自殺を社会的排除の視点で考える(近藤克則,本橋豊)
対談・座談会
2010.04.26
【対談】
自殺を社会的排除の視点で考える
社会レベルの対策を
近藤克則氏(日本福祉大学健康社会研究センター長)
本橋豊氏(秋田大学大学院医学系研究科長・医学部長)
1990年代後半に起きた経済金融危機に始まる社会秩序の激変以来,日本の自殺者数は増え続け,1998年には3万人を超える非常事態に至った。それ以来,自殺は社会的な問題として継続的に議論され,対策が急がれている。
本紙では,自殺対策の第一人者である本橋豊氏と,『健康格差社会――何が心と健康を蝕むのか』(医学書院)の著者である近藤克則氏の対談のもようをダイジェストでお送りする。(雑誌『公衆衛生』(医学書院)Vol.74, No.5より抜粋)
本橋 報道でも伝えられているように,現在,自殺者の増加は社会的な問題になっています。近藤先生は,その原因をどのようにお考えですか。
近藤 社会学者のÉmile Durkheimは,著書『自殺論』(1897年)で自殺と密接な関連を示す社会現象を3つ挙げています。一つは宗教で,宗派によって自殺者の割合に偏りがあること。2つ目は結婚で,配偶者がいない人に自殺の傾向が高いこと。そして,もう一つの要因がアノミー,すなわち社会秩序の変化による規範の喪失です。
日本における1998年以降の自殺の急増も,その背景に結婚とアノミーという2つの要因が重なっていると考えています。結婚しない人,および離婚する人の増加に加え,子世代が別居する傾向が強くなり,家族が助け合う気風が弱くなってしまいました。さらに,派遣労働者が増え,終身雇用システムも崩壊して,かつての会社のような男性労働者の居場所がなくなりました。家族の絆をなくし,社会秩序の急激な変化に見舞われ,社会とのつながりを失った人,社会的に排除された人の増加が自殺増加の背景にあると思います。
社会的ネットワークとセーフティネット
近藤 「社会的排除」の概念は,貧困が生まれる「プロセス」に着目する中で登場しました。ふつう私たちは,家族という居場所を持ち,教育を受け,就職して職場に組み込まれ包摂されます。そして,日本ではこの就職により,医療保険,年金などの社会保障システムに守ってもらえるようになります。
一方,貧困に陥った人たちの場合,家庭が壊れていることが多くみられます。彼らは十分な教育が受けられず,その結果安定した仕事にもつけず社会から排除されてしまうため,本来あるはずの,家族や友人,同僚,そして社会からの支援を受けることができません。あらゆるセーフティネットからこぼれ落ちてしまうのです。社会から排除された人に自殺者が多いことを踏まえると,社会的排除の防止は急務です。
臨床医学と対比したときの公衆衛生学の特徴は,集団や社会を相手にすることでしょう。公衆衛生関係者は,今の日本社会の病状を社会的排除が進んだ状態と診断し,ネットワークやコミュニティづくりなど,社会に対する治療的介入をしていく必要があります。
本橋 私がかかわっている内閣府における自殺対策でも,その認識で一致しています。2006年に自殺対策基本法,2007年に自殺総合対策大綱ができて,その中で3つの基本認識を政府が示しています。その冒頭に「自殺は追い詰められた末の死」とあり,自殺は社会的な問題だと書かれているのです。
最近の動向として,内閣府の自殺対策緊急戦略チームは,昨年11月に「自殺対策100日プラン」を立てました。これは総合的な自殺対策ですから,精神科医療の問題,メンタルヘルスの問題など,公衆衛生や医療にかかわるものもありますが,とりあえず年末から年度末にかけては失業者や企業倒産に追い込まれた経営者の救済を目的に,社会・経済的な対応を重視して緊急対策を立てています。ハローワークに総合相談窓口「ワンストップ・サービス」を設け,そこに保健師を配置して,社会的な悩みを抱えている人たちを支援していることが特色です。
近藤 今後の課題の一つは,支援する側のネットワークも強めることではないでしょうか。保健師がワンストップ・サービスの相談窓口を担当していても,健康相談以外の問題にはすぐには対応できないかもしれません。その場合には,他分野の専門家ネットワークの協力が必要なのです。
ソーシャル・キャピタルが人々と社会をつなぐ
近藤 人々を結びつけるネットワークと,そこで培われた規範や信頼などをソーシャル・キャピタルと呼びますが,それが人々のウェルビーイング(幸福・健康)を高め,自殺および社会的排除の減少につながるのではないかと,実証研究が蓄積されています。その具体例の一つが,本橋先生の介入研究だと思います。
本橋 2000年ごろから,日本で自殺率が最も高かった秋田県で「自殺対策の介入研究」を始めました。住民に対しうつのスクリーニングをし,保健師が個別にハイリスクアプローチを行うという二次予防的なものです。その結果,メンタルヘルスを中心に介入した地域の自殺率を4年間で47%削減させる成果を得ました。成果の要因を調査してみると,意外にも,それはハイリスクの人以外への啓発活動でした。
