医学界新聞

2009.08.24

“古武術介護”の岡田慎一郎氏と考える――

身体の可能性を狭めていませんか?


 離職率が高いといわれる介護職。その理由の1つに挙げられるのが,“介護は身体を痛める”ということだ。そんななか,理学療法士・介護福祉士の岡田慎一郎氏が提唱した“古武術介護”が,武術の身体技法を生かした身体を痛めない新しい介護技術として,現場に浸透しつつある。近年では,介護施設だけでなく,病院などの医療機関にも広がってきている。本紙では,昨年より古武術介護を導入している小倉第一病院の研修を取材するとともに,岡田氏と,同院副院長の中村秀敏氏,MIT(Medical Information Technology)部長の隈本寿一氏にお話を伺った。


小倉第一病院で行われた古武術介護研修のひとコマ
――小倉第一病院では,全職員を対象とした研修に古武術介護を取り入れていますね。

中村 当院は腎臓病(透析)と糖尿病の専門病院で,一般病床38床に加えて,慢性期の療養病床が42床あります。入院患者さんは週3回血液透析を行いますが,歩けない方も増えてきたので,透析室への移動・搬送の介助などに介護職・看護職が携わっています。その身体介助の部分に古武術介護を取り入れようと,昨年7月を皮切りに,今年1月,4月,7月と岡田先生に研修に来ていただきました。現在は大多数の職員が初心者向けの研修を終え,2回目以降の研修を並行して行っているところです。

自分の力を過小評価していませんか?

――今日の研修は,基本的な身体の使い方と病棟での身体介助の研修を組み合わせたメニューでした。

岡田 古武術介護とはニックネームであり,正確には武術の動きを参考にした実践的身体運用の理論を,介護現場で生かすべくアレンジしたものと言えるでしょう。これまで身につけてきた技術をよりよく機能させるためには自分自身の身体運動の改善と発想の転換が必要ではないかという考えから生まれました。受講者にも実際に動いて身体感覚を確認してもらいながら,どのように身体を使うと有効なのかを伝えています。

 そのために最適なのが,やはり臨床での実践的な研修です。小倉第一病院では患者さんに協力していただき,実際の病室で研修を行っています。研修を通しての一貫したアドバイスは,「技術を固定化させるのではなく,患者さんに合った介助方法を創り出そう」ということです。そのために,「目先の技術の形を変えるのではなく,自分自身の身体の使い方を見直すことで,技術そのものの質を高めてみては」と提案しました。

中村 入院してから一度も立ったことがない患者さんが,岡田先生の介助を受けながら立ち上がり,車いすまで歩いたんです。いつも「痛い」と言っている患者さんが笑顔で歩く姿に,スタッフから思わず歓声があがりました。

岡田 動けないと思われている方でも潜在的な力を持っていることは少なくありません。介助を行う際には患者さんの動きをどう引き出すかが重要なのですが,介助者側の思い込みで患者さんの可能性を低く見積もってしまうことが多いのではないでしょうか。

中村 患者さんの力にしても自分の能力にしても,過小評価して決めつけてしまっている可能性がありますよね。

岡田 そうなんです。例えば,大柄な方の介護を行うときに,「私には体力がないから無理」とあきらめてしまう傾向があります。しかし,私たちの身体は予想以上の力や動きを引き出せる可能性を持っています。「今まで行ってきた技術を捨てよう」とか,否定から入るのは建設的ではないですよね。まず肯定から入って,自分が気付いていない,自分自身の中に眠る力や動きを引き出すきっかけをつかんでほしいと思います。

〈左〉前半は基本的な身体の使い方を学ぶ。
〈右〉ベッドの下方に寄ってしまった患者を,抱え上げず上方に移動させる技術。互いに患者役を務めながらコツをつかむ。

まず,自分の身体を変える

岡田 以前,人や物の動きをデータ化できるモーションキャプチャを使った実験でも指摘されたのですが,実は,医療・介護現場で行われる身体介助の際の身体の使い方は,ほかの分野と比べてあまり質がよくないのだそうです。これはなぜかと言うと,医療・介護に携わる人たちは,自分の身体の使い方に,これまであまり関心を寄せてこなかったからだと思います。教育の中で学ぶ身体介助技術では,被介助者が動けることが前提であり,そこから外れた現場特有のさまざまな状況にはほとんど触れられておらず,また発展性もあまり示されていません。

隈本 私は看護学校で保健医療情報科学を教えているのですが,最近,介護の仕事をしながら看護学校に通う学生が増えています。学生たちは,看護学校では身体の動かし方をしっかり学べるものと思っていたそうですが,そこで学ぶ教科書どおりの身体介助は「一般論で,現場では使えそうにない」と言います。

岡田 私が新しい身体運用の開発をめざしたのも同じような経験をしたからです。私は介護の経験を積んでから,もっと身体の動きについて学びたいと思い,理学療法士の学校に行ったのですが,教科書的な形を学ぶのが中心で,「現場の実践の中で体で覚えろ」と言われました。ある意味それは確かなことですが,それなら自分自身で考えるしかないと思い,試行錯誤しているときに,たまたま武術家の甲野善紀先生に出会い,今の方向性で取り組むようになりました。

 また,身体介助では「患者さんの動きを引き出す」ことが看護・介護ともに言われるのですが,自分が合理的な動きができるようになって初めて,相手の動きも見えてきます。原理や知識だけで自分の動きがままならない状態では実践には通用しにくいでしょう。

