没後100年,今ふたたびのナイチンゲール――『看護覚え書』に学ぶ(岩田 誠,川島みどり)
対談・座談会
2010.02.22
【対談】没後100年,今ふたたびのナイチンゲール――『看護覚え書』に学ぶ | |
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今年2010年は,フローレンス・ナイチンゲールの没後100年にあたるとともに,彼女の著した『看護覚え書』(“Notes on Nursing”,1860)が世に出されてから150年になります。
子どものころ,誰しも一度は読んだことがあるだろうナイチンゲールの伝記には,クリミア戦争に従軍し,健気に兵士たちを励ます“白衣の天使”としての彼女が描かれています。そんな姿にあこがれ,看護師という職業に興味を持つきっかけとなった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし本当のナイチンゲールは,優しさだけでなく,強さと鋭さ,そして時に厳しさをも併せ持った,とても先進的な女性。そして彼女の著作『看護覚え書』には,現在に通じる看護のエッセンスがたくさん詰まっているのです。
今回は,そんなナイチンゲールを敬愛するお二人が,読者の皆さんを近代看護の「原点」を探る旅へといざないます。
“本当”のナイチンゲールと出会って
岩田 実は私は,祖母が看護師だったこともあり,近代看護の始まりと発展にかねてから興味を持ち,自分なりに調べていたんです。自然と“看護の母”であるナイチンゲールのことも知りたくなって,10年ほど前のことですが,ロンドンのセント・トーマス病院にあるナイチンゲール記念館に足を運びました。そこで,この『看護覚え書』と,ウッダム・スミスの書いた伝記(“Florence Nightingale”, Constable, 1950)とを買い求めたことがきっかけで,一般に知られているナイチンゲールのイメージと真実とがまったく違っていたことを知ったんです。彼女は「カンテラを下げてクリミア戦争で傷病兵たちを勇気付けて……」という,いわゆる“白衣の天使”的ストーリーだけにはとうていとどまらない,とても科学的で先進的で,現在の看護の基本を形作った人物だったんですよね。
そこで今日は,ナイチンゲールの看護論の実践者である川島先生とともに,彼女の人となりと,その教えの詰まった『看護覚え書』について,あらためてひもといていきたいと思っています。
川島先生は学生時代を含めると,もう60年以上看護の世界に身を置かれているわけですが,その間,ナイチンゲールについてはどのように学ばれてきたのですか?
川島 学生のときには,ナイチンゲールといえば5月12日,「看護の日」のセレモニーというくらいで,私も岩田先生と同様の,漠然としたイメージしか抱いていませんでした。そうした思い込みを根本的に変えたのは,やはり『看護覚え書』と,スミスの伝記でしたね。
30年以上前になりますが,故・川上武先生(医師・医事評論家)らと抄読会を始めたんです。まずはヘンダーソンの著作から読み始めたのですが,彼女がナイチンゲールに大きく影響されていることがわかり,ナイチンゲールの思想についても学ぶようになりました。この抄読会が,『ともに考える看護論』(医学書院,1973)という本を出版するきっかけとなっています。
スミスの伝記についても,1977年に翻訳版が出たとき,当時勤務していた健和会柳原病院で抄読会を開き,皆で読みました。
『看護覚え書』を読むと,「すべての女性が人生のある時期に看護婦にならなくてはならない」というフレーズが出てきますよね。
岩田 本の最初に書いてありますね。
川島 ええ。これは単なる格言ではなくて,当時の乳児死亡率を鑑みて,一般家庭の女性がきちんとした看護の術を学ぶ必要性を的確に表現しているんです。彼女の状況把握力や論理の鋭さを知り,ぱっと目が開かれた感がありました。
岩田 『看護覚え書』の初版は,看護師のみに向けたものではなく,他人の健康を預かるすべての人に向けて書かれているんですよね。家族皆が元気でいるために,家庭婦人が知っていなければいけないことが,科学的にまとめられています。
川島 そうなんです。一方で,看護をなりわいとする私たちにとっても,知らなければならない知識・経験則が満載です。臨床指導する立場になると,彼女の理論は150年経った今でもみずみずしいままで,実践にとても有効なことがよくわかります。これには,読むたび驚かされています。
岩田 一般の人にもわかりやすく書いてあって,それでいて専門家にもインパクトを与えるって,すごいですよね。読んでいて,ワクワクしてきますもの。
誠意の統計学者
岩田 19世紀には,「統計」が医学に導入されました。例えばそれまで治療の基本とされていた「瀉血法」も,瀉血したほうが圧倒的に死亡率が高いことが統計的にわかると,あっという間に世の中から消えてしまった。そういったエピソードもあるように,治療の結果を数値で示すことで,人々を納得させられるようになったのです。
そんな統計の概念を看護に持ち込んだのも,ナイチンゲールの功績の一つですね。彼女は子どものころから数学が特に好きだったとのことですが,数字できちんと表すのがいかに重要か,よく知っていたのだと思います。
