を行うための基盤づくりの機会となります。

■臨床と疫学の相互理解を深めるために

清原 地域のコホート研究を充実させるためには,疫学研究と臨床とを結びつける人材も必要となりますね。

二宮 オーストラリアでは,プロジェクトマネジャーが臨床医と疫学者をつなぐ役割を担っていました。そして,互いの考え方の違いや研究遂行上の問題点の解決を促し,臨床医と疫学者の合同会議を開催するなど,きめ細かなプロジェクト遂行がなされていました。

上島 臨床医と疫学者が共同で疫学研究や臨床研究を行い,お互いに学び合うことは非常に大事です。

大橋 ええ。その過程で,研究全体をマネジメントができる人材も育っていきますね。

上島 疫学者は臨床医と共同研究をすることで,臨床上でポイントとなる部分を学びますし,臨床医も追跡調査の困難さを理解します。これは一緒に研究をして初めて気づく部分ですね。

清原 久山町研究ではほとんどのスタッフは臨床医です。臨床医としてのマインドを持ちつつ疫学も理解することで,疫学と臨床のどちらにも視野を広げられる人材を育成しようという狙いがあります。

大橋 臨床医が総合的な感覚を持ちながら,疫学研究の道に入るのはよいことですね。疫学の方法論もしっかり勉強したいと考える臨床医を育てるのがいちばんの近道です。

清原 ええ。ですから,これからの疫学研究の推進のためには,もっと臨床医を疫学に惹きつけなければいけないのですが,何かお考えはありますか。

上島 私は若いころ,臨床医の側から疫学を学びに来るべきだと思っていたのですが,それは間違いでした。お互いに意見を戦わせて理解し合うことから交流が始まるので,やはり疫学者側が臨床に出かけていくことも,今後は非常に大事になると思います。

 私自身,高血圧学会など臨床の学会に参加し,臨床医と交流するなかで疫学の重要性を伝えられたと思います。そしてそれが,疫学者も携わるガイドラインづくりにつながりました。

二宮 若い臨床医に話を聞くと,疫学自体に興味は持っています。ただ,疫学を体系付けて学べるシステムが医学教育にないことは問題です。

上島 確かにそれはありますね。

二宮 一つの症例報告がケース・シリーズとなり,ケース・コントロールからコホート研究へつながっていきます。学生には「いざ研究したいときに備え,勉強するように」とよく話していますが,公衆衛生学で統計を習うだけでは疫学研究を行うことは難しいでしょう。やはり一度,実際の臨床研究を経験するなど医学教育を充実させていく必要性があると思います。

大橋 もう一つ,ポストも重要だと思います。大型共同研究に医師のポスドクやフェローの制度をつくり,その後も腰を据えられるポストに導けるようキャリアパスを構築する必要があります。大学はポストの数が限られていますが,製薬会社や民間のシンクタンク,また保険会社でも仕事が得られるようになればよいと思います。

疫学研究の複雑化に対抗する"武器"が生まれてきた

清原 ここからは視点を変え,テクニカルな部分としてデータの解析手法の将来を展望したいと思います。大橋先生,統計学の中で解析手法はどのように進歩を遂げてきたのでしょうか。

大橋 歴史的な話から始めると,フランシス・ゴルトンによる回帰分析の提唱は1877年まで遡ります。しかし,それが一般の応用手法として使われるようになったのは1960年代半ばです。ノーマン・R・ドレーパーとハリー・スミスによる統計の教科書『Applied Regression Analysis』は,1966年の初版から81年の改訂版でページ数が3倍に増えたのですが,この15年間がコンピュータの導入によって高度な統計手法が急速に普及した時代です。

 疫学との関連では,1957年にジェローム・コーンフィールドによりロジスティック回帰が発明され,また72年には医学統計上最も引用されたCox回帰の論文がデイビッド・コックスから発表されています。その後,86年にKY・リャンとスコット・ゼーガーが,いわゆる一般化推定方程式(GEE)という相関データの解析手法を提唱しました。

