医学界新聞

連載

2008.09.08

「風邪」診療を極める
Primary CareとTertiary Careを結ぶ全方位研修

〔第1回〕

プロローグ:どこ吹く風の患者?

齋藤中哉(医師・医学教育コンサルタント)


「風邪」は最多最頻の患者主訴。本連載では,「風邪」を症候論の一項目として捉え,診療に必要な智恵を臨床医学の全領野に求めます。Primary CareとTertiary Careの垣根を払い,地域日常診療から高度先進医療まで縦横無尽に疾駆する研修により,「風邪」を侮らない基本姿勢と,「風邪」に騙されない診療能力を獲得しましょう。


 今月から「風邪」をテーマに連載を始めます。全13回の予定です。患者が医療機関に持ち込む最多の訴えは紛れもなく「風邪」。しかし,「風邪」は卒前教育において最も軽んじられ,卒後研修においても系統的な診療の手ほどきは不在です。

 「風邪」は,医学用語の「かぜ症候群」と同意ではありません。練達の医師は,「かぜ症候群」の概念が,実地診療ではあまり役立たないことを知っています。本連載では,診療の場に患者が持ち来たす「風邪」という言葉で語られるすべての症候を,「風邪」と定義します。こうすることにより,Primary CareのABCからTertiary CareのXYZまでを1つのパースペクティヴの下に整理統合できるからです。「咳」,「発熱」,「全身倦怠感」などの項目を欠いた症候学はありえませんが,「風邪」の項目を収載した症候学は見当たりませんので,今後の体系化が待ち望まれます。

 「風邪」はPrimary Careが本領を遺憾なく発揮できる症候ですが,Tertiary Careの場でも「風邪」はいつも大暴れです。「俺は風邪を診る医者じゃない」と見下す医師も多いですが,診立てのよい医師ほど,専門領域における「風邪」の怖さを知悉しており,謙虚な姿勢で臨むものです。どのような環境に身を置き,何を専攻していても,「風邪」を避けることはできません。本連載で,互いに他から学びつつ,広大な臨床医学の領野を駆け巡りましょう。

「風邪」診療の大前提
(1)専門意識にとらわれると,診療能力が低下する。あらゆる経験と分野を糧に研修しよう。
(2)知識の収集ではなく,目の前の患者に意識を集中し,患者の人生と価値観を理解しよう。
(3)診断のみに終わらず,治療と患者教育にも徹底的に付き合おう。経過こそが最良の教師。

■症例

Kさんは53歳男性。「風邪が治らず,調子が悪い」。10年前より高血圧,3年前に脳梗塞を患い,左不全麻痺を残す状態。降圧薬を1剤服用中。喫煙2箱/日×30年。

ビニュエット(1)
いつものA医院受診

「先生,元気かよ。ずっと風邪が治らねぇで,調子悪いんだよ。なんかクスリ出して,注射でも打ってくれぃ」「お熱は?」「ない」「咳は?」「相変わらずだぁ」「他に症状は?」「ない」。担当医は黙って診療録に「感冒」と記録。総合感冒薬5日分の処方と点滴の指示を記入すると,次の患者を呼び入れています。処置室ではすでに看護師がビタミン剤を3号加糖液に詰め終わっています。「それ効くんだ。すぐに黄色のオシッコがシャアッと出るし」。Kさんは看護師に向かって無駄口を続けます。「この間,B病院に行ってきた。何か月も風邪が治らねぇって言ってんのに,何にもしちゃくれねぇ。若い兄ちゃん先生は,中風も知らねぇ。仕方ないから,また,ここに来たよ」

Kさんの「風邪」は具体的にどういう症状ですか?

 Kさんの「風邪」は何か月も続いていますから,「かぜ症候群」の定義=「ウイルス感染により生じる上気道カタルを主徴とし自然治癒する疾患」には合致しません。

 Kさんの「風邪」は,具体的には「慢性の咳嗽」のようです。これに対して担当医は特に評価を行わず,黙って「経過観察」としました。「かかりつけ」ゆえにhigh-contextな診療です。すなわち,患者の期待と医師側の診療能力がすり合わされ,自動化されています。是非はともかく,ビニュエット(1)は医療の部分的真実です。「いきつけ」の蕎麦屋で,暖簾をくぐると,店のオヤジが「天ぷらきつねうどんのねぎ大盛り」を黙って出してくれる……。KさんとA医院の治療関係を知らない医師に,同じhigh-contextな診療を最初から提供することはできません。

