危機時における情報発信の在り方を考える(吉川肇子,釘原直樹,岡本真一郎)
寄稿
2009.11.02
【寄稿】
危機時における情報発信の在り方を考える
新型インフルエンザのクライシスコミュニケーションからの教訓
吉川肇子(慶應義塾大学商学部准教授)
釘原直樹(大阪大学人間科学部教授)
岡本真一郎(愛知学院大学心身科学部教授)
今回の新型インフルエンザ発生時のクライシスコミュニケーションの在り方は,言語表現の視点,科学的,学術的な考え方の上から,また受け手としての国民のニーズに応えていたかという点から,さまざまな議論を呼んでいる。筆者らは,2007-08年度厚生労働科学研究の成果として作成したクライシスコミュニケーション・マニュアルで既に手法を示してきたが,本稿を通じ,クライシスコミュニケーション上の言語表現や,その伝え方の問題が生じる背景を明らかにし,次の流行あるいは健康危機の際のクライシスコミュニケーションの改善を提案したい。
危機時の人の行動の傾向把握が適切な情報発信の第一歩
クライシスコミュニケーションを設計するときには,その前提にある危機時の人間行動モデルが2種類あることに注意しなくてはならない。非理性モデルと理性モデルである。非理性モデルでは,人間をあたかも物体のように見立て,自発的な意思もなく流されていくと考える。行政機関やマス・メディアの報道は,このモデルに沿っていることが多いとされる。一方,理性モデルでは人を情報や集団の絆,役割などに従って自発的に考え,判断し,行動する主体としてとらえる。
このように,前提としたモデルによって,設計されるクライシスコミュニケーションは異なってくる。非理性モデルに基づくならば,「人々はパニックを起こすから,冷静な対応を呼びかけなければならない」,あるいは,「うわさに惑わされるかもしれないから,正しい情報に基づいて行動させなければならない」となる。今回の新型インフルエンザ発生の際に,行政機関が繰り返し「冷静な対応」や「正確な情報に基づく行動」を呼びかけたのは,非理性モデルに基づいてコミュニケーションをしていたからである。
しかし,災害など緊急時の人間行動を分析した社会心理学によれば,人々が危機に際して非理性的に行動した例は極めて少ない。すなわち,非理性モデルは現実に起こっていることと一致していないのである。
また,過去に社会的混乱を引き起こしたうわさ(流言)は,その多くが行政機関からの情報がもとになっている。例えば,阪神・淡路大震災の際に発生したうわさを分析した故・廣井脩 東大教授の調査によれば,防災機関が発表する情報が難解だったり,あるいは何の解説もなく専門用語が使われていたりするために,その情報が誤解され,流言化していったことが明らかになっている。つまり,うわさを引き起こすのは,人々の非理性的な行動ではなく,理解しにくい情報を提供した者なのである。
理性モデルに基づくクライシスコミュニケーションにおいては,危機に当たって人々がよりよく行動することができるように,自己効力感(self-efficacy)を持てるメッセージを出すことを重視している。自己効力感とは,自分が外界に対して働きかけることができるという感覚を指す。自己効力感を持てるメッセージの例として,朝日新聞大阪本社版に2009年5月19日から2週間にわたって連載された「新型インフルエンザによく効く知識」を挙げよう。この連載では,マスクの適切な取り扱いや手洗い,拭き掃除などの市民ができる具体的な行動が示されている。
一貫性のある詳細な情報が必要
上述のパニックやうわさ以外にも,危機管理者が持つ誤解が繰り返し指摘されている。その誤解を修正しないままに,クライシスコミュニケーションが行われたことが,今回のコミュニケーションの在り方の問題の背景にあると考えられる。これらの誤解のうち,2つの代表的な例を以下に挙げてみる。
1つ目は,「シングルボイス(ワンボイス)の原則」に対する誤解である。これは本来「1つの声で語る(with one voice)」という意味であり,危機の際に一...
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