川島 彼女は今で言う,疫学調査も行っていますね。『ナイチンゲール 神話と真実』(みすず書房,2003)に書かれているのですが,クリミア戦争の後方基地があったスクタリの病院では,収容された兵士の半数近くが死んでしまった。それを彼女は自分の力不足だと悔やみ,統計学者とともに原因調査を行ったのです。死亡率がそれほど高くなかった,最前線のクリミアの野戦病院と比較対照した結果,スクタリでの死因のほとんどが,院内感染だということがわかったそうです。
私が感動したのは,彼女が内々に反省するだけではなく,死者の慰霊や遺族への謝罪,そして後世の看護師のために,どうしてもこの結果を公表したいと主張した点です。医療安全における「公開の原則」を,このとき既に彼女は実践しようとしているんですね。ところが必死で闘ったにもかかわらず,陸軍と英王室とに妨げられて,公開させてもらえなかった。
岩田 スミスの伝記もその3割以上のページを,ナイチンゲール対政府の「戦争」に割いていますね。ナイチンゲールが敢然と正しいことを主張しているのに,政府がのらりくらりとかわしているさまがとてもよくわかります。あの時代から,もう官僚主義が始まっているんだな,と思いました。
しかしナイチンゲールは,国の制度を動かさないと,自分の理想は実現できないということをはっきりわかっていたからこそ,政府に訴え続けた。非常に大きな視野でものを見ています。
川島 兵士に性病が蔓延したときにも,「彼らに幸福な家庭生活を提供しない限り,これは解決しません」という,根本的な政策提言と言える手紙を各方面に宛てて書いていますよね。
パソコンもコピーもない時代に,何千通もの手紙を書いていることにも驚嘆してしまいます。
岩田 僕も同じところに驚きました(笑)。当時は全部手書きですからね。しかもそれだけに専念しているわけではなく,資料を読んでまとめたり,論文を書いたりもしているんですから。
ただナイチンゲールは,自分で大量の仕事をこなすと同時に,人をうまく使うことにも長けていて,彼女のまわりには彼女に「使われた」男性がたくさんいます。しかも皆,一流の医師や学者ばかり。そんな人々に「ナイチンゲールのためならやろう」という気にさせるだけの説得力を持っていたのでしょうね。私ももし実際にお会いできたなら,きっと惚れこんでしまったと思います(笑)。
■「犠牲なき献身こそ真の奉仕」の精神で
川島 私はナイチンゲールの「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という言葉が大好きなんです。彼女はこれまで「犠牲の権化」のように誤解されてきましたが,実は筋金入りの合理主義者だったんですよね。実際に,部下にもただただ働けと言うのではなく,きちんと休養をとるようにと指示しています。
看護においては,ともすると「犠牲的精神」が美徳とされがちですが,自分たちの生活にゆとりがなければ,決してよいサービスを提供できるはずがありません。ですから,彼女の主張は非常に理にかなっていると思います。
さらに,ただむやみに休ませるのではなく,看護師が不在になったときのこともしっかり考慮していて,患者への説明責任と,交代人員手配に関しては,現代の医療安全に通じる論理を展開しています。
岩田 近代的な合理主義に裏づけられた看護が,ナイチンゲールによってつくられたということでしょうね。
川島 ええ。彼女は「看護は,看護以外の何ものでもない」という表現もしていますが,そうした,何かを犠牲にして看護に殉ずるのではなく職業として専念すべきという精神は,彼女の教え子たちにも受け継がれています。その人々が来日し,できたばかりの看護学校で教鞭をとったところから,日本の看護教育も始まっているんです。
岩田 米国から京都看病婦学校(同志社大の前身)に来たリンダ・リチャーズは,ナイチンゲールに直接教えを乞うた,直弟子と言える方ですね。
桜井女学校看護婦養成所のアグネス・ベッチもナイチンゲール看護婦訓練学校の卒業生に教えを受けていますし,有志共立東京病院看護婦教育所(慈恵医大の前身)のメアリー・E・リードも詳細は不明ですが,米国のナイチンゲール式看護学校のテキストを教科書にしていますから,リンダ・リチャーズと同様の経緯をたどっているかもしれません。
川島 20年ほど前にデンマークで聞いた話ですが,デンマークで歴史的に乳児死亡率がストンと下がった時期があり,それがどうやらナイチンゲール看護婦訓練学校を卒業した一人の優秀なナースがいたことに起因しているのではないかと言うんです。ナイチンゲールの流れを汲んだ人々は,世界中で活躍しているんですよ。きちんと調べることができたら,彼女たちが各国の人々の健康にいかに貢献してきているか,きっとよくわかるだろうと思います。
観察は看護のすべて
川島 ナイチンゲールは『看護覚え書』において,「看護師の訓練でいちばん重要で実際的なもの,それは何をどのように観察するかを教えることである」と述べています。脈の観察では,弱々しい脈のことを「1本の糸が皮膚の下で振動している」と表現したり,ほかにも「跳ね上がるような脈は動脈瘤」「時々途切れるのは心臓疾患」など,さまざまな病気における脈の特徴を鋭くとらえており,指3本でこれだけわかるということをあらためて教えられます。
けれど彼女は,脈拍は「文字で説明することはできない。実際に触れてみなければわからない」とも記しています。しかし今や血圧計もすっかりデジタル化されていて,看護師は患者に触って確かめることをしない。これは憂うべきことだと思っています。
岩田 「観察を身に付けられなければ,いくら献身的であっても役に立たない」とまで書いていますよね。そ
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