清原 このころ,現在利用される主要な統計手法がほぼそろい踏みしました。

大橋 はい。そしてコンピュータの圧倒的な進歩で,2000年代からは多数のパラメータがあるような変量モデルの計算が,比較的容易になりました。観察研究では,数多くの交絡因子を考慮し,その交絡因子が治療法選択やアウトカムに与える影響を調整しつつ真の治療効果を推定する,「因果推論」という考え方も普及してきました。

 因果推論の方法論としては,IPTW推定を用いるMarginal Structure Modelやg-推定という方法を用いるStructural Nested Modelなどが,世界で定着しつつあります。しかし日本ではまだ教科書もほとんどなく,一般的に用いられるようになるのはこれからです。

清原 今日の疫学研究を行う上で不可欠な,新しい統計の"武器"がどんどん誕生してきたのですね。

大橋 そうです。多変数で大量のデータがデータベースとして利用できるようになるとともに問題が複雑化し,今までの統計手法が通用しなくなり,新しい武器が必要になってきました。

二宮 以前,観察研究のデータから薬剤の治療効果を検討するため,Marginal Structure Modelを学ぼうとしたのですが,その方法がなく苦労しました。

大橋 勉強法の問い合わせは,私のところにも多くきます。ところが,こういった統計手法はまさに職人芸の部分があり,パラメータをわずかに変えるだけで解析結果が大きく変わることがあります。結果の頑健性に留意しつつ,検証できる形で結果を提示しなければいけないので,このような解析はやはりプロの統計家の分野となります。

 一方統計家にとっても,実際のデータがなければ手法を知っていてもトレーニングできず,スキルを伸ばすことができないという課題があります。

清原 なるほど,疫学者と統計学者とのコラボレーションが今後ますます大事になりますね。

上島 解析手法が進歩した一方で,医学の因果関係や医学固有の問題もきちんと理解する必要があります。これはエンドポイントとしての「総死亡」がよい例ですが,臨床試験では有用な総死亡での比較も,観察研究では因果の逆転が入るリスクがあるのです。

 例を挙げると,アルコールのリスクについて「禁酒した・もともと飲まない・ちょっと飲む・多量に飲む」の4群で検討すると,持病でお酒をやめた人なども含まれるため「禁酒した」群の総死亡リスクが最も高いという結果が出ます。これを結果のまま解釈したら「禁酒したら死亡率が上がるから禁酒はするな」となるわけです(笑)。総死亡という条件だけでは交絡因子を除きようがないため,原理的に因果の逆転が多数あるものを扱っていると理解しなければいけません。

大橋 医療のプラクティスを知らないといけないわけですね。

上島 私が挙げたのは明らかにおかしいとわかる事例ですが,これがコレステロールや血圧に変わるととたんにわからなくなります。

二宮 そうした研究結果がメディアに流れ,結果だけが一人歩きしてしまうこともありますね。

大橋 ケネス・J・ロスマンの教科書に,「疫学は誰でもできる。ただし,見識と常識を持たねばならない」という言葉がありますが,"見識と常識"を持つことこそが,いちばん難しいのかもしれませんね。

データベースは公共の福祉

清原 疫学研究に活用できるデータベースがほとんどないことも,研究の発展を障害する大きな問題ですよね。

大橋 確かに,日本にはデータベースがないと長らく言われてきましたが,DPC病院のデータが公表され,来年度からは全国規模でレセプトデータの収集・学術研究への活用が実施されることになっていますので,標準化されたデータベースができつつあるところです。ただ,研究利用でいつも問題となるのは,「国民の理解が得られるか」という部分です。

上島 プライバシーの意識は確かに高まっていますが,個人情報を研究には何も出さないとなると,かえって公共の福祉の低下につながる危険があります。研究利用の上では,いかに個人情報を保護しながら国民の福祉に役立つデータを出していくかが問われますね。

清原 データは国民に還元できるものですから,データベースへの参加義務があることを国として示すことも必要でしょう。現代はあまりにも権利ばかりが主張され,義務はあまり言われません。ですから,データの提供は義務であるという視点も必要です。

