2010年宇宙医学の旅(栗原 敏,向井千秋)
対談・座談会
2010.01.18
【新春対談】
2010年宇宙医学の旅
向井千秋氏(JAXA宇宙医学生物学研究室室長/宇宙飛行士/医師) 栗原 敏氏(日本宇宙航空環境医学会理事長/東京慈恵会医科大学学長・細胞生理学講座教授) |
国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」( キーワード)が,設計着手から20年余りをかけて2009年7月に完成した。さらに本年後半には,「国際宇宙ステーション」が完成予定である。1961年にガガーリンが人類で初めて宇宙飛行を行ってからおよそ50年,本格的な宇宙環境利用の時代を迎え,新薬や医療機器の開発にも期待が集まる。本紙では,日本宇宙航空環境医学会理事長の栗原敏氏,医師であり日本人初の女性宇宙飛行士の向井千秋氏による新春対談を企画した。いざ,未知なる「2010年宇宙医学の旅」へ。
◆キーワード
国際宇宙ステーション(International Space Station;ISS)は,1998年から建設が進められている有人実験施設。84年に当時のレーガン米国大統領によって提唱され,現在は米国のほか,ロシア,日本,カナダ,欧州ヨーロッパ宇宙機関加盟11か国が参加する国際協力プロジェクトとなっている。サッカー場ほどの大きさ(約100m四方)があり,「きぼう」を含む5つの実験モジュールと1つの居住モジュールで構成。高度400kmの地球低軌道を周回している。2000年から宇宙飛行士が数か月ずつ交代で暮らしており,未完成だった米国の実験棟も今年中に完成予定。「きぼう」は,国際宇宙ステーションに設置した日本初の有人宇宙施設として2009年7月に完成した。2つの実験スペース(船内実験室と船外実験プラットフォーム),船内保管室,船外パレット,ロボットアーム,衛星間通信システムで構成されており,国際宇宙ステーションの中で最も大きい実験モジュール。微小重力環境を利用した科学実験以外にも,教育・芸術利用,有償利用(商業活動)など多目的用途に使えるように設計されているのが特徴だ。
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栗原 昨年は,若田光一宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに約4か月半にわたって長期滞在し,「きぼう」が完成しました。現在は野口聡一宇宙飛行士の長期滞在が行われており,いままさに,われわれに“希望”を与えてくれるプロジェクトが進行しています。そもそも国際宇宙ステーションにおいて,「きぼう」はどう位置づけられるのでしょうか。
向井 国際宇宙ステーションはいわば“賃貸集合住宅”です。1人では買えないため皆でお金を出しあってつくったような施設で,拠出金によって利用権が違ってきます。日本は米国に次ぐ利用権を持っており,また「きぼう」という独自に使える多目的施設を持ちました。今後はより頻繁に,日本の宇宙飛行士が国際宇宙ステーションで活動できることになります。
骨粗鬆症治療薬の予防的投与を宇宙で
栗原 JAXA(宇宙航空研究開発機構)は2007年4月に宇宙医学生物学研究室を創設し,同年の10月から向井先生が室長を務めておられます。この研究室では,どのような取り組みをされているのでしょうか。
向井 宇宙長期滞在は微小重力と放射線,閉鎖環境という3つの要因があいまって,ヒトの人体に影響を与えます。宇宙医学生物学研究室は,そういった医学的リスクの軽減という観点から,(1)生理的対策,(2)精神心理支援,(3)宇宙放射線被曝管理,(4)遠隔医療システム,(5)宇宙船内環境,と主に5つの研究分野に取り組んでいます。
栗原 その中で若田さんはどういった実験に取り組まれたのでしょうか。
向井 主に3つあります。1つ目は,遠隔医療システムの検証です。今回は,小型のホルター心電計で24時間心電図をとり,そのデータが軌道上から地球上に送られてくるシステムを構築しました。また,ハイビジョンカメラを使った宇宙飛行士の視診も行いました。宇宙飛行士が病気になっても地上から医師が駆けつけるわけにはいきません。日本の医療機器は小型で高性能ですから,軌道上健康管理技術の向上に役立つことが期待されています。