ビニュエット(2)
B病院を初診

Kさんは,A医院に告げず,B病院を初診。「何年にもわたって咳が続いており,ときどき痰も絡む。」鼻汁,鼻閉,咽頭痛,発熱,寝汗,食欲不振,体重減少,体内痛は認めない。飲酒歴なし。喫煙2箱/日×30年。血圧144/86mmHg,脈拍68/分,呼吸数14/分,体温36.4℃。病感のない年齢相応の男性。頸部・胸郭の変形なし。胸部は聴診,打診上,特記所見なし。左肘関節に軽度の拘縮あり。左下腿に浮腫軽度。ゆっくり杖歩行可。

担当医は,「風邪」ではなく,喫煙による慢性気管支炎の可能性を説明。飲んでいる降圧薬がACE阻害薬であることを確認し,薬が咳を引き起こす可能性について説明し,A医院宛に診療情報提供書を作成。「タバコはやめられますか?」「ムリだよ。中風になったって」「中風?」「先生,医者のクセに,中風も知らねぇのかよ。脳卒中だよ」「タバコをやめないと,また中風を繰り返しますよ」「分かった,やめてみるよ。風邪の薬は?」「いりません」「点滴は?」「食事ができているし,いらないと思います」「つまんねぇな,ちっとはサービスしてくれよ」「Kさん,まず,タバコをやめましょう。それから,お薬の件でA医院にお手紙も渡してください。それでも咳が止まらなければ,さらに原因を調べます」「ありがとよ」

「中風」とは?「中風」および「風邪」の語源は?

 「中風」は,ちゅうぶ,ちゅうぶう,ちゅうふうなどと読み,脳卒中による片麻痺や言語障害を指します。「風に中(あ)たった」が字義ですが,風が麻痺の原因になると考えられていた名残です。「風邪」も「中風」も語源は「風」にあります。古代中国では,大気の動きだけでなく,身体に何らかの影響を及ぼす原因としての大気,そして,その影響を受けて生じる身体の状態も「風」と呼びました。日本では平安時代から,その意味で「風」が使用されはじめ,「風病」(ふびょう)とも呼ばれました。竹取物語(六ノ三)に「からうじて起き上がり給へるを見れば,風いと重き人にて,腹いとふくれ,こなたかなたの目には,李を二つつけたるやうなり」の記述が見られます。当時の「風病」は,上気道症状に限らず,下痢,腹痛などの腹部症状,片麻痺,てんかん発作などの神経症状まで含みました。風病を「身体に悪影響を及ぼす風」という意味で「風邪」(ふうじゃ)と呼ぶようになったのは鎌倉時代以後。それが「かぜ」と読まれるようになったのは明治時代以降だそうです。

 このように語源を振り返ってみると,「風邪」に込められた意味の多様性にも納得がいきます。医師の仕事は,「風邪」の言葉が何を意味しているか,診療に何を期待されているか,患者一人ごとに推定し,解明し,対応することです。初診のB病院では,A医院のような阿吽の対応は不可能で,low-contextな診療に徹する必要があります。すなわち,共有されている前提や経験がありませんから,時間をかけて問診→身体診察を行い,得られた情報を言語化し,分析し,診療の方針を導いていくのです。

 第1回は「かる~く♪」準備体操を行いました。しばし黙想したら,末尾の「調べてみよう!」に取り組んでください。次回から,本格的に「風邪」診療を開始します。では,次回まで,ごきげんよう!

■沈思黙考 その一

日常診療で,「風邪」ほど遭遇頻度の高い症候は他にありません。医師の仕事は,「風邪」の診療に始まり,「風邪」の診療に終わります。

調べてみよう!

1)「かぜ症候群」について,以下の12項目を整理しよう。
(1)定義・概念,(2)疫学,(3)病因と病態,(4)症状と自然経過,(5)検査,(6)診断,(7)鑑別診断,(8)治療,(9)予後,(10)合併症,(11)注意すべき基礎疾患,(12)患者教育と予防
2)広辞苑(岩波書店 第六版)で「感冒」の語を引き,医学用語の「感冒」や「かぜ症候群」との意味の違いを確認しよう。
3)喫煙およびACE阻害薬が慢性の咳嗽を引き起こす機序は?


齋藤中哉
京大大学院工学研究科修士課程修了。阪大医学部卒。2003年より,ハワイ大医学部において教育に従事。現在,医学教育フェローシップディレクター,自治医大卒後臨床研修センター客員教授,東医大病院総合診療科兼任教授。05年以来,庄内余目病院において,診療を行いながら医学生・研修医に臨床の思考と技業を伝授するセミナーを定期開催中。連絡先電子メール:nakaya@deardoctor.ac

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