大橋 私もそう思いますが,あまり強く言えないのが実情です。米国のHMO(Health Maintenance Organization)では,高水準の医療を適正な価格で提供する目的で,収集したデータを活用する合意が利用者との間になされています。翻って日本では,意識的な合意がないまま健康保険が運用され,診療上の権利のみを主張する方もいます。やはり保険制度の根幹に立ち返り,双方のメリットについて合意しないといけません。

上島 いずれにしても秘密保護をきちんとし,それを破るようなデータベースの使用者には罰則を設け,公共の福祉のために有効なデータベースを活用するという方針を打ち出さない限り,前には進みません。

大橋 その通りです。韓国は単一保険者の保険制度をつくり,うまく国民の合意が得られました。日本での合意形成にも,保険制度を一新するなどの過激な対応が必要かもしれませんね。

長期の追跡がいっそう求められる

清原 それでは話題を変え,これからの疫学研究の方向性について,先生方のご意見をお聞かせください。

大橋 まず対象者ですが,女性や癌生存者を考えています。例えば乳癌では,若くして罹患しその後何十年も生存する方も多くいます。長く健康に生きるためにはどのような因子があるのか,現在コホートを作りつつありますが,なかなか情報がありません。

清原 そういった特殊な集団での疫学も,今後は注目されそうですね。

大橋 ええ。またマーカーとしては,エピジェネティックな解析も含めたゲノムが発展していく必要があります。

上島 ゲノムは注目を集めていますが,生活習慣と一緒に考えなければ意味がありません。例えば,活性型の通常のアセトアルデヒド代謝酵素ALDH2遺伝子を持つ人は,持たない人より高血圧になりやすいのですが, ゲノムだけを見るとALDH2遺伝子が高血圧に直接関与する要因だと思ってしまいます。しかし,ALDH2遺伝子を持つとアルコールに強くなるので,お酒をよく飲みます。アルコールの影響で血圧が上がり,お酒を飲まないと血圧は全く上がらないこともあります。

大橋 イベントでは,自立度に関係する要介護度と認知症が注目されるのではないでしょうか。

二宮 私も高齢者の認知症と身体障害には興味を持っています。高齢者では,どうやって健康的に寿命を迎えるかがいちばんの課題となるので,どのような生活がよい影響を与えるのかを明確にしたいと考えています。

清原 日本は世界で最も高齢者人口の割合が多いので,高齢者のQOLをどう維持するかは大きな問題ですね。

上島 高齢者を考える上では,歳をとってしまってからではもはや是正できない問題もあるので,中年期から人口寄与危険度の割合を算出して,何がその世代と性別にとって重点項目かを詳細に検討する必要があります。

清原 確かに,中年期の危険因子が高齢者の疾病にどのような影響を与えるかについて,日本のエビデンスはまだあまりありません。

上島 米国では,中年期から低リスクの人を追跡すると,循環器疾患の発症が少ないという長期のコホート研究があります。日本でもそういった長期の研究がますます重要になってきますね。

二宮 久山町研究では,高血圧が認知症発症に及ぼす影響が中年期と老年期では若干異なるというデータを得つつあり,これからも追跡していきたいと考えています。

上島 久山町研究を1つの典型例として,長期の追跡の結果,短期ではわからなかったことも多くわかってきたという事実があります。ですから,長期の研究が重要だということを多くの人に知ってもらうことが大事です。

清原 長期の疫学研究によって,今後は中年期,あるいは青年期や幼少期からの危険因子の予防・管理の重要性が明らかとなる可能性がありますね。

■時代の要請に応える疫学研究を

清原 さまざまな観点から日本の疫学研究を考えてきましたが,理想的な疫学研究の在り方について,最後に先生方の考えをお聞かせください。

二宮 まず疫学を勉強できる機会の充実を図るべきだと考えます。疫学研究の発展には人材が第一ですので,学生時代に1年でも疫学研究のトレーニングを行うような教育体制が必要です。

大橋 現在の疫学研究では,制度上の問題はあるもののやはり国民の理解を得ることが大切で,そこが出発点になると考えています。理解を得るためには,医療コミュニケーションの在り方を見直す必要があります。巷にあふれる医療情報のなかで正しい情報が,きちんと国民に届くことが大切です。

