エピローグ:いざ風渡る大海原へ(齋藤中哉)
連載
2009.09.07
Primary CareとTertiary Careを結ぶ全方位研修
〔 第13回・最終回 〕
エピローグ:いざ風渡る大海原へ
齋藤中哉(医師・医学教育コンサルタント)
皆さん,こんにちは。2008年9月に第1回を開始した本連載も,今回が最終回。13回目の「のりしろ」で,一年の円環を「閉じる」ことにしましょう。
◆「汝自身を知れ」
読者の皆さんは,この一年,何回,「風邪」をひきましたか? 毎日,日記をつけていない限り,正確な回数を答えることは意外に難しいのではないでしょうか。「風邪」をひいても病欠できる職場環境ではなく,熱と倦怠感を押して,上気した顔にマスクを着けて勤務されているかもしれません。それを美徳とする文化もあります。仕方なく,同僚から必要な対症療法薬を処方してもらい,数日をやり過ごす。家庭では,本人も周囲も,マスクを着けることは不器用に感じられ,お互いにうつし合いです。時に,孫の「風邪」がおじいちゃん,おばあちゃんをノックアウト。公共空間でも乗り物でも,咳エチケットは,携帯電話のマナーと同様,有って無きの無法地帯。「風邪」は最多最頻の「急性疾患」でありながら,「Que Sera,Sera.」が社会の現状ですよね。
「ただの風邪」に騙されないための心構え
◆反射の閾値
「風邪」をひいても,すべての人が医療機関を訪れるわけではありません。訪れたとしても,一度処方や処置を受けてしまえば,再診することはあまりありません。患者は,医療機関を自由に選択できますので,医療機関をホップ,ステップ,ジャンプすることもしばしばです。結果,医師は「風邪」の患者の全体像や全経過を把握しないまま,部分的で不完全な対応に追われます。このような診療環境で,「風邪」に対する心構えは,次の2点です。
1)患者が「風邪」の訴えで再診してきたときは黄色信号,三診してきたら赤信号。受診回数は,同一医療機関に限らず,転医,転院も含めてカウントします。
2)再診時,まず,a)受診理由とb)上気道カタル以外の症状を評価します。
◆受診理由でギアチェンジ
「試験があるので明日までに熱を下げてほしい」といった自己中心的な希望を全面に出してくる患者は,たいてい「ただの風邪」です。それに対して,「いつもと違う」「こんなことはいままでなかった」「息苦しい」など,体験している現象に圧倒されているメッセージが含まれている場合,直ちに評価が必要です。現場における診断力は,医学的知識もさることながら,患者の言葉に耳を傾け,苦痛,不安,恐怖を察知できる感性があってこそ,正確にドライブされます。患者の受療行動の閾値は千差万別ですから,「ただの風邪」で大げさに症状をまくし立てる人もいれば,「よくそこまで……」とこちらが絶句してしまうほど我慢強い人もいます。問診に加えて,バイタルサインと身体所見から得られる窮迫感,重症感も臨床判断において重要なゆえんです。
◆上気道カタルからの逸脱
「ただの風邪」とは典型的な上気道カタル,すなわち,くしゃみ,鼻水,鼻づまり,そして,喉の痛みと咳を主症状とします。解剖学的に近接する部位を次々に侵していく形でこれらの症状が展開され,二週間以内に消退します。発熱,頭痛,全身倦怠感を随伴しても,その程度は軽微から中等で,同じく一過性です。そのような中,激しいくしゃみ,鼻水,鼻づまりを主症状としながら,よく聞くと,目のかゆみや流涙も伴い,結果としてアレルギー性鼻炎と判明したり,咳だけが数週間も続いていたところ,精査の結果,百日咳や結核と診断されたり,常軌を逸する症例が紛れ込んできます。「風邪」の定型(=「自然治癒する上気道カタル」)から逸脱する症状や経過を認めたら,「何か違う」と立ち止まり,鑑別診断を開始します。
かぜの仮面を外せばその素顔は多種多様
◆劇症疾患
「かぜ症候群」の基礎を押さえ,内科学を一通り研鑽した後,「風邪」診療をさらに極めたいのであれば,まず,自分と所属医療機関の使命(Mission)とその土地の文化,伝統,期待との融和を図ることが肝心です。その上で,「風邪」診療に必要なCore Diseasesを日々の診療の中で一つひとつ見極めていくという地味な作業の継続が欠かせません。その際,「Core Disease≠Common Disease」という智慧を,どうか忘れずに。連載で取り上げた10症例(表)はCore Diseasesのサンプルではありますが,読者の皆さん一人ひとり,その位置付けは異なるはずです。連載第2回から第6回までは,「風邪」の仮面をかぶって立ち現われる劇症疾患に着目しました。第7回「間奏曲:嵐の前の静けさ」で劇症疾患五重奏(Fulminant Quintet)として整理解題しましたので,ここでは繰り返しません。