啓発活動が自殺率を低下させた原因の一つに,知識を持つことで行動が変容したことが考えられます。コミュニティの中に存在する問題を住民が認知したことで,住民の中に新しいつながりが出てきたのです。ソーシャル・キャピタルの充実がメンタルヘルスに及ぼす効果の一例と言えるでしょう。
近藤 私は介護予防を中心に研究を行うなかで,ソーシャル・キャピタルの重要性を感じました。ある町の健診で「要介護状態になるリスクが高い特定高齢者」だと言われた人がいました。あるときその人にボランティアを頼んだら,「みなさんのお役に立てるのなら」と引き受けてくれました。そして,ボランティア活動しているうちに元気になって,特定高齢者ではなくなったのです。ボランティア活動はソーシャル・キャピタルの一側面です。ソーシャル・キャピタルの豊かな地域では,居場所や役割などを得,元気を取り戻すきっかけを得やすいと感じました。
本橋 ソーシャル・キャピタルには「ボンディング・ソーシャル・キャピタル」(地縁,血縁,マフィア,学閥など)や「ブリッジング・ソーシャル・キャピタル」(橋渡し型)等,さまざまな種類があります。望まれるソーシャル・キャピタルとは,どのようなものなのでしょうか。
現代社会においては,ボンディング・ソーシャル・キャピタルはそぐわないですね。田舎でみられる密接な人間関係がその一例ですが,それは人々の行動にかえって悪影響を及ぼすことがあります。つまり,地縁,血縁が強い社会の中では,自分はうつになった,借金を抱えたとは言えず,支援にアクセスできないのです。
近藤 ソーシャル・キャピタルをもう一度豊かにしようと言っても,昔の地縁,血縁のようにガチガチの人間関係の中ではみんなが息苦しくて,そこから逃げ出したくなりますね。そう考えると,これからは,風通しがよく,自由度の高い,いわば「水平型」のソーシャル・キャピタルを豊かにすべきだと思います。
公衆衛生のエビデンスづくりに向けて
近藤 日本の公衆衛生関係者の課題として,世間に対して公衆衛生の成果を納得してもらえる形でどのように示していくかということがあります。
本橋 私たちは,地域で自殺対策を行っていくときに,現在は自殺率にしか注目していません。そこで今後の方策として,ソーシャル・キャピタルやメンタルヘルス,メンタルヘルス・リテラシーにかかわる指標を国民生活基礎調査などに組み込み,各地域における自殺対策の質の高さと指標の関連性を経年的に比較することが挙げられます。
また,学者の立場から言えば,現場の保健師,公衆衛生関係者の方たちが行っているいろいろな努力,自殺対策にかかわる活動に対する評価をきちんと行って,それをフィードバックして,さらに次の活動につなげていくシステムを,日本公衆衛生学会として提言していく方針ですので,ぜひ注目していただきたいと思います。
より良い社会をつくるために
本橋 保健師などの公衆衛生関係者や医療職は,大きな制度改革に直接かかわるわけではありません。彼らは今後,どのような形で自殺防止に貢献していくことができるのでしょうか。
近藤 私が期待することは3つあります。一つは現場での取り組みの効果を検証することです。これにより,グッド・プラクティスを明らかにし,広げることが大事です。2つ目は,ノンヘルスセクター(非保健医療専門職)に対する働きかけです。自分の現場や職務の中で頑張るだけではなくて,他のセクターに対して公衆衛生・医療関係者としての考えを伝えていってほしいと思います。3つ目は,日本社会の将来像への要望を,専門職としてではなく,1人の国民として意思表示することです。制度・政策はエビデンスだけでつくられるわけではありません。社会を良くするために社会の病根と「闘う保健師」「闘う医療従事者」が,今再び必要だと感じています。
本橋 自殺対策は難しい課題です。社会的な問題に直面している人たちは心の悩みを抱えています。対策立案においては,公衆衛生をはじめとする医療関係者の役割がかなり重要になってくると考えられます。現場での地道な活動こそが自殺対策に大いに役立ってくると思いますので,行政や学会が発信する情報も取り入れた上で,現場の日常的な活動でいっそう活躍していただきたいと思います。
(抜粋部分おわり)
近藤克則氏 |
本橋豊氏 1980年医歯大卒。84年同大大学院修了。同大助教授を経て,96年より秋田大教授(公衆衛生学)。2007年より同大大学院医学系研究科長・医学部長。現在,内閣府本府参与・内閣府自殺対策緊急戦略チーム構成員,日本公衆衛生学会理事,日本産業衛生学会理事。『自殺が減ったまち――秋田県の挑戦』(岩波書店)など,著書多数。 |
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