2つ目は,日本が開発した放射線被曝量測定器の検証です。これはいわゆるフィルムバッチみたいなもので,身体に着けて,どの程度の被曝量かを調べることができます。
栗原 宇宙飛行士のフライト当たりの滞在日数や生涯搭乗日数は,被曝量で制限されるわけですね。
向井 そうです。ですから,この測定器を適用すれば,より精度の高い計測が可能になることが期待されます。
3つ目は,骨粗鬆症治療薬のビスフォスフォネートを用いた研究です。これはNASA(米国航空宇宙局)との共同研究で,日本側の主任研究者は松本俊夫先生(徳島大)です。微小重力環境下では骨吸収が亢進し,地上の骨粗鬆症の約10倍の速さで骨量は減少します。ビスフォスフォネートを用いることによって,骨量減少・尿路結石のリスクを軽減することを目的としています。
栗原 骨量減少・筋萎縮といった生体変化は宇宙で活動する上で大きな課題ですね。以前,長期滞在した宇宙飛行士の中には,地球帰還後に長期間苦しんで,トレーニングしてもなかなか回復しないケースがあったと聞きます。ビスフォスフォネートの投与によって,骨量減少のリスクを軽減できるということですか。
向井 そうなることを期待しています。若田さんが最初の被験者で,まだ一例なので成果の判断はできませんが,プレス・カンファレンスなどで本人も話しているとおり運動や食事,そして薬剤等の医学支援が功を奏したようで,宇宙飛行後も元気いっぱいでした。被験者の数を増やすことが次のステップとなります。
栗原 私も生理学の観点から骨格筋を研究しているので,大変に興味があるところです。これまでの常識ですと,負荷がかからないと骨格筋の維持は難しいとされていますが,薬剤だけで予防できるものなのでしょうか。
向井 負荷もやはり必要だと思います。長期滞在中の宇宙飛行士は,1日2時間程度の運動が義務付けられています。若田さんはトレッドミル,エルゴメーター,抵抗運動器の3つを組み合わせて,機械的な刺激によって筋骨の減少を防いでいました(左写真)。しかし,毎日2時間頑張って運動したとしても,微小重力下での残りの22時間はまったく負荷のない状況になっているとも言えます。
宇宙飛行時の若田光一氏。改良型エクササイズ装置で運動を行う場面(左)とDomeGene実験でクリーンベンチの作業を行う場面(右)。提供:NASA/JAXA |
栗原 重力があれば,脊柱起立筋など私たちが意識しない筋肉も常に働いています。微小重力だとそういう筋肉は働きませんからね。薬剤の予防的投与とは独立して,2時間の運動効果自体は認められるのですか。
向井 運動しないのはもちろん駄目ですが,2時間の運動で十分かどうかはまだ検証されていません。2時間で,地上の4時間に相当するような,より効果的な運動がないか,あるいは一度に2時間やるよりも朝昼晩と分散して運動したほうがいいのかなど,そういった研究はまだこれからです。
栗原 特殊な装置を使うなどして無理に負荷をかけないと,微小重力下での筋肉維持はなかなか難しいかもしれませんね。
向井 そうですね。私たちは今後,地球上の環境も宇宙のシミュレーションとして有効活用しようとしていて,そのひとつが南極大陸を利用した国立極地研究所との共同研究です。南極は基地などで雪に閉じ込められるとなかなか運動ができない。そういった中で,電気刺激を用いた筋力トレーニングの研究がなされていて,効果が実証されれば,宇宙ステーションでの運動にも取り入れようと考えています。
重力が変われば既成概念も変わる
向井 通常,「宇宙医学」と言われる分野は,宇宙飛行士の健康管理を主な目的とした臨床的な研究を指します。しかし,ヒトに対しての医療を確実にするためには,生物全体のライフサイエンスを考えることが必要だと思っています。それで,研究室の名称も「宇宙医学生物学研究室」と,“生物”を入...
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