――まずは自分の動きの質を上げなければいけないということですね。では,身体をより効果的に運用できるようになるには,どんな訓練が必要ですか。

岡田 今ある身体と技術をベースに工夫を重ねていくのが現実的な方法だと思います。さらに,自分の身体を最も合理的に動かすことができる,有効可動域を知ることが重要です。むやみに柔軟性を追求したり,最大可動域の拡大ばかりにとらわれると動きやすさをかえって阻害してしまいます。

 さらに重要なのは,自分が介護を受ける立場になってみることです。「こんな患者さんに困っている」と相談を受けて,僕が患者さんの状況を再現しながら介助してもらうと,「これだと患者さんは嫌がるだろう」と思うことがよくあります。

――今日の研修でも,「患者さんの移動介助をするときに,しがみつかれて困る」という質問がありました。

岡田 教えられた正しい技術で介助していると思っていても,患者さんは怖いと感じていることがあります。コミュニケーションのとりにくい患者さんは,そういう恐怖が行動に出てしまうこともありますね。

――岡田先生の実践を目の当たりにして,「岡田先生だからできる」という声も聞かれました。

岡田 私だからできる,という見られ方はどうしてもされてしまいます。しかし,実践は人それぞれですから,同じことができる必要はないし,優劣を競うものでもありません。他者と比べるよりも今までの自分と比べて,少しでも新しい身体感覚に出合えたと感じられたら,それは確実に介助を受ける患者さんにも伝わるはずです。

 こういう発想があると理解すると,着実に身体の動きは変わっていきます。しかし,古武術介護を“腰を痛めない楽な技術”とだけ思っていると,自分の可能性を閉じてしまいかねません。教わったことを再現するだけではなくて,身体の使い方の原理に柔軟に対応できるフレキシブルな発想ができるかどうかが重要なんです。

病棟で行った,ベッド上での上体起こしから端座位(左,中央),車いすへの移乗。患者さんの動きを見極め,ベッドから車いすまでは患者さんに歩いてもらった(右)。

組織化はせず,情報はオープンに

――小倉第一病院は古武術介護を導入して1年経ちますが,どのような手応えをお持ちですか。

中村 2007年の11月ごろから,当院では介護職員の定年退職,結婚退職,ぎっくり腰による休職が立て続けに起こりました。負担増から職員が次々に腰を痛めるような状況のなか,看護師から古武術介護のことを聞き,岡田先生に連絡したのがきっかけで,この取り組みが始まりました。今は「古武術介護に出合って,ピンチがチャンスに変わった」と思っています。

 古武術介護の研修を導入して特によかったのは,介護部門で新しい取り組みを始められたことです。これまでは,忙しい現場でいかに早く患者さんの介護を行うかが主目的になってしまい,個々のスキルを評価することもなかったと思います。それが力技の介助につながってしまっていたのでしょう。

 介護職は職場になかなか定着しないと言われていますが,身体を痛めないで,かつ目標が定まったことで,優秀な職員の定着につながるのではないでしょうか。また,古武術介護という共通言語ができたことで,看護師と介護職の協働を促進するための架け橋となってくれるのではないかと思います。

隈本 昨日の研修でも,参加者は岡田先生を1時間以上引き止めて質問攻めにしていました。自分からやっていこうと前向きです。私たちも,これまで介護職に対して,自ら考えて業務を行うような環境をつくってこなかったと思います。古武術介護を取り入れることによって,自分たちの業務を改善し,その成果を発信していく機会ができたらいいなと思っています。

岡田 特に,全介護状態の方への介護技術の研究はほとんどなされていないので,ぜひ介護の立場から発信してほしいです。

――今後の取り組みについてはどのようにお考えですか。

中村 研修を4回行って感じたのは,1回,2回研修を受けただけではあまり身につかないだろうということです。ですから,まずは核となるインストラクターレベルの人材育成を目標にしようと考えています。

 また,当院は2004年から職員の教育にeラーニングを導入しています。古武術介護は全身運動ですから,継続したトレーニングによって身に付いていきます。ですから,職員が好きな時間に繰り返し学ぶことができるeラーニングは,古武術介護を習得するのに格好の学習方法ではないかと思います。ですから,現在岡田先生に協力していただきながら,古武術介護の動画教材作りにも取り組んでいるところです。

――岡田先生は2004年に古武術と出合われて,この5年間で変わったことはありますか。

岡田 バージョンアップはしていますが,根本的な発想はぶれていません。これまで,組織化はしない,情報はすべてオープンにする,取り組みには規制をかけない,という方針で一貫してやってきました。すべては常に進化をし続けるためです。したがって,古武術介護に取り組む場合は私の方法を参考に,自分自身に合った技術を創り出してほしいと思います。また,介護だけにとらわれず,自由な発想で日常生活の動作などにもぜひ活用して,可能性を広げていってもらいたいですね。

――ありがとうございました。

左から中村秀敏氏,岡田慎一郎氏,隈本寿一氏

関連セミナーのご案内
  朝日カルチャーセンター2009年秋企画 『感じる「身体」は発信する』

テーマ:脊髄損傷-連動する身体
日時:2009年10月30日 18:30-20:00
会場:朝日カルチャーセンター(新宿区西新宿2-6-1新宿住友ビル)
講師:福井義幸氏(地域住環境研究所代表)
     岡田慎一郎氏(理学療法士・介護福祉士)
お問い合わせは下記まで
電話:03-3344-5450

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook