医学界新聞

対談・座談会

2009.05.18

【座談会】
Resilience
-人間の主体性を再び取り戻すために

加藤敏氏(自治医科大学精神医学講座主任教授)=司会
神庭重信氏(九州大学大学院医学研究院精神病態医学教授
水野雅文氏(東邦大学医学部精神神経医学講座教授)


 辞書で引いてみると,「弾力性,回復力」などと訳される「Resilience」。近年,この言葉が精神科領域で注目されている。ストレスフルな状況や逆境に陥ったときでも,それを跳ねのけて回復していく力や,その回復過程自体がResilienceであると考えられているが,現時点ではまだ統一された定義付けはされていない。PTSD,うつ病など多様な精神疾患において,予防から治癒まで長いスパンで,そしてポジティブな視野を拓いてくれるのがResilienceだが,実は精神科にとどまらず,さまざまな疾患を診る上で示唆に富むパラダイムでもある。そこで今回の座談会では,そもそもResilienceとはどのような概念なのかといった大前提から,疾患の予防・回復過程においていかに作用するか,そして実際の診療にResilienceをどう取り入れていくかということまで幅広く考察し,その将来性,可能性を明らかにする。


■将来へと人を押し出すパラダイム

加藤 まず,精神医学におけるResilienceの概念とその位置付け,背景についてお話ししておきたいと思います。ちょうど,オバマ大統領の最初の施政方針演説にこの言葉が出てきました。彼は,現在の大不況からの回復という意味でこのResilienceという言葉を使っていますね。

 最近の精神医学では脆弱性ストレスモデル[註:脳・中枢神経の脆弱性と,心理社会的な有害因子(ストレス)の相互作用によって,精神疾患が発病するとする説]が支配的になっていて,精神疾患のとらえ方がマイナス面に偏りすぎていたように思います。それに対してResilienceは,ある衝撃が加わった場合に,それを跳ね返す力,回復力を持った状態を表す動的な概念です。つまり前向きな,将来へと人を押し出してくれる概念といえるでしょう。

 この言葉は1900年代,西洋において物理学の分野で使用されました。その後1990年代に入り,小児精神医学の領域で,トラウマを持ちながらそれに抗し,跳ね返す力を持っている一部の子どもたちの特性を指し示す際に用いられています。つまり,PTSDに対する「防御因子」としての側面が注目されるようになってきたのですね。最近では,精神疾患全般において,Resilienceを人間本来の回復力・抵抗力と定義し,その力をどう引き出すかといった研究がなされています。

神庭 確かに,同じ程度の虐待を受けた子どもたちの中でも精神病理を表してしまう子と,健康に育つ子とがいます。事故や災害によるPTSDもそうです。誰もが同じような影響を受けてしかるべきなのに,結果が分かれるのはなぜかという問いに対し,脆弱性ストレスモデルを中心とした発症論は,どうして深刻な影響を受けるのかという見方から研究を進めており,これまで一定の成果を挙げていると思います。しかし一方で,どうして影響が少なくてすむのかという疑問は未解決なままでした。それがResilienceという概念の導入によってこの疑問についての研究のターゲットを定めやすくなり,虐待やPTSDの範囲を超え,Resilienceはいまや精神疾患研究のパラダイムになりつつありますね。

 発症の予防や,特に回復の促進について考える際には,Resilienceモデルのほうが好都合です。その際に,Resilienceの概念を限定的に用いるのではなく,細胞(Cell)から文化(Culture)までのあらゆるレベルで,ヒトが環境によりよく適応してゆくため,多階層にわたり相互誘発的な研究が行われていくことが望ましいと思っています。

人間に内在する回復力を賦活

水野 例えば,「コーピング(Coping)」とか,「受容的で肯定的な雰囲気」,「Positive feedback」というような,今までの医学的な概念では定義しにくかったものの中にも,臨床家が治療場面での有効性を感じていたものはいくつもあると思います。それらに共通する基盤の一つにResilienceがあって,概念化していく上で非常に助けになりますね。

 また,Resilienceとは脆弱性ストレスモデルの単なるポジティブな言い換えではなく,もう少し積極的なもの,つまり本人に内在する回復力が賦活される因子とプロセスなのだと思っています。数年前から福島県郡山市で「ささがわプロジェクト」と題し,ひとつの精神科病院を閉鎖し,長期入院していた患者さんを一斉に退院,地域移行させた後,包括的なケアと社会生活支援を行うというフォローアップスタディを実施しています。すると数十年ぶりに地域生活を始めた人たちが地域に溶け込みながら,陰性症状が改善するだけでなく驚くことに認知機能もどんどん回復し,期待以上にそれぞれの生活を謳歌していきました。薬物療法は退院前に比べて大きくは変化していませんから,Active listeningやProblem‐solvingなどの本人の自発性の賦活に重きを置いた周囲とのかかわりや,日々変化のある外部環境と高次脳機能のインタラクションがResilienceを賦活したという見方も可能だと思います。