表 「風邪」診療を極めるためのCore Diseasesサンプル一覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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◆変化自在の合併症
「風邪」の合併症と言えば? 例えば,解剖学に立ち,副鼻腔炎,中耳炎,下気道炎でしょうか。失念しやすいのが遅発性合併症。すなわち,いったん治癒したかに見えた後,臓器系統を変えて発生してくる合併症です。時と場所が離れているので,起点となる「風邪」に因果を求める診立てがないと,誤診します。典型例として,第8回でギラン・バレー症候群,第9回で溶連菌感染後急性糸球体腎炎を取り上げました。溶連菌感染といえば,近年めっきり発生件数が減り,医療者の関心を引かなくなったことがかえって危険なリウマチ熱も重要です。劇症疾患(Fulminant Disease)との関連では,劇症型溶連菌感染症も勉強してください。
◆基礎疾患と「風邪」
基礎疾患を有する患者が「風邪」をひくと,基礎疾患自体の増悪を招きます。喘息の患者では発作が誘発され,慢性閉塞性肺疾患(COPD)の患者では呼吸機能の急性増悪を来します。同時に,基礎疾患があるために「風邪」をひきやすいという側面も無視できません。第10回ではALアミロイドーシスを取り上げました。全身を診る目がないと,早期診断できない疾患の代表です。第11回ではネフローゼ症候群の治療中に生じたステロイド離脱症候群,第12回ではウェゲナー肉芽腫症の化学療法中に生じたニューモシスチス肺炎に着眼しました。ステロイドの副作用と日和見感染の知識は,感染症,血液腫瘍,固形臓器移植,造血幹細胞移植,膠原病を手掛ける医師だけが持っているのではなく,すべての医療者の間で分有すべき共通項です。
「風邪」診療の質の向上を願って
連載期間中,「風邪」から不幸な転帰をとった無数の物語が執筆の原動力となりました(例えば,文献1)。また,多くの読者から励ましをいただきました。第6回「甘くない風邪診療:糖とケトンを蹴っ飛ばせ!」で「劇症1型糖尿病」(文献2)を取り上げた際には,直後,この疾患概念の提唱者である今川彰久医師(大阪大学大学院医学系研究科 内分泌・代謝内科学)から,「このようなかたちで紹介していただくことで,不幸な転帰をとる患者さんが一人でも減るのではないかと思います」との温かいメッセージをいただきました。
「風邪」の診立てであったにもかかわらず,生死の淵をさまよう経験をする患者は後を絶ちません。回復した患者からの「ありがとう」は医療者を元気にします。その一方で,亡くなった患者の声は,直接に聞くことができません。だからこそ,声なき声を聴こうとする姿勢は,見えないものを診る力を向上させる上で,大切です。本連載を「風邪」に苦しんだ人々の魂へのオマージュ(hommage)として捧げ,静かに筆を擱きます。では,また紙面でお会いする日まで,ごきげんよう!
■沈思黙考 その十三
牧羊犬にとって,平時の群れの統率は朝飯前。軽重は狼や熊の襲来時に問われる。外敵を撃退し,同時に,錯乱する群れを鎮め,治め,癒す。万が一に俊敏だからこそ,人も羊も信頼を寄せる。
(おわり)
【参考文献】
1 武田克江「願いが叶うなら――劇症肝炎と闘った娘・茉奈実の四七〇日間」幻冬舎文庫,2008.
2 Imagawa A, et al. A novel subtype of type 1 diabetes mellitus characterized by a rapid onset and an absence of diabetes-related antibodies. N Engl J Med 2000;342(5):301-7.
この記事の連載
「風邪」診療を極める(終了)
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