 さらに届くだけでなく,国民がその情報を正確に受け取ることが重要ですので,通訳としての疫学者も絶対に必要です。そういった双方向での「国民の理解」が求められますが,これはやはり久山町が模範となりますね。

清原 もっと国民一人ひとりに疫学研究を知っていただいて理解を得ることは,今後の発展に不可欠でしょう。

 最後に,日本の疫学界を長年にわたってリードしてこられた上島先生からひと言いただければと思います。

上島 理想的な疫学研究とは,その時代時代で求められるエビデンスを出していくことだと思います。確かに疫学研究は過去の課題をもとに開始されているので,現代の課題とずれが生じるという矛盾もあります。しかし,久山町研究のように常にコホートが維持されなければ,喫緊の課題として求められるものに回答することはさらに難しくなります。地道な努力ですが,個々の研究を長期間維持し時代の要請に応えていくことが,疫学研究の理想です。

 わが国のコホート研究を牽引してきた久山町研究には,50年と言わず,ぜひとも100年の計を見ながら継続していっていただきたいと思います。

清原 久山町研究へのエールをいただきありがとうございます。本日は,これからの日本の疫学研究にとって大変貴重なご意見を多くいただきました。ありがとうございました。

(了)


1)JALS(Japan Arteriosclerosis Longitudinal Study)は,日本で2001年にスタートした動脈硬化性疾患発症要因の解明を目的とした統合研究(メタアナリシス)。全国各地で行われている循環器コホート研究から匿名で集積した個人データに基づき,危険因子の評価を行っている。
2)CKD-JAC(Chronic Kidney Disease Japan Cohort Study)は,慢性腎臓病の予後に影響を及ぼす因子の検出を主な目的とした,日米共同の臨床疫学研究。


清原裕氏
1976年ソ連邦ロストフ国立医大卒。78年九大医学部第二内科入局,83年九州歯科大内科講師,96年九大医学部第二内科講師を経て,2006年より現職。91年より久山町研究をリードし,脳卒中の疫学研究として始まった久山町研究を,虚血性心疾患,悪性腫瘍,認知症,眼科疾患,歯科疾患,高血圧,糖尿病,食事性因子などの生活習慣病全般およびゲノム研究など幅広い領域に発展させる。日本老年医学会代議員,日本脳卒中学会評議員,日本高血圧学会評議員,日本疫学会評議員などを務める。

上島弘嗣氏
1971年金沢大医学部卒。72年大阪府立成人病センター集団検診第一部,81年阪大,同年米国ノースウエスタン大地域保健・予防医学講座研究員。84年国循集団検診部医長を経て,89年滋賀医大教授。2009年より現職。日本疫学会,日本公衆衛生学会,日本高血圧学会などの理事を歴任。循環器疾患の予防を中心にさまざまな疫学研究に取り組む。NIPPON DATA 80/90を主導し,JALSを大橋氏とともに遂行している。08年日本医師会医学賞受賞。滋賀医大名誉教授。

大橋靖雄氏
1976年東大工学部卒。79年同大学院工学系研究科博士課程中退。84年東大医学部講師,86-87年米国ノースカロライナ大,ワシントン大へ留学。88年東大医学部助教授,90年同教授。2007年の大学の機構改革を経て現職。J-CRSU(日本臨床研究支援ユニット)では,JALS,CKD-JAC以外にも数多くの疫学研究,臨床試験のデータマネジメントを担い,本分野の日本での発展に尽力している。現在,J-CRSU理事長,日本メディカルライター協会理事長,日本臨床試験研究会代表理事を務める。

二宮利治氏
1993年九大医学部卒。同年,同大大学院病態機能内科学に入局。2003年より久山町研究に学術研究員として参加し,06年豪シドニー大ジョージ国際保健研究所に留学。09年帰国し現職。これまでに,慢性腎臓病が心血管病発症の危険因子であることや慢性腎臓病者の心血管病発症や腎機能障害進行の予防における降圧療法の重要性をつきとめた。そのほか,JALSやBPLTTCなどの疫学・臨床研究のデータベースを用いたメタアナリシスにも従事した経験を持つ。