 このことで,生体としての自由度の高い環境に戻ったとき,それに追いつこう,あるいは適応しようとする回復力,Resilienceの存在を実感しました。

加藤 Resilienceの概念は,いわゆる自己治癒力を引き出すという射程も併せ持っているということですね。近縁の考え方としては可塑性(Plasticity)がありますね。神経の損傷が起こった場合に,新しい神経が再生してくる,それに近い概念だと思います。

 また水野先生もおっしゃったように,Resilienceを回復力と定義した場合,治癒に向かっていく力動的な「過程」としてのResilienceと,その過程にかかわる,細胞から文化のレベルまでの「因子」としてのResilienceとが区別できると思います。

 西欧の文献でもResilienceとResiliencyとに分けられており,“Resilience”は回復する動きといった力動的な過程,“Resiliency”は回復するための因子という意味で使い分けがされています。ですから研究戦略としては,Resilienceの過程とResilienceの因子の二方向から進める必要性があるといえます。

患者の語りに耳を傾ける

神庭 本来Cultureの中には,Resilienceを高める役割があったのではないでしょうか。共感,互恵行動,自己犠牲などの,人類において特に進化した社会的情動により築かれてきた下位文化には,これまで人類の生存に貢献してきたといえるものを見つけることができます。

 具体的な例でいえば葬儀や初七日といった儀式です。親しい人を失って悲哀反応を起こしている遺族の存在を周囲に知らせることで,脆弱な遺族たちを周囲が自然と支え,協力する埋葬の風習は,普遍的にみられるものです。それは遺族たちをうつ病の発症から予防する文化装置として生まれたと思うのです。

 そうやって築き上げてきた文化装置が今,個人主義とも利己主義ともいわれる流れの中で社会から少しずつ失われ始めている。それは今日,うつ病など精神疾患の患者が増加していることと無関係ではないと感じます。文化装置に取って代わってきたのが,人の悩みを精神医学の言葉で語り,精神医学によって癒されようとする動き,つまり悩みの精神医学化が起きているのではないでしょうか。

加藤 確かに伝統社会では,人間の生活自体がResilienceを内に持った在り方をしていましたね。日照時間に合わせた生活で,睡眠覚醒リズムがしっかり保たれる。この規則的なリズム性は人間にとって本質的なResilienceといえます。しかし文明が発達する過程で,生活リズムが本来の姿から狂いだし,心身の失調を来す。その失調を元に戻すために,今Resilienceが話題になっているという背景があるように思います。要するにResilienceは,生体における自己組織化という再構成にかかわっており,Resilienceが話題にのぼるのは,人間の主体性をもう一度取り戻そうということだと,私自身は評価しています。

 今後,DSM-V(2012年)とICD-11(2014年)のリリースが予定されています。ICDでは,「人間中心の統合診断」(Person centered integrated diagnosis)というスローガンのもとに,今までの診断体系では患者の主体性がないがしろにされてきたことへの反省から,Narrative,つまり患者の語りを診断項目に入れようという動きがあります。自分の生活史における不遇な体験を語ることや書くこと自体が,傷ついた自分をもう一度言葉のレベルで再構成する作用をもたらし,それが前向きな治療につながってくる。そして,医師も患者の語りに耳を傾けることが治療のために大事なんですね。

 患者の主体性をどう診断体系に取り込むかという問題枠は,まさしくResilienceの観点に繋がってくると思います。

神庭 精神科の診断には今後,このResilienceを引き出すために,何がそこにあって,何が足りないのか,内なるResilienceを,どうすれば引き出せるのかという切り口が必要だと思いますね。

加藤 ええ。その点について,興味深いことにDSM-Vでは,患者のおかれた社会的コンテクスト,(人間)関係プロセスを新たな独立した軸に据えようという動きがあって,そこにもResilienceの観点が含まれていると考えられます。

環境がつくる脆弱性とResilience

加藤 現在,大きな社会問題となっているうつ病領域で,Resilienceに関する具体的な議論・研究は進んでいますか。

神庭 うつ病のResilience研究は,ジェネティックレベルと,エピジェネティックレベル,そして神経伝達物質・神経回路レベルで進められています。

 ジェネティックレベルから紹介すると,遺伝子環境相関が興味深く,セロトニントランスポーター遺伝子のLタイプを持っている人は,Sタイプの人に比べて,養育環境や成長後のライフ...

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